アルカポネとただの料理人

AAKI

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Menue0-1.頭殴ってトマトのパスタ

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 エポナ=オブライエンの20年弱の人生は終わりを告げた。

 ここアメリカ合衆国ニューヨーク。そのブルックリン地区にあるコニーアイランド端に佇む酒場とレストラン"ハーバード・イン"にて、新たな人生を始める。

 エポナの前方には1人の青年が倒れており、頭部が触れた床は血で赤い。彼女は"ハーバード・イン"のコックで、青年はレストランで給仕や客引きをしている。

 青年の名前はアル=カポネ。レストランの管理人のお気に入りだ。

 その管理人がイタリアン・マフィアの一員であることも思い出し、エポナの脳裏には嫌な想像が巡った。

 起き抜けにシャツだけ着込み、ケロッグ社のコーンフレークをかき込む。むせてミルクを吹き出しそうになるのを堪えるて、手の甲で拭って急ぎ足に店へと出勤していく。そんな当たり前のような生活がもろくも崩れ去る、そんな想像が。

「生きているなら聞け」

 それでもエポナは、冷ややかな表情を崩さずカポネへ向かって言った。切れ長のつり上がった目を細めて、薄桃の唇を真っ直ぐにして。

 顔面とは言えお玉レードルで殴っただけだ。柄の中程からひしゃげるほどの一撃ではあったが、さすがに生きているだろうと考える。どうせ首を切られる……本当に命をとられる方になるのであれば、大嫌いなギャングなのだから頭を潰れたトマトのようにすべきだった。

「女を侮辱したな。阿婆擦れだったか」

 開き直ったエポナは一方的に続けた。自身が19才の小娘だから許せないというのもあったし、そもそもが勘違いで起こった騒ぎだ。

 客の1人である女性が、男を連れて来店したのである。カポネが彼女に気があったこともあり、彼女もまた彼のハラスメント的な態度に曖昧な対応をしたというのも一因か。しかし、連れ立ってきた男性は恋人などではなく兄なのだ。

 裏切られたと勘違いしたまでは仕方ないとして、それでも詰め寄り暴言を吐き散らかしたことは許せない。

「その言動に関しては謝罪しろ。彼女のお兄さんにもだ」

 許せなかった。

 先に殴り飛ばしたエポナが言える立場ではないのかもしれないが、どちらかが折れなければ収まりはしないだろう。

「ふざ、ける……なッ! この人参頭!」

 アイルランド人に多い赤髪を侮辱するあたり、カポネに反省の色はないようだ。

 今亡き母親から譲り受けた赤い髪ショートカットとケルト十字のイヤリング、そして料理の腕はエポナにとって誇りだった。

 ケルト神話の豊穣の女神を冠する名に似合わないスレンダーな体躯を隠して、男に扮し女だてらにコックなどしているのもそれが理由である。しかし、もはや男か女か、人種などというのも関係なくなるだろう。

 いや、女だとバレたらどんな扱いを受けるかと、男装して就職する際に何度となく想像して振り払った想定。

 例え命が助かっても、二度とこの手の仕事にありつけないという思いもある。それでも不安と怒りをため息と一緒になんとか押し返して言い返す。

「もう一回殴られるか、謝るか選べ。今度は素手だ喜べ。後、私への侮辱についても追加だ」

 料理人の魂とも言える調理道具で殴ってしまったことを後悔して、拳に切り替えて選択を突きつけた。

 当然、カポネもその程度で怯むタマではない。立ち上がって、頬から血を流しながらも詰め寄ってくる。

「黙れヒョロガリ!」

 カポネの威嚇通りエポナは細身で、酒場の給仕兼用心棒として雇われている彼の方が恰幅も良い。殴り合いで勝てる見込みはなく、そもそもケンカなどしたこともなかった。

「おい、俺を忘れんじゃねぇ」

 見た目に弱いエポナに、即座に殴りかかってこなかったのは彼がいたからだ。後ろからカポネに掴みかかる勢いの男の名は、フランク=ガウチョ。彼もまた同じ――下っ端ではあるが――マフィアの一員である。

 エポナを殴っている間にガウチョが隙を突いてくる可能性があって、カポネも威嚇に留めている。

 とは言え、ガウチョはエポナ達のやりとりにやや引き気味だ。妹の方も、侮辱の件よりケンカの行方に戸惑いを浮かべている。

「妹へのことは忘れねぇかんな! イェール兄貴に報告するからよ。覚悟しとけッ」

 妹のことを配慮してか、ガウチョはそう言い捨てて店を出ていってしまった。

「……」「……」

 妹を引っ張っていくガウチョを、エポナ達はやや呆然と見送った。カポネはこれ以上の店内での騒ぎはまずいと見たか、とりあえず拳を収めたようだ。

「モップとバケツを持ってくる」

 エポナはカポネから離れた。

 一安心と言いたいところだが、イェールへの報告はあまり良くはない。"ハーバード・イン"がオーナー、フランキー=イェール。イタリアン・マフィアの中でも信頼されている鉄砲玉で、カポネの兄貴分でもありエポナの雇い主でもある。

 あのハイエナのような雰囲気とカポネ以上の暴力性はギャングの体現のようで好きになれなかったが、呼び出しに答えないわけにもいかない。

 2日もするぐらいには、イェールの管轄するアジトへと連れて行かれることとなった。
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