霊救師ルカ

不来方しい

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9-発展

053 マリー・フォンテーヌ

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 電車を降り改札を出ると、通い慣れた道のためか吸い込まれるように小道へと入っていく。見慣れない女性が紙を片手にうろうろしていた。ラテン系の顔つきで彫りは深く、黒みがかった金髪で、ルカの髪色とはまた違う。個性を大切にした服装からか、英語しか通じない風貌からか、誰も彼女を助けようとはしなかった。横を通るサラリーマンは無意識なのか顔を背け、歩く速度が変わる。
『道に迷いましたか?』
 手に持っているのは地図であり、悠は英語で話すと女性はにっこりと微笑み、眩しいほどグロスの塗られた唇が開いた。
「こちらに行きたいんですけど、ご存じかしら?」
 英語で話しかけたが、日本語で返ってきた。発音もかなり良い。話し方も服装も、随分上品な女性である。指には宝石を散りばめていて、胸元にはアクセサリーが寄り添っている。
「日本語で大丈夫そうですね。そちらはカメオですか?」
 女性は驚愕した。
「素材はラーバですね?」
「詳しいわね。こういうシンプルなものが好きなのよ」
 ラーバとは溶岩のことだ。
「とても美しいです。カメオは好きなので」
「男の子でカメオが好きなんて珍しいわ」
「アンティークショップでアルバイトをしているので」
「アンティークショップ?もしかしてSHIRAYUKI?」
 悠は大学と地図を交互に見つめる。地図には、確かにSHIRAYUKIと記されていた。にしても分かりづらい地図である。SHIRAYUKI以外はすかすかで、他店の名前はほぼ書かれていない。記されているのは駅前の銀行や大型家電量販店くらいだ。
「ルカは元気?」
「ルカさんの知り合いですか?」
「昔からね。生意気な子供」
「生意気?ルカさんが?」
 女性は鼻をふんと慣らす。
「本当に可愛げがない子供よ、大人顔負けでズバズバものを言う男」
 心底嫌いというより、無遠慮な子供ですら可愛いと愛情が込められている言い方だ。
「ルカさんは博識ですからね」
「博識で片付けられればいいのだけれど」
「SHIRAYUKIにご案内します」
 エレベーターに乗ると、久しぶりにワンピース姿の女の子が顔を見せた。ひとりではないため声はかけられないが、相変わらず見向きもせずつれない態度だ。
「可愛い子ね」
 驚き見上げると、女性は口に手を当て一笑した。
「見えるのはあなたやルカだけではなくてよ」
「びっくりしました……」
「SHIRAYUKIで働いているくらいですし、浮遊霊くらいはっきりと見えるでしょう?」
「そうですね。霊が見えることがSHIRAYUKIで働く条件でもありましたから」
 三階に到着すると、ドアプレートはopenとなっている。
「悠、随分早かったのですね」
「本日もお願い致します。お客様をお連れしました」
 悠を見て自然と笑顔になったが、隣の女性を見てルカは固まってしまった。
「……ようこそ、SHIRAYUKIへ」
 口元は笑っているのに目が全然笑っていない。死んだ魚のように、目が濁っている。
「ハァイ、来たわよ」
「見れば判ります」
「早くお茶。どうせ紅茶しかないんだろうけど」
「温かな緑茶ならすぐ入れられますけど。僕入れましょうか?」
「悠、この人に余計な気遣いは無用です」
「それが師匠に対する言葉?」
「師匠?」
 総次郎はルカにアンティークの基本を叩き込んだ人がいると言っていた。突然の登場に、緊張も一気に駆け上がっていく。
「では緑茶にしましょう。頼むわ、アルバイト君」
「かしこまりました。ルカさんは?」
「悠をこき使わないで頂けますか。悠、私も緑茶で」
「あなたが緑茶?紅茶じゃなく?」
「何か問題でも?」
