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第1話 桜が散ったあとに
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桜が散ったあとには、私たちは他人になってしまうだろう。
当たり前だ。友達というには一方通行が過ぎる。普通の友達というのは、もっと同じ趣味があったり、悩みを共有したりして繋がっているものだ。私が中学時代から繋がり続け、「友達」と呼んでいる人のほとんどは、そういう友達だ。佳恵みたいな関係のまま続いている友達はひとりもいない。
部活も趣味も興味も全く違うのに、同じクラスだというだけで行動を共にしているような関係は、学校が離れれば終わってしまう。佳恵は、私が一緒にいようとするから一緒にいるだけの子だ。心の内では思っているだろう。とりあえず三年間、一人にならずに済んだ、と。
私から佳恵に向かっている熱量と、佳恵から私に向かってくる熱量は、同じではない。
今日も授業が終わると、佳恵はトートバッグに丁寧に教科書を詰め始める。几帳面な彼女はバッグの中で教科書をさらに並べ直し、少し何かを考えていた。バナナクリップを一度外し、長い柔らかな髪をねじりなおして頭の上でもう一度留めた。
「へん?」
「ううん。いいんじゃない?」
かわいいよ、と私は言わない。バナナクリップや服や髪型を褒めはしても、彼女自身を可愛いとか、美人だとか、色っぽいとか、そういう言葉で表現もしない。ある日を境に、ずっとそうだ。
自分と同じような人間と繋がりたくて、そして自分が異質なものとして見られるかどうかが知りたくて、いろいろな言葉で検索してからずっと。
ビアン 見分け
ビアン 特徴
ビアン 判断
ビアン ゲイダー
そんな単語をパソコンに打ち込んで、「服や持ち物じゃなくて、容姿を褒めてくる」という誰かの書き込みを見てからずっと、彼女の容姿そのものは褒めていない。
佳恵が身に着ければすべて可愛く見える。髪型どころか、そろえた指先からローファーのつま先までも愛しく見えるのだから、持ち物を年に二回、褒めるくらいでちょうどいい。容姿を褒め始めたらきりがない。歯止めもかからない。
「帰る?」
「うん」
帰りの支度をする彼女を待つ。上履きを履き替える彼女を待つ。同じバス停で一緒にバスも待つ。
校門は二つある。彼女が使うのは、彼女の乗るバスの停留所に近い裏の校門だ。鞄を肩にひっかけていつものように裏校門へ向かおうとしたとき、佳恵は言った。
「私、わがままなのかなあ」
「え? なんで?」
「いつも私のバス停のとこまで来てもらってる」
佳恵が、そんなことを気にするとは思いもしなかった。前に一度、私の使う正門から帰ろうと誘ったことがあるが、バス停が違うと断られてから、私が毎日彼女のルートで学校を出るようになっていた。
佳恵の乗るバスを一緒に待つのは、別に彼女がわがままで望んだことでも何でもない。まだ話したいからと言い訳をして、私がそうしているだけだった。気持ち悪いと思われることを危惧しこそすれ、佳恵自身が自分をわがままだと思うとは。
「いいんじゃない? 私がまだ喋りたくて、勝手にそうしてるだけだし」
「…………」
佳恵が黙る。喋りたい、という割には私たちに会話は少ない。歩きながら、私は木々の隙間から漏れる光を眺めはじめる。まばゆいひとときの風に感じる陶酔を、ありきたりな言葉にする。
「気持ちいいね。いまの季節がいちばん好きだな」
「私も好き」
佳恵と一緒にいるこの時間が、どんなに私にとって特別なものかを、佳恵は知らない。
「冬もいいけどね。炬燵にミカンおいて映画観る」
ほかの仲のいい友達であれば、ここで、どんな映画を観たとか、こんな本を読んだとか、そんな話で花が咲くのだが。
「あんまり、話続かないんだよね、私」
佳恵は沈黙を気にして、そんな言葉を挟んだ。
