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第一章 贄と学園の謎

014 巫覡の条件

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 長い数十秒が過ぎた。咲紅の背中には豆粒ほどの汗が浮き出る。心なしか、下腹部も熱い。
「お前は巫覡ふげきとなりうる条件が揃いすぎている」
「前に言ってた、健康体とかどうのっていうの?」
「ああ。それと、容姿に関してもだ。その顔と身体で贄生に選ばれるのは避けられなかった。誰だって美少年と戯れたいからな。審判者が目星をつけ、随時報告することになっている。お前を推薦してはいないが……最終決定権は教団本部だ」
「巫覡になる条件ってなんだ?」
「贄となる子は、稚児でなければならない。贄となる子は、無垢でなければならない。贄となる子は、血の味を知ってはならない」
「それって、俺の部屋に貼ってたやつだ」
「贄生全員の部屋にある。無垢というのは、男の味を知らないという意味だ。未通であることが求められる。血の味は、未通と同じ意味だ。入れられたときに血を出した子は汚れた稚児だと見なされる。なのにお前は、腹部に淫紋が浮き出てしまった」
「俺は出てない」
 危険な話を外でしていて、咲紅はつい辺りを見回してしまう。
「結局、教団の教えは無意味で、未通を求めているのは上層部の輩の趣味程度だと判明した」
「だから俺は巫覡じゃないって! ……ちょっと待ってくれ。もしかして、御霊降ろしの儀は挿入しなくても成立したってことか?」
「ああ。お前以外あんな体験は誰もしていない。性交をしていたら贄生が俺に泣きついてくるだろうし、そもそも重罪だ」
「なっ…………」
 千歳が平気そうにしていた理由がやっと判った。
 申し訳なさそうでもなく、しれっと伝えるあたりが重罪だと叫びたかった。
 そんな顔も相変わらず見目麗しくて一つ一つパーツの作りが妖艶に輝いていて。なんでもいいから、とにかく話して側にいたかった。同時に、早くこの話題は危険だと本能で訴えている。
「嫌悪感を抱く者もいるだろうが、性欲にまみれている年頃で、しかも月に一度……または数回の場合もあるが、見た目の良い男に触れられて嫌がる贄生はいない。お前が例外で驚いた」
「自分で言うな」
 草の揺れる音が聞こえ、咲紅は距離を取った。やましいことをしているわけではないが、気恥ずかしかったのだ。
 現れたのは葵で、千歳はいない。
「俺、部屋に戻ります」
「判った。しっかり授業は受けるように」
 葵に挨拶をしなかったので、紫影は怪訝な顔をしている。だが咎んできたりはしなかった。



 紫煙が揺らぐ部屋の中で、男は半分ほど減った煙草をもみ消した。
 同時に溶けかけの氷が音を立てて崩れ、ワインの表面に波を起こす。
「咲紅と何かあったのか?」
 挨拶をしなかった態度を気にしているのだろう。それどころか、敵意を隠そうともしない振る舞いだった。
「千歳と一緒にいるところを目撃され、かなり苛立ちを募らせていました。私が千歳にそういう意味で手を出したのだと勘違いされたようです」
「一番仲が良い友人だ。反抗的な態度にもなる」
「お気になさらないのですか?」
 紫影はこちらを見て、グラスに手を伸ばした。
「咲紅と千歳はそういう関係ではない」
「咲紅と根岸が一緒にいるところを目撃したあなたは、建物の一つや二つを破壊しそうなほどとち狂った目をしていました」
「根岸とは違う。身体の弱い千歳を守り、兄のような気持ちだろう。自分の家族がいないものとして学園にぶち込まれ、家族の気持ちを持つ人間ができたとしても不思議じゃない。ところで、千歳の様子はどうだ?」
「言える範囲内で儀式の説明はしました。かなりショックを受けていましたが、白蛇への信仰心が強いのと、贄として選ばれたのだから、役目を果たしたいと話しています」
「残酷な話だな」
「ええ」
 葵はウェーブのかかった髪を上でまとめ、グラスに水を注いで紫影の対角に座った。
「来年も残酷な儀式は続きますが、巫覡にならない限りは狂乱の宴に参加することもありません」
「……そうだな」
 紫影は何もない天井を眺め、ソファーに深く座った。
 それほど酔っているわけではなさそうだが、疲労が溜まっているように見える。
 座ったばかりだが、葵は水を飲み干し、席を立った。
「早めにベッドへ横になって下さいね。私はそろそろお暇します」
「ああ」
 ドアを閉め、葵は自室へ戻った。
 紫影の使用する部屋の半分ほどだか、充分な広さだ。
 隊服を脱いで、生まれたままの姿になると、花びらを浮かべた浴場へ足を浸ける。
 熱いわけではないが白い肌はすぐに火照り始め、肌にも花びらが散る。
「あのご様子だとお話しになってはいないのでしょうね……あなたが咲紅を作り上げた人間だと言うことを……」
 残酷なのは教団か、紫影自身か。本人は憤死になるほど瀬戸際に立たされているだろう。
 紫影が救われるには、咲紅に許しを請うしかないのだ。



