霊救師ルカ

不来方しい

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14-家族

089 行方不明の少女

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 サンドウィッチを食べて腹ごしらえした後は家を西岡に任せ、悠は祖母の眠る墓に来た。
「おばあちゃん、来たよ」
 雪を拭い、荒れ果てた墓を見回す。素手のまま下生えを抜くと、指先は赤みを増した。
「おばあちゃん」
 墓石を前に、何度か呼びかけた。返事はないが、背中が暖かくなった気がした。香煙が辺りに充満していくと、悠の目から涙が零れ落ちた。懐かしい匂いだ。祖母は毎日、朝に線香を立てて手を合わせていた。優しい顔で仏壇を見つめる祖母も大好きだった。
「僕ね、とても大切な人ができたんだよ」
 誰もいない墓所で生きている人間はひとりだけのはずなのに、背中に感じる熱は紛れもなく光そのものだ。
「無鉄砲で人のことばかり心配してる人で、友達で、家族なんだ」
 友達と呼ぶには心が締め付けられ、境界線が他の人よりも違う。それを友達と呼ぶのか、首を傾げたくなる。
「彼は、復讐を誓っている。僕は、……今は、」
 声がかすれ、報告できなかった。隠された本当の気持ちは、本人を目の前にして言えるはずがない。彼にとって、それは裏切りにも当たる行為。判ってほしいという気持ちは、自己満足でしかない。
「それが言えるときって、自己満足を超えた何かができたときだと思う。何かはまだ理解できないけど、ルカさんの幸せを望んでいるのは本当だよ。世界一幸せになって、愛にまみれてほしいって思ってる」
 伝う滴は首筋を通り、鎖骨の溝に到達した。
「今年は就活あるし忙しいから、次はいつ帰って来られるか判んないけど、必ず会いに来るからね」
 涙を振り払い立ち上がると、背中の熱は空へと消えた。

