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3-それぞれのストーカー
012 ルカの過去
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「まずは語れるところから語りましょうか」
ピザを食べ終え、熱々のほうじ茶を飲みながらルカは口を開いた。聞きたいことは山ほどある。比例して、触れていいのか悶々とした気持ちも増えていく。
「フロリーディアと名乗った名字についてですが、偽名になります。私はフランス人ですが、イタリアで過ごした日々も長いのです。本名は、ルカ・チェスティ・ド・キュスティーヌです」
「長くて覚えるのが大変ですね……」
「覚えなくて結構。忘れてしまいなさい」
「なぜですか」
「あなたのためです。あなたが思っている以上に重苦しい名前ですから。他に聞きたいことは?」
「フロリーディアって?」
「イタリアでお世話になった方の名前です」
「今も交流はあるんですか?」
「今はありません。それについては、追々話していきます。なんせ私が日本にやってきた、大半の理由が隠されていますから。今言えるとしたら、私は蜘蛛の巣を張っている状態です。獲物を狩る、といったところでしょうか」
重苦しいのは名前なのか、この空気なのか。それを遮るように、ルカはお茶請けのかりんとうをぽりぽりと摘まむ。
「ルカさんは、なぜイタリア人と嘘をついたのですか?」
「日本人からすればイタリア人もフランス人も同じに見えるでしょう?」
「それ…答えになってない」
「私はハーフです。フランス人の父と、イタリア人の母を持ちます」
「イタリア語も話せるんですか?」
「イタリア語、フランス語、英語、日本語の4つのみです」
ルカの言う“のみ”と、悠の考える“のみ”は天と地ほど差がある。
「幼少の頃、いろいろと複雑な家庭環境のせいで、母は私をイタリアに連れていくことが多かったのです」
「フランスは居心地は悪かったんですか?」
「そう…ですね。子供ながらに、屋敷の殺伐とした雰囲気を感じていました。もちろん、良い想い出も中にはあります。ちなみに、日本語はイタリアで、あとは来日してから師匠と出会い、学びました。お喋りな人でしょう?人との会話がお好きで、普段は陽気な人ですよ」
師匠の話になり、悠は自然と身を固くする。ルカは悠の髪の毛に触れ、愛でるように指で弄んだ。
「私の師があなたに大変なご迷惑をおかけしました」
「そんな…倒れた僕を介抱して下さったんです。こちらが迷惑をかけてしまって」
「私からも質問させて下さい。なぜ辞めると仰ったのです?」
「判らないんです…急に頭が真っ白になって、パニックになって」
「パニック?」
「うーん…変な記憶が蘇るというか」
「聞かせてもらえますか?」
「前に話したことあったかな?僕は子供の頃に入院してたんですが、原因は判らないんです。母の記憶もほとんどないし、ときどきフラッシュバックなのか、白い天井がよぎるんです。唯一、その映像が入院していた記憶です」
「あなたがフラッシュバックをするとき、いつもどんなときなのですか?」
「強い視線を向けられたり、怒鳴られたりしたときが多いかも」
「私は平気ですか?」
「それが…ルカさんは一度もなったことがないんですよね。それに不思議と癒されるというか」
ふむ、と唇に手を置いてルカは考え込む。そんな姿も麗しい。
「とにかく、あなたの辞めます発言は受け入れられません。良いですね?」
「もっもちろんです…そうして下さると嬉しいです。またルカさんと一緒にいられるし」
ルカは飲んでいたほうじ茶を吹きそうになった。頭を抱えて深くため息をつく。
「どうしました?」
「……あなたの天然にはいつも慣れない」
「天然?」
「まあいいでしょう」
「それと師匠さんに謝罪したいのですが……」
「何の謝罪を?あなたが謝る必要は一切ない。むしろ師匠を怒鳴りましたよ。悠を追いつめてしまった。日本ではブラック企業と言いますね。許し難い」
「いやそこまで……」
容赦ない言葉の数々は、師匠譲りなのかもしれない。所々、彼と総次郎はよく似ている。
「そういえば、なぜ僕が実家にいると知ったのですか?多分師匠さんだとは思うんですが」
