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第一章 贄と学園の謎

015 神殿の奥へ

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「何が……言いたいんだ?」
 嫌な予感が汗として流れ、こめかみを通る。
 千歳の質問には、知っているとも知らないとも答えられなかった。
「よければなんだけど……すっごく失礼な話になるんだけど、紫影隊長と葵さんを、入れ替えてほしいなって」
 こんな冗談を千歳は言うタイプではなく、だからこそ選択の間違えた言葉は出せなかった。
「その件、葵さんは知ってるのか?」
「ううん、知らない。でも相性が悪ければ、何回でも変えてもらえるって聞いた」
「それ、葵さんに対して失礼というか……」
「葵さんが言うにはね、審判者の心は気にしなくていいって。何より大事なのは、贄生がしっかり儀式に挑めるかどうかだからって」
「俺たちは気にしなくていいのかもしれないけど、葵さんは傷つくぞ」
「でも……どうしても……」
「千歳、泣くな」
 支給されたハンカチを彼に渡すと、千歳も持っていると首を振った。代わりに頭を何度か撫でた。
「なあ、どうして交換なんて話になるんだ?」
 葵との相性が悪いだとか、予想とは違う理由であってほしいと説に願った。
「こんなに……好きになったのは初めてなんだ……」
 がつんと岩石で殴られたような衝撃だった。
 神に祈りは届かなくて、最悪のシチュエーションだ。
 よりによって親友の好きな人が紫影で、頬も耳も首も赤く染める姿に、最奥にある感情に蓋をしなければならなくなった。
「いつから?」
「初めて会った日……」
「聖堂で隊長として紹介された日?」
 千歳は小さく頷く。
「どうせ儀式をするなら、好きな人がいい」
 それは俺も同じです、とは殴られたって言えない。
「さっちゃん……お願い」
「ちょっと待ってくれ……俺にも心の準備とか、その、いろいろあるし」
「さっちゃんは、好きな人……いる?」
 見透かされたようでどきりとした。
 純粋な質問であってほしいと願いつつ、
「いや、いない」
 きっぱりと心を鬼にした。
「だったら譲ってほしい」
「譲るとか、物じゃないんだから……。紫影隊長にも心はある。俺は、審判者の心は考えなくていいとかは思えない。ごめん。いくら千歳の頼みでも、すぐに答えは出せない」
「うん……」
 恋をした千歳はいつもよりかなり強引だった。儀式に追いつめられているせいもあるかもしれない。誰だって好みの人に儀式の相手をしてもらえるのがいいに決まっている。
 散歩したいと言う名目で、千歳とは別れた。部屋に送っていく気になれなかった。今は距離を置きたかった。
 一人になりたかったのに、散歩途中で黒羽とばったり会ってしまった。
「良かった。ちょうどお前に話があったんだよ。千歳と出ていくところが見えてさ、終わってから呼び止めようって思ってたんだ」
「どうしたんだ?」
「んー……あのな」
 黒羽はおもむろに咲紅の肩を組んだ。
「重いって」
「なあ、千歳の相手って葵さんだろ?」
「……なんで?」
「お前から千歳に言って、俺の担当と変わってもらうことってできないか?」
「ッ……そんなことできるわけないだろ! 人の心は物じゃない!」
「でも千歳がお前に相談事って、儀式に関することじゃないのか?」
「それは言えない。けど、あまり千歳を困らせるようなことはするな」
 短時間で二度も持ちかけられ、できることなら学園の外に飛び出したい気持ちになった。
 ただそうなると、二度と紫影に会えなくなるかもしれないと思い直し、頭を振る。
「相性はあるかもしれない。でも俺はできない。相手を傷つけるだけだ。それって、審判者に満足していないってことだろ?」
 どの口が言うんだと、罪悪感ばかり積もっていく。
 正当性があるように見せかけだけを纏い、他人のせいにして自分だけが助かろうとしている。