「じゃあ僕……お茶入れてきます」
 悠は逃げるように立ち去り、三人分の緑茶を入れた。残り少ない緑茶缶の隣に、新品の茶葉が隣に並んでいる。悠が購入したものではない。じんわりと心に熱が広がっていく。
 ほっこりしながら奥の部屋に入ると、ただならぬ雰囲気に尻込みし、悠は一歩後ろへ下がった。
「悠、ありがとうございます」
「い、いいえ……。あの、お茶請けは何がお好きですか?」
「何があるの?」
「桜餅にしましょう。私はそれが食べたい。賞味期限も残り少ないので」
「よろしいですか?」
「じゃあそれで」
 関西風の桜餅は三つ、関東風も同じく三つだ。葉型の透明な皿に二つずつ乗せれば、賞味期限までには充分に間に合った。だが小さめの桜餅であるため、悠は自分の分を一つ減らすとルカの皿へ移した。
「あなたはアルバイトと言っていたわね。いつ雇ったの?」
「ちょうど一年ほどです」
「すみません、挨拶が遅れてしまいました。景森悠かげもりはるかと言います」
「マリー・フォンテーヌ。ルカにアンティークのいろはを叩き込んだのは私。まあ何も聞いちゃいないんでしょうが」
「ええ、申しておりません」
「ほんっと生意気ね」
「総次郎さんから、とある方からルカさんを預かったと聞いてはいました」
 悠の問いに、マリーは目を細めた。
「ルカのことはどこまで知ってるの?」
「えーと……どこまで話していいのか」
 マリーこそどこまで知っているのか判らず、悠は曖昧に濁した。
「出身地はなんて聞いているの?」
「フランスです」
「本名は?」
 質問攻めになりルカをちらりと見ると、小さく頷いた。話していいとの合図だ。
「ルカ・チェスティ・ド・キュスティーヌです」
「あらあ。随分心を開いているのねえ」
「もうその辺にして頂けますね?いい加減に仕事の話がしたいのですが」
「可愛いあなたの愛弟子と話して何が悪いのよ」
「仕事の話?」
「悠、改めて紹介します。私がイタリアにいた頃、アンティークの基礎を叩き込んでくれた女性、マリー・フォンテーヌです。マリーは今、SHIRAYUKIに置いてあるアンティーク調の商品のデザインを手掛けています」
「すごい……デザイナーなんですか?」
「そうです。あなたはよくアンティーク調の鍵が好きだと言いますが、それもマリーのデザインです」
「すごいすごい」
 言葉のボキャブラリーが足りず、すごいしか言葉が出てこないが、マリーは満足そうに笑った。
「純粋に褒められるのって悪い気がしないわね」
「悪かったですね。ひねくれていて」
「そういうところよ」
 ルカは聞こえるように嘆息をつくと、桜餅を頬張った。
「にしても何のご用なのです?一年以上も顔を見せず、いきなり現れるとは」
「人捜しを頼みたいのよ」
 皺の入った写真をルカに手渡した。ボブヘアーの黒髪、耳にはピアス、笑った顔はしわくちゃになり、笑顔がチャーミングの女性だ。ワンピースを着ていて、マリーの腕に手を絡めている。
「桜庭夏帆。中部地方に顧客がいて、指輪のデザインをした夏帆が販売しに向かったっきり音信不通になった」
「場所はどちらへ?」
「中部地方。私の右腕なの」
 悠のために、夏帆の説明を付け加えた。
「どう?」
 ルカは答えず、唇に指を置き緘黙状態だ。
「生きては、おります」
「生きては?危険な状態なの?」
 ルカは頭を振り、写真をテーブルに置いた。
「どこまで話していいものか」
「全部話して」
 一呼吸置き、ルカは口を開いた。
「男性と、彼女の笑い声が聞こえます」
「男?」
 マリーの声色は低くなり、不機嫌を露わにした。
「ええ、男性と一緒です。ですが、大勢の声も微かに聞こえます。いずれにせよ、桜庭さんは身動きが取れない状況です」
「夏帆の意思でとどまっているわけではないの?」
「それはご本人に尋ねるべきでしょう」
 ルカはその写真を手に取ると、悠の肩に手を置いた。
