21 / 99
4-誘拐
022 誘拐2
しおりを挟む
悠が思っていた以上に疲労が溜まっていて、布団に入り込むと1分もしないうちに夢の世界へ誘われた。起床は6時であり、わりと疲れも取れている。ルカは朝の日課なのか、軽くストレッチをしていた。
朝食を取り、ふたりは警察官にも挨拶を交わした。
「あと20分ほどですね」
ルカは受け取った写真を穴があくほど見つめている。
「景森さんはこのウィッグを被ってもらえますか?」
渡されたウィッグはカールを巻いてた黒髪で、悠はおとなしく被る。昨日、好子が電話で髪の長い人だと鎌をかけたためだ。
「お似合いですよ」
「ありがとうございます」
隣にいるルカに振り向くと、ばっちり目が合った。写真から目を離し、固まっている。
「ど、どうですか」
「……大変、可愛らしいと、思います」
目を見開き、妙に区切りを入れた声で、ルカははっきりと言う。
「ええ、可愛い」
「ほんとに?男で可愛いはなあ……」
「人の風貌をとやかく言うのは、私は好きではありません。ですが不思議と、言いたくなりました。私は褒め言葉として発言したつもりですが、不愉快な思いをさせたのなら申し訳ございません」
「いえ、不愉快とはまったく。ルカさんの心の声ってことですね」
「そうなります」
「ルカさんと話したの久しぶりな気がします」
「昨日も会話はしたのに?」
「なんていうか…こういう日常的会話というか」
「そうですね。昨日からは、殺伐とした談話ですからね」
隣の部屋から聞こえていた子供の声が泣き止んだ。好子のあやす声も聞こえてくる。
「ウィッグが暑い」
ぽつりと漏らした声はルカの耳にしっかりと聞こえた。ルカは好子からゴムを借りてくると、丁寧にひとつにまとめ上げた。
「ほら、これならいかがです?」
「首もと涼しくなりますね。ありがとうございます」
「首に熱がこもっています」
「ほんとだ」
「冷たいですか?」
「はい…気持ち良い……」
ルカはひんやりとした手を悠の首や鎖骨当たりに当てていく。悠はうっとりと身を任せた。
警察官は咳払いを何度かすると「もうそろそろ時間です」とふたりに声をかけた。
だが待てども一向に電話がかかってこない。本日初めの電話は、7時30分になった頃だった。
──駅前のポストまで来い。一人だけだ。
好子の声には耳を貸さず、一方的に電話は切れてしまった。
「これは僕が行くべきですね」
悠の耳に小型のイヤホンと、小型のマイクがつけられた。赤のキャリーケースは重く、大量の札束が入っていると考えたくはない。
先に駅に警察官が待機していると連絡が入り、悠は一人で屋敷を後にした。重たいキャリーケースは夏の7月の暑さには堪える。ハンカチを手に、悠は駅前の広場にやってきた。人でごった返していて、私服警察官がどの人なのか判らない。
悠はポストに封筒が貼り付けられているのを確認した。封筒には何も書かれておらず、よくあるクラフト封筒で、許可を受けてから、中を開けた。
「チケット……?」
長野行きと書かれている新幹線のチケットが、1枚入っている。
「一人で来いってことか」
マイク越しにバタバタと駆け回る音が聞こえてくる。乗っていいかと聞くと「お願いします」と言われ、悠は重いキャリーケースを駅まで引きずった。
指定席に座り、悠は次の指示を待ったが、特に電話はないと伝えられた。鞄からミネラルウォーターを取り出し、喉を潤す。気温が高く、ペットボトもすでに温い。
悠は回りを見回すが、ほとんどがサラリーマンや子連れの家族で、誰一人として悠を気にかける者はいない。冷房が利いていても、悠の額にはじわりと汗が滲んできた。
隣にはスーツを来た男性が、イヤホンをつけて音楽を聴いている。悠はスマホを取り出した。心を任せられる人物は一人だ。
──長野に向かってます。
伝わっているだろうが、一応連絡を入れる。
──隣には誰が座っていますか?
──サラリーマンです。音楽聴いてます。
──何か感じ取れるものはありますか?
