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果実 派遣先の先輩を好きになりたくない
果実 第7話
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距離が近くなることに、これほど威力があると思わなかった。近づけば近づくほど、児嶋さんはいろんな表情をみせた。
終業チャイムが鳴れば、児嶋さんを独占できる。毎日のように喫茶店で話をする習慣を、私が強引に作ったからだ。
彼女は、細くてなんとなくふらふらしてみえた。仲良くなってくると、それが彼女のからだ、外見のせいだけじゃないことに気がついた。体よりも、奥のほうにある震え。よく響く弦のような音楽的な震え。怖がっているのではない、なにか敏感で潤いのある果実のようなもの。敏感さというのか、素肌感というのか、心の中でつついたらすぐに児嶋さんに伝わってしまいそうな感覚があった。
「もう、麻生さんは!」
彼女は、低い声になって拗ねたようにつぶやく。
「麻生さん?」
私の目を、はっきりとした澄んだ瞳でみつめては、息がかかりそうなほど近い距離で、話しかけてくる。
――麻生さん。麻生さん。麻生さん。
優しい母親のように。先輩らしく威厳をもって。まるで猫のように。キュウキュウ音をたてるサンダルを履いた子供のように。彼女は呼びかけてきた。麻生さん――。
たぶん、わかっていない。自分の上目遣いが、どんなに私の体の奥に音をたてて杭を打ち込むようにしてくるのか。
児嶋さんが仕事で私にコンプレックスを抱くこと自体が、甘い独占するような感情をかきたてる。私がこの人を尊敬しているように、児嶋さんだって少しは私を認めてくれているはずだ。だって、彼女もミスしてるじゃないか、私はそれをフォローしているじゃないか。……私は、意地のわるい目つきで後ろすがたを眺めていることがある。
児嶋さんはこの妬き付くような視線もわかっていない。……と、思う。可愛い後輩のふりが、私の甘えるような口調が、ただ児嶋さんを安心させるためのものだと、理解していないだろう。
少しずつ、生命力を増し、彼女は魅力も増していった。
ただ淡いだけだった景色がくっきりと鮮やかに動きを作りだす。道端の花は児嶋さんの唇そのまま、花びらをゆるやかに開き、声を発している。緑は存在感を訴え、生命の力を宿している。空の泣けるような青さが、てっぺんからふりそそぎ、皮膚の中にまでしみこんでくる。世界が様子を変えてしまった。
これはいったいなんだろう。恋をするのは初めてじゃないはずなのに――周りの景色まで、すべて、初めて見るように感じる。初めて恋をしたとき、こんなふうだっただろうか?
目が合うか合わないか、体の距離が近くなったか、そんなことで会社の中の温度がまったく違ってしまった。彼女がついたため息だけは大きく聞こえた。体中が敏感になって、恋愛の歌を聞くだけで涙が出るほど、魂が揺れた。
一人の人間が、どんどん毎日の中で大きな位置を占めるようになる。それは、自分はどうにかなってしまうんじゃないか、そんな恐怖感を起こさせた。
歯止めをかけなければいけない。
じっくり時間をかけて沸騰するみたいに、毎日毎日、心臓がコトコトと音をたてる。
自分の唇が、ただの唇じゃなくなってくる。
この唇はものを食べるためのものじゃない。だって、食べられないもの、喉がつまるみたいで、苦しくて飲み込めない。食べ物を口に含むときに、その食べ物はとつぜん児嶋さんの唇の感触はどうだろうと思わせる。自分の唇が、会う前とは違ってしまっている。好きだ、とそう伝えるための、手の届かない相手に口づけるための、もともとそんなものとして生まれてきたかのように。
近づきすぎたかもしれない。
感情が、体からはみ出してしまいそう。抑えられない、こわい。私はもう狂っているのかもしれない。
毎日、毎日児嶋さんは隣の席に座る。話しかければ答えてくれる距離に。当然のように。日常の1コマとして。
当たり前の出来事が、奇跡になった。
