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4-誘拐
021 誘拐
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まだ悠がアンティークショップ・SHIRAYUKIでバイトをする前の話である。
都内に建つ洋風の屋敷は、まるで英国の城を想像させるほど美しい。
本日、この屋敷に眠るお宝を鑑定するために、とある美術鑑定士がやってくる。若い美術鑑定士と聞いて、万が一若い妻が鑑定士に夢中になってしまったらと、家主は気が気でなかった。
それに、忠彦には人を試す癖がある。相手の力量、器を知り、日本を動かす力があるのか見定めろと、故・父からの教えがあるからだ。
ベルが鳴り鑑定士を招き入れると、忠彦は声にならない声を上げた。
「初めまして。美術鑑定士のルカ・フロリーディアと申します」
絶世の男だ。なる職業を間違えてしまったのではないかと思うほど、美しく、姿勢も仕草もしなやかだ。
男はわざと品定めをするように上から下まで鑑定士をじろじろ見た。ルカと名乗る男はたじろきもしない。薄く微笑むだけで、悪意ある視線に慣れていた。
「直塚忠彦だ。よろしく頼む」
「こちらこそ、よろしくお願い致します」
美術鑑定士は深々とお辞儀をした。
さっそく鑑定をしたい、と申し出たルカを部屋に案内すると、ルカはドアの前で立ち止まる。
「どうした?」
「……いえ、失礼しました」
部屋には、忠彦の父が生前集めていた骨董品が置かれている。すべて合わせると20点ほどになる。
「多いか?」
「少々、お時間は頂きます」
ルカはさっそく鑑定に取りかかった。白い手袋をはめ、鑑定ルーペを使いながら一つ一つ丁寧に見ていく。
「価値というものは、価格のみで決まるものではございません。私は鑑定士ですので、普段は真贋鑑定のみで自主的に査定については申し上げないのですが、直塚様はいかがなさいますか?」
「すべて話してほしい」
「かしこまりました」
綺麗な手により、骨董品が左右に分けられていく。どちらかが偽物、本物ということだ。
「偽物もあるのか?」
「左様ですね」
「君は鑑定士としては長いのかい?」
「まだまだ、未熟者でございます」
上手い言いようである。同時に、内面を知られたくない、プライベートな質問はお断りという思いも込められている言い方だ。忠彦はわざと怪訝そうな顔をしながら、
「君の舌端は素晴らしいな。日本語は完璧だ。君の口遣いに乗せられる人もいるだろう」
「お褒めに与り、光栄でございます。万が一査定にご納得して頂けない場合、日本には私よりも優秀で腕の良い鑑定士がいらっしゃいます。いろいろな方と顔見知りになるのもこの先、人生において不都合はないかと存じます」
そう言いつつも、動く指先は止まらない。ルーペを持つ手も真剣な眼差しを見ては、忠彦は心の中で参ったと呟くしかなかった。
「……ふう」
外国人の鑑定士は息を吐くと、額に流れる汗をレースのハンカチで拭いた。忠彦を見ては一礼し、形の良い唇が開いた。
「素晴らしい骨董品の数々です」
「右と左に分けられているのが気になるが」
「ご説明致します。こちらが骨董品と呼ばれるもの、そして左にあるのが、贋作になります」
大まかにふたつに分けられているが、たったひとつだけは説明がない。
ルカは骨董品の査定も行い、次々と値段を提示していった。
「これはやはり値段が下がるか……」
「ええ。こちらの左義長羽子板は大変素晴らしい。江戸時代後期、京都で作られたものです。表には位の高い人間を、そして裏には左義長が描かれております。左義長とは、魔除けの儀式のことです。本物ではございますが、残念ながら状態はよろしくない。傷も多く、8万ほどでしょう」
よく勉強している、と忠彦はほくそ笑んだ。
「ちなみに、この壷はなぜ外したんだ?」