「悠、お願いがあるのです。私が留守の間、SHIRAYUKIをあなたに預けたいのです」
「把握です。でも僕ひとりでお店を開いちゃっていいんですか?お金を預かるところだし、店長目当てのお客さんも多いし」
「あら、私がいるわよ」
 得意気に、マリーは腕を組んだ。
「マリーとあなたを二人きりにするのは忍びないですが」
「ちょっと」
「致し方ございません」
「アンタね」
「それに悠」
 肩をに置く手に力が入り、ぐっと顔を近づけた。
「お金に関しても、私はあなたに絶対の信頼を寄せていますよ」
「ルカさん……」
「何かあったらすぐに連絡をしなさい。それと、アルバイトより勉学を優先するように」
 力強いルカの言葉を胸にしまい、先ほどまでの鬱屈が晴れた気がした。

 ルカが出張してから三日が経つ。特に困ったことはないので、悠は連絡はしていなかった。ルカの代わりにマリーが店頭に立ち、ルカとは違う販売方法に一驚した。ルカは顧客を第一優先として誰にでも優しくそつがない対応をするが、マリーは客人の身につけているものを瞬時に判断し、見えない財布の中身を確認し何かしら購入させるやり方は、商売を理解している。ルカ目当てでやってきた買う気のない相手にも、自分でデザインしたアンティーク調のキーホルダーを販売していた。
「休憩にしましょう」
 マリーは買ってきた具たくさんのサンドイッチとコーヒーと共にテーブルに並べた。マリーはお菓子も食べるが、どちらかというとお腹に溜まるチーズやナッツ、サンドイッチなどを好んだ。
「浮かない顔してるわね」
「そうですか?」
「あの子がいないから?それとも私がいるからかしら?」
「そんなこと……」
 ない、とは言い切れなかった。
「悠は料理が上手なのね。冷蔵庫に入っていたミネストローネはあなたが作ったものでしょ?」
「ええ……まあ」
 美味しいはずなのに、サンドイッチの味が感じられない。具が零れ落ちそうになり、ずらしながら挟み直した。
「五階の部屋も随分生活用品が増えたわね。総次郎の趣味なのか、ルカの趣味……ではなさそうだけど」
「五階に住んでるんですか?」
「そうね。ホテルは高いから」
 手からレタスがぽろっと落ちた。悠は拾おうともせず、床に落ちたままのレタスを呆然と見つめた。
 チクチクとした痛みが胸の辺りを襲い、悠はぼろぼろにになっていくサンドイッチを皿に戻した。
「あなたは普段ここでどんなことをするの?」
「パソコン作業だったり、店に立って接客だったり……あとは霊救師のお手伝いです」
「霊救師?悠も?」
「見習いみたいなものです。ルカさんの言われた通り動くくらいですが」
 隣にいたワンピース姿の少女は、不穏な空気を察してか壁に向かい消えてしまった。
「辞めなさい」
「え……」
「霊救師の仕事よ。あなたには荷が重すぎる」
 振り子時計の音がカチコチと鳴り、時間が少しずつ経過していく。普段は意識しなくとも、張り詰めた糸が散りばめられた状態では、耳を通り過ぎ心臓に負担の掛かる音に聞こえた。
「ルカがどんな思いを抱えて霊救師をしているか判っているのかしら」
「それは……」
「死ぬわよ。そんな生半可な気持ちで霊救師を名乗るなんて。許し難い。あなたはなぜ霊救師をしようと思ったの?」
「ただ……ルカさんの力になりたくて、僕は」
 悠は口を噤んでしまった。彼女の言う通り、個人の具体的な目的があって霊救師をしているわけではない。言われるがままに彼の手伝いをしていただけだ。
 目の色が薄れ、小さな背中をさらに小さくさせた。
「もう一度言うわ、辞めなさい。ルカを思うのなら、思いを殺して」
「なぜ……あなたにそんなことを言われなければならないんですか」
 絞り出した声でも、会話の主導権を握るマリー相手では、不利だった。
「あの子が大事だからよ。息子同然に可愛がってきたわ。それほどあの子に情もあるし絆も強い」
「僕なりに、ルカさんのことをとても大事に思ってます」