児嶋さんといると、心が全部彼女を向く。私の体や目はもちろんパソコンの画面を見ている。でも気がつくと、仕事が終わったとき、目の裏に焼きついているのはエクセルの画面ではなかった。目の端にうつっていた児嶋さんの姿のほうだった。
動きがなくても一緒だった、画面を食い入るように見つめてマウスを持ったままの児嶋さんの手がまったく動かなくても、ずっと動かないままの彼女の手が、服の袖までもが、私の目の端を占領している。
仕事中にさらりとかきあげられて揺れる髪、肩が凝った児嶋さんが自分で揉むときに見える首すじ、袖から半分だけ出ている指のうごき、スカートの下からちらりとのぞく肌の色。
やっかいなのは、彼女の瞳だった。近距離の瞳には、抗いようのない魔力がある。潤んで震える笑顔の瞳。泣きそうな目つきや、静かに怒ったときの、ピンと伸ばした背筋を見ると、私は彼女をもっと泣かせたい、怒らせたいと感じることがある。
もう、好きな相手を汚す想像をすることができなかった、高校時代の私ではなかった。一時期無茶をしたことがあるせいなのか。恋愛といえる経験は多くないのに、私の目や指はもう、こんなふうにしたら彼女はどんな反応をするだろうと、考えるようになってしまっていた。
児嶋さんに、もう一度、あんな真っ赤な顔をさせてみたい。
この唇に口付けたら……。指先をぎゅっと握ったら。頬に口付けたら、どんな感触だろう。児嶋さんはどうなるだろう。嫌がるだろうか、逃げるだろうか、怒るだろうか? 怯えて絶縁されるかも。あの鎖骨に歯を立てたら、服の中の果実にこんなふうに触れたら、菓子を食べてぎゅうっと目を閉じた児嶋さんは、どんなふうに目を閉じるだろうか。触れたがっているこの唇で、親指で、手のひらで、中指で……。
まぶたの裏で、私の心のじわりとした熱を受けて、児嶋さんが潤んだ目で苦しそうに私の撫ぜる手のひらを感じている。私の心に杭を打ち込むようにしたあの瞳で見上げながら、私の指を受け入れている。唇からため息がもれて、児嶋さんは汗ばんで、私の指に反応する。私の腕の下で、逃げるみたいにからだをびくつかせる。あの響く声が、徐々に切羽詰まって私を呼ぶ。麻生さん……麻生さん。
経験なんてなければよかった。そうしたら想像が、ここまで具体的に彼女を汚すことはなかった。
この肌に、私の手のひらを滑らせたい、強く抱きしめたい、唇を這わせたい。ことばに出して、言ってしまいたい。大好き。大好き。
肌をかさねあわせて体温を感じる。そんな幻触で、想像とは思えないほど、私の指が、手の甲が、頬が、頭の芯が濡れた。でも、そんな幻触がなんだろう。彼女と私を液体へと変えてドロドロに溶かし混ぜ合わせてしまいたい、そんな魂の欲求のほうがはるかに強かった。
私は児嶋さんに触れるようになった。
喫茶店で、彼女の趣味であるマニキュアをきれいだと言って。
スキンシップの多い子だ。いったんそう思われてしまえば楽だ。触れられないほど好きになる前に。
はじめの抵抗感を、無理におさえて、何でもないみたいに触れる。まるで意識してないみたいに。
意識してないみたいに……心臓がこわれた機械みたいだ、彼女の指が私の手の中にある。触れたい。もっと。ずっと触れていたい。
「なに?」
ちょっと困ったように、児嶋さんが笑う。
絶対にばれていると思った。
「……児嶋さんは、自分が、他の人と違っているって感じたら、どうしますか?」
児嶋さんは首をかしげた。
「いい意味で? 悪い意味で?」
「……わかんないですけど、引かれるかもしれない、とか……そういう感じの時とか」
何を言ってるんだ。私は、児嶋さんに触れていると、ついほかの人には話さないことを話そうとしてしまう。
「ただ引かれるだけだったとしても、それが私にとってものすごく為になることだったら、まだわかります。でも、誰の為にもならなくて、自分の得にもならなくて、でも、変えられない……のって、どう思います? 児嶋さんだったら、柔軟だから、自分を変えようと頑張ります?」
この人だと、みんな違ってみんないいとか、そういうフォローしそうだな。自分と違う人にも合わせようとしちゃう人だと思うし。
急に児嶋さんは振り向いて、ニコッとした。
「いやだな」
…………ん?