古い壷は左右どちらにも入ってはおらず、端に寄せられている。ルカは壷を手に取ると、目を細めじっと見た。
「直塚様、失礼ながら申し上げます。こちらの壷を骨董品の中に忍び込ませたのは、私を試したかったからでございますか?」
「なんのことだ?」
「こちらは骨董品ではございません。贋作でもございません。よって、ふたつの候補から外し、端に置きました」
ルカは忠彦の言葉を待つが、何も答えないのを見ると小さく息を吐いた。
「あなたのお父様、芳光様がお作りになられたものですね?」
忠彦はパンと膝を叩き、大きく声を上げて笑い出した。ルカは無表情のまま声を発しない。
「確かに。私は君を試していた。すまなかった」
「こういう仕事をしておりますと、慣れております故」
「いや、試されていたのは私の方ではないのか?一つ一つの骨董品を、ここまで丁寧に歴史を交えながら説明を入れてくれたのは君が初めてだよ。私の期待に答えようとする表れと、宣戦布告を受け取ってくれた。とても気に入った」
「恐縮でございます」
「君の言う通り、この壷は父が作ったものだ。私はこれを手放したい」
「それはなぜですか?」
「父が死んでから、不可解なことが起こるんだ」
2か月ほど前に芳光が亡くなり、会社の引き継ぎや葬儀などで慌ただしく過ごしていた。ようやく遺品の整理を始めようとすると、忠彦の妻はあまり思わしくない言葉を口にした。
「壷に触れてから熱を出したり、吐き気や目眩といった症状が出るんだと。それから妻がおかしくなったんだ。壷を見るだけで気持ち悪いだの、鬼のような形相で怒鳴ることも多くなった。普段は温厚なのに」
「奥様は今どちらに?」
「部屋にいるように言ってある。この部屋に壷があるのを知っているから、近づこうとしない」
「奥様とご対面させて頂きたいのですが」
「構わんが……その」
「いかが致しましたか?」
忠彦は言い淀んだ。
「君はとても風貌が男前だろう?私は40歳を超えている。妻とは20も離れていてな…妻が君を見て心移りしないか心配なのだ」
仮面を被ったような顔つきだったが、ここでルカはようやく目元を緩ませた。忠彦も思わず見とれてしまうほどである。
「そのような心配は無用でございます、直塚様」
「ああ…まあ君にも好みがあるだろうしな」
「あなたのような敏腕社長についていくにはとても大変な思いをされるかと思います。それを承知で、貫いた愛はそう簡単に折れるものではございません。失礼ですが、お父様に結婚を反対されていたのでは?」
「ああ、だがなぜそれを?君は父と会ったことがあるのか?」
「一度もございません。ですが、あなたのお父様が仰っています」
「どういうことだ?」
「私は人には見えない者が見えます」
忠彦は幽霊の類を信じていない。見えないからだ。だがルカは、冗談を言う顔つきではなかった。
「こちらはお父様のお部屋でございますね?入った瞬間に、彼を感じました」
ルカは瞬きもせず、忠彦の背後を直視している。
「お父様からの伝言です。壷を大事に持っていてほしいと」
「……悪いが、私には霊が全く見えないんだ。君が部屋に入り違和感を感じていたのは判っていたが、信じろというのが難しい。私はこれをいわく付きの壷だと思っているのだから」
「直塚様は、こちらの壷についてお父様から何か聞いていらっしゃいますか?」
「いや、作ったということだけ」
ルカは目を瞑りしばらくの間、口を閉じた。沈黙が流れる。
「憚りながら申し上げますが、直塚様のお母様は、誕生日直前にに亡くなられましたね?この壷は、壷が好きだった妻に送りたく、隠れて作っていたと仰っています」
忠彦は絶句した。本当に、この男は霊が見えるのではないか。霊は存在しているのではないかと、40年以上信じていなかったのに、まさかこのような形で自分にあった常識を粉々にされるとは夢にも思っていなかった。