悠は神経を集中させるが、特におかしな雰囲気ではない。
──いえ、なにも。直塚さん、生きてますかね?
少し間を置いて、メッセージが届いた。
──どのような状態かは存じ上げませんが、生きています。死ねば、私には判りますので。こんなことは好子さんがいらっしゃる前では言えませんでしたが。なんとも残酷な仕事です。
──救われた人間もいることを忘れないで下さい。写真からは何か読み取れますか?
──水の音が聞こえます。波のような音です。残念ながら今回はお金を頂いてはおりませんので、私はそれほど積極的に動くつもりはないです。
──水の音?それ、警察官の方に伝えた方が……
──悠。人の命は何より尊いものですが、今優先すべき人は私の側から離れております。万が一、犯人があなたの近くにいて、逆上して危害を加えようものなら、私は何を仕出かすか、私自身にも判りません。非情と言われようと、構いません。それと水の音の件は話したところで警察は動きませんよ。証拠がありませんから。私は、人の命は平等などどいう正義感が大嫌いなのです。平等ではありません。現時点で、私は優先順位をつけています。
悠はもう一度、回りを見回す。アナウンスが聞こえる。
──もうすぐ長野駅に着きます。また連絡を入れます。あなたのことを非情と思ったことは一度もありません。あなたからそんな言葉が出るのは、きっと人生経験が楽しいことばかりじゃないと知っているからです。中身のない正義感を振りかざすより、心に刺さりました。
キャリーケースを持ち、駅から降りた。相変わらず焼けるような暑さが悠を襲う。イヤホンから「そのまま外に出て下さい」と言われ、一定のペースで歩いた。
「ポストがある」
胸元につけられたマイクが拾い、警察官からも合図が出た。ポストの下にまた封筒がつけられている。回りを見渡しながら悠は中を開けると、今度は長野から名古屋行きのチケットだ。あと20分ほどしかない。
「名古屋に向かいます」
踵を返し、今度は違うホームに向かう。残り5分というところでなんとか乗り込むと、心を落ち着かせるために大きく息を吸い、吐いた。
『景森さん、残念ながらその電車には警察は乗っていません』
思わず声が出そうになり、悠はなんとか抑え込んだ。
『チケットが間に合いませんでした。ですが、名古屋駅では、警察官が待っています』
「はい」
小声で返事をし、指定席に腰を下ろした。今度は隣には、女性が座っている。悠はスマホを取り出した。
──警察官が電車に乗っていません。お金は無事です。
──お金?どうでもいい。悠が無事なら。
悠は身体を丸めスマホを握り、トンと頭に触れた。じんわり滲む涙腺を堪えた。
──こんな形で、名古屋に行くとは思いませんでした。
──名古屋はひつまぶしが有名ですね。
ルカは食べることが好きだ。特に甘いものに目がないらしく、冷蔵庫の中や棚にはお茶請けが数多く入っている。
──味噌かつや手羽先もありますね。
──お肉は僕、大好きです。生きて帰って食べたい。
──いくらでも奢って差し上げます。あなたはスーツケースよりも、自身の身を案じて下さい。
──ルカさんとやりとりしてて、だいぶ気持ちが落ち着いてきました。ステーキもいいですが、すき焼きが食べたい気分です。生卵をいっぱい絡めて。
──フランスでもイタリアでも生卵は日常的によく食べます。けれど日本ほど生卵を食べる文化が発達している国は、他にないでしょう。すき焼きなら私もお供します。
3時間ほど経過して、名古屋駅に到着した。駅には警察官か張り込んでいると連絡が入り、悠は人の波に身を委ねながらホームを出た。
「着きました」
『そのまま待機して下さい。あなたの姿は見えています』
「ポスト探します?」
『お願いします。ゆっくり歩いて下さい』