 あの晩から一週間が過ぎた。机のパネルが光るたびに儀式の呼び出しではないかと心が乱されるが、すべて授業の課題の結果だった。
 音楽のテストですらマイクを通して行うのだから、異様だと思わざるを得ない。
 紫影の話は途中で終わってしまったが、なぜ自分だけが禁忌を犯してまで交合をしなければならなかったのか。
「紫影のただの性欲処理に付き合わされたか、俺を巫覡にしたくないのか……」
 今までの言動を考えてみれば、後者がしっくりくる。
 次に巫覡にしたくない理由を考えてみた。
 紫影とは出会って一年足らずだ。特別な感情で巫覡にしたくないとは考えられない。
「そうだったら……嬉しいけど……」
 下半身がむずむずするが、コントロールできなければいけないと深呼吸をした。
 次は、咲紅自身が巫覡になると不都合が生じる可能性だ。
 巫覡を誕生させれば、教団本部の性欲処理係が増え、双方に利益が生まれて持ちつ持たれつの関係を築ける。誕生させた警備隊は、一気に昇進となるか報労も手に入るだろう。
 うつ伏せだった儀式の最中、紫影は咲紅の腹部を確認しておらず、本部に報告できていないという点もあったが、これはないだろうと勝手に予測していた。
 もし腹部の淫紋を確認しても、紫影は報告しない気がしている。ただ簡単に巫覡になったことを認められるかどうかは別の問題だ。自分ではない何かになったようで気味が悪いし、何より淫乱になったようで恥ずかしかった。
 ノックする音が聞こえ、咲紅はドアを開けた。
「千歳……どうした?」
「さっちゃん……ちょっと相談があるの」
 ほぼ儀式に関してだろうと予測するが、知らないふりをして廊下に出た。
「部屋に入れるのは禁止だから、どこか別のところで話そう。温室はどうだ? 俺たちは入っていいみたいだし、外から見たらいろんな花が咲いて綺麗だったぞ」
「うん。そこに行ってみたい」
 温室は宿舎を出て少し歩いた先にある。贄生が住むエリアにあるため、他の生徒は近寄ることすらできなかった。
 過ごしやすい快適な温度で、冬なのに春夏秋冬の季節の花が咲いている。季節外れの向日葵も天へ向かって開いていた。
「相談事は葵さんじゃなくていいのか?」
「うん……葵さんには話しづらくて……。さっちゃんの審判者って……誰?」
 疑問がある聞き方ではなかった。長年の付き合いがあるから分かる。
 ある程度予想していて、答え合わせをしたい聞き方だ。
 隠しても無駄だと思い、咲紅は正直に答えた。
「紫影隊長だよ」
「……そっか。ふたりでいるところ見たから、そうじゃないかって思った」
「どういう基準で選ばれるんだろうな。こっちで選ばせてもらえたわけじゃないし」
「でも、相手は変えられるんだよ? 知ってた?」
 千歳は何を言いたいのだろう。いつになく前のめりで、真剣な眼差しに恐怖を感じた。
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