「確かに…私の会社は有名であるから、ネットで調べれば母の命日くらい載っているだろう…だが壷好きまでは公言していなかったはずだ」
「芳光様に伺いました」
しれっと答えるルカに、忠彦は些か意地悪したい衝動に駆られる。
「私の父の好物はなんだか判るか?さすがに難しいか」
「少々お待ちを」
無言の空気が流れた。ルカは囁くような声で、忠彦の背後と話している。
「ステーキが好きだとはよく仰っていたようですね。柔らかいお肉が好きだと。ですが実際は健康志向で、家ではお肉はほとんど食べず、フルーツを沢山取るようにしていた。中でも甘いフルーツトマトや、リンゴ、柿がお好きだったみたいですね」
「……完敗だよ」
忠彦の中の常識の二文字は崩れ去った。
「認めるしかない。霊はいる。フルーツは家でしか食べていなかった。誰も知らぬ事実だ」
「恐縮でございます。話は変わりますが、体調がよろしいのであれば、ぜひ奥様とお会いしたいのですが」
「リビングに案内しよう」
忠彦はリビングでルカを待たせ、その間に家政婦にお茶を入れるように伝えた。忠彦の妻は部屋で本を読んでいる。今日は体調はわりと良いらしく、機嫌はそれほど悪くない。ぜひ鑑定士に会わせたいと言うと、二つ返事で承諾した。
彼女はルカ見るなり、頬を染めて目線が泳ぎだした。
「まあ……なんてこと」
忠彦の心にはモヤモヤが溜まっていく。見目が良い男好きなのは知っていたが、ここまであからさまであると気分は良くない。
「初めまして。ルカ・フロリーディアと申します。美術鑑定士をしております」
「彼女は?結婚はしているの?」
「あまり…個人的な話は」
「まあ、そうよね。ごめんなさい」
ルカは全く相手にしていない。
「最近、体調があまり優れないそうですね」
「ええ…なんていうのか、変に感情的になったり、大したことじゃないのに怒鳴ったり。おかしいのよ」
「左様でございますか」
ルカは横に佇む家政婦を困ったように見た。忠彦はすぐに察し、部屋から出るように促した。
「私は医師の資格は持ち合わせておりません。ですが、一つだけ仮説を立てることができます」
ルカは人差し指を立て、鉄仮面が剥がれ落ちたかのように、嬉々として口角を持ち上げた。
「子を宿している可能性がございます」
「なんだって?」
忠彦は大きく目を見開いた。
「感情の起伏や吐き気などは妊娠の初期症状に見られるものです」
「本当なのか?」
「可能性はございます」
「なんと…なんてことだ……」
「まずは産婦人科へ行くべきではないかと存じます」
「君は…そんなことまで判るのか?」
ルカは入れてもらったコーヒーを飲み、薄く笑うだけで何も言わない。
背後にいる芳光の霊は、ルカにだけありがとうと言葉を漏らした。
「これが私と直塚忠彦様との出会いです」
ただいま、悠たちは直塚の屋敷にお邪魔している。遊びに来たわけでも、鑑定士として仕事をしにきたわけでもない。緊急事態である。私服警察官は、慌ただしくテーブルの上に機材を置き電話と繋げている。
「それからと言うもの、私と直塚様との間には繋がりができました。直塚様からのご紹介により、私の店に足を運んで下さる方も増えたのです」
「良い関係だったんですね」
「ええ」
ルカの良いところは、緊張感漂う状態であってもブレないところだ。絶対に自分を見失わず、常に冷静に対処できる。悠は、こういうところに憧れていた。
簡単にルカが関係をまとめたところで、警察官が口を開いた。
「もう一度、まとめます。20時に退社した社長が、数人の男たちに無理矢理車の中に乗せられ誘拐。21時30分、男から電話がかかってきて、身代金の要求。およそ1億円。22時に、もう一度電話を寄越すと言い、電話を切る」
時刻は21時45分。次の電話まであと15分だ。
「ごめんなさい…ルカさんたちまで巻き込んでしまって」
「気にする必要はございません」
