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5-ルカの過去
028 ただいま
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紙袋を抱えた悠は古いビルのエレベーターに乗り込み、三階のボタンを押した。ワンピース姿の女の子が現れ、悠は挨拶をするが相変わらず素っ気ない。
ドアのプレートがclosedになっている。ドアノブに手を伸ばすと、鍵は開いていた。
「ルカさん?プレートがclosedになってますよ?」
「中にお入り下さい。それと鍵は閉めるように」
2週間ぶりだというのに、ルカの態度はいつもと変わらない。
「臨時休業ですか?」
「ええ、悠が帰ってきたので」
ルカの口元は笑っている。いつもと変わらないと思っていたのは悠だけで、ただの勘違いだった。
しばらく見つめ合った後、悠は慌てて紙袋ごとルカに手渡した。
「これ、お土産です」
「ありがとうございます。感謝します。開けてもよろしいですか?」
「はい、喜んでもらえるか分かんないですけど」
「日本人は消極的ですね」
手にしたクッキーと紅茶を見て、ルカは珍しく目を見開いている。そしてお茶にしましょうと、さっそく紅茶を入れた。
「さすがイギリスです。風味が素晴らしい」
「カフェもすごく多かったです。学生寮でも紅茶が出たりして」
「食事はいかがでしたか?」
「フィッシュ&チップスが多かったかな?米が恋しくなりました」
「本日のご予定は?」
「特にないです」
「ならば今夜は和食でも食べに行きましょう」
「やった!」
悠は留学先で友人ができた話をした。インド人であり、いずれ日本に遊びに来ること、少しだが日本語を覚えたことを説明した。
「友人が増えるのは大変喜ばしいことです。良かったですね」
「ルカさんにも会いたいと言ってました」
「それは私もぜひお会いしたいです。それで、バズビーズ・チェアについてはいかがでしたか?」
「それが……あれだけ呪われた椅子だと世間では騒がれているのに、特に何も感じなかったんです。トーマス・バズビーの声も聞こえなくて、普通の椅子みたいでした」
「私も全ての声を聞くことはできません。あくまで、可視世界にいる霊のみです。すでに成仏しているか、椅子自体が偽物か」
「バズビーの呪いも、信じるかどうかはあなた次第だと言われました」
結局、本物かどうかも判らないままだ。
「ルカさんは?ロバートさんには会えましたか?」
「そちらは時間が解決してくれるでしょう」
「またただ働きをさせてしまいましたね」
「お土産を頂きましたので問題ございませんよ」
ルカは2杯目の紅茶の入れ、今度はマヌカハニーを入れゆっくりと味わった。
イギリスと日本の8月はまるで違った。イギリスは秋の兆候が見られるが、日本は真夏真っ只中だ。35度を超える気温により悠の身体を蝕んでいく。エアコンを付け、冷やした緑茶を飲みながら残りのレポートに明け暮れていた。
──こちらから連絡があるまではアルバイトはお休みです。悠、見知らぬ人が見えても家から出ないように。給料は振り込みますのでご安心下さい。
そんな連絡が入ったのは数日前になる。緊急の仕事であれば仕方ないが、“家から出ないように”には納得がいかない。ルカに折り返すが、連絡はつかなかった。嫌な汗が背中を流れる。暑さだけのせいではない。
インターホンが鳴り、悠は反射的に反応をした。昨日も来たが新聞屋かもしれない。カメラをチェックすると、思惑外れな人物が立っていた。
「あの」
『私を覚えていますね?景森悠さん』
「はい、白雪さん…お久しぶりです」
『私が怖いのならば、玄関越しで結構。話を聞いて下さい』
玄関に立っているのはアンティークショップ・SHIRAYUKIの経営者である、白雪総次郎だ。彼と会うのは二度目だが、悠は前にパニック障害のような発作を起こしていた。無意識のうちに顔が強ばる。
