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8-冬のひと騒動
046 足音
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二十時三十分を過ぎた頃、見回りをする警察官に目配せし、ふたりは宿舎に戻った。食堂の明かりがまだついていて、ヘイグ神父はルカにふたりに気づき、お辞儀をした。
『こんな寒いところで風邪をひきますよ』
『緊張しているのです。ホットワインを飲んで、落ち着こうと……。飲みますか?』
『先ほど食事を終えたばかりです。それに、もうすぐ二十一時を迎えます。施錠の時間です』
『それが……今回は施錠を行わないようなんです』
『それは今初めて聞きました』
『牧田神父からお達しです。このような事件が起こりましたので、施錠はせずに夜を過ごそうと。ですがいつものように二十一時には部屋にいるようにしてほしいと言われました』
『メリットもデメリットもありますね。鍵を掛けた場合、今宵に犯行が行われれば犯人は狭められる。掛けなければ外部の可能性も出てきますので、犯人探しが難航するでしょう』
『わ、私はどうしたら……』
『ヘイグ神父』
恐ろしく震えるヘイグ神父の肩に、ルカは手を添えた。
『大丈夫です。絶対にあなたも守ります』
『本当に大丈夫なんですか?』
『ええ、よろしくお願いしますね』
縋るような目を向けるヘイグ神父に、ルカは安心するよう口角を上げた。
一度部屋に戻ると、ルカは空気の入れ替えをするかのように窓を全開にした。悠は机にあるパソコンや機具などを片し、キャリーケースに詰めた。再び窓を閉め、ふたりはこっそりと部屋を後にした。
一時を回り、山では梟が鳴いている。地を走る鼠を見定め、下降して獲物を捕らえた。夜行性の生物たちが活発になる時間、宿舎の廊下ではぎしりと板が鳴った。闇の中をランプも付けず、男は手探りで音を立てずに進んでいく。
ドアノブをひとつ、ふたつと数えていき、男は三つ目のドアノブに手を翳すとほくそ笑んだ。合い鍵を差し込み、ゆったりと鍵を回すと木の軋む音が鳴った。
一歩、また一歩と部屋に入ると、両端のベッドに目をやる。ベッドには山が出来ていて、窓から差し込む月明かりを頼りに、男は左側のベッドに近づく。
「犯人扱いしやがって……許さねえ」
右手に持つ包丁が返照し、男は力の限り鋭い切っ先を振り下ろした。布の切れる音がしマットレスまで到達するが、肉の切れる生々しい音や臭いはしない。慌てて包丁を抜き布団を剥ぐと、丸められた毛布が横たわっていた。
男が顔を上げて辺りを見回すより先に、シャワールームと収納扉が一斉に開き、男を押し倒した。包丁は奪われ、真逆の方へ曲げられた手に鋭い痛みが神経を通る。
「おとなしくしろ」
薄暗い照明が付き、眩しさからか男は目を閉じる。観念したのか、暴れる体力ももはや残っていなかった。
SHIRAYUKIのドアが開き、ふたりは同時に振り返った。相変わらず小気味良い音で鳴るベルもアンティークもので、少々の値が張ると聞いたときは、悠は値段を聞かずじまいだった。
「悠、お茶の準備を」
「はい、店長」
簡易キッチンで悠が準備をしている間、ルカは奥の部屋へ案内した。
「元気とは言えませんね。あのときよりは顔色が戻ったように感じますが」
「マスコミに追われ、大変な日々を送っております」
「ニュースを拝見し、大まかには理解しています」
三人分の紅茶を差し出し、シュガーポットを真ん中に置いた。
「悠さんも、随分と怖い思いをさせてしまいました」
「皆無事だったんです。それで充分です」
「いつから、牧田神父と茅本シスターを疑ってたんですか?」
ブラウン神父は砂糖を足した紅茶を飲み、美味しいと呟いた。
「佐伯神父は五年前に失踪しました。ですので、五年以上滞在している方に絞られます。牧田神父はあの教会を仕切っている人物であり、すぐに目星を付けました」
「なるほど」
「いくらマスコミ対策としても口を割らず、暗黙の了解と言えど佐伯神父の失踪について漏らさない姿勢はおかしい。一人で完璧に証拠を隠し通せるとも思えませんので、共犯がいると考えました」
「なぜ、茅本シスターに疑いの目を向けたのですか?」
