描く未来と虹色のサキ

不来方しい

文字の大きさ
上 下
1 / 17
一章 絵画修復士として

01 白神咲と葉山誠一

しおりを挟む
 美術鑑定士という家柄に生まれたおかげか、幼少期から人より心眼力に長けている自信があった。
 だからといって必然的に養われたものに頼るわけではなく、酔っ払った親が話す美術品の数々について耳を傾けては、確かな力を身につけた。
「いやあ、まさか白神善四郎氏の絵を拝見できるなんて、夢みたいです。間違いなく、これは本物なんですね」
 オークションで高値で取引された白神善四郎の絵。人嫌いでなかなか表舞台には出てこない人物像からも、ミステリアスな雰囲気を持つち、それがかえって絵の価値を上げていた。
 絵画の展示会ではあるが、気に入った絵は購入することができるイベントに、咲も呼ばれていた。絵画修復士が必要なのかと首を傾げたくなるが、父が側に置いて自慢したいだけの道具に過ぎないと判っている。
 辟易するが、プロが描いた絵を間近で観られて、目の肥やしになる。
「ええ、間違いなく本物です。美術鑑定士としての誇りにかけて誓います」
 父は白神善四郎の絵に書かれているサインに向け、本物の証を説明する。
「そちらは……?」
「うちの息子です」
 よくぞ聞いてくれた、と言わんばかりに、父は息子を前に押し出した。
白神しらかみさきと申します」
 咲は睫毛を揺らし、恭しく一礼した。
「随分と綺麗な目をしている」
「妻かイタリア人なもので、妻の血を濃く継いだのでしょう」
 栗色の髪と宝石のエメラルドに例えられる瞳を持ち、父からすれば息子の咲は自慢だった。
 自分に似た慧眼を持ちながら、選んだ道は美術修復士だ。溺愛する息子を海外に行かせるのも反対していたが、妻の故郷であるイタリアが条件として外に出した。
 もう一つの条件は、勉学を終えたらすぐに日本へ戻ってくること。
 たった数年ではあるが、父の束縛から逃れられ、咲は小さな幸せを手にしていた。
 男は狂気が混じる艶色を醸し出し、咲をじっとりと上から下まで見つめる。
 視線は刃物と化し、咲は避けるように睫毛と瞼を震わせた。



 空を見上げると、青々とした葉の影から太陽の光が隙間をかいくぐってアスファルトを照らしている。
 真夏は午前中でも日差しが強く、咲の肌をしっとりと濡らしていた。
 庭にある手押しポンプに呼び水を入れ、腰に力を入れて何度か押す。
 冷たい水が管から溢れ、咲は手で掬い顔を洗った。
「咲様、お父上がお呼びですよ」
 ふくよかな女中が縁側に現れ、咲を呼んだ。
「今日も暑うございますね。まだ旬ではありませんが、お得意様から西瓜を頂いたんです。冷やしてありますので、あとで切って差し上げますね」
「ありがとうございます。すぐに向かいますね」
 長い廊下を抜け、一番奥の部屋の前で膝をつく。
「お父様、咲です」
「入れ」
「失礼します」
 襖を開けると、父の蘇芳は誰かと電話をした後だった。
 蘇芳は五十歳を超えているが、筋肉質な肉体美が若々しく、老若男女問わず罪深くも好意を寄せられることが多い。
 愛人との間に子供もいるが、本家に住むのは咲だけだった。
「お前に頼みたいことがある。葉山誠一という男を知っているか?」
「葉山様、ですか。お父様の古くからのご友人だということくらいです。お会いしたことはございませんが。確か画家をなさっているのですよね」
「幼い頃に一度会ってはいる。誠一は画家だが、描くだけではなく人の作品を集めるのが趣味なんだ。親が集めたものでオークションに出したいものも多くあり、古くなった絵画を直してほしいとのことだ」
「かしこまりました。承ります」
「頼んだぞ。それと咲」
 端麗な顔に淫猥な色が浮かび、表情には出さなくとも咲はげんなりした。
「美しいものを愛でたい。お前の身体は布一枚だって惜しい。藍色の浴衣も似合ってはいるが、生まれたままの姿が一番映える」
 洋酒を片手に艶やかな視線を送る蘇芳に、もはや何を言っても止めることはできない。
 咲は帯に手をかけるしかなかった。



