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第一章 贄と学園の謎

018 認めた気持ち

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 扉を開けると、紫影の体臭と香水の混じった香り微かに鼻腔をくすぐった。
 安心と妬心が交差して、複雑なまま紫影の姿を見つけた。
「紫影!」
 閨にいればそのまま邪魔してやろうとしたが、ふたりは手前の和室にいた。
 御神饌を半分も食べていない千歳と、見守る紫影。ふたりは驚き、こちらを振り返った。
「お前、どうやってここに入った? 儀式の途中だろう」
 紫影の表情は厳しい。だが目の奥は、まるで親が子を見守るかのような感情が見え隠れしていた。
 千歳の前だ、乗るしかない。
「ああ、そうだよ。途中だ。けど俺の相手は紫影だ。葵さんは嫌だって断ってきた。儀式の邪魔をしたら懲罰房どころじゃないんだろ? 上等だ。反省文百枚でも書いてやるよ。悪いけど、千歳にも譲れない」
 紫影は深く深く、息をつく。咲紅の話に乗ろうと、少々わざとらしさが残るため息だ。
「千歳、今日の儀式は行えそうにない。儀式を軽んじる不届き者の処罰をせねばならん」
「待って下さい。さっちゃんはどうなるんですか?」
「それをこれから決める」
 騒ぎを聞きつけた他の隊員がやってきて、何事だと訴える。
「千歳を贄生の宿舎まで送ってくれ」
 紫影は隊員に命を下す。
「今日の儀式は……」
「ふたりとも中止だ」
「承知しました」
 千歳はまだ何か言いたげだが、咲紅はもう千歳を見ていなかった。
 隊員たちが去ると、紫影は腕を組み口の端を上げる。
「葵をどう説き伏せてきた?」
「毒蛇の力を借りた」
「毒蛇?」
「来る途中で俺が儀式を嫌がってるのを見て、毒蛇が声をかけてきて、助けようとしてくれたんだ。葵さんは毒蛇に見張らせている」
「なら、神殿に毒蛇が出て儀式を行えなかったことにすればいいな」
 紫影の後に続いて葵の部屋に行くと、彼は紫影の姿に一礼した。
「この子をどうにかしてもらえますか?」
 咲紅は毒蛇に「ありがとう」と告げると、座卓を下りて身体をうねらせながら部屋を後にした。
「あなたもそういう力があるのですね」
「あなたも?」
「私にもありますから。たまに頭に入る程度で、あなたほど操れたり意思の疎通はできませんが」
 そんな秘密をばらしていいものかと開いた口が塞がらず、困惑して紫影を見上げた。
「葵、お前も本署へ戻れ。咲紅には俺から話す」
「そうしてもらえると助かります。私は咲紅に嫌われているようですから」
「そこまで嫌ってないです」
 紫影の右腕として側にいることが多いため、腹が立つだけだ。
「先ほどのは仕返しですか?」
「俺に手錠をかけて脅そうとしたからおあいこです」
「お前ももう噛みつくな。ちゃんと話す」
 紫影は咲紅の頭に手を置いて、子供をあやすように撫でた。
 やがて葵も去り、本当にふたりきりだ。
 今になって冷静になってきて、身体中から炎に包まれるほど熱い。
 「紫影と一緒にいる人間に腹が立つ」など、告白したようなものだ。それに毒蛇を使って脅し、紫影のいる部屋に乗り込んできたなんて、穴に埋められたい気持ちだ。
 紫影は一度襖の向こうの閨に行き、すぐに戻ってきた。
「普段は催淫作用のある香を焚いているが、精神を安定させるものを焚く。まずは気持ちを落ち着かせてから話しをしよう」
「神贄祭のときも変わった匂いしてたけど、それも秘密があるのか?」
「暗示にかかる薬が微量混じっている。精神力の強い生徒には効きづらいが」
 紫影は神棚から果物を取り出し、咲紅に差し出した。
「何も入っていない。甘味はなかなか食べられないだろう?」