「スィ、その通り。半泣きになりながら電話がかかってきましたよ。悠を泣かせてしまったと。私が恐ろしかったのでしょうね」
権力の差が垣間見えた気がする。
「もしかしたら実家に行ってるかもしれないと、それなら保護してほしいと連絡がありました」
「ルカさんも仕事で来てましたもんね」
「ええ、家に来てみたらまさか有坂様まで来ているとは。逆上するところでした」
「ルカさんの逆上か…見てみたい気もするけど」
「私の話をするつもりが、あなたの話になってしまいましたね。他に質問は?」
「質問ではないのですが、これからもルカさんを心配してもいいですか?心配できないのが辛いって前にも言いましたが、無条件でルカさんを支えたいです」
「……まるでプロポーズのようだ。判りました。それならばあなたも私が支えます。私もあなたを心配し、人生を応援します」
前半は小声で何を言ったのか聞き取れなかったが、承諾はもらえた。それで充分だ。
「ここから仕事の話をしても構いませんか?」
「どうぞ」
「お墓ですが、綺麗にして頂きありがとうございます」
「お構いなく」
「窓や表札もピカピカになってました」
「素敵なお家ですのであまり弄りたくはなかったのですが、勝手ながら窓は防犯ガラスに変えさせて頂きました」
やはりルカだった。ルカしか考えられなかった。悠の心には、暖かな優しさがじんわりと染み込んでいく。
「ルカさんは僕を笑顔にする天才ですね」
「ふふ……それとおばあさまに御用もございましたし」
「おばあちゃんと話したんですか?」
「話せたのはおじいさまでした。写真の女性と景森ツネ様が同一人物かについてですが、黙秘ではいけませんか?」
「な、なぜ?」
ルカは真剣に、強い眼差しを向けた。
「今回の事件で、あなたはとばっちりを受けました。対処しきれなかった私に責任はありますが、早めに忘れて頂きたいのです。辛い思いをさせてしまいましたので。都合のいい話です」
「判りました。答えはルカさんの中にしまっておいて下さい」
「……ものわかりが良すぎです。私が責任を感じていると思い、どうすれば罪悪感を取り除けるかと、そればかり考えているのでしょうね」
「黙秘します」
「ではお互いに黙秘ということで」
厳しい目が柔らかくなり、空気もほんわかしたものになった。
「ところでこのかりんとうはとても美味しい。どこで購入したのですか?」
「東京駅です。四角いパッケージに入っていて、いろんな種類が選べるんです」
「帰りも購入して帰りましょう」
「はい」
「あとあなたが前回お土産に買ってきてくれました、パウンドケーキのお店はありますか?」
「帰りにご案内しますね」
それからふたりで眠くなるまで話をした。日本に来てから納豆が衝撃的だったこと、最初は匂いが苦手だったが今では好きになったこと、納豆はシンプルに出汁や醤油のみでご飯にかけて食べること、休日は本を読んだりジムに通っていること。
多少の安心感からか悠は有坂のことなど頭から離れていった。まさか彼を巡り、またもや事件に繋がるなんて、微塵も思ってはいなかった。
悠はわりと朝はすぐ起床できるタイプだが、ルカは苦手なようだ。何度も鳴らされるインターホンに先に目が覚めたのは悠で、時計を見るとまだ6時前だ。ルカは毛布ごと被り起きる気配がない。玄関のドアが叩かれ、のそのそと起きると廊下を覗く。警察ですと呼びかけられ、悠は背筋が伸びる。本能的に、何かあったと悟った。嫌な予感がよぎる。
「朝早くからすみませんね、君が景森悠君?」
「はい、そうですが」
昨日やってきた警察官とは違う人だ。パジャマ姿でいる悠とは逆に、かっちりと制服を着こなしている。
「深夜に物音がしたり、家の回りに人がいる気配はあった?」
「いえ…昨日は23時くらいにふたりとも寝ましたので」
「もうひとりは外国人だったよね?起きてる?」
「ちょっと待って下さい」
部屋に戻るとルカは起床し、すでに着替えを済ませていた。
「警察官が来たのですね?ひとりで行かせてしまいすみません」
「僕の家ですし、謝る必要なんてないです。お話し聞きたいみたいなんですが」
「行きましょう」
