荒れ地に花を

グタネコ

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第一章 ミイラ

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「死んでいたのは、高橋義男。五十三歳。三ヶ月前に離婚して、現在は一人でこのマンションに住んでいたようです。ただ、管理人の話では、奥さんが子どもを連れてここを出たのは、去年の暮れだということなので、実際には別れて半年ほどですかね……」
 鈴木利雄は手帳を開け、メモした内容を一つ一つ確認をするように、ゆっくりと言った。
「別れた奥さんの実家は資産家だそうで、今は、親が所有しているマンションに息子と二人で住んでいるみたいです」
「ここに一人か……」
 佐竹啓介は部屋を見回しながらつぶやいた。
 遺体が発見されたのは、地下鉄有楽町線、豊洲駅から徒歩十分の場所に立つ五十階建てのマンション、豊洲グランドヒルの四十八階、4803号室だった。
 東南の角部屋。眺望は申し分なかった。地上百五十メータ。居間は南に面していて、窓の外には東京湾が広がっていた。お台場、東京ディズニーランド、幕張新都心のビル群。目を凝らせば、川崎市と木更津市を結ぶアクアラインのパーキングエリア「海ほたる」の姿まで見ることができた。さらに、夜、北側の部屋にまわれば、スカイツリーがライトアップした姿を見せていた。
 銀座や有楽町まで地下鉄で約十分。オリンピック景気と合わせ、人気の高級マンションだった。
「管理人の話では、近々、他に引っ越すつもりだったとか……」
「だろうな……」
  一人で住むには広すぎる。間取りは余裕のある3LDK。居間だけでも、佐竹のマンションより広そうだった。
 奥さんと子どもの荷物は運び出されていて、広さの割りには、家具が少なく、ひどく殺風景な印象を受けた。
 寝室にはダブルベッドだけが残され、息子が使っていた北側の部屋の壁には、女性アイドルのポスターが、まだ剥がされずにそのまま貼られていた。遺体があった居間も、目立つ物は応接セットとテレビだけだった。
「三日前、日曜日に引越業者が下見にきています」
「三日前か……」
「月曜と火曜の新聞がポストに残されてますから、死んだのは日曜の夜ですかね。二日間、連絡なしで休んでいたという、会社の話とも一致します」
「どこだっけ」
 佐竹が聞いた。
「何がです?」
「会社だよ」
「会社ですか?」
「ああ」
「会社は……」
 鈴木は手帳をめくった。
「タツミバイオですね。以前は辰巳農研と言っていたそうです」
「ノウケン?」
 佐竹は、ここかと言うように、自分の頭を指さした。
「いいえ、農業の農です。野菜の種や苗に肥料を扱っている会社のようです」
「へえ、で、あの男は?」
「肩書きは研究開発部の部長だそうです」
「部長か……」
 死んでいた高橋は、タツミバイオという会社で研究開発部の部長をしていた。鈴木が佐竹に言ったように、元々、辰巳農研は、野菜や穀物の種や苗の販売を行う、地味で堅実な会社だった。農家向けの商品だけではなく、家庭菜園用の種や肥料なども扱う、牧歌的な会社だった。
 十年ほど前に、大学院で遺伝子工学を学んだという若い後継者が社長につくと、社名をカタカナに変え、研究所も一新した。
 近年は世界的な食糧危機が叫ばれ、農作物全般の値段が高騰している状況もあり、古くから集積した知識に近代的な遺伝子工学技術を加えた、タツミバイオの品種改良技術は国内外から注目を集めるようになっていた。
「で、確かに、その男なのか、そこで死んでたのは」
 佐竹は男が倒れていた床を指さした。遺体は、すでに運び出されていたが、目を凝らして見ると、床の上には人型らしき黒い影が残っているような気がした。
「ええ、多分」
 鈴木がうなずいた。
「多分か」
「DNA検査が出れば、はっきりするでしょうけど。体つきとか着ていた服とかは、本人らしいです」
「体つき? 分かるのか、あれで」
「まあ、身長ぐらいは」
「身長ぐらいか……」
 死んだ高橋は、下腹の出た典型的な中年太りの体型だったのだが、運び出された遺体に、その面影はなかった。
 高橋は先月、会社の健康診断で肝機能の低下と肥満が指摘されていた。酒の飲み過ぎが原因だった。
 離婚して三ヶ月、生活が乱れ体重が増えた。家族と別れた寂しさではない。別れて自由になり、歯止めがきかなくなったためだった。
「十キロは減らした方がいいですよ」
 医者は忠告した。
「このままだと、早死にしますよ」
 高橋はスポーツジムに通い出した。禁酒日も決めた。好物の鶏の唐揚げや串カツも控えるようにした。
 菜食主義。朝はキャベツとトマトとレタス。目標体重は六十五キロ。腹囲は七十五センチ。体脂肪率、十六パーセント。
 しかし、もう体重も中性脂肪も気にする必要はなくなった。死んでしまえば、生活習慣病も高血圧も関係がない。それに、なんと、体重は一日で三分の一に減っていた。目標体重をはるかに下回っている。
「で、鑑識は何か言ってたか? 本当に死んでから二、三日か?」
「さあ」
「さあって何だよ。はっきりしろよ」
「でも、佐竹さん」
「佐竹警部補」
「はい、佐竹さん」
「だから、警部……まあ、いいや。それで、理由は分かったのか。あの男がたった数日でミイラになった分けは」
「いいえ」
「見当ぐらいつかないのか」
「さっぱりだそうです」
「さっぱりか……」
 佐竹は、眉をしかめ、やってられないな、という顔で舌打ちをした
  遺体を発見したのは、石川という入社三年目の若い社員と、マンションの管理人だった。
 石川は上司に言われ、二日間連絡のない高橋の様子を見に来たのだが、インターホンで呼んでも応答がなく、「急病かもしれないので」と事情を説明し、管理人と一緒に高橋の部屋に入った。そして、運悪くリビングの床に仰向けに倒れていた高橋らしき遺体を見つけた。
 二人が発見した時には、高橋はすでにミイラ化していた。石川が吐き気を抑えながら、110番に電話をし、駅前の交番から警察官がきた。
 連絡を受けた警察官は、ミイラになっていると聞いて、孤独死だと決めつけた。都会では、独居の高齢者が亡くなり、ミイラ化した後で発見される事例が増えている。
 管理人は、部屋の主、高橋が三日前に業者と引越の打ち合わせをしていたと、警官に話した。
 交番から来た丸顔のどこかしまりのない警官は、ベランダから下を見て、
「これだけ高いと二、三日でミイラになるんだな」と的外れな感心をしていたが、いくら高層マンションが風通しが良く乾燥しているといっても、遺体が二、三日でミイラになるはずがなかった。
 さて、どうする……。
 佐竹は顎に手をやった。事件が事故か。自殺や病死なら自分はお役ご免だ。しかし、少しでも事件の臭いがするとなると、詳しく調べなくてはならない。
「佐竹さん。どうします。聞き込みをしますか」
 鈴木が指で天井と床をさした。隣接する部屋の意味だ。
「そうだな。まあ一応しとくか」
 佐竹は気だるそうに言いながら、ゆっくり歩き出した。
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