子供を抱きしめ、涙を見せずに気丈に振る舞う姿は痛々しい。直塚忠彦の妻、直塚好子だ。
「判らないのが、なぜ身代金の運び屋にアンティークショップの店員を指定したのかです。血縁者もない、ほぼ無関係の人間です」
「つまり、ルカさんがここに出入りしていたのを知っていた人物ですよね」
「スィ、そういうことになります」
警察官はメモ帳を持ち、ペンを走らせていく。
「私が把握している範囲ですが、まず奥様の好子さん、前にこの屋敷にいた家政婦の方ですね。新しくなった方には先ほどご挨拶を済ませたばかりです」
「前の方は?」
「お辞めになられましたわ」
「そうですか」
「直塚様が、例えば会社の部下に私の情報を漏らしていたとします。であれば、私が知る範囲を超えています」
電話が鳴った。一瞬で緊張感が一気に高まる。警察官が合図を出すと、好子は震えながら受話器を手にした。
「もしもし?」
──さっき話した通り、身代金は1億だ。明日までに用意しろ。
「夫は無事なんですか?」
──今のところはな。
「話をさせて下さい」
──できない。金は屋敷に骨董品を扱う店の人間が出入りしているはずだ。そいつに持たせろ。
ルカはスマホに何か打ち、画面を好子に見せた。好子は小さく頷く。
「あの女性みたいに髪の長い人ですか?私会ったことがないんです」
──金が無ければそいつに借りろ。まあ社長なんだから1億くらい用意できるだろうがな。明日の7時に、今度は受け渡し場所について連絡する。
そこでプツンと電話は切れた。
「好子さん、とてもご立派です」
「これで良かったのでしょうか……?」
「今のやりとりで判ったことが数点ございます」
「あの、あなたの店には女性の店員はいるんですか?」
「おりません。雇ったのは、こちらにいる悠のみです。もうひとり私の師がおりますが、男性です。ちなみに3人とも、髪は肩より上です」
質問をした警察官は息を飲んだ。
「犯人は屋敷に骨董品店の人間が出入りすることを知っていた。けれど、性別や髪型までは判らないほど曖昧な情報であり、私の顔も割れている可能性は少ない」
「ルカさん目立ちますもんね。出入りするところすら見たことないんじゃないかなあ」
「それなら、誰が行ってもいいってことじゃ」
「犯人と鉢合わせをして、万が一店員でないことを感づかれたら由々しき事態です」
「ここまで来たら、僕の出番ですね」
「悠、私があなたをここに呼んだのはそういう意味ではありません」
「判っています。犯人にショップ店員を名指しされ、僕がアパートで一人暮らしだから、心配でひとりにさせたくなかったんですよね」
ルカは罰が悪そうにそっぽを向いた。
「……判っているならよろしい。私が行きます」
「ルカさん目立ちすぎるでしょ。ね?」
警察官に問いかけると、困惑した顔で悠にお願いをしてきた。
「絶対にあなたを危険な目には合わせません。詳しいことは明日の7時にならないと計画を立てられませんが、必ず景森さんを守ります」
「ありがとうございます。それと好子さん、忠彦さんの写真はありますか?」
「はい…ありますが……」
「1枚貸して頂けませんか?」
「構いませんよ」
ルカと悠はアンティークショップの店員だが、それだけが顔ではない。霊救師という仕事が本業であることを、警察官も好子も知らないのだ。
悠がいくら声をかけても、ルカは振り向かない。拗ねた子供のように、口を聞かなくなってしまった。
都内に建つ洋風の屋敷は、まるで英国の城を想像させるほど美しい。
本日、この屋敷に眠るお宝を鑑定するために、とある美術鑑定士がやってくる。若い美術鑑定士と聞いて、万が一若い妻が鑑定士に夢中になってしまったらと、家主は気が気でなかった。
それに、忠彦には人を試す癖がある。相手の力量、器を知り、日本を動かす力があるのか見定めろと、故・父からの教えがあるからだ。
ベルが鳴り鑑定士を招き入れると、忠彦は声にならない声を上げた。