「佐知がいちばん喋れる」
「そう?」
いちばん喋れる。
また一つ、いちばんを、私にくれた。
心をくすぐられて、私はもう浮き立つ感情を抑えることができない。飛び上がりそうな心を抑える為に、少し駆けて、塀からこぼれている民家の花を指さす。
「これ、可愛くない?」
「可愛い。私、白い花が一番好き。小さいともっと好き。ユキヤナギとか、カスミソウ」
「そういうのが好きか。……っていうか喋ってるじゃん。喋れてるじゃん今」
「佐知だからだよ。私といても、みんなつまんないんじゃないかって、たまに思うよ」
「そんなこと考えてるの」
確かに会話が加速する感じは全くない。が、もし全く喋れなくても、佳恵は一緒にいるだけで私を高揚させる。近くにいるだけで私の意識は完全に佳恵の存在に持っていかれる。
佳恵のおしゃべりが上手くなくても、佳恵を好きだと思う人間はたくさんいるだろうに。本人は気にするものなのか。
「無理に喋らなくてもいいんじゃない?」
停留所について、バスを待つ間も、私たちの会話は弾むわけではない、淡々としたものだ。内容も大したことはない。お小遣いを毎月千円ずつ銀行口座に入れて、貯金がいくらになったとか、今日の古文がわからなかったとか、歴史の先生が喋りはじめると眠気が来るとか、日常の報告と感想だ。
そのつまらない会話が、私の日常を特別にしている。バスを待つ時間、佳恵を一人占めしていることを、私だけが喜んでいる。
「バス来た」
小さな声で彼女は言った。
「またね」
引き止めるほどの会話の盛り上がりもなければ、学校帰りに寄り道をしたりもしない。彼女はバスに乗り込むと窓から手を振った。
誰としてもたいして変わり映えのしない会話。ただそばにいるから交わすだけの会話。距離を短くするために、わざと共通の趣味を探し出したり興味の分野を開拓したりはしない。そんなことをしたら、卒業しても、私たちは続いてしまう。
この『またね』が、明日でも来週でもなくなる日を、私は惜しみながら、待っているのだ。私の意識が彼女から解放される日を。
当たり前だ。友達というには一方通行が過ぎる。普通の友達というのは、もっと同じ趣味があったり、悩みを共有したりして繋がっているものだ。私が中学時代から繋がり続け、「友達」と呼んでいる人のほとんどは、そういう友達だ。佳恵みたいな関係のまま続いている友達はひとりもいない。
部活も趣味も興味も全く違うのに、同じクラスだというだけで行動を共にしているような関係は、学校が離れれば終わってしまう。佳恵は、私が一緒にいようとするから一緒にいるだけの子だ。心の内では思っているだろう。とりあえず三年間、一人にならずに済んだ、と。
私から佳恵に向かっている熱量と、佳恵から私に向かってくる熱量は、同じではない。
今日も授業が終わると、佳恵はトートバッグに丁寧に教科書を詰め始める。几帳面な彼女はバッグの中で教科書をさらに並べ直し、少し何かを考えていた。バナナクリップを一度外し、長い柔らかな髪をねじりなおして頭の上でもう一度留めた。
「へん?」
「ううん。いいんじゃない?」
かわいいよ、と私は言わない。バナナクリップや服や髪型を褒めはしても、彼女自身を可愛いとか、美人だとか、色っぽいとか、そういう言葉で表現もしない。ある日を境に、ずっとそうだ。
自分と同じような人間と繋がりたくて、そして自分が異質なものとして見られるかどうかが知りたくて、いろいろな言葉で検索してからずっと。
ビアン 見分け
ビアン 特徴
ビアン 判断
ビアン ゲイダー
そんな単語をパソコンに打ち込んで、「服や持ち物じゃなくて、容姿を褒めてくる」という誰かの書き込みを見てからずっと、彼女の容姿そのものは褒めていない。
佳恵が身に着ければすべて可愛く見える。髪型どころか、そろえた指先からローファーのつま先までも愛しく見えるのだから、持ち物を年に二回、褒めるくらいでちょうどいい。容姿を褒め始めたらきりがない。歯止めもかからない。