「水を飲んだだけで引かれるような、そういう星に流れついちゃったら、と思うとね。私は宇宙人ってことだよね。さみしいよ。いやだ」
「うちゅう人!? え? うちゅう……?」
どうしてここに宇宙が出てくる。私は混乱した。
「水を飲? え、なんて?」
「水を飲んだら引くような、文化の違う星でひとりだけ水を飲まずには生きられなかったらって話」
ずいぶん考えが飛躍するな。この人やっぱり少し天然かもしれない。
「周りからは私が宇宙人に見えるんでしょ。さみしいよ。子供だったらすぐにETと友達になれるのに」
心からさみしそうに、児嶋さんは言った。
ああ、この人。私をフォローするのでもなく、もう自分が引かれるほうの立場に感情移入してるのか。
「でも、自分だけでも、お互い宇宙人なんだってわかってたら、理解されるのが当たり前とも思わずに済むかなぁ。別の星の人との付き合い……ぼちぼち考えます」
…………好き。
「児嶋さんて、ほんと、宇宙人みたいですしね」
「はい?」
「理解できないっていうか」
「はい……!?」
可愛い後輩。仕事のことをきいてくる、たまにフォローもしてくる、児嶋さんのネイルに興味のある、可愛い後輩。ちゃんと、そう見えているだろうか? 怖がっていないだろうか? 気持ち悪くはないだろうか?
握っていた児嶋さんの手を、ぎゅっと両手で包んだ。
児嶋さんは振り払ったりしなかった。気付いているのかもしれない。二人の周りに熱い層ができて、周りを見えなくする。児嶋さんの指は細くて、いつも桜貝のような爪をしている。
「ほんとう、綺麗です。このネイル」
美しい手の持ち主はたくさんいる。どうして彼女の指に触れたときだけ、特別に感じるのか……。
魅力は、やはり力なのだ。まずいと思ったときにはもう遅い。魔力や武力と同じだ、ものすごい力でこちらを揺さぶってくる。人を抗えなくさせる。
気持ちが膨らみすぎて、怖くなると、彼女を避けた。そのくせ、一人の部屋で、何時間でも彼女のことを考えていた。
終業チャイムが鳴れば、児嶋さんを独占できる。毎日のように喫茶店で話をする習慣を、私が強引に作ったからだ。
彼女は、細くてなんとなくふらふらしてみえた。仲良くなってくると、それが彼女のからだ、外見のせいだけじゃないことに気がついた。体よりも、奥のほうにある震え。よく響く弦のような音楽的な震え。怖がっているのではない、なにか敏感で潤いのある果実のようなもの。敏感さというのか、素肌感というのか、心の中でつついたらすぐに児嶋さんに伝わってしまいそうな感覚があった。
「もう、麻生さんは!」
彼女は、低い声になって拗ねたようにつぶやく。
「麻生さん?」
私の目を、はっきりとした澄んだ瞳でみつめては、息がかかりそうなほど近い距離で、話しかけてくる。
――麻生さん。麻生さん。麻生さん。
優しい母親のように。先輩らしく威厳をもって。まるで猫のように。キュウキュウ音をたてるサンダルを履いた子供のように。彼女は呼びかけてきた。麻生さん――。
たぶん、わかっていない。自分の上目遣いが、どんなに私の体の奥に音をたてて杭を打ち込むようにしてくるのか。
児嶋さんが仕事で私にコンプレックスを抱くこと自体が、甘い独占するような感情をかきたてる。私がこの人を尊敬しているように、児嶋さんだって少しは私を認めてくれているはずだ。だって、彼女もミスしてるじゃないか、私はそれをフォローしているじゃないか。……私は、意地のわるい目つきで後ろすがたを眺めていることがある。
児嶋さんはこの妬き付くような視線もわかっていない。……と、思う。可愛い後輩のふりが、私の甘えるような口調が、ただ児嶋さんを安心させるためのものだと、理解していないだろう。
少しずつ、生命力を増し、彼女は魅力も増していった。
ただ淡いだけだった景色がくっきりと鮮やかに動きを作りだす。道端の花は児嶋さんの唇そのまま、花びらをゆるやかに開き、声を発している。緑は存在感を訴え、生命の力を宿している。空の泣けるような青さが、てっぺんからふりそそぎ、皮膚の中にまでしみこんでくる。世界が様子を変えてしまった。
これはいったいなんだろう。恋をするのは初めてじゃないはずなのに――周りの景色まで、すべて、初めて見るように感じる。初めて恋をしたとき、こんなふうだっただろうか?