ふたり並べば視線は必ずルカへ向く。これはどうしようもない。ルカは乱れた髪を上に持ち上げ、向けられる視線をもろともせず一揖した。
「進展はありましたか?」
「進展どころか、状況が悪化しています」
言いにくそうに、けれどもはっきりと現状を説明してくれるが、呆気に取られて声も出ない。鍵を閉め忘れたドアから有坂は逃亡したそうだ。ルカが悠の腕を小突いてくる。代わりに質問しろと言うことだ。訛りが強いとルカは聞き取れない。
「時間帯はいつですか?」
「朝の3時頃です。監視カメラに写ってました。ですが気づいたのは5時過ぎになります」
「その時間帯なら寝ていましたし、多少の物音があっても気づかないでしょうね」
「ともかく、おふたりが無事で良かったです」
警察官から、ふたりは今日、家から出るなと警告された。それはそうだ。なんせ連行されるきっかけを作ったのは悠たちなのだから。
「異変があったらすぐに連絡して下さい」
警察官が帰ったあと、再び鍵を閉めた。朝食は昨日の残ったピザと簡単に作った海草サラダで腹ごしらえをした。テレビでは、すでにこの出来事がニュースになっている。
「こんな田舎がまたもやニュースになるなんて……」
「私が知る限り、二度目ですね」
一度目は相田の父親が殺された事件だ。警察は自殺と認定したが、実は妻が殺害し、警察のずぼらな捜査がテレビ各局で連日放送された。そして今回は鍵の閉め忘れでストーカー男を逃がしたと、テレビのコメンテーターはここぞとばかりに叩いている。
「買い物にも行ってはいけないんでしょうか?」
「ストーカーは逆上の恐れがあります。まあこれだけ警察官やマスコミが大勢張っていたら、有坂もむやみやたらに出て来られないでしょうが」
ついに呼び捨てだ。客人でなくなれば容赦はない。
「飲み物もないんですよ…水道水くらいだし」
「それは困りましたね」
「お菓子ももうないし」
「行きましょう」
優雅な仕草ですっと立ち上がり、ルカは早くしろと促した。
家の回りで待機していた警察官に事情を説明し、ふたりはスーパーに向かった。道筋には常に彼らが張っているためまだ安心できる。カメラを持った人が何人も近寄ってくるが、ルカは発音よくノージャパニーズとだけ答えマスコミを遠ざけていく。
「しかしマスコミも多いですね」
「スーパーのお客様にも紛れ込んでいますね。ここでは余計な話はしないでおきましょう」
「ですね。今夜は何が食べたいですか?」
「カレーを所望します」
「そんな簡単なものでいいんですか?」
「私の好物です。世界中の食べ物の中で、一番の好物になったものです。なんとあのスイーツを超えました」
ルカの指示に従い、あれやこれやと買い物カゴに入れていく。一番時間がかかったのはお菓子コーナーだ。真剣な眼差しで次々とカゴに放り込んでいくルカを、悠は暖かく見守った。
スーパーから出ると、今日はそれほど暑くはないのに身体にまとわりつく熱を感じた。何度体験しても慣れない感覚だが、ルカがいると不思議と耐えられる。ルカも足を一歩踏み出したまま止まった。
「なんでしょう……変な感じがしました」
無言でルカはポケットから写真を取り出した。例の悠に似た女性が写っている写真だ。ルカは瞬きもせず、一心に直視している。
「悠、この辺りで空き家はありますか?」
「確かスーパーから近いところにあります。でも道らしい道はないですよ?」
「まずは向かいましょうか」
マスコミに気をつけ、ふたりは途中から草が生え放題のところを歩き、老朽化した一軒家に辿り着いた。蔦も生い茂り、場所が場所だけにもう少し大きければ魔女の家のようなイメージがある。裏庭には、人が落ちてしまいそうな井戸があった。そう、落下してもおかしくないような井戸が。
「人が来た痕跡かな?草が折れてますね」
「悠、私はあなたと初めて会ったとき、霊救師として行方不明者を発見する確率は、生死問わず百発百中だと言いましたね」
「はい」
「荷物をお願いします。あなたはここで待機」
つま先から頭のてっぺんまで一気に悪寒が駆け上がっていく。ああ、これは。予兆通りに、当たりだ。
黒くモヤのかかった井戸にルカは近づき、携帯でライトをつけると底を照らす。
「今から警察に連絡します」
「ルカさん……」
「あなたの思っている最悪の事態が起こりました。有坂千一は、死んでいます」