「帰る?」
「うん」
帰りの支度をする彼女を待つ。上履きを履き替える彼女を待つ。同じバス停で一緒にバスも待つ。
校門は二つある。彼女が使うのは、彼女の乗るバスの停留所に近い裏の校門だ。鞄を肩にひっかけていつものように裏校門へ向かおうとしたとき、佳恵は言った。
「私、わがままなのかなあ」
「え? なんで?」
「いつも私のバス停のとこまで来てもらってる」
佳恵が、そんなことを気にするとは思いもしなかった。前に一度、私の使う正門から帰ろうと誘ったことがあるが、バス停が違うと断られてから、私が毎日彼女のルートで学校を出るようになっていた。
佳恵の乗るバスを一緒に待つのは、別に彼女がわがままで望んだことでも何でもない。まだ話したいからと言い訳をして、私がそうしているだけだった。気持ち悪いと思われることを危惧しこそすれ、佳恵自身が自分をわがままだと思うとは。
「いいんじゃない? 私がまだ喋りたくて、勝手にそうしてるだけだし」
「…………」
佳恵が黙る。喋りたい、という割には私たちに会話は少ない。歩きながら、私は木々の隙間から漏れる光を眺めはじめる。まばゆいひとときの風に感じる陶酔を、ありきたりな言葉にする。
「気持ちいいね。いまの季節がいちばん好きだな」
「私も好き」
佳恵と一緒にいるこの時間が、どんなに私にとって特別なものかを、佳恵は知らない。
「冬もいいけどね。炬燵にミカンおいて映画観る」
ほかの仲のいい友達であれば、ここで、どんな映画を観たとか、こんな本を読んだとか、そんな話で花が咲くのだが。
「あんまり、話続かないんだよね、私」
佳恵は沈黙を気にして、そんな言葉を挟んだ。
「佐知がいちばん喋れる」
「そう?」
いちばん喋れる。
また一つ、いちばんを、私にくれた。
心をくすぐられて、私はもう浮き立つ感情を抑えることができない。飛び上がりそうな心を抑える為に、少し駆けて、塀からこぼれている民家の花を指さす。
「これ、可愛くない?」
「可愛い。私、白い花が一番好き。小さいともっと好き。ユキヤナギとか、カスミソウ」
「そういうのが好きか。……っていうか喋ってるじゃん。喋れてるじゃん今」
「佐知だからだよ。私といても、みんなつまんないんじゃないかって、たまに思うよ」
「そんなこと考えてるの」
確かに会話が加速する感じは全くない。が、もし全く喋れなくても、佳恵は一緒にいるだけで私を高揚させる。近くにいるだけで私の意識は完全に佳恵の存在に持っていかれる。
佳恵のおしゃべりが上手くなくても、佳恵を好きだと思う人間はたくさんいるだろうに。本人は気にするものなのか。
「無理に喋らなくてもいいんじゃない?」
停留所について、バスを待つ間も、私たちの会話は弾むわけではない、淡々としたものだ。内容も大したことはない。お小遣いを毎月千円ずつ銀行口座に入れて、貯金がいくらになったとか、今日の古文がわからなかったとか、歴史の先生が喋りはじめると眠気が来るとか、日常の報告と感想だ。
そのつまらない会話が、私の日常を特別にしている。バスを待つ時間、佳恵を一人占めしていることを、私だけが喜んでいる。
「バス来た」
小さな声で彼女は言った。
「またね」
引き止めるほどの会話の盛り上がりもなければ、学校帰りに寄り道をしたりもしない。彼女はバスに乗り込むと窓から手を振った。
誰としてもたいして変わり映えのしない会話。ただそばにいるから交わすだけの会話。距離を短くするために、わざと共通の趣味を探し出したり興味の分野を開拓したりはしない。そんなことをしたら、卒業しても、私たちは続いてしまう。
この『またね』が、明日でも来週でもなくなる日を、私は惜しみながら、待っているのだ。私の意識が彼女から解放される日を。
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