「鍵の掛けられた部屋では、私たちは出入りできません。窓からは簡単にできますが足跡が残ります。ならばシスターたちのいる宿舎に、もう一人の犯人がいると考えました。怪しいと思ったのは、管野シスターが亡くなった日、悠は解錠の音が聞こえなかったというのです。なのに、茅本シスターは自分が解錠したと仰り、牧田神父も解錠の音が聞こえたと同じ発言をしました」
「僕は寝ていて、自信が無かったんですけど」
ブラウン神父は膝を叩き、やられたとばかりに深く息を吐いた。
「ルカさんは神父やシスターより、寝起きで寝ぼけ眼状態の自信のない悠さんの言葉を信じたわけですね?」
「ええ、そうです。神父だろうが、私は神を信じておりません」
ブラウン神父は大いに笑い、慌てて十字架を切った。
「いやいや、人が亡くなっているのに笑うのは失礼な話だ」
「管野シスターが亡くなった日、鍵は二十一時に掛けられていなかった。スマホひとつで音を録音も出来ますし、何とでもなります。ずれることのない施錠の音が一分近く鳴らなかったのは、操作に戸惑っていた可能性もあります。鍵を掛けずに音だけを慣らしたのは、茅本シスターのアリバイを手に入れるため。音を鳴らしたのは牧田神父でしょう。そうすれば鍵当番の茅本シスターのアリバイを手に入れられます。その頃、茅本シスターは管野シスターの部屋へ行き殺害し、宿舎の裏手のビニールハウスに捨てた。女性宿舎で亡くなっていれば疑疑われますから。ちなみに安野シスターですが、耳も遠く力の弱い彼女は、いくら華奢な管野シスターでも殺害出来ないと判断し、候補に入れませんでした」
「私を候補に入れなかったのは?」
ルカは慮って、重くなった口を開いた。
「管野シスターのご遺体を見たとき、あなたはその場で嘔吐し、倒れた。とても演技には見えませんでした。私が牧田神父が犯人だと暫定し、部屋で寝ているふりをするための小細工も、あなたは手伝ってくれた。窓を開けて警察官が入るための収納扉の中も、綺麗に片付けてくれました。仲間が疑われ、怒ったような口調も、嘘に感じられなかったからです。本気で管野シスターの無念を晴らそうとしていました。分からないのは、なぜ彼らが人を殺めてしまったかです。動機は未だに知り得ません」
「黙秘のままですが、もしかしたらという仮定は出来ます。教会の食事を実際に召し上がり、いかがでしたか?」
悠は考えあぐね、視線を逸らすと満足そうに頷いた。
「悠さんの顔に答えが出ています。美味しくなかったでしょう?こんな田舎では献金も少なく、食べていくにはやっとなんです。大昔ですが、一人の神父が餓死で亡くなったとき、献金がとても集まったと文献が残っています。実際に佐伯神父が失踪したときも頂く献金が増え、潤ったのも事実なんです。遠くから信者の方もやってきてくれました。ただ、管野シスターが狙われた理由は、牧田神父を疑ったせいかもしれません」
「それは初めて聞く事実です」
「今思えば、です。何かと牧田神父と衝突する節があり、そのたびに茅本シスターが止めに入っていました。牧田神父が捕まれば、茅本シスターも捕まります。それを恐れたのかもしれません」
「なぜ、茅本シスターは僕たちを呼んだのでしょうか」
「失礼ですが部外者であるあなた方がいることにより捜査の攪乱と、事実……その、献金が集まりました」
ブラウン神父は言い辛そうに、ルカを一瞥した。見目の良いルカがいることにより、噂で駆けつけた人々はいつも以上に席が埋まったと言いたいのだ。客寄せパンダに使われたルカは、沈黙を破らず紅茶を飲んでいる。同情により増えた献金は、人のために使いたいとブラウン神父は漏らした。
「今はヘイグ神父と安野シスターでミサを行っています。私は東京で一泊し、帰りたいと思います」
最後に紙袋をふたりに渡し、ブラウン神父は一揖してエレベーターに乗った。
「人の心理をついた、恐ろしい事件でした」
「神などいないと証明されましたね。神隠しなどない。佐伯神父も、森で発見されました。けれど救われる人がいるのなら、信仰は無駄なものではないと思います。悠、お茶のお代わりと、こちらを頂きましょう」
「おやきですね。そのまま食べられるみたいですが、フライパンで少し焼いた方が美味しいかと思います。高菜が入っているのはあの地方の名物なんです」
「甘くはないのですか?」
「デザートより食事に近いです」
「……こちらは後日頂くとしましょう」
「甘い物が良いんですね。冷凍庫にカステラがあったはずです」
ザラメの利いたカステラはふたりの好物であり、冷やして食べるのを好む。暖かい紅茶も入れ直そうと、悠は立ち上がった。
『こんな寒いところで風邪をひきますよ』
『緊張しているのです。ホットワインを飲んで、落ち着こうと……。飲みますか?』
『先ほど食事を終えたばかりです。それに、もうすぐ二十一時を迎えます。施錠の時間です』
『それが……今回は施錠を行わないようなんです』
『それは今初めて聞きました』
『牧田神父からお達しです。このような事件が起こりましたので、施錠はせずに夜を過ごそうと。ですがいつものように二十一時には部屋にいるようにしてほしいと言われました』
『メリットもデメリットもありますね。鍵を掛けた場合、今宵に犯行が行われれば犯人は狭められる。掛けなければ外部の可能性も出てきますので、犯人探しが難航するでしょう』
『わ、私はどうしたら……』
『ヘイグ神父』
恐ろしく震えるヘイグ神父の肩に、ルカは手を添えた。
『大丈夫です。絶対にあなたも守ります』
『本当に大丈夫なんですか?』
『ええ、よろしくお願いしますね』
縋るような目を向けるヘイグ神父に、ルカは安心するよう口角を上げた。
一度部屋に戻ると、ルカは空気の入れ替えをするかのように窓を全開にした。悠は机にあるパソコンや機具などを片し、キャリーケースに詰めた。再び窓を閉め、ふたりはこっそりと部屋を後にした。
一時を回り、山では梟が鳴いている。地を走る鼠を見定め、下降して獲物を捕らえた。夜行性の生物たちが活発になる時間、宿舎の廊下ではぎしりと板が鳴った。闇の中をランプも付けず、男は手探りで音を立てずに進んでいく。
ドアノブをひとつ、ふたつと数えていき、男は三つ目のドアノブに手を翳すとほくそ笑んだ。合い鍵を差し込み、ゆったりと鍵を回すと木の軋む音が鳴った。
一歩、また一歩と部屋に入ると、両端のベッドに目をやる。ベッドには山が出来ていて、窓から差し込む月明かりを頼りに、男は左側のベッドに近づく。
「犯人扱いしやがって……許さねえ」
右手に持つ包丁が返照し、男は力の限り鋭い切っ先を振り下ろした。布の切れる音がしマットレスまで到達するが、肉の切れる生々しい音や臭いはしない。慌てて包丁を抜き布団を剥ぐと、丸められた毛布が横たわっていた。
男が顔を上げて辺りを見回すより先に、シャワールームと収納扉が一斉に開き、男を押し倒した。包丁は奪われ、真逆の方へ曲げられた手に鋭い痛みが神経を通る。
「おとなしくしろ」
薄暗い照明が付き、眩しさからか男は目を閉じる。観念したのか、暴れる体力ももはや残っていなかった。
SHIRAYUKIのドアが開き、ふたりは同時に振り返った。相変わらず小気味良い音で鳴るベルもアンティークもので、少々の値が張ると聞いたときは、悠は値段を聞かずじまいだった。
「悠、お茶の準備を」
「はい、店長」
簡易キッチンで悠が準備をしている間、ルカは奥の部屋へ案内した。
「元気とは言えませんね。あのときよりは顔色が戻ったように感じますが」
「マスコミに追われ、大変な日々を送っております」
「ニュースを拝見し、大まかには理解しています」
三人分の紅茶を差し出し、シュガーポットを真ん中に置いた。
「悠さんも、随分と怖い思いをさせてしまいました」
「皆無事だったんです。それで充分です」
「いつから、牧田神父と茅本シスターを疑ってたんですか?」
ブラウン神父は砂糖を足した紅茶を飲み、美味しいと呟いた。
「佐伯神父は五年前に失踪しました。ですので、五年以上滞在している方に絞られます。牧田神父はあの教会を仕切っている人物であり、すぐに目星を付けました」
「なるほど」
「いくらマスコミ対策としても口を割らず、暗黙の了解と言えど佐伯神父の失踪について漏らさない姿勢はおかしい。一人で完璧に証拠を隠し通せるとも思えませんので、共犯がいると考えました」
「なぜ、茅本シスターに疑いの目を向けたのですか?」
「鍵の掛けられた部屋では、私たちは出入りできません。窓からは簡単にできますが足跡が残ります。ならばシスターたちのいる宿舎に、もう一人の犯人がいると考えました。怪しいと思ったのは、管野シスターが亡くなった日、悠は解錠の音が聞こえなかったというのです。なのに、茅本シスターは自分が解錠したと仰り、牧田神父も解錠の音が聞こえたと同じ発言をしました」