死んでいます。緊張状態の中、ルカの口から出た真実に小さく頷くしかなかった。
有坂千一は、死んだ。その現実を、受け入れなければならなかった。
ピザを食べ終え、熱々のほうじ茶を飲みながらルカは口を開いた。聞きたいことは山ほどある。比例して、触れていいのか悶々とした気持ちも増えていく。
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「長くて覚えるのが大変ですね……」
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「フロリーディアって?」
「イタリアでお世話になった方の名前です」
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「今はありません。それについては、追々話していきます。なんせ私が日本にやってきた、大半の理由が隠されていますから。今言えるとしたら、私は蜘蛛の巣を張っている状態です。獲物を狩る、といったところでしょうか」
重苦しいのは名前なのか、この空気なのか。それを遮るように、ルカはお茶請けのかりんとうをぽりぽりと摘まむ。
「ルカさんは、なぜイタリア人と嘘をついたのですか?」
「日本人からすればイタリア人もフランス人も同じに見えるでしょう?」
「それ…答えになってない」
「私はハーフです。フランス人の父と、イタリア人の母を持ちます」
「イタリア語も話せるんですか?」
「イタリア語、フランス語、英語、日本語の4つのみです」
ルカの言う“のみ”と、悠の考える“のみ”は天と地ほど差がある。
「幼少の頃、いろいろと複雑な家庭環境のせいで、母は私をイタリアに連れていくことが多かったのです」
「フランスは居心地は悪かったんですか?」
「そう…ですね。子供ながらに、屋敷の殺伐とした雰囲気を感じていました。もちろん、良い想い出も中にはあります。ちなみに、日本語はイタリアで、あとは来日してから師匠と出会い、学びました。お喋りな人でしょう?人との会話がお好きで、普段は陽気な人ですよ」
師匠の話になり、悠は自然と身を固くする。ルカは悠の髪の毛に触れ、愛でるように指で弄んだ。
「私の師があなたに大変なご迷惑をおかけしました」
「そんな…倒れた僕を介抱して下さったんです。こちらが迷惑をかけてしまって」
「私からも質問させて下さい。なぜ辞めると仰ったのです?」
「判らないんです…急に頭が真っ白になって、パニックになって」
「パニック?」
「うーん…変な記憶が蘇るというか」
「聞かせてもらえますか?」
「前に話したことあったかな?僕は子供の頃に入院してたんですが、原因は判らないんです。母の記憶もほとんどないし、ときどきフラッシュバックなのか、白い天井がよぎるんです。唯一、その映像が入院していた記憶です」
「あなたがフラッシュバックをするとき、いつもどんなときなのですか?」
「強い視線を向けられたり、怒鳴られたりしたときが多いかも」
「私は平気ですか?」
「それが…ルカさんは一度もなったことがないんですよね。それに不思議と癒されるというか」
ふむ、と唇に手を置いてルカは考え込む。そんな姿も麗しい。
「とにかく、あなたの辞めます発言は受け入れられません。良いですね?」
「もっもちろんです…そうして下さると嬉しいです。またルカさんと一緒にいられるし」
ルカは飲んでいたほうじ茶を吹きそうになった。頭を抱えて深くため息をつく。
「どうしました?」
「……あなたの天然にはいつも慣れない」
「天然?」
「まあいいでしょう」
「それと師匠さんに謝罪したいのですが……」
「何の謝罪を?あなたが謝る必要は一切ない。むしろ師匠を怒鳴りましたよ。悠を追いつめてしまった。日本ではブラック企業と言いますね。許し難い」
「いやそこまで……」
容赦ない言葉の数々は、師匠譲りなのかもしれない。所々、彼と総次郎はよく似ている。
「そういえば、なぜ僕が実家にいると知ったのですか?多分師匠さんだとは思うんですが」
「スィ、その通り。半泣きになりながら電話がかかってきましたよ。悠を泣かせてしまったと。私が恐ろしかったのでしょうね」
権力の差が垣間見えた気がする。