「それはあなたの一方通行よ。見ていれば分かるわ」
 心を抉られる痛みは台風のように勢力を増していく。
「現にあなたを連れていかなかったでしょう?相棒だと思うのなら、店を私に任せて連れていった。危険が迫れば、ルカはあなたを守ろうとするでしょう。心の優しい子ですものね」
 悠は何も言い返せない。
「あなたはウロウロするだけで、ルカの足手まといになる。だから同行を拒否した。違う?」
 悠は心を失い、乾燥し始めたサンドウィッチを見つめた。心が無になると現実逃避をしたくなる。ルカにも美味しいサンドウィッチを食べさせたいと、乾いた亡骸を見て作り方を思い出し始めた。
「少し頭を冷やしなさい。それとアルバイトについて。パソコンを覗かせてもらったけどあなたに支払う額がアルバイトの金額を超えているわ。パソコンの打ち込みはあなたが行っているようだけど、勝手に給料を操作しているわけではないのよね?この件に関しては、ルカが帰ってきてから厳重注意をします。当然総次郎にも」
「ごめんなさい……僕……帰ります。ご迷惑を……おかけしました」
「ええ、今日はあなたにして頂く仕事は終了しました」
 ふらふらと立ち上がると、最後の通告だとナイフを投げつけられた。
「アルバイトに関しても考えておきなさい」

 年季の入ったアパートに戻り、悠は鍵を閉めた。音が心の施錠音であり、悠はベッドに倒れ込んだ。しばらく時間を潰した後、悠は一度立ち上がるとパジャマに着替えた。
 ルカが目の前から消え失せたときのように、脱力感と空虚感で身体も心も満たしていく。あの時より加わった感情は、拒絶である。人との会話や距離を遠退きたく、悠はスマホの電源を落とした。
 窓からは桜の木が見える。花は咲き誇り、花見の季節には丁度良い。テレビを付けても桜の話題で持ちきりな時期だ。明るい話題も今は虚しく、すぐに消し意識を逸らした。
 一日目はこうして時間が過ぎ去るが、二日目も同様だった。頭に置いた手は熱く、身震いした。体温計を探そうと棚に手を伸ばすが、奥にあるのか見つからない。頭がぐるぐる回り出し、やがて手を下ろした。
 悠は体温計を探すのを諦め、天井を見つめた。子供の頃に何度も見上げた白い天井は、大人になっても思い出せない。稀に起こすフラッシュバックでも、肝心なことは記憶が抜け落ちている。三日目も寝るしかない。
 何度かチャイムが鳴るが、悠はまだ夢の中だった。夢の中で聞いた音はやがて聞こえなくなり、深い眠りへ誘われようとしたとき、解錠の音が部屋に響く。身体が重く、指先すら動かすのは億劫だった。
 玄関、廊下、そして部屋と足音が近づく。女性と男性の声で、悠は男性の声に聞き覚えがあった。
 男性はお礼を述べている。やがてドアが締まり、足音はひとつになった。
「悠」
 やけに心配そうな声だ。悠はゆっくりと目を開けた。
「悠、大丈夫ですか?」
 男は悠の額に手を置いた。熱いと漏らし、男は棚に置かれた鍵を手に取ると、一度外へ行ってしまった。十五分ほどで戻ると、今度はビニール袋を下げている。
「コンビニはなんでも扱っていて便利ですね」
「ルカ、さん……」
「はい、ルカです。一度熱を測りましょう。質問はいろいろあるでしょうが、具合が良くなってから受け付けます」
 パジャマのボタン上ふたつを外され、腋窩に体温計を差す。くすぐったさから悠は身を捩ると、ルカは目を逸らした。
 熱を測っている間、ルカは底の浅いシチュー皿にレトルトのお粥を盛りつけた。冷蔵庫の中には梅干しの入ったタッパーがある。梅干しをひとつお粥に乗せ、スプーンを用意すれば出来上がりだ。
「料理の腕が壊滅的だとこういうときに困りますね。悠、置き薬はありますか?」
 体温計は三十八度を示している。悠はベッド横の棚を指差した。
「起き上がれますか?」
 悠は小さく頷き、のっそりと身体を起こした。カチャカチャと金属音戸共に、ルカはスプーンを差し出した。
「どうぞ」
「いや、あの」