 霊救師見習いとしてSHIRAYUKIで働き始め、子供と接する機会が多くなった。それは生身も含めての話だ。
 田舎町でパトカーが止まっていると、大道芸人のように注目を浴びる。暇を持て余した人たちは協力者となり、どんな小さな情報も惜しまない。それが回覧板の如く、一日あれば情報は瞬く間に広がっていく。ただし偽りも交えてだ。
「なんかみんな俺らのこと見てねえか?」
  西岡は辺りを見回し、悠の後ろをついて回った。
「なんでスーパーの中まで警察がうろうろしてるんだよ」
「子供の親を探してるとか」
「それだけならいいけどな」
 それだけのはずがない。警察官は悠たちを一瞥し、目を細めた。
「やあ、買い物?」
「ですね」
 若い警察官だ。ひょろりとした上背で気さくに声をかけても、目や口元に笑みはない。
「これからどこに?」
「さあ……気ままに過ごします」
「ちょっとお話聞かせて欲しい」
「昨日、充分に話しましたので」
「女の子の話なんだけどさ、」
 警察官は持っていた写真を悠たちに見せた。昨日の格好のままの少女は、目を伏せ沈んだ表情だった。昨日のおにぎりを頬張っている姿の方が、よほど生き生きとしていた。
 しっかり顔の写った写真が目の前にある。悠は迷った。本人を捜すことはできても、写った人の関係者を捜すなどほぼ未経験に近い。ルカならばできるだろうか。
「何か思い出したか?」
 意識が飛んでいて、警察官の声に悠は顔を上げた。
「女の子は何か言っていますか?」
「今調べている最中だよ」
 教えてくれないのは想定内だ。写真の少女は悲鳴を上げ、甲高い泣き声を上げている。一気に血の気が引いていく。
「女の子に会わせて頂けますか?」
 警察官は眉をひそめる。判りやすい警察官だ。
「どうして?」
「子供の扱いが得意なので。それにあなた方は僕を誘拐犯だと決めつけた。自分の潔白は自分で晴らします」
 腕を掴まれ振り返ると、西岡は神妙に首を振った。親密な様子を警察官はじっと見つめている。
「買い物をして家に一度帰ります。その後、そちらに行きます」
「景森」
 西岡に行こう、と促す。
 家の回りにも雪が残り、自分たちのものもは違う足跡が残っている。大人の男の人の大きさだ。
「西岡君は残ってていいよ」
「いや行くよ。お前とずっと一緒にいたって証言してやる」
 身内のアリバイほど参考にならないものはないのだが、素直に感謝した。
 昨日の警察官が、家からふたりが出てくるのを見計らい、歩み寄る。
「やあ、昨日はごめんね」
「お出迎えですか」
 「わざわざ来てくれるって聞いて。帰りも送っていくから」
 西岡は軽めに挨拶をすると、警察官も頭を下げた。車までの道のりは天候や朝食の話など、事件が起こったとは思えない和やかな雰囲気だ。車に乗ると、ゆっくりと発進する。
「少女の親だけど、まだ見つかっていない」
「いきなり取り調べかよ」
 西岡は吐き捨てるように言う。
「俺たちは昨日ここに来たばっかだぞ。たまたま居合わせた子供を助けただけで誘拐犯扱いか」
「そこら辺はまだ調べる余地はある」
 世知辛い世の中だ。これでは声もかけられない。公園で遊ぶ子供を見つめていただけで逮捕されそうだ。
「お巡りさんならどうするよ?自分の庭で子供が腹空かして泣いてたら」
「警察に通報する」
「ごもっとも」
「家に入れはしない」
「……今の言い方だと、僕たちが誘拐の疑いをかけているのは家に連れ去ったの一点が問題になっているみたいですね」
 警察署はバックミラーで悠をちらっと見た。
「どういうことだ?」
「昨日、あの女の子は車から降りたと言っていました。車も免許証もありませんし、この辺りにレンタカー会社もない。女の子は車から降りたと話していて、僕らでは車で少女を連れ去るのは無理です」
「うん。その辺は疑ってないよ」
 車は児童養護施設で止まる。気分とは真逆に天気は快晴だ。スマホを見ると、メールの中身は店長からだ。埋め尽くされている。ひとつひとつ確認したあとは「女の子に会いにいきます」と送った。
 施設から慌ただしく女性が飛び出してきた。警察官も車から降り、息切れの女性の元へ駆け寄った。
 青白い顔から流れる汗は襟元に滑るように落ち、滝のようにも見える。
「悪いが予定変更だ。君たちにはこのまま帰ってもらう」
「は?今来たばっかだろ。犯人扱いするし何なんだよ」「悪いとは思っている」
 西岡の抗議の声も届かず、車はUターンをした。
 身体がぐらりと揺れ、脳も細かな振動に酔いに近い不快感を感じる。
「昨日さ、女の子に何を食べさせた?」
「今度は毒でも盛ったとか言い出すのか?」
「開けていないおにぎりと触れていない唐揚げです」
「けっこう。帰ってもらうと言ったが、家にいるように」
「俺ら東京の大学生なんだよ!そっちの都合で滞在できる訳ねーだろ!」
 飢えた狼のようによく吠える。今の西岡は心強い。近くに下ろしてもらい、歩いて帰ろうとするとすかさずカメラを持った男性が近づいてくる。逃げるように山道を登り、家に施錠をしっかりとして居間に倒れ込んだ。
「ひっでえ半日だった」
「ちょっと早いけど、ご飯の支度する……肉でいい?」
「何でもいい。力の付くものなら」
 西岡を先に風呂場へやり、悠は台所に立った。 作るのは簡単に豚肉の生姜焼きとガーリックライスだ。野菜はサラダがある。
 スマートフォンの画面には店長の文字が浮かび、悠はすぐさま取った。
『もしもし?何か音が聞こえますよ』
「生姜焼きを作っています。女の子に会えませんでした」
 出来事をルカに説明した。
「女の子に会うどころか、ほぼ無理矢理家に帰されました。何があったのかも、聞かされないんです」