 三人が幸せに切り抜けられる方法は思いつかなくて、親友も犠牲にしてしまった。
「咲紅!」
 目に見える景色が後ろへ流れていく。走り出した足は止まらない。
 これ以上一緒にいたら、言ってはならないことまで口走りそうで嫌だった。
 温室を出た後は、宿舎の裏側まで来ていた。蛾に傷をつけられ気を失い、紫影に運ばれた場所だ。
 懐かしい、あのときはふたりきりだったと、どうにもならない想いが押し寄せてくる。
 扉から光が漏れている。開くはずのない禁断の扉が開き、咲紅は無意識に一歩、また一歩と踏み出した。
「誰かが……呼んでいる……」
 自身の名前を呼ぶ声が、脳内に振動してくる。
 今まで味わったことのない恍惚感は、恐れ多くも神の領域ではないかと錯覚した。
 太い柱が数本建っている。他は人が一人横たわるほどの台座があり、囲むようにある蝋燭があり、灯していた跡がある。触れてみると、まだ温かい。
 意外とシンプルな造りで、他には何もなかった。
 壁に触れてみたりするも、何か起こるわけでもない。
「床に傷か?」
 何か擦れた跡がある。傷のある方向へ台座を力いっぱい押してみた。
「ぐっ……おも…………!」
 男一人の力ではどうにもならないが、微かに台座が動いた。数ミリの奇跡は好奇心に火をつけた。
 集中していたせいで、背後からくる男に気づけなかった。
 成長途中の咲紅の身体に腕を回し、暴れる直前にに口を塞がれた。
 大きく男の手だとわかった。鼻は塞がれておらず、大きく息をしては吐く。
 百七十もある身体を太い柱の陰まで引きずり、男は咲紅がおとなしくなるのを待って拘束を解いた。
「あっ…………」
 声がでかかったとき、男は人差し指を咲紅の唇の前で立てた。
 紫影だ。暴れたせいかネクタイは曲がっている。
 そこにいろ、と唇だけで形を作ると紫影はネクタイをきっちり締め直した。
 数人の靴の音が徐々に近づいてくる。階段を上ってくる音だ。台座の下には、隠し階段がある。
「ひっ……え……、紫影隊長!」
「なぜ隊長がここに……」
「鍵はどうされたのですか!」
「お前たち、鍵を閉め忘れただろう」
 たった一言であるのに威厳の備わる紫影の声はよく響き、男たちを黙らせるのに充分すぎた。
 息を切らしていたが、呼吸の音をできるだけ漏らさないように両手で唇を覆う。
「神殿の扉が開いていた。もし贄生が紛れ込んだらどうする。懲罰房どころの騒ぎでは済まされない」
「申し訳ございません!」
「我々の気の緩みが招いた惨事です。どうか罰を与えて下さい」
「お前たちの処罰は追って伝える。今は何もなかったふりをして、ここから出て鍵を閉めろ」
「え……隊長はどうされるおつもりですか?」
「生徒が紛れていないか、見回りをしてから出る。この件に関しては誰にも何も言うな。教団本部へも伝えなくていい」
「本当に、申し訳ございません」
「分かったのならもう出ろ」
 内側からは簡単に開く仕組みのようで、男たちは神殿からすぐに出ていった。扉の閉まる物々しい音が耳に届く。
「咲紅」
 懲罰房行きは免れないだろうが、紫影の顔を見ているとそれはないような気がした。
 どこかほっとしたような、親が子の無事を安堵したかのような、初めて見る顔だった。
「見つかっていたら、命の保証はなかった」
「そんなに危ないところだったのか……ごめん。言い訳だけど、扉が開いてたから気になったんだ」
「それは警備隊の失態だ。好奇心旺盛なお前たちなら、誰でも入っていたと思う」
「……助けてくれて、ありがとう」
 気恥ずかしいが、紫影がいたからこそ助かったのだ。
 紫影は頷き、咲紅へ手を差し伸べた。
 手を重ねると、紫影はゆっくりと咲紅を立たせる。
「本当は順を追ってお前に説明するつもりだった。ここに俺たちが揃ったのは、神の導きなのかもしれんな」
 紫影は隊長の顔に戻ると、台座へ歩き出した。
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