『前回、私は弟子に散々叱られました。火山が噴火したように、烈火のごとく罵声を私に撒き散らしました。その恐ろしさと言ったら…。大変申し訳ございません』
ドア一枚隔たりがあるのにも関わらず、総次郎は深々と頭を下げた。
『どうか、許して頂きたい』
「いや、そんな……あなたに叱られて当然のことをしました。こちらこそごめんなさい」
『では、お互い許し合うということでよろしいでしょうか?』
「も、もちろんです」
『ふー……』
安堵のため息が聞こえてくる。総次郎の頬に、汗が流れ落ちた。
「それで…何かご用でしたか?」
『私はブラジルから戻って参りました。暑いイメージがありますが、8月は断然日本が暑い。なんですか、35度超えとは』
「中、入ります?」
『有り難いお言葉。ですがゆっくりしている暇はあまりありません。悠、すぐに出る準備をしなさい』
「準備?なぜ?」
『単刀直入に申し上げましょう。あなたに危険が迫っている。いや、危険というのは言い過ぎです。良からぬことが待ち受けている』
「どっちも同じ意味じゃ」
『学校の宿題と着替えを持ち、出かける準備をしなさい。足りないものはこちらで揃えます』
「話が見えないんですが……」
『あなたの愛しの店長よりご命令です』
「分かりました」
ボストンバックに適当に衣服を詰め、細かく持てるものを持った。財布、携帯、念のためパスポートも所持し、玄関を開けると汗だくになっている総次郎と目が合った。
「恐怖に脅える必要はない。仲良くしましょう。弟子から聞いていると思いますが、私はガタいが良いので相手に与える印象が悪い。しかしながら、実際はよく喋る陽気な日本人です」
「はい……大丈夫です」
「では参りましょうか」
「すみません、玄関先で立たせてしまって。暑かったですよね」
「……あなたはご自分の心配をしなさい」
「白雪さんはいつ戻ってきたのですが?」
「今朝です。それと総次郎と呼んで下さい」
「総次郎さんですね」
車の中は息苦しいほど熱気で空気が煮えていた。総次郎はすぐに冷房をつけ、車を発進させる。
「車の運転できたんですね」
「霊と人間の区別はつきますから。安全運転を心掛けます」
「ルカさんは、大丈夫なんですか?」
一番気掛かりなのはルカだ。今朝にメッセージが来て以来、一度も連絡が取れていない。
「元はと言えば、こうなってしまった原因はルカにあります。あの子は悠に素性を隠し、ロケットペンダントを渡したのが原因です」
「ペンダント……?」
「あなたがいつも身につけているものです」
胸元にはルカがくれたネックレスが揺れている。普段は人目につかないように、服の中にしまっている。
「総次郎さんは、ルカさんのことをどこまで知っているんですか?」
「あなたはルカの本名を知っていますか?」
「ルカさんには忘れなさいって言われました。ルカ・チェスティ・ド・キュスティーヌって」
「結構。そしてあなたはルカから授かったペンダントを持っている。それがある限り、あなたは危害を加えられないはずです。ですが危険があるのは事実。何かあったら、そのペンダントを出しなさい」
「ルカさんに会いたい」
「今は会えません。あの子は故郷に渡りました」
「フランスに?」
ルカはフランスにいた頃、良い想い出が少ないと話していた。なぜ今になり戻ろうとしたのか、悠は不安に顔を歪める。
「着きましたよ」
車が止まった場所は、都心の一等地だった。程々に緑もあり、アスファルトではあるが太陽の熱が緑により遮られていて多少の涼しさを感じる。
「この家は?」
「私の家です。さあどうぞ」
総次郎の家は一軒家で、玄関には男性ものの靴が数足置いてある。リビングに通されると、悠は思わず声を上げた。
「すごい……」
「私が集めたアンティークです。売り物ではなく、趣味です。あの子にもまだ見せたことがないのですよ」