悠は一つ一つ裏も表も探し回った。だが探せど今までのようなクラフト封筒は貼り付けられていなかった。時刻は15時を回っている。朝食しか食べておらず、悠は空腹だった。
「あの、こんなときに申し訳ないんですが」
『どうしました?』
「お昼食べてなくて。コンビニかどこかに寄ってもいいですか?」
『構いません。こちらこそ気を利かせず申し訳ないです』
コンビニに入り、手軽に食べられるパンと水を購入した。悠は日陰になる場所に移動し、久しぶりの食事に味を噛みしめた。クリームパンの甘みがじんわりと身体に浸透していく。最後の一口を放り込んだところで、イヤホンの奥が騒がしくなった。
『景森さん、犯人から連絡が入りました。夜まで指定したホテルで待機。19時頃にまた連絡を入れるそうです』
「19時?けっこうありますね。でも指定したホテルって、泊まるの怖いんですけど」
『ホテルにはあなたがチェックインして下さい。その後に警察の者が別の部屋を借ります。あなたは警察が借りた部屋に待機、犯人が予約した部屋は、私共が使います』
「交換ってことですね。判りました」
入れ替わるように悠のスマホにメッセージが入る。相手は一番信頼し、悠にとって鬼に金棒となる相手。まさに闇夜の灯火である。
──名古屋に向かいます。
不用意に部屋から出られないため、ルカが買ってきた食事で夕飯を済ませたふたりは、今の現状をまとめていく。
「ポストに貼られていたチケットで長野に向かう。長野駅のポストには、今度は名古屋行きの新幹線のチケットが貼り付けられていた。そして19時にまたもや電話が入った」
「電話の内容は、23時頃タクシーに乗り、坂之上海岸に行くと伝えろですね。でもなぜここで休みを与えたんでしょう?これだけ行き来させてるんだから、警察を振り払える可能性だってあったのに」
「考えられるのはいろいろありますが、あなたの姿と警察の動きを把握したかった、というところでしょうか」
ルカは写真を傍らに置き、メモを見ながら時計を確認する。
ドアがノックされ、悠が出ようとするのを制止したルカは、ゆっくりと扉を開けた。私服警官だ。
「入ってもよろしいでしょうか?」
「構いません」
4人でテーブルを囲み、警察官は口を開いた。
「民間の方を危険な目に合わせてしまい、非常に申し訳ない気持ちでいっぱいです」
「僕自身何ともないですから」
「タクシーには別の警察官が乗ることになりました」
「僕じゃなくていいんですか?」
「直塚好子さんからも了承得てますし、これ以上危険な目には合わせられません」
「好子さんの様子は?」
「精神的にかなり参っています。子供の面倒も見られないくらいに弱ってしまって、ベビーシッターの方にお願いしている状態です」
ルカは何も喋らず、警察官と悠のやりとりを聞いている。
「お願いします。実は、タクシーに乗るのが怖かったんです」
「そうでしょうとも。明日お帰りになられて大丈夫ですから」
悠は強張った頬を緩ませた。事情を説明した警察官が部屋から出て行くと、ルカは唇に指を置いて思案に暮れている。
「あの1億ですが、どこで奪うつもりなんでしょうか?」
「そもそもタクシーを指定した理由が判らない。今まで通り、電車でもいいかと」
「坂之上海岸って、先に言ってしまえば待ち伏せされる可能性もありますよね」
「それです、悠」
悠が小さく欠伸をすると、ルカはベッドをぽんぽんと叩いた。
「気にはなりますが、まずは疲れた身体を癒やしましょう。あとは警察にお任せです」
「ですね」
悠はもう一度欠伸をし、隣のベッドに横になった。
朝食を取り、ふたりは警察官にも挨拶を交わした。
「あと20分ほどですね」
ルカは受け取った写真を穴があくほど見つめている。
「景森さんはこのウィッグを被ってもらえますか?」
渡されたウィッグはカールを巻いてた黒髪で、悠はおとなしく被る。昨日、好子が電話で髪の長い人だと鎌をかけたためだ。