「初めまして。美術鑑定士のルカ・フロリーディアと申します」
絶世の男だ。なる職業を間違えてしまったのではないかと思うほど、美しく、姿勢も仕草もしなやかだ。
男はわざと品定めをするように上から下まで鑑定士をじろじろ見た。ルカと名乗る男はたじろきもしない。薄く微笑むだけで、悪意ある視線に慣れていた。
「直塚忠彦だ。よろしく頼む」
「こちらこそ、よろしくお願い致します」
美術鑑定士は深々とお辞儀をした。
さっそく鑑定をしたい、と申し出たルカを部屋に案内すると、ルカはドアの前で立ち止まる。
「どうした?」
「……いえ、失礼しました」
部屋には、忠彦の父が生前集めていた骨董品が置かれている。すべて合わせると20点ほどになる。
「多いか?」
「少々、お時間は頂きます」
ルカはさっそく鑑定に取りかかった。白い手袋をはめ、鑑定ルーペを使いながら一つ一つ丁寧に見ていく。
「価値というものは、価格のみで決まるものではございません。私は鑑定士ですので、普段は真贋鑑定のみで自主的に査定については申し上げないのですが、直塚様はいかがなさいますか?」
「すべて話してほしい」
「かしこまりました」
綺麗な手により、骨董品が左右に分けられていく。どちらかが偽物、本物ということだ。
「偽物もあるのか?」
「左様ですね」
「君は鑑定士としては長いのかい?」
「まだまだ、未熟者でございます」
上手い言いようである。同時に、内面を知られたくない、プライベートな質問はお断りという思いも込められている言い方だ。忠彦はわざと怪訝そうな顔をしながら、
「君の舌端は素晴らしいな。日本語は完璧だ。君の口遣いに乗せられる人もいるだろう」
「お褒めに与り、光栄でございます。万が一査定にご納得して頂けない場合、日本には私よりも優秀で腕の良い鑑定士がいらっしゃいます。いろいろな方と顔見知りになるのもこの先、人生において不都合はないかと存じます」
そう言いつつも、動く指先は止まらない。ルーペを持つ手も真剣な眼差しを見ては、忠彦は心の中で参ったと呟くしかなかった。
「……ふう」
外国人の鑑定士は息を吐くと、額に流れる汗をレースのハンカチで拭いた。忠彦を見ては一礼し、形の良い唇が開いた。
「素晴らしい骨董品の数々です」
「右と左に分けられているのが気になるが」
「ご説明致します。こちらが骨董品と呼ばれるもの、そして左にあるのが、贋作になります」
大まかにふたつに分けられているが、たったひとつだけは説明がない。
ルカは骨董品の査定も行い、次々と値段を提示していった。
「これはやはり値段が下がるか……」
「ええ。こちらの左義長羽子板は大変素晴らしい。江戸時代後期、京都で作られたものです。表には位の高い人間を、そして裏には左義長が描かれております。左義長とは、魔除けの儀式のことです。本物ではございますが、残念ながら状態はよろしくない。傷も多く、8万ほどでしょう」
よく勉強している、と忠彦はほくそ笑んだ。
「ちなみに、この壷はなぜ外したんだ?」
古い壷は左右どちらにも入ってはおらず、端に寄せられている。ルカは壷を手に取ると、目を細めじっと見た。
「直塚様、失礼ながら申し上げます。こちらの壷を骨董品の中に忍び込ませたのは、私を試したかったからでございますか?」
「なんのことだ?」
「こちらは骨董品ではございません。贋作でもございません。よって、ふたつの候補から外し、端に置きました」
ルカは忠彦の言葉を待つが、何も答えないのを見ると小さく息を吐いた。
「あなたのお父様、芳光様がお作りになられたものですね?」
忠彦はパンと膝を叩き、大きく声を上げて笑い出した。ルカは無表情のまま声を発しない。
「確かに。私は君を試していた。すまなかった」
「こういう仕事をしておりますと、慣れております故」
「いや、試されていたのは私の方ではないのか?一つ一つの骨董品を、ここまで丁寧に歴史を交えながら説明を入れてくれたのは君が初めてだよ。私の期待に答えようとする表れと、宣戦布告を受け取ってくれた。とても気に入った」
「恐縮でございます」
「君の言う通り、この壷は父が作ったものだ。私はこれを手放したい」
「それはなぜですか?」
「父が死んでから、不可解なことが起こるんだ」
2か月ほど前に芳光が亡くなり、会社の引き継ぎや葬儀などで慌ただしく過ごしていた。ようやく遺品の整理を始めようとすると、忠彦の妻はあまり思わしくない言葉を口にした。
「壷に触れてから熱を出したり、吐き気や目眩といった症状が出るんだと。それから妻がおかしくなったんだ。壷を見るだけで気持ち悪いだの、鬼のような形相で怒鳴ることも多くなった。普段は温厚なのに」
「奥様は今どちらに?」
「部屋にいるように言ってある。この部屋に壷があるのを知っているから、近づこうとしない」
「奥様とご対面させて頂きたいのですが」
「構わんが……その」
「いかが致しましたか?」
忠彦は言い淀んだ。
「君はとても風貌が男前だろう?私は40歳を超えている。妻とは20も離れていてな…妻が君を見て心移りしないか心配なのだ」
仮面を被ったような顔つきだったが、ここでルカはようやく目元を緩ませた。忠彦も思わず見とれてしまうほどである。
「そのような心配は無用でございます、直塚様」
「ああ…まあ君にも好みがあるだろうしな」
「あなたのような敏腕社長についていくにはとても大変な思いをされるかと思います。それを承知で、貫いた愛はそう簡単に折れるものではございません。失礼ですが、お父様に結婚を反対されていたのでは?」
「ああ、だがなぜそれを?君は父と会ったことがあるのか?」
「一度もございません。ですが、あなたのお父様が仰っています」
「どういうことだ?」
「私は人には見えない者が見えます」
忠彦は幽霊の類を信じていない。見えないからだ。だがルカは、冗談を言う顔つきではなかった。
「こちらはお父様のお部屋でございますね?入った瞬間に、彼を感じました」
ルカは瞬きもせず、忠彦の背後を直視している。
「お父様からの伝言です。壷を大事に持っていてほしいと」
「……悪いが、私には霊が全く見えないんだ。君が部屋に入り違和感を感じていたのは判っていたが、信じろというのが難しい。私はこれをいわく付きの壷だと思っているのだから」
「直塚様は、こちらの壷についてお父様から何か聞いていらっしゃいますか?」
「いや、作ったということだけ」
ルカは目を瞑りしばらくの間、口を閉じた。沈黙が流れる。
「憚りながら申し上げますが、直塚様のお母様は、誕生日直前にに亡くなられましたね?この壷は、壷が好きだった妻に送りたく、隠れて作っていたと仰っています」
忠彦は絶句した。本当に、この男は霊が見えるのではないか。霊は存在しているのではないかと、40年以上信じていなかったのに、まさかこのような形で自分にあった常識を粉々にされるとは夢にも思っていなかった。
「確かに…私の会社は有名であるから、ネットで調べれば母の命日くらい載っているだろう…だが壷好きまでは公言していなかったはずだ」
「芳光様に伺いました」
しれっと答えるルカに、忠彦は些か意地悪したい衝動に駆られる。
「私の父の好物はなんだか判るか?さすがに難しいか」
「少々お待ちを」
無言の空気が流れた。ルカは囁くような声で、忠彦の背後と話している。
「ステーキが好きだとはよく仰っていたようですね。柔らかいお肉が好きだと。ですが実際は健康志向で、家ではお肉はほとんど食べず、フルーツを沢山取るようにしていた。中でも甘いフルーツトマトや、リンゴ、柿がお好きだったみたいですね」
「……完敗だよ」
忠彦の中の常識の二文字は崩れ去った。
「認めるしかない。霊はいる。フルーツは家でしか食べていなかった。誰も知らぬ事実だ」
「恐縮でございます。話は変わりますが、体調がよろしいのであれば、ぜひ奥様とお会いしたいのですが」
