スパイだけが謎解きを知っている

AAKI

文字の大きさ
上 下
19 / 29
第三話・スパイ、怒る

3-1

しおりを挟む
 場末と言ってしまうと失礼だが、一等地とは言えない精々三流の街並み。どこからともなく響く野良犬の鳴き声。

 都内某所、飲み屋が並ぶ一角を俺は歩いていた。

 酔っぱらいもちらほらと見え始める時刻に、珍しくいつものジャケットを脱ぎ捨てた姿。

 スーツなんて似合わない格好をしているのは、仕事の帰りだからである。

 とある製薬会社に務めることとなり、都内の本社へと赴いたんだぜ。就職とか転職じゃなくて、当然、スパイの仕事な。

「製薬会社ねぇ。下手な軍事企業じゃない分マシだけど」

 立てた襟の中でボソボソと文句を言いつつも、順調に事が進んでいることに安心した。

 司令書や情報の資料を手に入れ損ねたりとハプニングもあったが、なんとかそれも乗り越えて諜報活動に従事できている。研究職の末端という立ち位置ではあるものの、部外者と内部の人間とでは雲泥の差である。

 しかも、色々と情報を偽装して坂西 寛郎として本社へ入り込んでいる。セキュリティの突破はそれほど難しくないだろうし、勝ったな。風呂混浴してくる。

 うん? 俺の目的?

 えーと、詳しく話すと面倒だけど、どうやら新しい薬剤の情報が欲しいらしい。なんでも、性別を変えられる代物だとか。

 いやいや、流石に眉唾だから調べて来いって話なんだけどさ。もし事実なら、組織構成を盗んでくれば良い。

「性転換薬か。確かに、野口製薬っていうと、まぁそうか」

 5年前の記憶とテレビなどで見る程度の情報だけでも、件の薬が眉唾だとしてもなんとなく納得できた。

 というのも、性同一性障害に対して効力のある薬を開発して一気に進出してきた経緯がある。仮に性転換薬が嘘でも、近しいものができている可能性は否定できなかった。

 それに、個人的にはロマンがあるし色々と、えぇっと……仕事に使えるって意味で興味がある。本当だよ? 変なこと考えてないからな?

「様子を見つつじっくりいくか。うーん、腹が減っては戦はできぬって言うし」

 焦りは禁物だと、俺は気持ちを落ち着かせるため空腹を埋めることにした。

 スパイなのに出歩いてて大丈夫かとのご意見もいただくが、周囲に溶け込むのも潜入の手段だ。学校で誰とも話さない陰キャが逆に周りから浮いてしまうのと同じだ。

 だから適当な居酒屋で遅めの夕飯と洒落込む。

 それに、日本ってスパイ防止法がないから結構そこらへんに同業者がいるんだ。

「よぉ、こんなところで会うなんて奇遇だな。さっさとくたばっててくれると嬉しかったんだが、なぁ『ブラックマンバ』」

 そう堂々とコードネームで話しかけてくるのは、日本の居酒屋でスクリュードライバーっていう合衆国で生まれたカクテルを楽しんでいた、ソビエトのスパイだった。それどころか、無骨な大男には似合わない。

