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虫 派遣先に入って来た後輩が怖い
第16話(最終話)
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はるかからの着信は一切なかった。私は駅をうろうろし、家に帰ろうかと迷い、もうかなり遅くなってから、はるかに電話をかけた。
3回電話をかけて、3回目にはるかは出た。
「まだ隆史さんといますか」
「いないよ。別れた……」
電話の向こうが黙った。信じてもらえないかもしれないと思ったが、そうではなかった。私の方で声が出なくなってしまったのを感じたのだろう。それ以上私を責めることはなかった。
「今、外ですか?」
その声には、少し氷の緩んだような響きがあった。
二人とも黙り込んでしまって、お互いの息の音だけがきこえる。
私ははるかの家へと続く道を歩き始めていた。入れてもらえなくてもかまわない。足が勝手にそっちに向くのだ。
「うち、来ますか?」
「行く」
もう家の近くまで来ていた。とっぷりと日も暮れていた。
「おかえり」
扉をあけたはるかは、目を真っ赤に泣き腫らしていた。
急に突き上げてくるものがあった。
私ははるかに抱きついた。抱きついて、抱え込んで、抱きしめた。いつかはるかがそうしたように。はるかはバランスを崩して床に座り込んだ。
「児嶋さん」
「はるか……付き合って」
はるかは、唇を開いて、私をみつめた。その視線が、一瞬他をさまよった。ゆっくりと、もう一度ゆっくりとはるかは私のほうに視線を合わせた。目が合って……玄関先だということを意識したのか、はるかは片手で扉をしめた。私ははるかの膝の上に乗ってしまっていた。はるかは黙って、私の頬を両手で包むと、髪を梳いた。
泣き腫らしたせいで、はるかのくりくりしたまるい大きな瞳はかなり小さくなっていた。
「はるか、ブスになってる」
「うるさいな」
はるかは気にしていないふうにして、しばらくして、玄関先の鏡を覗き込んだ。
「ああ……うん。そうですね」
憮然として言い、そのまま私を抱きしめた。
「ちゃんと別れました?」
「うん」
「それならよし、です」
はるかは足をくずして、もう一度私をぎゅっと抱きしめた。偉そうな言い方をしているくせに、泣きが入っているせいでちっとも威厳がない。
私の肩にうめられたはるかの顔がもごもごと動く。
「辛かったんですよね」
仕事中とは打って変わって、思ってもいなかった言葉をかけられて、私は驚いた。
「なんで……児嶋さんはこんなに苦しめるんだろうって、思ってました。なんか、悪意あるんじゃないかなぁって思ったり」
「うん」
はるかは、妙に繊細な少女のように見えた。
「でも、別れたばっかり、別れるって決めたばっかりだったんですよね。3年付き合ってたんですよね。そんなの、簡単にできるわけなかったのに。それに……隆史さんへの気持ちを。私に、隆史さんへの復讐をしてるところもあったんですよね?」
私が息を飲む番だった。
そんなこと、考えたこともなかった。考えたこともなかったけど、はるかの言葉は、突き刺さった。隆史への復讐をはるかに……。
答えられなかった。
なんで、はるかは、こんなに私のことを見通しているんだろう。私よりもずっと。
「考えたことなかった」
「児嶋さんの使う常套句。『考えたことなかった。』」
はるかは私を立たせ、自分も立ち上がると、部屋へ通した。ベットにどさりと座り、両手を広げて私を見た。泣き疲れたのか、はるかの動きはいつもよりも鈍かった。
もしかして、昨日寝ていない……?
そう聞くと、はるかは首をだらーんとかしげた。
「児嶋さんと喧嘩した日から寝てませんけど」
ええええ!
何日寝ていないんだ、それは。
「でも会社のトイレで寝てましたから」
はるかはもう一度両手を広げて拗ねたように唇をとがらせた。そして、
「考えたことなかった。」
私の口真似をして、目を細くして、またいやみのようにつぶやいた。
「わ、わるかったよ……」
私は少しためらった。ためらったが、はるかにせかされて、ベットに座って、はるかの両腕に包まれた。はるかは私の背中をぎゅっと抱きしめた。
この香り――はるかの人間らしい、あたたかいぬくもった香り。やっと感じることができた。私ははるかの首のあたりに自分の頭を擦り付けた。
「児嶋さん……」
はるかの困ったような、どもった声。
守ってあげたい、そんなふうに感じるのは、男でも女でも変わりがないみたいだ。守ってほしいんじゃなく、自分が守りたいと思える相手に出会えて、抱きしめることができる。それは、奇跡のひとつなんだろう。
「これは、考えてしてますよね」
「ん?」
「この抱っこは、シラフですよね?」
「そ、そうだよ」
「児嶋さんが2つとか3つに見えます」
「早く寝てください!」
私ははるかをベットに押し付けた。はるかが倒れこみながら、私を巻き込んだ。私を巻き込んでぎゅうぎゅうと抱きつきながら、
「児嶋さぁん。こーじまさぁん」
急に子供のようになってしまったはるか。こんなに可愛かったっけ?
「はいはい。寝てください」
私の隣で、はるかは幸せそうな表情をした。
「言いましたよね。付き合うって」
はるかは血色のよい頬をほころばせて言った。
「寝るのもったいない」
恥ずかしくなって、私ははるかを小突いた。
小突いた指先から、光があふれた。光があふれて、いつもより小さくなっているはるかの瞳をきらきらさせた。
視界のすべてが色彩で溢れていた。
~完~
3回電話をかけて、3回目にはるかは出た。
「まだ隆史さんといますか」
「いないよ。別れた……」
電話の向こうが黙った。信じてもらえないかもしれないと思ったが、そうではなかった。私の方で声が出なくなってしまったのを感じたのだろう。それ以上私を責めることはなかった。
「今、外ですか?」
その声には、少し氷の緩んだような響きがあった。
二人とも黙り込んでしまって、お互いの息の音だけがきこえる。
私ははるかの家へと続く道を歩き始めていた。入れてもらえなくてもかまわない。足が勝手にそっちに向くのだ。
「うち、来ますか?」
「行く」
もう家の近くまで来ていた。とっぷりと日も暮れていた。
「おかえり」
扉をあけたはるかは、目を真っ赤に泣き腫らしていた。
急に突き上げてくるものがあった。
私ははるかに抱きついた。抱きついて、抱え込んで、抱きしめた。いつかはるかがそうしたように。はるかはバランスを崩して床に座り込んだ。
「児嶋さん」
「はるか……付き合って」
はるかは、唇を開いて、私をみつめた。その視線が、一瞬他をさまよった。ゆっくりと、もう一度ゆっくりとはるかは私のほうに視線を合わせた。目が合って……玄関先だということを意識したのか、はるかは片手で扉をしめた。私ははるかの膝の上に乗ってしまっていた。はるかは黙って、私の頬を両手で包むと、髪を梳いた。
泣き腫らしたせいで、はるかのくりくりしたまるい大きな瞳はかなり小さくなっていた。
「はるか、ブスになってる」
「うるさいな」
はるかは気にしていないふうにして、しばらくして、玄関先の鏡を覗き込んだ。
「ああ……うん。そうですね」
憮然として言い、そのまま私を抱きしめた。
「ちゃんと別れました?」
「うん」
「それならよし、です」
はるかは足をくずして、もう一度私をぎゅっと抱きしめた。偉そうな言い方をしているくせに、泣きが入っているせいでちっとも威厳がない。
私の肩にうめられたはるかの顔がもごもごと動く。
「辛かったんですよね」
仕事中とは打って変わって、思ってもいなかった言葉をかけられて、私は驚いた。
「なんで……児嶋さんはこんなに苦しめるんだろうって、思ってました。なんか、悪意あるんじゃないかなぁって思ったり」
「うん」
はるかは、妙に繊細な少女のように見えた。
「でも、別れたばっかり、別れるって決めたばっかりだったんですよね。3年付き合ってたんですよね。そんなの、簡単にできるわけなかったのに。それに……隆史さんへの気持ちを。私に、隆史さんへの復讐をしてるところもあったんですよね?」
私が息を飲む番だった。
そんなこと、考えたこともなかった。考えたこともなかったけど、はるかの言葉は、突き刺さった。隆史への復讐をはるかに……。
答えられなかった。
なんで、はるかは、こんなに私のことを見通しているんだろう。私よりもずっと。
「考えたことなかった」
「児嶋さんの使う常套句。『考えたことなかった。』」
はるかは私を立たせ、自分も立ち上がると、部屋へ通した。ベットにどさりと座り、両手を広げて私を見た。泣き疲れたのか、はるかの動きはいつもよりも鈍かった。
もしかして、昨日寝ていない……?
そう聞くと、はるかは首をだらーんとかしげた。
「児嶋さんと喧嘩した日から寝てませんけど」
ええええ!
何日寝ていないんだ、それは。
「でも会社のトイレで寝てましたから」
はるかはもう一度両手を広げて拗ねたように唇をとがらせた。そして、
「考えたことなかった。」
私の口真似をして、目を細くして、またいやみのようにつぶやいた。
「わ、わるかったよ……」
私は少しためらった。ためらったが、はるかにせかされて、ベットに座って、はるかの両腕に包まれた。はるかは私の背中をぎゅっと抱きしめた。
この香り――はるかの人間らしい、あたたかいぬくもった香り。やっと感じることができた。私ははるかの首のあたりに自分の頭を擦り付けた。
「児嶋さん……」
はるかの困ったような、どもった声。
守ってあげたい、そんなふうに感じるのは、男でも女でも変わりがないみたいだ。守ってほしいんじゃなく、自分が守りたいと思える相手に出会えて、抱きしめることができる。それは、奇跡のひとつなんだろう。
「これは、考えてしてますよね」
「ん?」
「この抱っこは、シラフですよね?」
「そ、そうだよ」
「児嶋さんが2つとか3つに見えます」
「早く寝てください!」
私ははるかをベットに押し付けた。はるかが倒れこみながら、私を巻き込んだ。私を巻き込んでぎゅうぎゅうと抱きつきながら、
「児嶋さぁん。こーじまさぁん」
急に子供のようになってしまったはるか。こんなに可愛かったっけ?
「はいはい。寝てください」
私の隣で、はるかは幸せそうな表情をした。
「言いましたよね。付き合うって」
はるかは血色のよい頬をほころばせて言った。
「寝るのもったいない」
恥ずかしくなって、私ははるかを小突いた。
小突いた指先から、光があふれた。光があふれて、いつもより小さくなっているはるかの瞳をきらきらさせた。
視界のすべてが色彩で溢れていた。
~完~
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