「僕は寝ていて、自信が無かったんですけど」
ブラウン神父は膝を叩き、やられたとばかりに深く息を吐いた。
「ルカさんは神父やシスターより、寝起きで寝ぼけ眼状態の自信のない悠さんの言葉を信じたわけですね?」
「ええ、そうです。神父だろうが、私は神を信じておりません」
ブラウン神父は大いに笑い、慌てて十字架を切った。
「いやいや、人が亡くなっているのに笑うのは失礼な話だ」
「管野シスターが亡くなった日、鍵は二十一時に掛けられていなかった。スマホひとつで音を録音も出来ますし、何とでもなります。ずれることのない施錠の音が一分近く鳴らなかったのは、操作に戸惑っていた可能性もあります。鍵を掛けずに音だけを慣らしたのは、茅本シスターのアリバイを手に入れるため。音を鳴らしたのは牧田神父でしょう。そうすれば鍵当番の茅本シスターのアリバイを手に入れられます。その頃、茅本シスターは管野シスターの部屋へ行き殺害し、宿舎の裏手のビニールハウスに捨てた。女性宿舎で亡くなっていれば疑疑われますから。ちなみに安野シスターですが、耳も遠く力の弱い彼女は、いくら華奢な管野シスターでも殺害出来ないと判断し、候補に入れませんでした」
「私を候補に入れなかったのは?」
ルカは慮って、重くなった口を開いた。
「管野シスターのご遺体を見たとき、あなたはその場で嘔吐し、倒れた。とても演技には見えませんでした。私が牧田神父が犯人だと暫定し、部屋で寝ているふりをするための小細工も、あなたは手伝ってくれた。窓を開けて警察官が入るための収納扉の中も、綺麗に片付けてくれました。仲間が疑われ、怒ったような口調も、嘘に感じられなかったからです。本気で管野シスターの無念を晴らそうとしていました。分からないのは、なぜ彼らが人を殺めてしまったかです。動機は未だに知り得ません」
「黙秘のままですが、もしかしたらという仮定は出来ます。教会の食事を実際に召し上がり、いかがでしたか?」
悠は考えあぐね、視線を逸らすと満足そうに頷いた。
「悠さんの顔に答えが出ています。美味しくなかったでしょう?こんな田舎では献金も少なく、食べていくにはやっとなんです。大昔ですが、一人の神父が餓死で亡くなったとき、献金がとても集まったと文献が残っています。実際に佐伯神父が失踪したときも頂く献金が増え、潤ったのも事実なんです。遠くから信者の方もやってきてくれました。ただ、管野シスターが狙われた理由は、牧田神父を疑ったせいかもしれません」
「それは初めて聞く事実です」
「今思えば、です。何かと牧田神父と衝突する節があり、そのたびに茅本シスターが止めに入っていました。牧田神父が捕まれば、茅本シスターも捕まります。それを恐れたのかもしれません」
「なぜ、茅本シスターは僕たちを呼んだのでしょうか」
「失礼ですが部外者であるあなた方がいることにより捜査の攪乱と、事実……その、献金が集まりました」
ブラウン神父は言い辛そうに、ルカを一瞥した。見目の良いルカがいることにより、噂で駆けつけた人々はいつも以上に席が埋まったと言いたいのだ。客寄せパンダに使われたルカは、沈黙を破らず紅茶を飲んでいる。同情により増えた献金は、人のために使いたいとブラウン神父は漏らした。
「今はヘイグ神父と安野シスターでミサを行っています。私は東京で一泊し、帰りたいと思います」
最後に紙袋をふたりに渡し、ブラウン神父は一揖してエレベーターに乗った。
「人の心理をついた、恐ろしい事件でした」
「神などいないと証明されましたね。神隠しなどない。佐伯神父も、森で発見されました。けれど救われる人がいるのなら、信仰は無駄なものではないと思います。悠、お茶のお代わりと、こちらを頂きましょう」
「おやきですね。そのまま食べられるみたいですが、フライパンで少し焼いた方が美味しいかと思います。高菜が入っているのはあの地方の名物なんです」
「甘くはないのですか?」
「デザートより食事に近いです」
「……こちらは後日頂くとしましょう」
「甘い物が良いんですね。冷凍庫にカステラがあったはずです」
ザラメの利いたカステラはふたりの好物であり、冷やして食べるのを好む。暖かい紅茶も入れ直そうと、悠は立ち上がった。
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