「日本ではこのようにするのでしょう?召し上がって下さい」
 間違った知識ではあるが、声を出すのも億劫でおとなしく口を開けた。
「ジンジャーエールも購入しましたが、今はスポーツドリンクを飲んで下さい」
「ジンジャーエールがいい……」
「駄目です。それは熱が下がってからにしましょう」
 体調が悪いわりには空腹だったようで、皿はすぐに空になった。
 薬を飲み、何時間経過しただろうか。目は霞んでおらずしっかりと頭は冴えている。悠は身体を起こすと、ルカは座布団の上で雑誌を読んでいる。悠は二度見した。
「ルカさん、まって」
「起きたのですね。おはようございます。体調はいかがですか?」
「それ、それ」
「すみません、興味深かったのでつい」
 悠が雑誌と勘違いしたものは、高校の卒業アルバムだ。
「もう、ルカさん」
「魔が差したとはこのようなときに使う日本語ですね。今とは違い、あまり笑っている写真が少ないです。ですが過去はどうしても切り離せないもので、辛い時期を過ごしてきて今の悠があります。私はあなたと巡り会えて本当に良かったと、いつも感じています」
「そういう言い方されたらなにも返せない……」
「返答はいりません。あなたが離れたいと思うのならばそれは致し方ありません。あなたにも選ぶ権利がある。ですがもし自分の意思でないのなら、離れることは許しません」
 節々から伝わる鋭い意思に、黙るしかなかった。
「悠、まずは私の話を聞いて下さい」
「はい」
「前にも話したように、私はいつも独りでした。ゴーストとあだ名を付けられ、友人らしい友人もできず、唯一できた大事な人は殺される。故郷は私にとってワイドショーです。ショーなのです。誰が城や土地、莫大な財産権を手に入れるかといつも好奇の目で見られ見物されている。復讐のためにやってきた日本でもアウェイ状態でした。こんな顔ですから」
 遅すぎず早すぎず、心地良い声は眠気を誘った。
「日本で数年過ごし、あなたに出会えた。怪しい外国人を助け、家にも招いてくれました。カレーもとても美味しかった。あのカレーの味は一生忘れないでしょう」
「誰でも作れるのに……大袈裟です」
「誰でも?あなたは私の料理の腕を舐めている」
 ルカはきっぱりと言った。
「私の血筋を話しても、あなたは変わらず私の側にいてくれた。初めて食品として扱うジビエも懸命にサイトを見て、すべて美味しく振る舞ってくれた。あなたからの愛情は、どれも尊く、涙が出るほど嬉しいのです」
「僕も、あなたに会えてうれしい」
「それをなんですか。マリーにつつかれた程度でなぜあなたが揺らぐのですか。その程度だったのですか」
「もしかして怒ってます?」
「怒っています。激怒です。それと同時に、あなたを嫌な目に合わせてしまった私自身にもマグマが噴出しています」
「ごめんなさい」
「謝るのは私とマリーです。彼女は確かに私の親のような存在で、大事であることには変わりありません。ですが彼女は未だに未成年の小さな子供のように私を思っているのです。良く言うでしょう?母親は息子を小さな恋人のように扱うと。まさしくそのような扱いなのです。いきなり現れたあなたを排除しようと、母性本能が働いた結果です。ですが私にとってもマリーは大事な人です。どうか、彼女の失態を許してくれませんか?」
「許すも何も、僕が二人の間に入れるわけがありません。ルカさんの大切な人ですし、思い出もたくさんあるでしょうし」
「たくさんというほどではありませんよ。私は大学で日本語を学びながら、彼女からアンティークについて教えて頂きました。彼女は当時、大学の教授でした」
「教授?マリーさんが?」
「ええ。いろいろありまして彼女に拾われました。放課後、言語の勉強と、みっちりとアンティークについて叩き込まれました。教えられた、というより、ぼかすかと身長が縮むほど叩かれたという表現が適切なほどに」
 深いため息は、どれほど過酷だったのか垣間見える。
「数年間同じときを過ごせば、情も沸きます。ですがあなたへのマリーの態度は褒められたものではありません」
「マリーさんが喋ったんですか?」
「口を割らなかったので、防犯カメラで確認しました。だいたい話したと思うのですが、質問はありますか?」
「ここにはどうやって入ったんですか?」
「大家さんに事情を説明しました。緊急事態で、連絡の取れないアルバイトの子がいると言いました」
「そんなにすんなり開けてくれたんですか?」
「はい。あまりに簡単すぎて防犯の部分が心配ではあります」
 ルカの笑顔を見れば、一発で落ちるだろう。だが見目について言われることを好まないルカのために、悠は何も言わなかった。
「今、マリーさんは?」
「SHIRAYUKIにいます。ですがある程度滞在したら出ていけと話を通してあります」
「仮にもお母さんのような方なんですから、そういう言い方は」
「勘違いしないように。悠を虐めたからではありません。多少はそれもありますが、母親のように振る舞われ、いつまでも子供扱いされてはこちらとしても良い気がしないのです。仕事にも悪影響です。マリーは子離れできないでいる。ですから、私から離れるよう言いました。他は?」
「えーと……捜し人は見つかったんですか?」
「はい。そちらは問題ありません」
「流石です」
「他は?」
「うーんと……」
 悠は迷っていた。一番大事な質問があるのに、それを口にできない。人生を左右すると言っても過言ではないほど、悠にとっては大きな壁だ。
「私は一番大事なことを、あなたから言われたいのです」
「僕は……SHIRAYUKIにいていい人間ですか?」
「SHIRAYUKIにいたいではなく、そのような聞き方ですか。悠、よく聞いて下さい。私がなぜ今回一緒に来てほしいと言わなかったか判りますか?」
「……霊救師として、未熟者だからです」
「未熟なのは私もです。それが理由ではありません。あなたは大学生です。勉学に励んでほしいのと、SHIRAYUKIをあなたに任せられると思ったからです」
「でも、アンティークについてほとんど知らないです」
「一年前に比べたらだいぶ上達しました。それは誇っていい」
「霊救師として未熟だから、置いていかれたのかと考えてました」
「何を言うかと思えば。あなたに何度助けられたでしょうか。数えていたらきりがない。マリーの言うことなど少しも耳を傾ける必要はありません」
 自分が正しいとする確固たる意思は、ときには人を泥沼から引き上げるもので、悠はちょうど今、地面に降り立った感覚だった。
「僕もマリーさんにキツく当たったところがあります。五階の部屋に泊まるなんて知らなくて、踏み込まれたみたいで勝手に嫌気が差して……情けないです」
「マリーには池袋で安いホテルを紹介しておきました。それと給料の件ですが、値段だけをみればあなたに多く渡しているように見えるのかもしれません。それはマリーが霊救師の仕事を知らないからです。彼女は霊感があるだけで、霊救師ではない。どれだけ危険で体力が消耗されるか、それにスリランカでの出来事のように、命が危ぶまれる可能性もある。安いものです」
「本当ですか?」
「ええ。地下でも使える盗聴器や圏外であっても使えるアプリなど、あなたの頭脳に足を向けて寝られません」
 嬉しい、ともう一度漏らすと、ようやくルカの肩の力は抜けた。
「話はこの辺りにして、夕食を購入してきましょう。食べられるものはありますか?」
「卵かけご飯」
「いいですね。冷蔵庫には卵があります。ご飯はレトルトと、あとは適当に食べられそうなおかずを購入します」
「ご飯なら冷蔵庫に入ってますよ」
「悠、それはご飯ではなく米と言います」
「炊飯器もあるし……まさか」
「炊飯器などという文明の利器は少々荷が重いのです」
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