 洋城というべき建物は、異世界を遮るように鉄塀で囲まれている。
 葉山誠一は家政婦を雇ってはいるが、他の家族とは住んでいない。ほとんど家の中で過ごしているという。
 厳かな扉の前で、咲はインターホンを押した。
『はい。葉山でございます』
「絵画の修復のご依頼を頂いた、白神咲と申します」
『お待ちしておりました』
 葉山誠一ではなく、女性の声だ。
 鉄格子のような扉は大きな音を立てた。
『そのまままっすぐにお進み下さい』
「判りました」
 広い庭には噴水があり、囲むように薔薇を咲かせている。
 植木も綺麗に整えられていて、真っ赤な実を揺らしていた。
「ようこそいらっしゃいました」
「よろしくお願いします」
「葉山先生なら奥のアトリエにいらっしゃいます」
「終わるまでどこかで待たせて頂きたいのですが……お邪魔をしてしまいますし」
「白神さんが訪問されたらすぐにアトリエに来るようにと言伝を承っております」
「そうでしたか。では参ります」
 待っていては家政婦が責任を感じてしまうだろうと、遠慮なく入らせてもらうことにした。
 玄関ホールには絵画が飾られていて、中も薔薇の香りで満たされていた。生花でしか嗅ぐことのできない、瑞々しい華やかさだ。
 赤い絨毯にそって進むと、次第に画用液の匂いがしてきた。
 入り口の前で迷い、遠慮がちに扉を叩くと、短く「はい」と聞こえてくる。
「失礼します」
 扉を開けると、目の前に葉山誠一であろう人物が立っていた。
 紺色のエプロンを身につけ、黒髪を後ろに上げていて、上背の違いから見上げなければならなかった。
 漆黒の瞳に自分が映り、咲は目を逸らす。
「……大きくなった」
「え?」
 成人した大きな手が頭の上に置かれた。
 一つに結ばれた髪を撫でる手は、子供の頭を撫でるかのようで、暖かみを感じる。
「すまない。久しぶりなもので。君が子供の頃、私は何度か会っていたんだ。改めて、葉山誠一という。よろしく頼む」
「白神咲と申します。おおよその話は父から聞きました」
 蘇芳の話と一致していない。蘇芳は一度しか会っていないというが、誠一は何度か会ったと話す。
「その子誰?」
 背後から男性が顔を出した。咲は慌てて振り返った。
 誠一と並ぶ長身の男は、下着一枚身につけていないのだ。蘇芳にされた日々を思い出したのもある。
「蘇芳さんとこのお坊ちゃん、絵画修復士だよ」
「絵画修復士? 大学生の間違いじゃないのか?」
「失礼なことを言うな。イタリアの学校を主席で卒業した優等生だ」
「へえ…………」
「早く服を着てくれ」
「もういいのか?」
「ああ、参考になった。咲君、すまないな。彼は古い友人で、モデルになってもらっていたんた」
「そうだったんですね。こちらこそお邪魔してしまいました」
「もう終わったから大丈夫」
 しばらくして、男は部屋から出てきた。
「じゃあな。また今度」
「ああ。今度は酒でも飲もう」
 咲は一礼して、黙って後ろ姿を見送った。
「仕事の話もいいが、まずはアトリエを見せよう。おいで」
「はい……」
 男が裸でいた場所に入るのは気が滅入ったが、これは仕事の一環だと心に鞭を打った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

天涯孤独になった少年は、元兵士の優しいオジサンと幸せに生きる

ir(いる)
BL
ファンタジー。最愛の父を亡くした後、恋人(不倫相手)と再婚したい母に騙されて捨てられた12歳の少年。30歳の元兵士の男性との出会いで傷付いた心を癒してもらい、恋(主人公からの片思い)をする物語。 ※序盤は主人公が悲しむシーンが多いです。 ※主人公と相手が出会うまで、少しかかります(28話) ※BL的展開になるまでに、結構かかる予定です。主人公が恋心を自覚するようでしないのは51話くらい? ※女性は普通に登場しますが、他に明確な相手がいたり、恋愛目線で主人公たちを見ていない人ばかりです。 ※同性愛者もいますが、異性愛が主流の世界です。なので主人公は、男なのに男を好きになる自分はおかしいのでは?と悩みます。 ※主人公のお相手は、保護者として主人公を温かく見守り、支えたいと思っています。

家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!

灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。 何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。 仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。 思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。 みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。 ※完結しました!ありがとうございました!

学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語

紅林
BL
『桜田門学院高等学校』 日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である

【完結】『ルカ』

瀬川香夜子
BL
―――目が覚めた時、自分の中は空っぽだった。 倒れていたところを一人の老人に拾われ、目覚めた時には記憶を無くしていた。 クロと名付けられ、親切な老人―ソニーの家に置いて貰うことに。しかし、記憶は一向に戻る気配を見せない。 そんなある日、クロを知る青年が現れ……? 貴族の青年×記憶喪失の青年です。 ※自サイトでも掲載しています。 2021年6月28日 本編完結

秋良のシェアハウス。(ワケあり)

日向 ずい
BL
物語内容 俺は...大学1年生の神代 秋良(かみしろ あきら)。新しく住むところ...それは...男ばかりのシェアハウス!?5人暮らしのその家は...まるで地獄!プライバシーの欠けらも無い...。だが、俺はそこで禁断の恋に落ちる事となる...。 登場人物 ・神代 秋良(かみしろ あきら) 18歳 大学1年生。 この物語の主人公で、これからシェアハウスをする事となる。(シェアハウスは、両親からの願い。) ・阿久津 龍(あくつ りゅう) 21歳 大学3年生。 秋良と同じ大学に通う学生。 結構しっかりもので、お兄ちゃん見たいな存在。(兄みたいなのは、彼の過去に秘密があるみたいだが...。) ・水樹 虎太郎(みずき こたろう) 17歳 高校2年生。 すごく人懐っこい...。毎晩、誰かの布団で眠りにつく。シェアハウスしている仲間には、苦笑いされるほど...。容姿性格ともに可愛いから、男女ともにモテるが...腹黒い...。(それは、彼の過去に問題があるみたい...。) ・榛名 青波(はるな あおば) 29歳 社会人。 新しく入った秋良に何故か敵意むき出し...。どうやら榛名には、ある秘密があるみたいで...それがきっかけで秋良と仲良くなる...みたいだが…? ・加来 鈴斗(かく すずと) 34歳 社会人 既婚者。 シェアハウスのメンバーで最年長。完璧社会人で、大人の余裕をかましてくるが、何故か婚約相手の女性とは、別居しているようで...。その事は、シェアハウスの人にあんまり話さないようだ...。

[BL]デキソコナイ

明日葉 ゆゐ
BL
特別進学クラスの優等生の喫煙現場に遭遇してしまった校内一の問題児。見ていない振りをして立ち去ろうとするが、なぜか優等生に怪我を負わされ、手当てのために家に連れて行かれることに。決して交わることのなかった2人の不思議な関係が始まる。(別サイトに投稿していた作品になります)

【完結】別れ……ますよね?

325号室の住人
BL
☆全3話、完結済 僕の恋人は、テレビドラマに数多く出演する俳優を生業としている。 ある朝、テレビから流れてきたニュースに、僕は恋人との別れを決意した。

【完結】遍く、歪んだ花たちに。

古都まとい
BL
職場の部下 和泉周(いずみしゅう)は、はっきり言って根暗でオタクっぽい。目にかかる長い前髪に、覇気のない視線を隠す黒縁眼鏡。仕事ぶりは可もなく不可もなく。そう、凡人の中の凡人である。 和泉の直属の上司である村谷(むらや)はある日、ひょんなことから繁華街のホストクラブへと連れて行かれてしまう。そこで出会ったNo.1ホスト天音(あまね)には、どこか和泉の面影があって――。 「先輩、僕のこと何も知っちゃいないくせに」 No.1ホスト部下×堅物上司の現代BL。

処理中です...