「もしかしたら実家に行ってるかもしれないと、それなら保護してほしいと連絡がありました」
「ルカさんも仕事で来てましたもんね」
「ええ、家に来てみたらまさか有坂様まで来ているとは。逆上するところでした」
「ルカさんの逆上か…見てみたい気もするけど」
「私の話をするつもりが、あなたの話になってしまいましたね。他に質問は?」
「質問ではないのですが、これからもルカさんを心配してもいいですか?心配できないのが辛いって前にも言いましたが、無条件でルカさんを支えたいです」
「……まるでプロポーズのようだ。判りました。それならばあなたも私が支えます。私もあなたを心配し、人生を応援します」
前半は小声で何を言ったのか聞き取れなかったが、承諾はもらえた。それで充分だ。
「ここから仕事の話をしても構いませんか?」
「どうぞ」
「お墓ですが、綺麗にして頂きありがとうございます」
「お構いなく」
「窓や表札もピカピカになってました」
「素敵なお家ですのであまり弄りたくはなかったのですが、勝手ながら窓は防犯ガラスに変えさせて頂きました」
やはりルカだった。ルカしか考えられなかった。悠の心には、暖かな優しさがじんわりと染み込んでいく。
「ルカさんは僕を笑顔にする天才ですね」
「ふふ……それとおばあさまに御用もございましたし」
「おばあちゃんと話したんですか?」
「話せたのはおじいさまでした。写真の女性と景森ツネ様が同一人物かについてですが、黙秘ではいけませんか?」
「な、なぜ?」
ルカは真剣に、強い眼差しを向けた。
「今回の事件で、あなたはとばっちりを受けました。対処しきれなかった私に責任はありますが、早めに忘れて頂きたいのです。辛い思いをさせてしまいましたので。都合のいい話です」
「判りました。答えはルカさんの中にしまっておいて下さい」
「……ものわかりが良すぎです。私が責任を感じていると思い、どうすれば罪悪感を取り除けるかと、そればかり考えているのでしょうね」
「黙秘します」
「ではお互いに黙秘ということで」
厳しい目が柔らかくなり、空気もほんわかしたものになった。
「ところでこのかりんとうはとても美味しい。どこで購入したのですか?」
「東京駅です。四角いパッケージに入っていて、いろんな種類が選べるんです」
「帰りも購入して帰りましょう」
「はい」
「あとあなたが前回お土産に買ってきてくれました、パウンドケーキのお店はありますか?」
「帰りにご案内しますね」
それからふたりで眠くなるまで話をした。日本に来てから納豆が衝撃的だったこと、最初は匂いが苦手だったが今では好きになったこと、納豆はシンプルに出汁や醤油のみでご飯にかけて食べること、休日は本を読んだりジムに通っていること。
多少の安心感からか悠は有坂のことなど頭から離れていった。まさか彼を巡り、またもや事件に繋がるなんて、微塵も思ってはいなかった。
悠はわりと朝はすぐ起床できるタイプだが、ルカは苦手なようだ。何度も鳴らされるインターホンに先に目が覚めたのは悠で、時計を見るとまだ6時前だ。ルカは毛布ごと被り起きる気配がない。玄関のドアが叩かれ、のそのそと起きると廊下を覗く。警察ですと呼びかけられ、悠は背筋が伸びる。本能的に、何かあったと悟った。嫌な予感がよぎる。
「朝早くからすみませんね、君が景森悠君?」
「はい、そうですが」
昨日やってきた警察官とは違う人だ。パジャマ姿でいる悠とは逆に、かっちりと制服を着こなしている。
「深夜に物音がしたり、家の回りに人がいる気配はあった?」
「いえ…昨日は23時くらいにふたりとも寝ましたので」
「もうひとりは外国人だったよね?起きてる?」
「ちょっと待って下さい」
部屋に戻るとルカは起床し、すでに着替えを済ませていた。
「警察官が来たのですね?ひとりで行かせてしまいすみません」
「僕の家ですし、謝る必要なんてないです。お話し聞きたいみたいなんですが」
「行きましょう」
ふたり並べば視線は必ずルカへ向く。これはどうしようもない。ルカは乱れた髪を上に持ち上げ、向けられる視線をもろともせず一揖した。
「進展はありましたか?」
「進展どころか、状況が悪化しています」