目が合うか合わないか、体の距離が近くなったか、そんなことで会社の中の温度がまったく違ってしまった。彼女がついたため息だけは大きく聞こえた。体中が敏感になって、恋愛の歌を聞くだけで涙が出るほど、魂が揺れた。
一人の人間が、どんどん毎日の中で大きな位置を占めるようになる。それは、自分はどうにかなってしまうんじゃないか、そんな恐怖感を起こさせた。
歯止めをかけなければいけない。
じっくり時間をかけて沸騰するみたいに、毎日毎日、心臓がコトコトと音をたてる。
自分の唇が、ただの唇じゃなくなってくる。
この唇はものを食べるためのものじゃない。だって、食べられないもの、喉がつまるみたいで、苦しくて飲み込めない。食べ物を口に含むときに、その食べ物はとつぜん児嶋さんの唇の感触はどうだろうと思わせる。自分の唇が、会う前とは違ってしまっている。好きだ、とそう伝えるための、手の届かない相手に口づけるための、もともとそんなものとして生まれてきたかのように。
近づきすぎたかもしれない。
感情が、体からはみ出してしまいそう。抑えられない、こわい。私はもう狂っているのかもしれない。
毎日、毎日児嶋さんは隣の席に座る。話しかければ答えてくれる距離に。当然のように。日常の1コマとして。
当たり前の出来事が、奇跡になった。
児嶋さんといると、心が全部彼女を向く。私の体や目はもちろんパソコンの画面を見ている。でも気がつくと、仕事が終わったとき、目の裏に焼きついているのはエクセルの画面ではなかった。目の端にうつっていた児嶋さんの姿のほうだった。
動きがなくても一緒だった、画面を食い入るように見つめてマウスを持ったままの児嶋さんの手がまったく動かなくても、ずっと動かないままの彼女の手が、服の袖までもが、私の目の端を占領している。
仕事中にさらりとかきあげられて揺れる髪、肩が凝った児嶋さんが自分で揉むときに見える首すじ、袖から半分だけ出ている指のうごき、スカートの下からちらりとのぞく肌の色。
やっかいなのは、彼女の瞳だった。近距離の瞳には、抗いようのない魔力がある。潤んで震える笑顔の瞳。泣きそうな目つきや、静かに怒ったときの、ピンと伸ばした背筋を見ると、私は彼女をもっと泣かせたい、怒らせたいと感じることがある。
もう、好きな相手を汚す想像をすることができなかった、高校時代の私ではなかった。一時期無茶をしたことがあるせいなのか。恋愛といえる経験は多くないのに、私の目や指はもう、こんなふうにしたら彼女はどんな反応をするだろうと、考えるようになってしまっていた。
児嶋さんに、もう一度、あんな真っ赤な顔をさせてみたい。
この唇に口付けたら……。指先をぎゅっと握ったら。頬に口付けたら、どんな感触だろう。児嶋さんはどうなるだろう。嫌がるだろうか、逃げるだろうか、怒るだろうか? 怯えて絶縁されるかも。あの鎖骨に歯を立てたら、服の中の果実にこんなふうに触れたら、菓子を食べてぎゅうっと目を閉じた児嶋さんは、どんなふうに目を閉じるだろうか。触れたがっているこの唇で、親指で、手のひらで、中指で……。
まぶたの裏で、私の心のじわりとした熱を受けて、児嶋さんが潤んだ目で苦しそうに私の撫ぜる手のひらを感じている。私の心に杭を打ち込むようにしたあの瞳で見上げながら、私の指を受け入れている。唇からため息がもれて、児嶋さんは汗ばんで、私の指に反応する。私の腕の下で、逃げるみたいにからだをびくつかせる。あの響く声が、徐々に切羽詰まって私を呼ぶ。麻生さん……麻生さん。
経験なんてなければよかった。そうしたら想像が、ここまで具体的に彼女を汚すことはなかった。
この肌に、私の手のひらを滑らせたい、強く抱きしめたい、唇を這わせたい。ことばに出して、言ってしまいたい。大好き。大好き。
肌をかさねあわせて体温を感じる。そんな幻触で、想像とは思えないほど、私の指が、手の甲が、頬が、頭の芯が濡れた。でも、そんな幻触がなんだろう。彼女と私を液体へと変えてドロドロに溶かし混ぜ合わせてしまいたい、そんな魂の欲求のほうがはるかに強かった。
私は児嶋さんに触れるようになった。
喫茶店で、彼女の趣味であるマニキュアをきれいだと言って。
スキンシップの多い子だ。いったんそう思われてしまえば楽だ。触れられないほど好きになる前に。
はじめの抵抗感を、無理におさえて、何でもないみたいに触れる。まるで意識してないみたいに。
意識してないみたいに……心臓がこわれた機械みたいだ、彼女の指が私の手の中にある。触れたい。もっと。ずっと触れていたい。
「なに?」
ちょっと困ったように、児嶋さんが笑う。
絶対にばれていると思った。
「……児嶋さんは、自分が、他の人と違っているって感じたら、どうしますか?」
児嶋さんは首をかしげた。
「いい意味で? 悪い意味で?」
「……わかんないですけど、引かれるかもしれない、とか……そういう感じの時とか」
何を言ってるんだ。私は、児嶋さんに触れていると、ついほかの人には話さないことを話そうとしてしまう。
「ただ引かれるだけだったとしても、それが私にとってものすごく為になることだったら、まだわかります。でも、誰の為にもならなくて、自分の得にもならなくて、でも、変えられない……のって、どう思います? 児嶋さんだったら、柔軟だから、自分を変えようと頑張ります?」
この人だと、みんな違ってみんないいとか、そういうフォローしそうだな。自分と違う人にも合わせようとしちゃう人だと思うし。
急に児嶋さんは振り向いて、ニコッとした。
「いやだな」
…………ん?
「水を飲んだだけで引かれるような、そういう星に流れついちゃったら、と思うとね。私は宇宙人ってことだよね。さみしいよ。いやだ」
「うちゅう人!? え? うちゅう……?」
どうしてここに宇宙が出てくる。私は混乱した。
「水を飲? え、なんて?」
「水を飲んだら引くような、文化の違う星でひとりだけ水を飲まずには生きられなかったらって話」
ずいぶん考えが飛躍するな。この人やっぱり少し天然かもしれない。
「周りからは私が宇宙人に見えるんでしょ。さみしいよ。子供だったらすぐにETと友達になれるのに」
心からさみしそうに、児嶋さんは言った。
ああ、この人。私をフォローするのでもなく、もう自分が引かれるほうの立場に感情移入してるのか。
「でも、自分だけでも、お互い宇宙人なんだってわかってたら、理解されるのが当たり前とも思わずに済むかなぁ。別の星の人との付き合い……ぼちぼち考えます」
…………好き。
「児嶋さんて、ほんと、宇宙人みたいですしね」
「はい?」
「理解できないっていうか」
「はい……!?」
可愛い後輩。仕事のことをきいてくる、たまにフォローもしてくる、児嶋さんのネイルに興味のある、可愛い後輩。ちゃんと、そう見えているだろうか? 怖がっていないだろうか? 気持ち悪くはないだろうか?
握っていた児嶋さんの手を、ぎゅっと両手で包んだ。
児嶋さんは振り払ったりしなかった。気付いているのかもしれない。二人の周りに熱い層ができて、周りを見えなくする。児嶋さんの指は細くて、いつも桜貝のような爪をしている。
「ほんとう、綺麗です。このネイル」
美しい手の持ち主はたくさんいる。どうして彼女の指に触れたときだけ、特別に感じるのか……。
魅力は、やはり力なのだ。まずいと思ったときにはもう遅い。魔力や武力と同じだ、ものすごい力でこちらを揺さぶってくる。人を抗えなくさせる。
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