「お似合いですよ」
「ありがとうございます」
隣にいるルカに振り向くと、ばっちり目が合った。写真から目を離し、固まっている。
「ど、どうですか」
「……大変、可愛らしいと、思います」
目を見開き、妙に区切りを入れた声で、ルカははっきりと言う。
「ええ、可愛い」
「ほんとに?男で可愛いはなあ……」
「人の風貌をとやかく言うのは、私は好きではありません。ですが不思議と、言いたくなりました。私は褒め言葉として発言したつもりですが、不愉快な思いをさせたのなら申し訳ございません」
「いえ、不愉快とはまったく。ルカさんの心の声ってことですね」
「そうなります」
「ルカさんと話したの久しぶりな気がします」
「昨日も会話はしたのに?」
「なんていうか…こういう日常的会話というか」
「そうですね。昨日からは、殺伐とした談話ですからね」
隣の部屋から聞こえていた子供の声が泣き止んだ。好子のあやす声も聞こえてくる。
「ウィッグが暑い」
ぽつりと漏らした声はルカの耳にしっかりと聞こえた。ルカは好子からゴムを借りてくると、丁寧にひとつにまとめ上げた。
「ほら、これならいかがです?」
「首もと涼しくなりますね。ありがとうございます」
「首に熱がこもっています」
「ほんとだ」
「冷たいですか?」
「はい…気持ち良い……」
ルカはひんやりとした手を悠の首や鎖骨当たりに当てていく。悠はうっとりと身を任せた。
警察官は咳払いを何度かすると「もうそろそろ時間です」とふたりに声をかけた。
だが待てども一向に電話がかかってこない。本日初めの電話は、7時30分になった頃だった。
──駅前のポストまで来い。一人だけだ。
好子の声には耳を貸さず、一方的に電話は切れてしまった。
「これは僕が行くべきですね」
悠の耳に小型のイヤホンと、小型のマイクがつけられた。赤のキャリーケースは重く、大量の札束が入っていると考えたくはない。
先に駅に警察官が待機していると連絡が入り、悠は一人で屋敷を後にした。重たいキャリーケースは夏の7月の暑さには堪える。ハンカチを手に、悠は駅前の広場にやってきた。人でごった返していて、私服警察官がどの人なのか判らない。
悠はポストに封筒が貼り付けられているのを確認した。封筒には何も書かれておらず、よくあるクラフト封筒で、許可を受けてから、中を開けた。
「チケット……?」
長野行きと書かれている新幹線のチケットが、1枚入っている。
「一人で来いってことか」
マイク越しにバタバタと駆け回る音が聞こえてくる。乗っていいかと聞くと「お願いします」と言われ、悠は重いキャリーケースを駅まで引きずった。
指定席に座り、悠は次の指示を待ったが、特に電話はないと伝えられた。鞄からミネラルウォーターを取り出し、喉を潤す。気温が高く、ペットボトもすでに温い。
悠は回りを見回すが、ほとんどがサラリーマンや子連れの家族で、誰一人として悠を気にかける者はいない。冷房が利いていても、悠の額にはじわりと汗が滲んできた。
隣にはスーツを来た男性が、イヤホンをつけて音楽を聴いている。悠はスマホを取り出した。心を任せられる人物は一人だ。
──長野に向かってます。
伝わっているだろうが、一応連絡を入れる。
──隣には誰が座っていますか?
──サラリーマンです。音楽聴いてます。
──何か感じ取れるものはありますか?
悠は神経を集中させるが、特におかしな雰囲気ではない。
──いえ、なにも。直塚さん、生きてますかね?
少し間を置いて、メッセージが届いた。
──どのような状態かは存じ上げませんが、生きています。死ねば、私には判りますので。こんなことは好子さんがいらっしゃる前では言えませんでしたが。なんとも残酷な仕事です。
──救われた人間もいることを忘れないで下さい。写真からは何か読み取れますか?
