虫 ~派遣先に入って来た後輩が怖い~

銀色小鳩

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果実 派遣先の先輩を好きになりたくない

果実 第1話

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「これから組むことになる人だから」
 紹介されたとき、まずいと思った。児嶋こじま未来みきが、昔の彼女に似ていたからだ。
 渋谷のようなざわついた市街と違い、どこかゆったりと時間が動いているように見える都市のはずれに、これから働く会社はあった。
 正社員……? いや、派遣社員か。
 児嶋さんはしっかりと私を見つめ、完璧といえるほど美しいお辞儀をした。
 ゆるやかなウェーブの、毛先だけ梳かれた髪、伏せると優しい雰囲気になる長い睫毛の瞳。淡い色の唇。細くて筋のある手首。髪を染めていても、清楚な印象でまとまっている。
 いま思うと、本当に似ていただろうか? 髪も、肌の色も違っていた。唇の形も、一重まぶたか二重まぶたかということまで。雰囲気といったところだろうか。女性らしい仕草は似ていた。でも同じような仕草をする人はたくさんいる。
 嫌いだ。「モテましょう」がコンセプトのファッション誌からそのまま出てきたような人間は。
 人に好かれることが好きで、好かれていないと生きていられない。心のよわさをしぶとさに変えて、寄生して生きるタイプの人間のにおい。恋愛のことしか考えていなさそうな……沙耶さやと同じにおいがする。
 どうしても目で追ってしまう――。
 私は冷たい態度を取っていた。
 近づかなければ、大丈夫。仲良くしなければいい。
 
 
 仕事は一時間で覚えられた。
 単純な入力作業だった。地方から送られてきたデータの修正や入力。テキスト化してシステムに取り込み、出たエラーを修正する。できあがったら印刷して、互いのシートを交換し、チェックして返す。
 ミスがないかどうか、二人のあいだで入念に調べられて、一つの仕事ができあがっていく。
 大量のダンボールは個人情報の山だった。溜まるに溜まり、キャビネットに入りきれなくなった紙束は、入力するまで机のまわりに乱雑に積み置かれていた。
「個人情報ですよね? どこかに入れなくていいんです……かね? 段ボールも開けっ放しで」
 児嶋未来は困ったように首をかしげた。
 言われても困るのだろう。派遣で口を出せる範囲でもなかった。
 直接の上司のさかいにも言ったが、なあなあで済まされてしまった。一瞬、この会社は大丈夫なのかと聞き返したくなった。作業場自体に鍵がないのに、個人情報出しっぱなしって? それはいい。まあいい。
 でも……。でもなんだか……。
(この人、とろすぎる……!)
 どうして、手作業でひとつずつ、全角を半角に変えるんだ。ASC使えば一発なのに。
 作業としては簡単なはずの仕事で、初日、何度か間違えた。
「間違えて教えてた」、「やっぱりこっちが先じゃないと駄目だった」、「ごめん、もう一度確認する」……。 一日に何度、その言葉を聞いただろう。児嶋さんの段取りの悪さは致命的だった。仕事を完了してから児嶋さんに見せるたびに、児嶋さんは、しまったという顔をした。「言い忘れてた。これを、こうする前に、あっちのあれ、あれを……」、毎回教え直しをして、私にやり直しをさせた。
 これってなんだ。そっちってなんだ。コレソレアレで言われたって、何が言いたいのかわからない。
 児嶋さんの指が私の見る帳票を指さし、彼女の髪がさらりと目の前に揺れた。髪からシャンプーの香りや、その日の気分で香る香水や、児嶋さん自身のほのかな匂いが感じられ、児嶋さんの目は私に向けられる。わかった? と聞いてくる。ぱっちりとした瞳が、私の目を覗きこんでくる。
 昔の幻影に惑わされるな。予感を的中させてはいけない。
 本当のことをいえば、イライラするだけでもなかった。甘酸っぱいぶどうを齧るような感覚を無視しようとして、動揺していなければ絶対に間違えないようなミスもいくつか作っていた。
 ――早く、仕事覚えないと。
 まわりくどい職場の暗黙の了解やら、ローカルな中でしか通じないしるし、マーク、付箋の色や、細々としたルール。誰に対してはこのやり方で、誰に対してはあのやり方で――。職場ごとに覚えなければいけない、沢山のルール。
 児嶋さんに教えてもらわなければできないことが、山ほどあった。
 仕事で組むというのはそういうことだった。
 私の失敗を児嶋さんがかぶる、児嶋さんのミスに私も気付く。教えてもらう。作業のしかたを話しあう。良くも悪くも、児嶋さんの人とのかかわり方を、私はそのまま受け取る。かならず毎日会って、挨拶をして、ことばをかわす。
 関わらないでいるなんて、無理だった。
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