天秤や振り子時計、アンティークドールと数多くの骨董品が棚に並べられていた。まるでSHIRAYUKIに来たかのようで、悠は歓声を上げずにはいられなかった。
総次郎は冷たい麦茶と羊羹で振る舞い、ソファーに腰掛ける。
「なんとなく察しはついているかと思いますが、あなたは今日からここで暮らして頂きます。なぜかというと、あなたは少しややこしい人たちに目をつけられている。ここならば私もいるのであなたを守れます。家賃等は当然発生しませんが、あなたは料理を作れますか?」
「簡単なものであれば」
「結構です。では料理はあなたが担当で。ブラジルから帰ったばかりなので、夕食は和食を所望します」
「分かりました」
「では質問を受け付けます」
質問がありすぎて、悠はまずはどれから手をつけていいのか唸った。
「す、好きな食べ物はなんですか?」
「おや、初めの質問がそれですか。鯖のみそ煮は好物の一つです。残念ながら冷蔵庫には鯖が入っていないので、今度買って参ります。次」
「まだ夏休み中ですが、僕は学校に行ってもいいんですか?」
「問題ありません。送り迎えは私か、タクシーを使わせます。次」
「なぜ、ややこしい人たちは僕を狙うのですか?」
「ルカと関わったからです。あの子の家は特殊だ。それは私が話して良い内容ではありません。あの子から直にお聞きなさい」
「その言い方だとまたルカさんに会えるんですね?日本に戻ってくるんですね?」
「返答に困惑する質問です。それはルカの気持ち次第でしょう。1年後かもしれない。50年後かもしれない」
「そんなの、嫌だ」
「あなたが嫌がっても、ルカが私に託した意味がなくなる。死ぬ気で守ってほしいと、またブラジルから呼び出されたのですよ」
「きっかけはなんだったんですか?3月にルカさんと出会い、どうして今さら……」
「最近、あなたは人生に関わる大きなイベントをこなしましたね?」
悠は首を捻るが、すぐに短期留学だと思いついた。
「イギリスに行きました」
「単刀直入に申しましょう。あなたの写真がSNSで出回っています」
「写真…どういうことですか?」
風景は何度か撮ったが、自分の写真は撮っていない。写ったところで霊も写る可能性があるからだ。仲間には写真に写るのが苦手だと適当な嘘を言い、すべて断ったはずだ。
「正式には、あなたは自分の意思で撮ったわけではない。写ってしまったのです。それを他の生徒がネットに上げてしまった。削除するよう申請を出し、受理されましたが、すでに回った後だったのです。それをややこしい方々の目にたまたま留まってしまった」
総次郎はスマホの画面を見せた。ロビーで談笑している写真だ。ロケットペンダントが胸元から出ている。
「覚えてます……写ってしまうおそれがあると思い、このあと場所を移動したんです。ロビーで撮影してる人たちがいたから」
「あなたが写ったのが問題ではなく、そのロケットペンダントが写り込んだのが話を大きくさせているのです。あなたは普段、そのペンダントを出していますか?」
「ルカさんには身につけてほしいと言われました。大事なものらしいので、僕は晒したことはないです。いつも服の中に忍ばせて…でもこのとき、ボタンの多い服を着ていて、そこから出てしまったんです。すぐに中に入れましたが…まさかこんな……」
「ペンダントを外に出そうと中にしまおうと、メリットもデメリットもある。今回は偶然にデメリットに当たってしまったのです。あなたのせいではない」
「こ、このペンダント…一体なんですか?僕が持ってちゃダメなんですか?」
「それはルカに聞きなさい。次」
「ちょっと待って下さい」
情報量が多すぎて頭がパンクしそうだった。とりあえず休憩だと、悠は羊羹に手をつける。しつこい甘さではなく、中に細かな栗が入っていた。
「どうしてルカさんはフランスに戻ったのですか?」
「ややこしい人たちが騒ぎ出したからでしょう。次」
「ルカさんって……有名人?」
「あなたが無知なだけです」
悠は美術大学でのことを思い出していた。
「そういえば…前にフランスに行ったことがある人と知り合いになったんです。そのときルカさんを見て、あなたの顔を見た気がするって……」
「そのとき弟子は?」
「日本人からすればヨーロッパ人もアメリカ人もみな同じに見えるでしょうって」
「苦し紛れの言い訳だ。まあそれしか誤魔化しようがないでしょうな」
総次郎は大きく笑い、羊羹を頬張った。
「私には一つ理解出来ることがある。それは、ルカがあなたをとても大切に思っていること。だからあなたは期待を裏切らず、黙って守られていなさい」
「それを僕が受け入れると思いますか?」
「強情な面もあるようですね。私に頼んだのはあなたを牽制する意味も込められていたようだ」
呆れた口調たが、総次郎は想定内だと口にした。
「パスポートは鞄にあります」
「少し頭を冷やしなさい」
「思っている以上に、僕は冷静です」
「そのようだ。ですがフランスには行かせませんよ。フランスは今大騒ぎです。あなたは顔が割れている可能性もある」
「それでも行きます」
「闇雲に行ったって会えません。想像はできますがルカの居場所を私は知らない」
「想像でもいいので教えて下さい」
総次郎は最後の一口を嚥下し、よく冷えた緑茶を飲んだ。グラスには水滴がついていて、手のひらをひんやりと冷やしていく。
「あなたは夏休みはいつまでですか?」
「9月までです。補習もありません」
「頭脳も優秀ですね。まず、残り少ない8月をここで過ごしなさい」
「その言い方だと、フランスに行くのを止めないと言っているようなものですが」
「残念ながら、あなたを守れと言われましたが居場所を教えるなとは言われていません。守れと言われただけです」
「最初から教えてくれるつもりだったんですか?」
「私もついて行けば問題はないでしょう。それにあの弟子にはとても困っています。師匠である私をこき使い、自分の言うことは絶対だという節がある。8月中は、レポートや宿題をすべて終わらせなさい。それといつも通り店も手伝って頂きます」
総次郎の目は柔らかく、まるで子供を見守る父のように愛情に満ち溢れていた。
「愛の力は偉大ですね」
ドアのプレートがclosedになっている。ドアノブに手を伸ばすと、鍵は開いていた。
「ルカさん?プレートがclosedになってますよ?」
「中にお入り下さい。それと鍵は閉めるように」
2週間ぶりだというのに、ルカの態度はいつもと変わらない。
「臨時休業ですか?」
「ええ、悠が帰ってきたので」
ルカの口元は笑っている。いつもと変わらないと思っていたのは悠だけで、ただの勘違いだった。
しばらく見つめ合った後、悠は慌てて紙袋ごとルカに手渡した。
「これ、お土産です」
「ありがとうございます。感謝します。開けてもよろしいですか?」
「はい、喜んでもらえるか分かんないですけど」
「日本人は消極的ですね」
手にしたクッキーと紅茶を見て、ルカは珍しく目を見開いている。そしてお茶にしましょうと、さっそく紅茶を入れた。
「さすがイギリスです。風味が素晴らしい」
「カフェもすごく多かったです。学生寮でも紅茶が出たりして」
「食事はいかがでしたか?」
「フィッシュ&チップスが多かったかな?米が恋しくなりました」
「本日のご予定は?」
「特にないです」
「ならば今夜は和食でも食べに行きましょう」
「やった!」
悠は留学先で友人ができた話をした。インド人であり、いずれ日本に遊びに来ること、少しだが日本語を覚えたことを説明した。
「友人が増えるのは大変喜ばしいことです。良かったですね」
「ルカさんにも会いたいと言ってました」
「それは私もぜひお会いしたいです。それで、バズビーズ・チェアについてはいかがでしたか?」
「それが……あれだけ呪われた椅子だと世間では騒がれているのに、特に何も感じなかったんです。トーマス・バズビーの声も聞こえなくて、普通の椅子みたいでした」