「リビングに案内しよう」
忠彦はリビングでルカを待たせ、その間に家政婦にお茶を入れるように伝えた。忠彦の妻は部屋で本を読んでいる。今日は体調はわりと良いらしく、機嫌はそれほど悪くない。ぜひ鑑定士に会わせたいと言うと、二つ返事で承諾した。
彼女はルカ見るなり、頬を染めて目線が泳ぎだした。
「まあ……なんてこと」
忠彦の心にはモヤモヤが溜まっていく。見目が良い男好きなのは知っていたが、ここまであからさまであると気分は良くない。
「初めまして。ルカ・フロリーディアと申します。美術鑑定士をしております」
「彼女は?結婚はしているの?」
「あまり…個人的な話は」
「まあ、そうよね。ごめんなさい」
ルカは全く相手にしていない。
「最近、体調があまり優れないそうですね」
「ええ…なんていうのか、変に感情的になったり、大したことじゃないのに怒鳴ったり。おかしいのよ」
「左様でございますか」
ルカは横に佇む家政婦を困ったように見た。忠彦はすぐに察し、部屋から出るように促した。
「私は医師の資格は持ち合わせておりません。ですが、一つだけ仮説を立てることができます」
ルカは人差し指を立て、鉄仮面が剥がれ落ちたかのように、嬉々として口角を持ち上げた。
「子を宿している可能性がございます」
「なんだって?」
忠彦は大きく目を見開いた。
「感情の起伏や吐き気などは妊娠の初期症状に見られるものです」
「本当なのか?」
「可能性はございます」
「なんと…なんてことだ……」
「まずは産婦人科へ行くべきではないかと存じます」
「君は…そんなことまで判るのか?」
ルカは入れてもらったコーヒーを飲み、薄く笑うだけで何も言わない。
背後にいる芳光の霊は、ルカにだけありがとうと言葉を漏らした。
「これが私と直塚忠彦様との出会いです」
ただいま、悠たちは直塚の屋敷にお邪魔している。遊びに来たわけでも、鑑定士として仕事をしにきたわけでもない。緊急事態である。私服警察官は、慌ただしくテーブルの上に機材を置き電話と繋げている。
「それからと言うもの、私と直塚様との間には繋がりができました。直塚様からのご紹介により、私の店に足を運んで下さる方も増えたのです」
「良い関係だったんですね」
「ええ」
ルカの良いところは、緊張感漂う状態であってもブレないところだ。絶対に自分を見失わず、常に冷静に対処できる。悠は、こういうところに憧れていた。
簡単にルカが関係をまとめたところで、警察官が口を開いた。
「もう一度、まとめます。20時に退社した社長が、数人の男たちに無理矢理車の中に乗せられ誘拐。21時30分、男から電話がかかってきて、身代金の要求。およそ1億円。22時に、もう一度電話を寄越すと言い、電話を切る」
時刻は21時45分。次の電話まであと15分だ。
「ごめんなさい…ルカさんたちまで巻き込んでしまって」
「気にする必要はございません」
子供を抱きしめ、涙を見せずに気丈に振る舞う姿は痛々しい。直塚忠彦の妻、直塚好子だ。
「判らないのが、なぜ身代金の運び屋にアンティークショップの店員を指定したのかです。血縁者もない、ほぼ無関係の人間です」
「つまり、ルカさんがここに出入りしていたのを知っていた人物ですよね」
「スィ、そういうことになります」
警察官はメモ帳を持ち、ペンを走らせていく。
「私が把握している範囲ですが、まず奥様の好子さん、前にこの屋敷にいた家政婦の方ですね。新しくなった方には先ほどご挨拶を済ませたばかりです」
「前の方は?」
「お辞めになられましたわ」
「そうですか」
「直塚様が、例えば会社の部下に私の情報を漏らしていたとします。であれば、私が知る範囲を超えています」
電話が鳴った。一瞬で緊張感が一気に高まる。警察官が合図を出すと、好子は震えながら受話器を手にした。
「もしもし?」
──さっき話した通り、身代金は1億だ。明日までに用意しろ。
「夫は無事なんですか?」
──今のところはな。
「話をさせて下さい」
──できない。金は屋敷に骨董品を扱う店の人間が出入りしているはずだ。そいつに持たせろ。
ルカはスマホに何か打ち、画面を好子に見せた。好子は小さく頷く。
「あの女性みたいに髪の長い人ですか?私会ったことがないんです」
──金が無ければそいつに借りろ。まあ社長なんだから1億くらい用意できるだろうがな。明日の7時に、今度は受け渡し場所について連絡する。
そこでプツンと電話は切れた。
「好子さん、とてもご立派です」
「これで良かったのでしょうか……?」
「今のやりとりで判ったことが数点ございます」
「あの、あなたの店には女性の店員はいるんですか?」
「おりません。雇ったのは、こちらにいる悠のみです。もうひとり私の師がおりますが、男性です。ちなみに3人とも、髪は肩より上です」
質問をした警察官は息を飲んだ。
「犯人は屋敷に骨董品店の人間が出入りすることを知っていた。けれど、性別や髪型までは判らないほど曖昧な情報であり、私の顔も割れている可能性は少ない」
「ルカさん目立ちますもんね。出入りするところすら見たことないんじゃないかなあ」
「それなら、誰が行ってもいいってことじゃ」
「犯人と鉢合わせをして、万が一店員でないことを感づかれたら由々しき事態です」
「ここまで来たら、僕の出番ですね」
「悠、私があなたをここに呼んだのはそういう意味ではありません」
「判っています。犯人にショップ店員を名指しされ、僕がアパートで一人暮らしだから、心配でひとりにさせたくなかったんですよね」
ルカは罰が悪そうにそっぽを向いた。
「……判っているならよろしい。私が行きます」
「ルカさん目立ちすぎるでしょ。ね?」
警察官に問いかけると、困惑した顔で悠にお願いをしてきた。
「絶対にあなたを危険な目には合わせません。詳しいことは明日の7時にならないと計画を立てられませんが、必ず景森さんを守ります」
「ありがとうございます。それと好子さん、忠彦さんの写真はありますか?」
「はい…ありますが……」
「1枚貸して頂けませんか?」
「構いませんよ」
ルカと悠はアンティークショップの店員だが、それだけが顔ではない。霊救師という仕事が本業であることを、警察官も好子も知らないのだ。
悠がいくら声をかけても、ルカは振り向かない。拗ねた子供のように、口を聞かなくなってしまった。
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。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
黒龍の神嫁は溺愛から逃げられない
めがねあざらし
BL
「神嫁は……お前です」
村の神嫁選びで神託が告げたのは、美しい娘ではなく青年・長(なが)だった。
戸惑いながらも黒龍の神・橡(つるばみ)に嫁ぐことになった長は、神域で不思議な日々を過ごしていく。
穏やかな橡との生活に次第に心を許し始める長だったが、ある日を境に彼の姿が消えてしまう――。
夢の中で響く声と、失われた記憶が導く、神と人の恋の物語。
全力でおせっかいさせていただきます。―私はツンで美形な先輩の食事係―
入海月子
青春
佐伯優は高校1年生。カメラが趣味。ある日、高校の屋上で出会った超美形の先輩、久住遥斗にモデルになってもらうかわりに、彼の昼食を用意する約束をした。
遥斗はなぜか学校に住みついていて、衣食は女生徒からもらったものでまかなっていた。その報酬とは遥斗に抱いてもらえるというもの。
本当なの?遥斗が気になって仕方ない優は――。
優が薄幸の遥斗を笑顔にしようと頑張る話です。
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