──水の音が聞こえます。波のような音です。残念ながら今回はお金を頂いてはおりませんので、私はそれほど積極的に動くつもりはないです。
──水の音?それ、警察官の方に伝えた方が……
──悠。人の命は何より尊いものですが、今優先すべき人は私の側から離れております。万が一、犯人があなたの近くにいて、逆上して危害を加えようものなら、私は何を仕出かすか、私自身にも判りません。非情と言われようと、構いません。それと水の音の件は話したところで警察は動きませんよ。証拠がありませんから。私は、人の命は平等などどいう正義感が大嫌いなのです。平等ではありません。現時点で、私は優先順位をつけています。
悠はもう一度、回りを見回す。アナウンスが聞こえる。
──もうすぐ長野駅に着きます。また連絡を入れます。あなたのことを非情と思ったことは一度もありません。あなたからそんな言葉が出るのは、きっと人生経験が楽しいことばかりじゃないと知っているからです。中身のない正義感を振りかざすより、心に刺さりました。
キャリーケースを持ち、駅から降りた。相変わらず焼けるような暑さが悠を襲う。イヤホンから「そのまま外に出て下さい」と言われ、一定のペースで歩いた。
「ポストがある」
胸元につけられたマイクが拾い、警察官からも合図が出た。ポストの下にまた封筒がつけられている。回りを見渡しながら悠は中を開けると、今度は長野から名古屋行きのチケットだ。あと20分ほどしかない。
「名古屋に向かいます」
踵を返し、今度は違うホームに向かう。残り5分というところでなんとか乗り込むと、心を落ち着かせるために大きく息を吸い、吐いた。
『景森さん、残念ながらその電車には警察は乗っていません』
思わず声が出そうになり、悠はなんとか抑え込んだ。
『チケットが間に合いませんでした。ですが、名古屋駅では、警察官が待っています』
「はい」
小声で返事をし、指定席に腰を下ろした。今度は隣には、女性が座っている。悠はスマホを取り出した。
──警察官が電車に乗っていません。お金は無事です。
──お金?どうでもいい。悠が無事なら。
悠は身体を丸めスマホを握り、トンと頭に触れた。じんわり滲む涙腺を堪えた。
──こんな形で、名古屋に行くとは思いませんでした。
──名古屋はひつまぶしが有名ですね。
ルカは食べることが好きだ。特に甘いものに目がないらしく、冷蔵庫の中や棚にはお茶請けが数多く入っている。
──味噌かつや手羽先もありますね。
──お肉は僕、大好きです。生きて帰って食べたい。
──いくらでも奢って差し上げます。あなたはスーツケースよりも、自身の身を案じて下さい。
──ルカさんとやりとりしてて、だいぶ気持ちが落ち着いてきました。ステーキもいいですが、すき焼きが食べたい気分です。生卵をいっぱい絡めて。
──フランスでもイタリアでも生卵は日常的によく食べます。けれど日本ほど生卵を食べる文化が発達している国は、他にないでしょう。すき焼きなら私もお供します。
3時間ほど経過して、名古屋駅に到着した。駅には警察官か張り込んでいると連絡が入り、悠は人の波に身を委ねながらホームを出た。
「着きました」
『そのまま待機して下さい。あなたの姿は見えています』
「ポスト探します?」
『お願いします。ゆっくり歩いて下さい』
悠は一つ一つ裏も表も探し回った。だが探せど今までのようなクラフト封筒は貼り付けられていなかった。時刻は15時を回っている。朝食しか食べておらず、悠は空腹だった。
「あの、こんなときに申し訳ないんですが」
『どうしました?』
「お昼食べてなくて。コンビニかどこかに寄ってもいいですか?」
『構いません。こちらこそ気を利かせず申し訳ないです』
コンビニに入り、手軽に食べられるパンと水を購入した。悠は日陰になる場所に移動し、久しぶりの食事に味を噛みしめた。クリームパンの甘みがじんわりと身体に浸透していく。最後の一口を放り込んだところで、イヤホンの奥が騒がしくなった。
『景森さん、犯人から連絡が入りました。夜まで指定したホテルで待機。19時頃にまた連絡を入れるそうです』
「19時?けっこうありますね。でも指定したホテルって、泊まるの怖いんですけど」
『ホテルにはあなたがチェックインして下さい。その後に警察の者が別の部屋を借ります。あなたは警察が借りた部屋に待機、犯人が予約した部屋は、私共が使います』
「交換ってことですね。判りました」