「私も全ての声を聞くことはできません。あくまで、可視世界にいる霊のみです。すでに成仏しているか、椅子自体が偽物か」
「バズビーの呪いも、信じるかどうかはあなた次第だと言われました」
結局、本物かどうかも判らないままだ。
「ルカさんは?ロバートさんには会えましたか?」
「そちらは時間が解決してくれるでしょう」
「またただ働きをさせてしまいましたね」
「お土産を頂きましたので問題ございませんよ」
ルカは2杯目の紅茶の入れ、今度はマヌカハニーを入れゆっくりと味わった。
イギリスと日本の8月はまるで違った。イギリスは秋の兆候が見られるが、日本は真夏真っ只中だ。35度を超える気温により悠の身体を蝕んでいく。エアコンを付け、冷やした緑茶を飲みながら残りのレポートに明け暮れていた。
──こちらから連絡があるまではアルバイトはお休みです。悠、見知らぬ人が見えても家から出ないように。給料は振り込みますのでご安心下さい。
そんな連絡が入ったのは数日前になる。緊急の仕事であれば仕方ないが、“家から出ないように”には納得がいかない。ルカに折り返すが、連絡はつかなかった。嫌な汗が背中を流れる。暑さだけのせいではない。
インターホンが鳴り、悠は反射的に反応をした。昨日も来たが新聞屋かもしれない。カメラをチェックすると、思惑外れな人物が立っていた。
「あの」
『私を覚えていますね?景森悠さん』
「はい、白雪さん…お久しぶりです」
『私が怖いのならば、玄関越しで結構。話を聞いて下さい』
玄関に立っているのはアンティークショップ・SHIRAYUKIの経営者である、白雪総次郎だ。彼と会うのは二度目だが、悠は前にパニック障害のような発作を起こしていた。無意識のうちに顔が強ばる。
『前回、私は弟子に散々叱られました。火山が噴火したように、烈火のごとく罵声を私に撒き散らしました。その恐ろしさと言ったら…。大変申し訳ございません』
ドア一枚隔たりがあるのにも関わらず、総次郎は深々と頭を下げた。
『どうか、許して頂きたい』
「いや、そんな……あなたに叱られて当然のことをしました。こちらこそごめんなさい」
『では、お互い許し合うということでよろしいでしょうか?』
「も、もちろんです」
『ふー……』
安堵のため息が聞こえてくる。総次郎の頬に、汗が流れ落ちた。
「それで…何かご用でしたか?」
『私はブラジルから戻って参りました。暑いイメージがありますが、8月は断然日本が暑い。なんですか、35度超えとは』
「中、入ります?」
『有り難いお言葉。ですがゆっくりしている暇はあまりありません。悠、すぐに出る準備をしなさい』
「準備?なぜ?」
『単刀直入に申し上げましょう。あなたに危険が迫っている。いや、危険というのは言い過ぎです。良からぬことが待ち受けている』
「どっちも同じ意味じゃ」
『学校の宿題と着替えを持ち、出かける準備をしなさい。足りないものはこちらで揃えます』
「話が見えないんですが……」
『あなたの愛しの店長よりご命令です』
「分かりました」
ボストンバックに適当に衣服を詰め、細かく持てるものを持った。財布、携帯、念のためパスポートも所持し、玄関を開けると汗だくになっている総次郎と目が合った。
「恐怖に脅える必要はない。仲良くしましょう。弟子から聞いていると思いますが、私はガタいが良いので相手に与える印象が悪い。しかしながら、実際はよく喋る陽気な日本人です」
「はい……大丈夫です」
「では参りましょうか」
「すみません、玄関先で立たせてしまって。暑かったですよね」
「……あなたはご自分の心配をしなさい」
「白雪さんはいつ戻ってきたのですが?」
「今朝です。それと総次郎と呼んで下さい」
「総次郎さんですね」
車の中は息苦しいほど熱気で空気が煮えていた。総次郎はすぐに冷房をつけ、車を発進させる。
「車の運転できたんですね」
「霊と人間の区別はつきますから。安全運転を心掛けます」
「ルカさんは、大丈夫なんですか?」
一番気掛かりなのはルカだ。今朝にメッセージが来て以来、一度も連絡が取れていない。
「元はと言えば、こうなってしまった原因はルカにあります。あの子は悠に素性を隠し、ロケットペンダントを渡したのが原因です」
「ペンダント……?」
「あなたがいつも身につけているものです」
胸元にはルカがくれたネックレスが揺れている。普段は人目につかないように、服の中にしまっている。
「総次郎さんは、ルカさんのことをどこまで知っているんですか?」
「あなたはルカの本名を知っていますか?」
「ルカさんには忘れなさいって言われました。ルカ・チェスティ・ド・キュスティーヌって」
「結構。そしてあなたはルカから授かったペンダントを持っている。それがある限り、あなたは危害を加えられないはずです。ですが危険があるのは事実。何かあったら、そのペンダントを出しなさい」
「ルカさんに会いたい」
「今は会えません。あの子は故郷に渡りました」
「フランスに?」
ルカはフランスにいた頃、良い想い出が少ないと話していた。なぜ今になり戻ろうとしたのか、悠は不安に顔を歪める。
「着きましたよ」
車が止まった場所は、都心の一等地だった。程々に緑もあり、アスファルトではあるが太陽の熱が緑により遮られていて多少の涼しさを感じる。
「この家は?」
「私の家です。さあどうぞ」
総次郎の家は一軒家で、玄関には男性ものの靴が数足置いてある。リビングに通されると、悠は思わず声を上げた。
「すごい……」
「私が集めたアンティークです。売り物ではなく、趣味です。あの子にもまだ見せたことがないのですよ」
天秤や振り子時計、アンティークドールと数多くの骨董品が棚に並べられていた。まるでSHIRAYUKIに来たかのようで、悠は歓声を上げずにはいられなかった。
総次郎は冷たい麦茶と羊羹で振る舞い、ソファーに腰掛ける。
「なんとなく察しはついているかと思いますが、あなたは今日からここで暮らして頂きます。なぜかというと、あなたは少しややこしい人たちに目をつけられている。ここならば私もいるのであなたを守れます。家賃等は当然発生しませんが、あなたは料理を作れますか?」
「簡単なものであれば」
「結構です。では料理はあなたが担当で。ブラジルから帰ったばかりなので、夕食は和食を所望します」
「分かりました」
「では質問を受け付けます」
質問がありすぎて、悠はまずはどれから手をつけていいのか唸った。
「す、好きな食べ物はなんですか?」
「おや、初めの質問がそれですか。鯖のみそ煮は好物の一つです。残念ながら冷蔵庫には鯖が入っていないので、今度買って参ります。次」
「まだ夏休み中ですが、僕は学校に行ってもいいんですか?」
「問題ありません。送り迎えは私か、タクシーを使わせます。次」
「なぜ、ややこしい人たちは僕を狙うのですか?」
「ルカと関わったからです。あの子の家は特殊だ。それは私が話して良い内容ではありません。あの子から直にお聞きなさい」
「その言い方だとまたルカさんに会えるんですね?日本に戻ってくるんですね?」
「返答に困惑する質問です。それはルカの気持ち次第でしょう。1年後かもしれない。50年後かもしれない」
「そんなの、嫌だ」
「あなたが嫌がっても、ルカが私に託した意味がなくなる。死ぬ気で守ってほしいと、またブラジルから呼び出されたのですよ」
「きっかけはなんだったんですか?3月にルカさんと出会い、どうして今さら……」
「最近、あなたは人生に関わる大きなイベントをこなしましたね?」
悠は首を捻るが、すぐに短期留学だと思いついた。
「イギリスに行きました」
「単刀直入に申しましょう。あなたの写真がSNSで出回っています」
「写真…どういうことですか?」
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「正式には、あなたは自分の意思で撮ったわけではない。写ってしまったのです。それを他の生徒がネットに上げてしまった。削除するよう申請を出し、受理されましたが、すでに回った後だったのです。それをややこしい方々の目にたまたま留まってしまった」
総次郎はスマホの画面を見せた。ロビーで談笑している写真だ。ロケットペンダントが胸元から出ている。
「覚えてます……写ってしまうおそれがあると思い、このあと場所を移動したんです。ロビーで撮影してる人たちがいたから」
「あなたが写ったのが問題ではなく、そのロケットペンダントが写り込んだのが話を大きくさせているのです。あなたは普段、そのペンダントを出していますか?」
「ルカさんには身につけてほしいと言われました。大事なものらしいので、僕は晒したことはないです。いつも服の中に忍ばせて…でもこのとき、ボタンの多い服を着ていて、そこから出てしまったんです。すぐに中に入れましたが…まさかこんな……」
「ペンダントを外に出そうと中にしまおうと、メリットもデメリットもある。今回は偶然にデメリットに当たってしまったのです。あなたのせいではない」
「こ、このペンダント…一体なんですか?僕が持ってちゃダメなんですか?」
「それはルカに聞きなさい。次」
「ちょっと待って下さい」
情報量が多すぎて頭がパンクしそうだった。とりあえず休憩だと、悠は羊羹に手をつける。しつこい甘さではなく、中に細かな栗が入っていた。
「どうしてルカさんはフランスに戻ったのですか?」
「ややこしい人たちが騒ぎ出したからでしょう。次」
「ルカさんって……有名人?」
「あなたが無知なだけです」
悠は美術大学でのことを思い出していた。
「そういえば…前にフランスに行ったことがある人と知り合いになったんです。そのときルカさんを見て、あなたの顔を見た気がするって……」
「そのとき弟子は?」
「日本人からすればヨーロッパ人もアメリカ人もみな同じに見えるでしょうって」
「苦し紛れの言い訳だ。まあそれしか誤魔化しようがないでしょうな」
総次郎は大きく笑い、羊羹を頬張った。
「私には一つ理解出来ることがある。それは、ルカがあなたをとても大切に思っていること。だからあなたは期待を裏切らず、黙って守られていなさい」
「それを僕が受け入れると思いますか?」
「強情な面もあるようですね。私に頼んだのはあなたを牽制する意味も込められていたようだ」
呆れた口調たが、総次郎は想定内だと口にした。
「パスポートは鞄にあります」
「少し頭を冷やしなさい」
「思っている以上に、僕は冷静です」
「そのようだ。ですがフランスには行かせませんよ。フランスは今大騒ぎです。あなたは顔が割れている可能性もある」
「それでも行きます」
「闇雲に行ったって会えません。想像はできますがルカの居場所を私は知らない」
「想像でもいいので教えて下さい」
総次郎は最後の一口を嚥下し、よく冷えた緑茶を飲んだ。グラスには水滴がついていて、手のひらをひんやりと冷やしていく。
「あなたは夏休みはいつまでですか?」
「9月までです。補習もありません」
「頭脳も優秀ですね。まず、残り少ない8月をここで過ごしなさい」
「その言い方だと、フランスに行くのを止めないと言っているようなものですが」
「残念ながら、あなたを守れと言われましたが居場所を教えるなとは言われていません。守れと言われただけです」
「最初から教えてくれるつもりだったんですか?」
「私もついて行けば問題はないでしょう。それにあの弟子にはとても困っています。師匠である私をこき使い、自分の言うことは絶対だという節がある。8月中は、レポートや宿題をすべて終わらせなさい。それといつも通り店も手伝って頂きます」
総次郎の目は柔らかく、まるで子供を見守る父のように愛情に満ち溢れていた。
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