言いにくそうに、けれどもはっきりと現状を説明してくれるが、呆気に取られて声も出ない。鍵を閉め忘れたドアから有坂は逃亡したそうだ。ルカが悠の腕を小突いてくる。代わりに質問しろと言うことだ。訛りが強いとルカは聞き取れない。
「時間帯はいつですか?」
「朝の3時頃です。監視カメラに写ってました。ですが気づいたのは5時過ぎになります」
「その時間帯なら寝ていましたし、多少の物音があっても気づかないでしょうね」
「ともかく、おふたりが無事で良かったです」
警察官から、ふたりは今日、家から出るなと警告された。それはそうだ。なんせ連行されるきっかけを作ったのは悠たちなのだから。
「異変があったらすぐに連絡して下さい」
警察官が帰ったあと、再び鍵を閉めた。朝食は昨日の残ったピザと簡単に作った海草サラダで腹ごしらえをした。テレビでは、すでにこの出来事がニュースになっている。
「こんな田舎がまたもやニュースになるなんて……」
「私が知る限り、二度目ですね」
一度目は相田の父親が殺された事件だ。警察は自殺と認定したが、実は妻が殺害し、警察のずぼらな捜査がテレビ各局で連日放送された。そして今回は鍵の閉め忘れでストーカー男を逃がしたと、テレビのコメンテーターはここぞとばかりに叩いている。
「買い物にも行ってはいけないんでしょうか?」
「ストーカーは逆上の恐れがあります。まあこれだけ警察官やマスコミが大勢張っていたら、有坂もむやみやたらに出て来られないでしょうが」
ついに呼び捨てだ。客人でなくなれば容赦はない。
「飲み物もないんですよ…水道水くらいだし」
「それは困りましたね」
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「行きましょう」
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家の回りで待機していた警察官に事情を説明し、ふたりはスーパーに向かった。道筋には常に彼らが張っているためまだ安心できる。カメラを持った人が何人も近寄ってくるが、ルカは発音よくノージャパニーズとだけ答えマスコミを遠ざけていく。
「しかしマスコミも多いですね」
「スーパーのお客様にも紛れ込んでいますね。ここでは余計な話はしないでおきましょう」
「ですね。今夜は何が食べたいですか?」
「カレーを所望します」
「そんな簡単なものでいいんですか?」
「私の好物です。世界中の食べ物の中で、一番の好物になったものです。なんとあのスイーツを超えました」
ルカの指示に従い、あれやこれやと買い物カゴに入れていく。一番時間がかかったのはお菓子コーナーだ。真剣な眼差しで次々とカゴに放り込んでいくルカを、悠は暖かく見守った。
スーパーから出ると、今日はそれほど暑くはないのに身体にまとわりつく熱を感じた。何度体験しても慣れない感覚だが、ルカがいると不思議と耐えられる。ルカも足を一歩踏み出したまま止まった。
「なんでしょう……変な感じがしました」
無言でルカはポケットから写真を取り出した。例の悠に似た女性が写っている写真だ。ルカは瞬きもせず、一心に直視している。
「悠、この辺りで空き家はありますか?」
「確かスーパーから近いところにあります。でも道らしい道はないですよ?」
「まずは向かいましょうか」
マスコミに気をつけ、ふたりは途中から草が生え放題のところを歩き、老朽化した一軒家に辿り着いた。蔦も生い茂り、場所が場所だけにもう少し大きければ魔女の家のようなイメージがある。裏庭には、人が落ちてしまいそうな井戸があった。そう、落下してもおかしくないような井戸が。
「人が来た痕跡かな?草が折れてますね」
「悠、私はあなたと初めて会ったとき、霊救師として行方不明者を発見する確率は、生死問わず百発百中だと言いましたね」
「はい」
「荷物をお願いします。あなたはここで待機」
つま先から頭のてっぺんまで一気に悪寒が駆け上がっていく。ああ、これは。予兆通りに、当たりだ。
黒くモヤのかかった井戸にルカは近づき、携帯でライトをつけると底を照らす。
「今から警察に連絡します」
「ルカさん……」
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