入れ替わるように悠のスマホにメッセージが入る。相手は一番信頼し、悠にとって鬼に金棒となる相手。まさに闇夜の灯火である。
──名古屋に向かいます。
不用意に部屋から出られないため、ルカが買ってきた食事で夕飯を済ませたふたりは、今の現状をまとめていく。
「ポストに貼られていたチケットで長野に向かう。長野駅のポストには、今度は名古屋行きの新幹線のチケットが貼り付けられていた。そして19時にまたもや電話が入った」
「電話の内容は、23時頃タクシーに乗り、坂之上海岸に行くと伝えろですね。でもなぜここで休みを与えたんでしょう?これだけ行き来させてるんだから、警察を振り払える可能性だってあったのに」
「考えられるのはいろいろありますが、あなたの姿と警察の動きを把握したかった、というところでしょうか」
ルカは写真を傍らに置き、メモを見ながら時計を確認する。
ドアがノックされ、悠が出ようとするのを制止したルカは、ゆっくりと扉を開けた。私服警官だ。
「入ってもよろしいでしょうか?」
「構いません」
4人でテーブルを囲み、警察官は口を開いた。
「民間の方を危険な目に合わせてしまい、非常に申し訳ない気持ちでいっぱいです」
「僕自身何ともないですから」
「タクシーには別の警察官が乗ることになりました」
「僕じゃなくていいんですか?」
「直塚好子さんからも了承得てますし、これ以上危険な目には合わせられません」
「好子さんの様子は?」
「精神的にかなり参っています。子供の面倒も見られないくらいに弱ってしまって、ベビーシッターの方にお願いしている状態です」
ルカは何も喋らず、警察官と悠のやりとりを聞いている。
「お願いします。実は、タクシーに乗るのが怖かったんです」
「そうでしょうとも。明日お帰りになられて大丈夫ですから」
悠は強張った頬を緩ませた。事情を説明した警察官が部屋から出て行くと、ルカは唇に指を置いて思案に暮れている。
「あの1億ですが、どこで奪うつもりなんでしょうか?」
「そもそもタクシーを指定した理由が判らない。今まで通り、電車でもいいかと」
「坂之上海岸って、先に言ってしまえば待ち伏せされる可能性もありますよね」
「それです、悠」
悠が小さく欠伸をすると、ルカはベッドをぽんぽんと叩いた。
「気にはなりますが、まずは疲れた身体を癒やしましょう。あとは警察にお任せです」
「ですね」
悠はもう一度欠伸をし、隣のベッドに横になった。
0
お気に入りに追加
18
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
黒龍の神嫁は溺愛から逃げられない
めがねあざらし
BL
「神嫁は……お前です」
村の神嫁選びで神託が告げたのは、美しい娘ではなく青年・長(なが)だった。
戸惑いながらも黒龍の神・橡(つるばみ)に嫁ぐことになった長は、神域で不思議な日々を過ごしていく。
穏やかな橡との生活に次第に心を許し始める長だったが、ある日を境に彼の姿が消えてしまう――。
夢の中で響く声と、失われた記憶が導く、神と人の恋の物語。
『イケメンイスラエル大使館員と古代ユダヤの「アーク探し」の5日間の某国特殊部隊相手の大激戦!なっちゃん恋愛小説シリーズ第1弾!』
あらお☆ひろ
キャラ文芸
「なつ&陽菜コンビ」にニコニコ商店街・ニコニコプロレスのメンバーが再集結の第1弾!
もちろん、「なっちゃん」の恋愛小説シリーズ第1弾でもあります!
ニコニコ商店街・ニコニコポロレスのメンバーが再集結。
稀世・三郎夫婦に3歳になったひまわりに直とまりあ。
もちろん夏子&陽菜のコンビも健在。
今作の主人公は「夏子」?
淡路島イザナギ神社で知り合ったイケメン大使館員の「MK」も加わり10人の旅が始まる。
ホテルの庭で偶然拾った二つの「古代ユダヤ支族の紋章の入った指輪」をきっかけに、古来ユダヤの巫女と化した夏子は「部屋荒らし」、「ひったくり」そして「追跡」と謎の外人に追われる!
古代ユダヤの支族が日本に持ち込んだとされる「ソロモンの秘宝」と「アーク(聖櫃)」に入れられた「三種の神器」の隠し場所を夏子のお告げと客観的歴史事実を基に淡路、徳島、京都、長野、能登、伊勢とアークの追跡が始まる。
もちろん最後はお決まりの「ドンパチ」の格闘戦!
アークと夏子とMKの恋の行方をお時間のある人はゆるーく一緒に見守ってあげてください!
では、よろひこー (⋈◍>◡<◍)。✧♡!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる