1 / 1
金色のチョコレート
しおりを挟む
「ついてきてほしいの」
修学旅行、最後の夜に、亜季はそういってわたしの腕に腕を絡ませた。
彼女の指に握られた紙袋がかさかさと音を立てる。一緒に選んだ紙袋の中には、一緒に選んだチョコレートが入っている。彼女のセンスのよさを感じさせる箱に入れられ、ラッピングも細かくきめられた、わたしたちの相談の結晶みたいな贈り物が入っている。
チョコレートをどうやって作ったのかだけ、知らない。
月明かりもなくあたりは真っ暗だ。晴れているのか曇っているのかよくわからない。波の音と静寂が耳を鋭敏にさせる。
浜辺へと続く長い海辺の道を、彼女は怖がって歩く。私の腕に力をいれてしがみつくようにしながら。私は逆にそんなことできない。自分からは彼女に触れることができない。
反対側の手で、落ち着かない気分でポケットを探ると、さっき買ったばかりの金平糖の袋に手が触れる。金平糖が私の指をやさしく刺してくる。
「曇ってるのかな、晴れてるのかな、これ」
わたしが質問すれば、すぐに答えられる距離に、いつも彼女はいた。彼女は普段より潤んだ声で答えた。
「曇ってるよ。晴れてるとね、月が出て、暗い海が反射して金色に光るの。前に見たことがあるんだ。すごくきれいなの」
弦のように響く、耳にのこる声が、いつまでも鼓膜をころがっている。
「ちょっと残念だね。金色の海。見たかったな」
そう、夢見るみたいに彼女は言った。
「朝もきれいかな」
「朝もきれい」
のびやかに。歌うように。この夜の中で、亜季の声は音楽的だ。
「見たいね」
わたしがそう言ったとき、浜辺についた。
浜辺に、彼女に数ヶ月まえに告白してきた同級生が立っていた。バレンタインと被った2泊3日の修学旅行で、心の込もったチョコレートで彼女は返事をするはずだった。二人の声の聞こえない距離までで彼女はわたしから手をはなした。
「ここで、待ってて? お願い」
卒業したら、会わないですむ。
木の陰で、息をひそめて彼女を待ちながら、わたしはゆるやかな波の音をきいている。波の音が静かすぎて、二人の会話が聞こえてきそうで、ポケットから金平糖をだして舌にのせる。きらくる、からころ、音をたてるみたいに、金平糖がまわりながらわたしの胸を刺している。
後ろから息のはずむ音が聞こえ、彼女はわたしの腕にまた手をかけた。
「渡してきた?」
彼女はすぐに答えなかった。
帰り道、宿への海辺の一本道を同じようにたどりながら、小さな声でわたしにつたえた。
「受け取ってもらえなかった」
静かで、波の音以外、あまりにもやわらかで、息の音が聞こえそうで、わたしたちの会話は少なかった。宿につくと、彼女の手が、わたしと選んだ箱をそのままわたしに差し出した。
「あげる」
「え……」
「理佳、たべていいよ」
部屋の中にはわたしと彼女しかいない。他の同級生はどこへ行ったのか。
亜季は敷かれている布団に入り、そのままわたしを背にして向こうをむいてくるまってしまった。
横開きのガラス戸が開いて、クラスメイトが声をかけた。
「みんな、男子も集まって今騒いでるよ。来ない?」
「亜季。みんな集まってるから来ないかって。どうする?」
亜季はこっちを向かない。
「いかない。疲れたから。ちょっと」
いつもと同じように、穏やかに、彼女が答える。
「亜季は疲れたから行かないって。わたしも調子わるいからやめとく」
そっとクラスメイトに答えて、ガラス戸が閉じてしまうと、本格的に部屋の中は静かになった。
「食べちゃうよ。いいの?」
「いいよ」
彼女は、いつも、遅刻するわたしを叱っていた。優しく、宿題を忘れるわたしを、そんなんじゃダメでしょと咎めていた。2年間もいっしょにいて、わたしはわかっていなかった。
強くてよかったね。どうぞ一人で頑張れば。あんたはいいじゃないか、強いからそんなことがいえるんだ。強いからわたしの気持ちなんてわからないんだ。学校へ行くのが、生きるのがつらくて仕方ないわたしの、家を出るときの吐き気を知らないから――。
そんなんじゃなかった。こんなときでもあなたは表さないから、いつも声にまで表すことがないから、気付いていなかった。
わたしは足が震えている、いつも足が震えている。臆病ものだ。
あなたはしっかり立っているのに。その心は震えることがあったのに。今も、後ろ姿はこんなに過敏に震えているのに。
あまりにも優しく語る声を聞いて、穏やかに咎めることばを聞いて、勘違いした。強いからだと。
箱を開くと、ころんと丸いトリュフが出てきた。口に含んだそれは、金色に光って口の中で溶けた。
「おいしいのに」
彼女は答えない。
「おいしいのに。もったいない」
何回も、トリュフがわたしのなかで溶けた。わたしのからだにゆるやかに溶けた。
修学旅行は終わった。
今でも、海を見ると記憶が蘇る。高校はもう永遠のかなたにある。
見たかったね。一緒に見たかった。広がる金色の海を、あなたと見たかった。
修学旅行、最後の夜に、亜季はそういってわたしの腕に腕を絡ませた。
彼女の指に握られた紙袋がかさかさと音を立てる。一緒に選んだ紙袋の中には、一緒に選んだチョコレートが入っている。彼女のセンスのよさを感じさせる箱に入れられ、ラッピングも細かくきめられた、わたしたちの相談の結晶みたいな贈り物が入っている。
チョコレートをどうやって作ったのかだけ、知らない。
月明かりもなくあたりは真っ暗だ。晴れているのか曇っているのかよくわからない。波の音と静寂が耳を鋭敏にさせる。
浜辺へと続く長い海辺の道を、彼女は怖がって歩く。私の腕に力をいれてしがみつくようにしながら。私は逆にそんなことできない。自分からは彼女に触れることができない。
反対側の手で、落ち着かない気分でポケットを探ると、さっき買ったばかりの金平糖の袋に手が触れる。金平糖が私の指をやさしく刺してくる。
「曇ってるのかな、晴れてるのかな、これ」
わたしが質問すれば、すぐに答えられる距離に、いつも彼女はいた。彼女は普段より潤んだ声で答えた。
「曇ってるよ。晴れてるとね、月が出て、暗い海が反射して金色に光るの。前に見たことがあるんだ。すごくきれいなの」
弦のように響く、耳にのこる声が、いつまでも鼓膜をころがっている。
「ちょっと残念だね。金色の海。見たかったな」
そう、夢見るみたいに彼女は言った。
「朝もきれいかな」
「朝もきれい」
のびやかに。歌うように。この夜の中で、亜季の声は音楽的だ。
「見たいね」
わたしがそう言ったとき、浜辺についた。
浜辺に、彼女に数ヶ月まえに告白してきた同級生が立っていた。バレンタインと被った2泊3日の修学旅行で、心の込もったチョコレートで彼女は返事をするはずだった。二人の声の聞こえない距離までで彼女はわたしから手をはなした。
「ここで、待ってて? お願い」
卒業したら、会わないですむ。
木の陰で、息をひそめて彼女を待ちながら、わたしはゆるやかな波の音をきいている。波の音が静かすぎて、二人の会話が聞こえてきそうで、ポケットから金平糖をだして舌にのせる。きらくる、からころ、音をたてるみたいに、金平糖がまわりながらわたしの胸を刺している。
後ろから息のはずむ音が聞こえ、彼女はわたしの腕にまた手をかけた。
「渡してきた?」
彼女はすぐに答えなかった。
帰り道、宿への海辺の一本道を同じようにたどりながら、小さな声でわたしにつたえた。
「受け取ってもらえなかった」
静かで、波の音以外、あまりにもやわらかで、息の音が聞こえそうで、わたしたちの会話は少なかった。宿につくと、彼女の手が、わたしと選んだ箱をそのままわたしに差し出した。
「あげる」
「え……」
「理佳、たべていいよ」
部屋の中にはわたしと彼女しかいない。他の同級生はどこへ行ったのか。
亜季は敷かれている布団に入り、そのままわたしを背にして向こうをむいてくるまってしまった。
横開きのガラス戸が開いて、クラスメイトが声をかけた。
「みんな、男子も集まって今騒いでるよ。来ない?」
「亜季。みんな集まってるから来ないかって。どうする?」
亜季はこっちを向かない。
「いかない。疲れたから。ちょっと」
いつもと同じように、穏やかに、彼女が答える。
「亜季は疲れたから行かないって。わたしも調子わるいからやめとく」
そっとクラスメイトに答えて、ガラス戸が閉じてしまうと、本格的に部屋の中は静かになった。
「食べちゃうよ。いいの?」
「いいよ」
彼女は、いつも、遅刻するわたしを叱っていた。優しく、宿題を忘れるわたしを、そんなんじゃダメでしょと咎めていた。2年間もいっしょにいて、わたしはわかっていなかった。
強くてよかったね。どうぞ一人で頑張れば。あんたはいいじゃないか、強いからそんなことがいえるんだ。強いからわたしの気持ちなんてわからないんだ。学校へ行くのが、生きるのがつらくて仕方ないわたしの、家を出るときの吐き気を知らないから――。
そんなんじゃなかった。こんなときでもあなたは表さないから、いつも声にまで表すことがないから、気付いていなかった。
わたしは足が震えている、いつも足が震えている。臆病ものだ。
あなたはしっかり立っているのに。その心は震えることがあったのに。今も、後ろ姿はこんなに過敏に震えているのに。
あまりにも優しく語る声を聞いて、穏やかに咎めることばを聞いて、勘違いした。強いからだと。
箱を開くと、ころんと丸いトリュフが出てきた。口に含んだそれは、金色に光って口の中で溶けた。
「おいしいのに」
彼女は答えない。
「おいしいのに。もったいない」
何回も、トリュフがわたしのなかで溶けた。わたしのからだにゆるやかに溶けた。
修学旅行は終わった。
今でも、海を見ると記憶が蘇る。高校はもう永遠のかなたにある。
見たかったね。一緒に見たかった。広がる金色の海を、あなたと見たかった。
1
お気に入りに追加
2
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説

