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第三話・スパイ、怒る
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場末と言ってしまうと失礼だが、一等地とは言えない精々三流の街並み。どこからともなく響く野良犬の鳴き声。
都内某所、飲み屋が並ぶ一角を俺は歩いていた。
酔っぱらいもちらほらと見え始める時刻に、珍しくいつものジャケットを脱ぎ捨てた姿。
スーツなんて似合わない格好をしているのは、仕事の帰りだからである。
とある製薬会社に務めることとなり、都内の本社へと赴いたんだぜ。就職とか転職じゃなくて、当然、スパイの仕事な。
「製薬会社ねぇ。下手な軍事企業じゃない分マシだけど」
立てた襟の中でボソボソと文句を言いつつも、順調に事が進んでいることに安心した。
司令書や情報の資料を手に入れ損ねたりとハプニングもあったが、なんとかそれも乗り越えて諜報活動に従事できている。研究職の末端という立ち位置ではあるものの、部外者と内部の人間とでは雲泥の差である。
しかも、色々と情報を偽装して坂西 寛郎として本社へ入り込んでいる。セキュリティの突破はそれほど難しくないだろうし、勝ったな。風呂混浴してくる。
うん? 俺の目的?
えーと、詳しく話すと面倒だけど、どうやら新しい薬剤の情報が欲しいらしい。なんでも、性別を変えられる代物だとか。
いやいや、流石に眉唾だから調べて来いって話なんだけどさ。もし事実なら、組織構成を盗んでくれば良い。
「性転換薬か。確かに、野口製薬っていうと、まぁそうか」
5年前の記憶とテレビなどで見る程度の情報だけでも、件の薬が眉唾だとしてもなんとなく納得できた。
というのも、性同一性障害に対して効力のある薬を開発して一気に進出してきた経緯がある。仮に性転換薬が嘘でも、近しいものができている可能性は否定できなかった。
それに、個人的にはロマンがあるし色々と、えぇっと……仕事に使えるって意味で興味がある。本当だよ? 変なこと考えてないからな?
「様子を見つつじっくりいくか。うーん、腹が減っては戦はできぬって言うし」
焦りは禁物だと、俺は気持ちを落ち着かせるため空腹を埋めることにした。
スパイなのに出歩いてて大丈夫かとのご意見もいただくが、周囲に溶け込むのも潜入の手段だ。学校で誰とも話さない陰キャが逆に周りから浮いてしまうのと同じだ。
だから適当な居酒屋で遅めの夕飯と洒落込む。
それに、日本ってスパイ防止法がないから結構そこらへんに同業者がいるんだ。
「よぉ、こんなところで会うなんて奇遇だな。さっさとくたばっててくれると嬉しかったんだが、なぁ『ブラックマンバ』」
そう堂々とコードネームで話しかけてくるのは、日本の居酒屋でスクリュードライバーっていう合衆国で生まれたカクテルを楽しんでいた、ソビエトのスパイだった。それどころか、無骨な大男には似合わない。
ただ、関わっても良いことはないし、仕事の取り合いになっても困るので手で払って無視を決め込む。
「……」
「おいおい、つれないじゃねぇか」
それでも絡んでくるので、俺も相応に対応する。
「こんなところでオレンジジュースとはおこちゃまだな。イワンはウォッカでも飲んでろ」
あっちへいけとい伝えてやると、なぜかイワンの奴は怒り出す。沸点の低い奴だ。
「あぁ?」
「そうカッカしなさんな。ウォッカ要らずとは知らなかったんだ」
店員もハラハラし始めたので、落ち着かせるため肩を叩いて宥めた。
しかし、何が気に入らないのかさらに顔を赤くしやがんの。
「てめぇ! 抜きやがれ!」
ツンドラのハスキー野郎は懐に手を入れて、日本じゃ握っちゃいけないものを手にしようとした。
まだ完全に取り出さないだけマシか。
銃なんて野蛮なもの捨てて、ステゴロでやろうぜ。
「悪いが男で抜くもんは持ち合わせてないんだわ。早撃ちはマックとやっててくれ」
「ぐぬぬ……ぶっ殺してや――」
こんなところで争っても仕方ないぞと暗に言ってやるも、酒の力もあってか男は引き下がらなかった。もう勘弁ならんと手を出そうとした。
が、そんな一触即発の空気を引き裂く声がある。
「へべれけぇ~」
「……」「……」
俺達は、何事かとそちらを見た。露助にとっては知らない女性が、酔っ払って上げた奇声である。
俺はその聞き覚えがある声から視線を外せなかった。
「……なんだ。知り合いか?」
気勢を削がれた男が問いかけてきた。
「知らん! あんな鳴き声を上げて酔いつぶれているUMAなど知らん!」
断固として見知った関係だということを拒否させて貰う。
「そ、そうか……」
その気迫に押されてか、イワンの奴も怒りを沈めて銃を懐に収め直した。誰にも見られていなくてよかったな。
席に戻っていく男の背中を見送り、俺は別の店にするかどうか考え直す。いや、まさか三度も同じ顔に出会うとかないわ。
今度こそ関わるまいと踵を返したところで、ちょいと後ろ髪を引かれる光景がある。どちら様か知らないが、UMAこと沖 真清に近づいていく青年達の姿があった。
「ねぇねぇ、おねーさん、1人? なら、俺達と遊ばへん?」
とんだありきたりなナンパの口上だな。
都内某所、飲み屋が並ぶ一角を俺は歩いていた。
酔っぱらいもちらほらと見え始める時刻に、珍しくいつものジャケットを脱ぎ捨てた姿。
スーツなんて似合わない格好をしているのは、仕事の帰りだからである。
とある製薬会社に務めることとなり、都内の本社へと赴いたんだぜ。就職とか転職じゃなくて、当然、スパイの仕事な。
「製薬会社ねぇ。下手な軍事企業じゃない分マシだけど」
立てた襟の中でボソボソと文句を言いつつも、順調に事が進んでいることに安心した。
司令書や情報の資料を手に入れ損ねたりとハプニングもあったが、なんとかそれも乗り越えて諜報活動に従事できている。研究職の末端という立ち位置ではあるものの、部外者と内部の人間とでは雲泥の差である。
しかも、色々と情報を偽装して坂西 寛郎として本社へ入り込んでいる。セキュリティの突破はそれほど難しくないだろうし、勝ったな。風呂混浴してくる。
うん? 俺の目的?
えーと、詳しく話すと面倒だけど、どうやら新しい薬剤の情報が欲しいらしい。なんでも、性別を変えられる代物だとか。
いやいや、流石に眉唾だから調べて来いって話なんだけどさ。もし事実なら、組織構成を盗んでくれば良い。
「性転換薬か。確かに、野口製薬っていうと、まぁそうか」
5年前の記憶とテレビなどで見る程度の情報だけでも、件の薬が眉唾だとしてもなんとなく納得できた。
というのも、性同一性障害に対して効力のある薬を開発して一気に進出してきた経緯がある。仮に性転換薬が嘘でも、近しいものができている可能性は否定できなかった。
それに、個人的にはロマンがあるし色々と、えぇっと……仕事に使えるって意味で興味がある。本当だよ? 変なこと考えてないからな?
「様子を見つつじっくりいくか。うーん、腹が減っては戦はできぬって言うし」
焦りは禁物だと、俺は気持ちを落ち着かせるため空腹を埋めることにした。
スパイなのに出歩いてて大丈夫かとのご意見もいただくが、周囲に溶け込むのも潜入の手段だ。学校で誰とも話さない陰キャが逆に周りから浮いてしまうのと同じだ。
だから適当な居酒屋で遅めの夕飯と洒落込む。
それに、日本ってスパイ防止法がないから結構そこらへんに同業者がいるんだ。
「よぉ、こんなところで会うなんて奇遇だな。さっさとくたばっててくれると嬉しかったんだが、なぁ『ブラックマンバ』」
そう堂々とコードネームで話しかけてくるのは、日本の居酒屋でスクリュードライバーっていう合衆国で生まれたカクテルを楽しんでいた、ソビエトのスパイだった。それどころか、無骨な大男には似合わない。
ただ、関わっても良いことはないし、仕事の取り合いになっても困るので手で払って無視を決め込む。
「……」
「おいおい、つれないじゃねぇか」
それでも絡んでくるので、俺も相応に対応する。
「こんなところでオレンジジュースとはおこちゃまだな。イワンはウォッカでも飲んでろ」
あっちへいけとい伝えてやると、なぜかイワンの奴は怒り出す。沸点の低い奴だ。
「あぁ?」
「そうカッカしなさんな。ウォッカ要らずとは知らなかったんだ」
店員もハラハラし始めたので、落ち着かせるため肩を叩いて宥めた。
しかし、何が気に入らないのかさらに顔を赤くしやがんの。
「てめぇ! 抜きやがれ!」
ツンドラのハスキー野郎は懐に手を入れて、日本じゃ握っちゃいけないものを手にしようとした。
まだ完全に取り出さないだけマシか。
銃なんて野蛮なもの捨てて、ステゴロでやろうぜ。
「悪いが男で抜くもんは持ち合わせてないんだわ。早撃ちはマックとやっててくれ」
「ぐぬぬ……ぶっ殺してや――」
こんなところで争っても仕方ないぞと暗に言ってやるも、酒の力もあってか男は引き下がらなかった。もう勘弁ならんと手を出そうとした。
が、そんな一触即発の空気を引き裂く声がある。
「へべれけぇ~」
「……」「……」
俺達は、何事かとそちらを見た。露助にとっては知らない女性が、酔っ払って上げた奇声である。
俺はその聞き覚えがある声から視線を外せなかった。
「……なんだ。知り合いか?」
気勢を削がれた男が問いかけてきた。
「知らん! あんな鳴き声を上げて酔いつぶれているUMAなど知らん!」
断固として見知った関係だということを拒否させて貰う。
「そ、そうか……」
その気迫に押されてか、イワンの奴も怒りを沈めて銃を懐に収め直した。誰にも見られていなくてよかったな。
席に戻っていく男の背中を見送り、俺は別の店にするかどうか考え直す。いや、まさか三度も同じ顔に出会うとかないわ。
今度こそ関わるまいと踵を返したところで、ちょいと後ろ髪を引かれる光景がある。どちら様か知らないが、UMAこと沖 真清に近づいていく青年達の姿があった。
「ねぇねぇ、おねーさん、1人? なら、俺達と遊ばへん?」
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