 ただ、関わっても良いことはないし、仕事の取り合いになっても困るので手で払って無視を決め込む。

「……」

「おいおい、つれないじゃねぇか」

 それでも絡んでくるので、俺も相応に対応する。

「こんなところでオレンジジュースとはおこちゃまだな。イワンはウォッカでも飲んでろ」

 あっちへいけとい伝えてやると、なぜかイワンの奴は怒り出す。沸点の低い奴だ。

「あぁ?」

「そうカッカしなさんな。ウォッカ要らずとは知らなかったんだ」

 店員もハラハラし始めたので、落ち着かせるため肩を叩いて宥めた。

 しかし、何が気に入らないのかさらに顔を赤くしやがんの。

「てめぇ! 抜きやがれ!」

 ツンドラのハスキー野郎は懐に手を入れて、日本じゃ握っちゃいけないものを手にしようとした。

 まだ完全に取り出さないだけマシか。

 銃なんて野蛮なもの捨てて、ステゴロでやろうぜ。

「悪いが男で抜くもんは持ち合わせてないんだわ。早撃ちはマックとやっててくれ」

「ぐぬぬ……ぶっ殺してや――」

 こんなところで争っても仕方ないぞと暗に言ってやるも、酒の力もあってか男は引き下がらなかった。もう勘弁ならんと手を出そうとした。

 が、そんな一触即発の空気を引き裂く声がある。

「へべれけぇ~」

「……」「……」

 俺達は、何事かとそちらを見た。露助にとっては知らない女性が、酔っ払って上げた奇声である。

 俺はその聞き覚えがある声から視線を外せなかった。

「……なんだ。知り合いか?」

 気勢を削がれた男が問いかけてきた。

「知らん! あんな鳴き声を上げて酔いつぶれているUMAなど知らん!」

 断固として見知った関係だということを拒否させて貰う。

「そ、そうか……」

 その気迫に押されてか、イワンの奴も怒りを沈めて銃を懐に収め直した。誰にも見られていなくてよかったな。

 席に戻っていく男の背中を見送り、俺は別の店にするかどうか考え直す。いや、まさか三度みたびも同じ顔に出会うとかないわ。

 今度こそ関わるまいと踵を返したところで、ちょいと後ろ髪を引かれる光景がある。どちら様か知らないが、UMAこと沖 真清に近づいていく青年達の姿があった。

「ねぇねぇ、おねーさん、1人? なら、俺達と遊ばへん?」

 とんだありきたりなナンパの口上だな。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

赤い部屋

山根利広
ホラー
YouTubeの動画広告の中に、「決してスキップしてはいけない」広告があるという。 真っ赤な背景に「あなたは好きですか?」と書かれたその広告をスキップすると、死ぬと言われている。 東京都内のある高校でも、「赤い部屋」の噂がひとり歩きしていた。 そんな中、2年生の天根凛花は「赤い部屋」の内容が自分のみた夢の内容そっくりであることに気づく。 が、クラスメイトの黒河内莉子は、噂話を一蹴し、誰かの作り話だと言う。 だが、「呪い」は実在した。 「赤い部屋」の手によって残酷な死に方をする犠牲者が、続々現れる。 凛花と莉子は、死の連鎖に歯止めをかけるため、「解決策」を見出そうとする。 そんな中、凛花のスマートフォンにも「あなたは好きですか?」という広告が表示されてしまう。 「赤い部屋」から逃れる方法はあるのか? 誰がこの「呪い」を生み出したのか? そして彼らはなぜ、呪われたのか? 徐々に明かされる「赤い部屋」の真相。 その先にふたりが見たものは——。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

伏線回収の夏

影山姫子
ミステリー
ある年の夏。俺は15年ぶりにT県N市にある古い屋敷を訪れた。大学時代のクラスメイトだった岡滝利奈の招きだった。屋敷で不審な事件が頻発しているのだという。かつての同級生の事故死。密室から消えた犯人。アトリエにナイフで刻まれた無数のX。利奈はそのなぞを、ミステリー作家であるこの俺に推理してほしいというのだ。俺、利奈、桐山優也、十文字省吾、新山亜沙美、須藤真利亜の6人は大学時代、この屋敷でともに芸術の創作に打ち込んだ仲間だった。6人の中に犯人はいるのか? 脳裏によみがえる青春時代の熱気、裏切り、そして別れ。懐かしくも苦い思い出をたどりながら事件の真相に近づく俺に、衝撃のラストが待ち受けていた。 《あなたはすべての伏線を回収することができますか?》

【R15】アリア・ルージュの妄信

皐月うしこ
ミステリー
その日、白濁の中で少女は死んだ。 異質な匂いに包まれて、全身を粘着質な白い液体に覆われて、乱れた着衣が物語る悲惨な光景を何と表現すればいいのだろう。世界は日常に溢れている。何気ない会話、変わらない秒針、規則正しく進む人波。それでもここに、雲が形を変えるように、ガラスが粉々に砕けるように、一輪の花が小さな種を産んだ。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

輪廻

壺の蓋政五郎
ミステリー
小学校の卒業記念に記した将来の夢。卒業後修行を重ね夢が叶った金原武。その力は転生を手助けする。

俺が咲良で咲良が俺で

廣瀬純一
ミステリー
高校生の田中健太と隣の席の山本咲良の体が入れ替わる話

処理中です...