『テレビは?そちらの情報を耳に入れて下さい。私もニュース番組はチェックしています』
「あ、焦げた」
 ルカの声に気を取られ、焼いていた二枚が焦げてしまった。問題ない。
「何かあっても、責任は取ります。西岡君に止められたのに、僕が首を突っ込んだんですから」
 ただし焦げた肉は二人で担う。
『あなたの意思はできる限り尊重したいところですが、私としてはすぐにでも帰ってきてほしい。悠の入れた紅茶が恋しい』
「まるでプロポーズみたいですね」
 電話越しに陶器を落とす音がした。ルカは一体何をしているのか。
「明日帰ります。重要だった案件は終わりましたから」
 電話を切り、さらに焦げた肉が追加になった。
 ガーリックライスを作り、皿に盛るとちゃぶ台に並べる。シャワーを浴び終わった西岡も座り、ふたりで、ちゃぶ台を囲んだ。
 西岡は生姜焼きを見て、悠を見て、もう一度生姜焼きを見る。
「焦げてね?」
「判断を見誤った亭主関白みたい。いただきます」
「すんません、いただきます」
 異常なほど空腹だった。言葉もほとんど交わさず、とにかく三大欲求のうちのひとつを満たすためにかき込んだ。
 欲求が満たされると、物事を冷静に考えられるようになり、今すべきことを思い知らされる。自分は大学生で、甘いものが好きで、英語が話せて、職場の上司が大好きで、霊救師の端くれであることを。
 霊救師というのは、元々は霊を救うために名付けたものだ。人間より霊のためだとルカは言うが、結局は人も救われている。志は違っても、早く在るべき場所へ帰るためにはどうすればいいのか頭を捻った。
 ひとりで救うしかない。報われない霊は友人の背後にまとわりつき、おどろおどろしい悲鳴を上げている。友人は頻りに肩を気にし、軽いストレッチをしながらご飯を嚥下している。
「ちょっと恐ろしいことを言ってもいい?」
 判りやすいほど身体が跳ね、大きな身体が縮こまった。
「え?え?ちょっと待て」
「後ろにあいちゃん憑いてる」
 人間は本当の恐怖を感じると声が出なくなるもので、それが今、実証された。
「生霊ってことか?」
「違う。もういない」
「恐ろしいことがふたつ重なってんだけどさ、あの子は死んで、その霊が俺に憑いてるってことでOK?」
「それ。けっこう強くて、持っていかれる」
 発汗した背中はしっとりと濡れ、別の意味で悠は青白くなった。
「体力使うんだな……」
「そのままじっとしてて、下向いて」
 西岡は両手で顔を覆う。何とも可愛らしい仕草だ。
 悠は数回の深呼吸の後、西岡の背中に張りつく少女を見た。甲高い奇声を上げ続け、来るもの拒まずに不可視世界へ連れていこうとしている。亡くなってから即怨霊化だ。
──おとなは、みんないじめてくる。いたいことして、あたまがいたくなる。
「頭が痛いんだね」
──おさえてもおさえてもいたい。声がする。
「あいちゃんは僕と会う前、何をしていた?」
──車にのってた。
「何か食べたりした?」
──ジュースのんだ。
「車に乗る前は?」
──うう……いたい。いたいいたいいたいいたいいたい。
 見えない何かを通り、悠の頭に重苦しい痛みが到達した。
 絶対に気にかけるなというルカの声が聞こえた気がして、頭を振り払った。
「車には、誰が乗ってた?」
──パパみたいな人……。
「みたい?パパじゃないの?」
──ちがう……あたまがね、いたい。
「判った、ありがとう。君はよく頑張った」
──しっぱいしたから、いらないって。
「そう言われたんだね。君は失敗でも何でもない。もうここにいなくていい」
──あそびたい……。
「これ以上は遊べない。あいちゃん、ありがとう。さようなら」
 半ば強制的だったが、これ以上側に置くと西岡が危険に晒される可能性がある。何度もさようならを繰り返した。顔が歪み、叫び、行きたくないと繰り返す。それでも悠は断固として譲らない。怨霊となった今、優しさの欠片も見せてはいけない。
 やがて少女は泣き疲れ、死んだことを受け入れ始めた。たどたどしくお別れの言葉を口すると、西岡の背中から抜けた。
──あっちに、いたいことをする人はいないの?
「絶対いない。約束する」
 最後に少女は笑った気がした。
 がっくりとうなだれたままでいた西岡の背中を揺さぶり、無事でいるか確かめた。西岡は悠を見ては化け物を見たように声を荒げる。
「すっげえ汗!大丈夫かよ?」
「うん……水」
「待て、持ってくる」
 立ち上がる西岡にはふらつきもなく、これが霊感がある人間とない人間の差だった。受け取ったペットボトルを開けようとするが、力が入らない。
 西岡が蓋を開け、口元に持っていった。
「美味しい……」
「なんか、肩が軽い」
 何度か腕を回し、手を握ったり開いたりを繰り返す。
「なあ、なんであの子死んだんだ?病気か?」
「判らない。本人も詳しい原因は知らないみたい。明日朝一で帰るよ」
「え?でも警察が」
「僕らは何も知らないんだ。容疑者でもない。協力をする必要もない」
「お前……大丈夫か?本当に」
 血走る目はぎらつき、飲み干したはずの水が喉まで上がる。喉を押さえ、逆流するのを防いだ。
 明日になれば判ることだ。ニュースでやれば何かしらの事故や殺人、報道されなければ一つの仮説が浮かぶ。絶対にないとは言い切れない。何せ世界各国で薬は出回っている。想い出の地が悪に染まっていても、おかしくないのが現状だ。
「明日、すぐに帰る」
 言い聞かせるようにもう一度言うと、悠は意識を手放した。身体が疲れ、眠くてたまらなくなった。
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