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焼きりんご

焼きりんご 第1話

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「……バカ」  
 いきなりすぎて、私は何を言われているのかわからなかった。  
 さっきから、機嫌が悪そうだなとは思っていたのだ。  
 いや、朝起きるときまではよかった。問題は、私が料理を始めてからだ。はるかは調理中の私のまわりをウロウロしてはじっと私を見ていた。そんなはるかの唇がだんだんと口角が下がり、憮然とした表情になり……。  
 そして一口食べて言った感想がこれだ。ふくれっ面で、ぼそっと。聞こえるか聞こえないかの小声で。  
 バカ?  
 私の親子丼を一口食べて言うせりふが、よりによって「バカ」?  
「なによ、バカって」  
 はるかのぷっくりとしたほっぺたを横にぎゅーっと指で伸ばしてやると、はるかはうぐぅぅ、と唸った。  
「文句いうなら食べさせてあげない」  
「た、食べます」  
「まずいって言うんでしょ!」  
「おいしいです!」  
 じゃあなんだ。なにがいけないっていうんだ。そもそも、今日ははるかがご飯を作ってくれる約束だった。「もう少し寝ましょうよ」と言うから、私が腕をふるったのに。  
 ブルーのソファベッド、ブルーの牛柄の冷蔵庫。コーヒーテーブルみたいなガラスのテーブルのこたつ。ちょっと変わったインテリアの、麻生はるかの一人暮らしの部屋には、私用のパジャマが増えた。  
 三年間付き合っていた元彼に別れを告げ、職場の後輩で友人にしかすぎなかったはるかと、付き合うようになって三週間。  
 金曜日の夜からお泊りをして、今日は一日ゆっくり過ごそうと決めていた、そんな土曜の朝、いや、昼だった。もう正午を過ぎている。  
 はるかの、毛先がいつもピンピンと元気にはねているショートカットは、今は寝癖がついて同じ方向に曲がってしまっている。  
 親子丼をつくってバカよばわりされたのは初めてだ。  
「おいしいです」  
 はるかは言い、丼をぜんぶ平らげた。が、そのままうつむいてしまった。機嫌が悪いのは直ってない。っていうか苦虫かみつぶしたような顔だ。まずいと言ってくれたほうが気が楽になる。  
 頭にきて、私は帰ろうと立ち上がった。足に犬のようにしがみついてくるはるかのおかげで、しりもちをついた。  
「ごめんなさい!」  
 はるかは私をぎゅうっと抱きしめた。  
「かえらないでください……」  
「八つ当たりされるのは、イヤだ」  
 暴れはしないものの、顔をそむけて不機嫌を表してやった。朝に機嫌が悪いことが多いのはわかってるけど、私にあたる癖をつけてもらっても困る。  
「ごめんなさい。自分に言ったんです」  
 私はそのまま、どうしてそんなことを言ったのか、説明してくれると思い、待った。はるかは何か言おうとして、やめた。そして、説明しないまま、また謝った。  
「本当においしいんです……」  
 なんで機嫌が悪いのかは不明なままだ。でも、はるかは不明なままにしておきたいんだろう。抱きしめられているとだんだんどうでもよくなってくる。はるかの抱きしめる手には、いつも熱いものがこもっている。  
 はるかはそのまま私を床に倒した。体重が私にかかってくる。はるかの指が髪をなでる。  
「児嶋さん……」  
 小さく言って、はるかは私をみつめた。なにか心配そうな目で。  
 大好き。  
 はるかが小さい声で言った。  
 私もだよ、と答えると、はるかは首をかしげて、完全には信じられないといった風な笑い方をした。  
「大好き。大好きです……」  
 唇が唇に触れる。何回も、何回も。  
 私の力は抜けてくる。はるかが眼鏡を外して、こたつに置く。  
 太陽がさしているわけでもない部屋の中に、あたたかい空気が充満している。何回も唇を吸われるうち、応えたくなってはるかの唇を吸い返す。  
 はるかはいったん唇をはなした。私の髪をかきあげて、目を覗きこんでくる。どくっと心臓がはねた。私は内心怯えたのを気取られまいとして目を閉じる。髪をなでていたはるかが止まったので目を開けると、はるかは私をまだじっと見ていた。ちょっと考えるみたいなそぶりをしているはるかに、目を閉じてキスをねだった。やわらかい唇がまた吸い付いてくる。私ははるかにされるままにした。とくん、とくん……、少しずつ心臓が先走りはじめるのを、落ち着かせるように。  
 唇を重ねあわせたまま、体のどこも動かさないで、抱き合ったまま――そうしてただじっとしていると、体の奥から金色の光がぽろぽろと溢れてくる。  
 嬉しい。嬉しい。幸せ……。嬉しい。  
 光はそうつぶやく。  
 気持ちいい。本当に溶けてしまいそう。気持ちいい。  
 はるかが呼吸するたびに、私のからだにその動きが伝わってくる。何もしないでこうやっていることって、こんなに気持ちよかったんだ。私たちは穏やかな午後、お互いのなかに溶け合っている。  
 ただ触れ合っているだけのキスが、どうしてこんなにも恍惚につながるのか……泣きたくなるほどあたたかいのか。  
 ピポポン、と音がして、はるかのパソコンが明るくなった。  
 誰かがメッセンジャーではるかを呼び出したのだ。ちらり、とはるかがそちらを向いた。  
「あ」  
 メッセンジャーの、「エリちん」と書かれた名前に、はるかは目を輝かせた。  
 エリちんの発言:帰って来たぞー!  
 その言葉に、はるかは起き上がって、私も起こして、頭ごと抱えて抱き寄せた。いっしょにパソコンを覗く。  
 ――おかえり。  
 はるかは打ち込み、そのあと、こう続けた。  
 ――彼女できたよ。  
 1時間後だった。  
 エリちんが乗り込んできたのは。  
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