「うん。学食でもフルーツはために出るけど、そんなに多くない」
「お前が食べると思って用意した」
「御神饌って人によるのか?」
「支給されるが、果物は俺が外から持ち込んだ。好みもあるし、何を食べて贄生の食が進むかどうかも審判者は見ている。あとは学食で何を好んで食べているのかもチェックしている」
 学食で食事を注文するとき、ID番号をかざしてからタッチパネルで注文するシステムだ。すべて記録されているので、把握しているのだろう。
「いただきます」
 蜜柑は稀に出るが、苺はほとんど食べたことがなかった。
 甘みが強く、酸味がほとんどない。
「あまり酸っぱくない」
「品種改良をして甘みが強いものも出回っているが、本当はもっと酸味が利いている」
「これは特別ってこと?」
「そうかもな」
 紫影はふと笑った。手に入れるのも大変なのかもしれない。
 一気に口へ入れてしまったが、残りは少しずつかじっていく。
「食べながらでいいから聞いてくれ。千歳の件だが、本人からすべて聞いた」
「……そっか」
「そういう顔をするな。お前の様子がおかしかったので、諜者に調べさせた」
「諜者? スパイってこと?」
「そうだ。教団より俺についている審判者もいる。お前と千歳にいざこざがあったと聞き、千歳から話を聞くために俺と葵を入れ替えた」
 聞きたいのはそこではない。咲紅にとって儀式を終えた後なのか前なのかが大事だ。もし紫影が千歳に触れていたらと思うと、気が気でない。
「そんな顔をしなくても、儀式をするために千歳を呼んだわけでも、擬似恋愛の相手を変更するために呼んだわけでもない。原則審判者の変更は可能だが、お前の相手もころころ変えなければならなくなる。簡単にいく話ではないとやんわり伝えた」
「そ、そうか……」
「安心したか?」
「別にっ……、いや……うん……」
「今日は素直だな。いや、お前はいつでも素直だ。嫌なことは嫌とはっきり言う」
「葵さんには、本音と建て前を使い分けろって言われた」
「使いこなせれば世の中上手く渡り歩ける。この教団に所属していれば、なお器用になった方がいい。従者には特に。贄生ならば会うことも話す機会も出てくるだろう」
「従者って、神贄祭のときにいた人か?」
「そうだ。教祖に近い従者は二十二人存在する。警備課には訳あって教団に反発する者もいるが、従者に関しては例外なく全員敵だと思っていい」
「判った。警戒しろってことだな」
「ああ。お前はとても賢い」
 また頭を撫でられた。子供ではないと振りほどきたくなるが、そのままずっと撫でてほしいとも思う。
 咲紅はされるがままに、けれど好意をうまく表せなくて気難しい顔をした。
「葵さんについて聞きたいことがある。今日、従者が学校に来ていて、葵さんが二人に詰め寄られてたのを見た。その……俺の名前も出して、今年の贄生は豊作とかなんとか」
 怖くもあったが、咲紅は彼の目を盗み見る。
 紫影の目は何も変わらず、咲紅はなぜなんだと責めるように見つめた。
「もしかしたら葵さんこそスパイかもしれないって思った」
「疑いがある中で御霊降ろしの儀に葵があてがわれたら、毒蛇を使って警戒もするだろうな。葵は教団の諜者だ」
「そう、なんだ……。一緒にいて大丈夫なのか?」
「二重スパイを行っている」
「二重スパイ?」
「教団は葵を送ってこちらの動向を筒抜けにしたいようだが、葵は教団の動向を俺たちにすべて教えている」
「信用できるのか?」
「何が何でもこちらにつかなければならない理由があるからな。葵の守りたい相手は千歳だ」
「なんだって?」
 ただの審判者と贄生の関係性だと思っていたため、驚愕した。
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