【ママ友百合】ラテアートにハートをのせて
千鶴田ルト
恋愛
専業主婦の優菜は、娘の幼稚園の親子イベントで娘の友達と一緒にいた千春と出会う。
ちょっと変わったママ友不倫百合ほのぼのガールズラブ物語です。
ハッピーエンドになると思うのでご安心ください。

私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。
石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。
自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。
そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。
好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。
この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

好きな人がいるならちゃんと言ってよ
しがと
恋愛
高校1年生から好きだった彼に毎日のようにアピールして、2年の夏にようやく交際を始めることができた。それなのに、彼は私ではない女性が好きみたいで……。 彼目線と彼女目線の両方で話が進みます。*全4話

あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます
おぜいくと
恋愛
「あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます。さようなら」
そう書き残してエアリーはいなくなった……
緑豊かな高原地帯にあるデニスミール王国の王子ロイスは、来月にエアリーと結婚式を挙げる予定だった。エアリーは隣国アーランドの王女で、元々は政略結婚が目的で引き合わされたのだが、誰にでも平等に接するエアリーの姿勢や穢れを知らない澄んだ目に俺は惹かれた。俺はエアリーに素直な気持ちを伝え、王家に代々伝わる指輪を渡した。エアリーはとても喜んでくれた。俺は早めにエアリーを呼び寄せた。デニスミールでの暮らしに慣れてほしかったからだ。初めは人見知りを発揮していたエアリーだったが、次第に打ち解けていった。
そう思っていたのに。
エアリーは突然姿を消した。俺が渡した指輪を置いて……
※ストーリーは、ロイスとエアリーそれぞれの視点で交互に進みます。


彼女にも愛する人がいた
まるまる⭐️
恋愛
既に冷たくなった王妃を見つけたのは、彼女に食事を運んで来た侍女だった。
「宮廷医の見立てでは、王妃様の死因は餓死。然も彼が言うには、王妃様は亡くなってから既に2、3日は経過しているだろうとの事でした」
そう宰相から報告を受けた俺は、自分の耳を疑った。
餓死だと? この王宮で?
彼女は俺の従兄妹で隣国ジルハイムの王女だ。
俺の背中を嫌な汗が流れた。
では、亡くなってから今日まで、彼女がいない事に誰も気付きもしなかったと言うのか…?
そんな馬鹿な…。信じられなかった。
だがそんな俺を他所に宰相は更に告げる。
「亡くなった王妃様は陛下の子を懐妊されておりました」と…。
彼女がこの国へ嫁いで来て2年。漸く子が出来た事をこんな形で知るなんて…。
俺はその報告に愕然とした。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる