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十話:贈り物
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ふっと目を覚ました。自分がどこにいるのか分からないようなクラクラした感覚に襲われ、思わず手の甲を額に当てる。
随分久しぶりの夢だった。
あの時の夢。
みなしごなんて言われたからだろうか。それとも、年甲斐も無く泣き喚いてじじいに当たったからだろうか。
今だけは、誰が悪いとかいう追及をするのを止めてしまいたい、許されるなら。自明なことで、誰のためにもならないことなのだ。
奇妙に気怠い気分で、腫れぼったい目を触りつつ起き上がった。
(いつの間に、ベッドに入っていたのだろう)
汚れを落とすため湖に浸かった所で、記憶がぷっつり途切れている。もう少し時間が経てば、思い出すこともあるかもしれないが。それ程重要な事とは思われなかった。
素足でぺたぺたと窓際に移動し、日に焼けたカーテンを緩慢な仕草で開ける。瑠璃色の空にちらほらと星が瞬き始めていた。日が暮れたばかりであったのか。
(いつもなら、燭台を出すところだけれど)
今日はやめておきたい気分だった。火を灯してしまえば、また何かが明らかになってしまう。
前世では体感したことのない闇夜に、身体の小さな頃は怯えた事もあったなと朧げに思い出す。そういう時はいつも、じじいがあやしてくれていた。
(思えば、あの時からじじいは私を大事にしてくれていたのに、私は警戒し通しだった)
我ながら、終始不義理なやつであった。そうどこか遠くで思いつつ、私はじじいの長椅子を探り当て、柔らかな肘置きに頭をもたれて床にずるずると座り込んだ。長椅子を占領する荷物は、丸めた表彰状も分厚い専門書も全て四年前のままだ。
遺品整理なんて、したくもなかったから。
こんな所で寝たら風邪を引くよ、とベッドへ私を運ぶじじいももういない。四年も経っているのに、もう私も人に抱えられるような姿をしていないのに、まだそんなことが頭を過ぎる。
意識が落ちる一瞬、まるで抱え上げられたような浮遊感を感じて、そのしめやかな優しさに、夢だと分かっていても涙が一筋零れ落ちた。
小さな物音に、意識が浮上した。見ると、枕元のローテーブルにある燭台にあかあかと蝋燭の火が灯されたところだった。
(……誰?)
やけに現実感の薄い光景だった。生真面目そうに蝋燭を見つめる長い銀髪の持ち主を、ぼうっとした頭のまま眺めた。
先程私は長椅子にもたれて意識を手放したはずなのにどうしてまたベッドに戻っているのか、と不思議に思っていたが、夜半に彼がここにいる訳はないのだ。私はどうやら夢を見ているらしいことに、漸く思い至った。
(今日はやけに明晰夢を見る日だ)
今頃現実の私は体を冷やしているだろうか。風邪まで森がなんとかしてくれるとは思っていない。体調のために早く起きるべきなのだろうが、私はこの夢のような(実際夢なのだが)充足感を手放すのが惜しまれて、どうにも気が進まないのであった。
そうこうしているうちに彼が私に目を向ける。
二色の瞳は、光源の位置に影響されて、藍色の方が黒曜石のような黒色に見えた。
「寒くないか」
現実の私のことを教えようとしているのだろうか。
なんと答えるべきか判らず、私は黙って彼を見つめ返した。
私が返事をする気がないと見た彼は「寒くなったら言え」などと言う。毛布の収納場所も知らないだろうに。
益々おかしな夢だった。
一方、まるで理想的な時間でもあった。星月夜のような、うねって重奏的な時間が、亀のような歩みで、緩やかに、しかし確実に流れていた。
とうに日が暮れているのに、我か人かも曖昧になりそうな。ここには私を含め誰もいないような気もするし、自分ともう一人の気配でこの空間が成立してもいるような。
だからだろうか。
気付いた時には吐露していた。
「……私、大事な人を、作っちゃあいけなかった……」
吐息を吐く程の声量で紡がれた言葉はひどく掠れ、まるで私のものではないかのようだ。
「……どうしてそんなことを」
動揺を、押し隠したような声。尋ねられるままに答える。
「大事に、出来なかった……大事にしてもらったのに、返せなかった……私なんて、居なければ、始めから、よかっ、たのに」
じじいを、じじいが大好きだった森で死なせてあげられなかった。
それは私の、過失。
じじいは私のことを考えていてくれたのに、私はじじいのことなんて、ちっとも考えてはいなかったのだ。私の存在で、じじいは、自分の天命を狂わせたのだ。
「分かってたの……でも、怖かった……。変わるのが怖くて、気付いてないふりして……それすらも、気づかれていたことに、気付いてあげられなかった」
年々体を動かすのが億劫そうになって、森番の仕事もほとんどできなくなっていたのを知っていた。なのに、また失うのが怖くて、私が現実を見ないようにしていたから、じじいに全て決断させてしまった。
私はどれだけじじいを傷つけただろうか。どれだけ、苦悩させたのだろうか。
「挙げ句、私のせいって思いたくなくて、相談してくれればよかったのにって、もう居ないのにじじいに当たって、嫌いになってしまおうって……」
「……なったのか? 嫌いに」
目から温い滴が伝った。首を横に振る。
「大好きよ。ずっと」
言葉にすれば、百の言い訳も千の否定も敵わない。
「だからずっと、一人が寂しい」
ふっと目を覚ました。自分がどこにいるのか分からないようなクラクラした感覚に襲われ、思わず手の甲を額に当てる。
随分久しぶりの夢だった。
あの時の夢。
みなしごなんて言われたからだろうか。それとも、年甲斐も無く泣き喚いてじじいに当たったからだろうか。
今だけは、誰が悪いとかいう追及をするのを止めてしまいたい、許されるなら。自明なことで、誰のためにもならないことなのだ。
奇妙に気怠い気分で、腫れぼったい目を触りつつ起き上がった。
(いつの間に、ベッドに入っていたのだろう)
汚れを落とすため湖に浸かった所で、記憶がぷっつり途切れている。もう少し時間が経てば、思い出すこともあるかもしれないが。それ程重要な事とは思われなかった。
素足でぺたぺたと窓際に移動し、日に焼けたカーテンを緩慢な仕草で開ける。瑠璃色の空にちらほらと星が瞬き始めていた。日が暮れたばかりであったのか。
(いつもなら、燭台を出すところだけれど)
今日はやめておきたい気分だった。火を灯してしまえば、また何かが明らかになってしまう。
前世では体感したことのない闇夜に、身体の小さな頃は怯えた事もあったなと朧げに思い出す。そういう時はいつも、じじいがあやしてくれていた。
(思えば、あの時からじじいは私を大事にしてくれていたのに、私は警戒し通しだった)
我ながら、終始不義理なやつであった。そうどこか遠くで思いつつ、私はじじいの長椅子を探り当て、柔らかな肘置きに頭をもたれて床にずるずると座り込んだ。長椅子を占領する荷物は、丸めた表彰状も分厚い専門書も全て四年前のままだ。
遺品整理なんて、したくもなかったから。
こんな所で寝たら風邪を引くよ、とベッドへ私を運ぶじじいももういない。四年も経っているのに、もう私も人に抱えられるような姿をしていないのに、まだそんなことが頭を過ぎる。
意識が落ちる一瞬、まるで抱え上げられたような浮遊感を感じて、そのしめやかな優しさに、夢だと分かっていても涙が一筋零れ落ちた。
小さな物音に、意識が浮上した。見ると、枕元のローテーブルにある燭台にあかあかと蝋燭の火が灯されたところだった。
(……誰?)
やけに現実感の薄い光景だった。生真面目そうに蝋燭を見つめる長い銀髪の持ち主を、ぼうっとした頭のまま眺めた。
先程私は長椅子にもたれて意識を手放したはずなのにどうしてまたベッドに戻っているのか、と不思議に思っていたが、夜半に彼がここにいる訳はないのだ。私はどうやら夢を見ているらしいことに、漸く思い至った。
(今日はやけに明晰夢を見る日だ)
今頃現実の私は体を冷やしているだろうか。風邪まで森がなんとかしてくれるとは思っていない。体調のために早く起きるべきなのだろうが、私はこの夢のような(実際夢なのだが)充足感を手放すのが惜しまれて、どうにも気が進まないのであった。
そうこうしているうちに彼が私に目を向ける。
二色の瞳は、光源の位置に影響されて、藍色の方が黒曜石のような黒色に見えた。
「寒くないか」
現実の私のことを教えようとしているのだろうか。
なんと答えるべきか判らず、私は黙って彼を見つめ返した。
私が返事をする気がないと見た彼は「寒くなったら言え」などと言う。毛布の収納場所も知らないだろうに。
益々おかしな夢だった。
一方、まるで理想的な時間でもあった。星月夜のような、うねって重奏的な時間が、亀のような歩みで、緩やかに、しかし確実に流れていた。
とうに日が暮れているのに、我か人かも曖昧になりそうな。ここには私を含め誰もいないような気もするし、自分ともう一人の気配でこの空間が成立してもいるような。
だからだろうか。
気付いた時には吐露していた。
「……私、大事な人を、作っちゃあいけなかった……」
吐息を吐く程の声量で紡がれた言葉はひどく掠れ、まるで私のものではないかのようだ。
「……どうしてそんなことを」
動揺を、押し隠したような声。尋ねられるままに答える。
「大事に、出来なかった……大事にしてもらったのに、返せなかった……私なんて、居なければ、始めから、よかっ、たのに」
じじいを、じじいが大好きだった森で死なせてあげられなかった。
それは私の、過失。
じじいは私のことを考えていてくれたのに、私はじじいのことなんて、ちっとも考えてはいなかったのだ。私の存在で、じじいは、自分の天命を狂わせたのだ。
「分かってたの……でも、怖かった……。変わるのが怖くて、気付いてないふりして……それすらも、気づかれていたことに、気付いてあげられなかった」
年々体を動かすのが億劫そうになって、森番の仕事もほとんどできなくなっていたのを知っていた。なのに、また失うのが怖くて、私が現実を見ないようにしていたから、じじいに全て決断させてしまった。
私はどれだけじじいを傷つけただろうか。どれだけ、苦悩させたのだろうか。
「挙げ句、私のせいって思いたくなくて、相談してくれればよかったのにって、もう居ないのにじじいに当たって、嫌いになってしまおうって……」
「……なったのか? 嫌いに」
目から温い滴が伝った。首を横に振る。
「大好きよ。ずっと」
言葉にすれば、百の言い訳も千の否定も敵わない。
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