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第二章 非日常

017 十一月

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 正直、祭りよりも祭り後の宴会が目的なんじゃないかと思う。
 空き瓶が転がる中、せっせと片す主婦軍団に嫌気が差した。なぜこういうときばかり女性が片づけなのかとか、自分は食べて飲むだけの大人にはなりたくないとか。あとは宴会の中心人物に耳を傾けていた。
 拓郎は彼の横で好きな肉ばかり漁っていて、湊の皿には野菜を放り込んでいた。喧嘩になるとまた仲が良いなど不快極まりないことを言われるので、結局湊はこちらを見ながら黙りこくっている。子供っぽく思われないか、俺を気にしているのだろう。
──将来は二人で暮らすのよね?
──無事に式も終えて良かったわあ。
──これで島に災いが振ることはなくなったわね。
 湊は適当に相槌を打つだけでごまかしているが、横の拓郎は無視を貫き、自分の皿にせっせと唐揚げを運んでいる。
 俺たちがしたのはただのセックス。セックスで災いが起こらないなんて、世の中軽すぎる。けれど、支えがあるのは生きる糧になるし、この島の住民たちは稲荷様を信仰している。信じたければ信じればいい。壊すつもりもない。
「湊君は高校卒業したらどうするの?」
「まだ一年生だし……」
「もし湊君まで出ていったら寂しくなるわねえ」
「湊は大学希望だよね?」
 助け船を出すと、顔を上げて力強く頷いた。
「同じ大学なら、また一緒の大学通えるね? 近くならルームシェアでもいいかもな」
 なんて分かりやすい、俺の天使。
 死にかけの目が途端に蘇った。代わりに、拓郎の目は死んでいく。手を出すなよと俺からの牽制に、拓郎は小さく舌打ちをした。何を勘違いしたのか、湊は皿に乗るなけなしの唐揚げ一つを大事そうにフォークで刺した。拓郎に盗られると思ったらしい。小さな口をめいっぱい動かし、オレンジジュースで飲み干した。
「ルームシェアなんてしてくれたら、お母さん安心して任せられるわ」
「ええ、お任せ下さい。まあ、湊が近くの大学に通ったらの話ですけど」
「通うよ。大学に行きたいし」
「行きたいって言っても、いろんな学科があるのよ? あなたまだ何になりたいか考えてないでしょう?」
「いろいろ考えるってば、もう」
 過去に将来は春兄のお嫁さんになるんだと言いふらしていたあの頃の湊は、まだ存在しているだろうか。
 宴会がお開きとなり、未成年である俺たちも先に帰らせてもらうことになった。
 いそいそと出ていくのは、神官と宮司だ。また何か悪巧みをしているらしい。
 一定の距離を空けてついていくと、まだ大人になりきれていないキツネが丸くなってじっと建物を見つめていた。
「湊ならまだ中だよ」
 あの子キツネは湊が身体を洗ってあげた縁で、懐かれたらしい。少し離れたところで親キツネが目を光らせている。
 湊はキツネにモテる。俺たちは佐狐というキツネがつく名字なのに、圧倒的に彼が好かれていた。本人は気づいていないが、島人の中で一番キツネに囲まれてある。
 だいぶ距離が開けてしまったが、彼らは森の方角へ進んでいる。となると、神官たちの目的の場所は神社だ。
 本殿には明かりがついていない。俺の勘のままに、儀式の社へ向かった。
 隙間から覗くと、二人は壁を手探りで何か探しているようだった。
「お探しものならありませんよ」
 まさか人がいるとは思わなかったのか、二人は腰を抜かして床に尻餅をついた。
「な、なんのことか……」
「あなた方が儀式を行い、禊を大切にしていたのか理解できました。カメラは俺の手にあります。今まで、どれだけ未成年を撮り続けていた?」
 神官は違う、違うと言い訳がましく首を横に振る。
「個人で楽しむため? それとも売るためですか? 大きなカメラを持った方と随分親しくしていたようですが」
「そ、それは…………」
「認めるんですね?」
 二人は顔を合わせ、肩の力を抜いた。
 おぞましく、卑劣な大人。できることなら制裁を加えてやりたい。俺が気づかなかったら、湊も犠牲になっていた。
 彼らはポルノ映像を大人たちに売りさばいていた。島でも見ている人がいる可能性だってある。
「……神社の維持費はどこからきているのか、ずっと疑問に思っていました。こういうからくりがあったんですね」
「そうだ……こんなちっぽけな島に、お金なんてあるわけがないだろう。こうでもしないと、神官などやってられん」
「儀式の書物もおかしな点が見受けられました。まず、仁神家にはなかったこと、神社に眠っていたものには、破られた跡があったこと、テープ止めをした跡は、古いものではなかった。ここ数年で貼り付けされた跡だ。儀式や禊も都合良く作り出し、あなた方は子供を食い物にしていた」
 沸いてくる怒りは滝のようなもので、勢いも治まらないし逆流して溜め込むなんてできやしない。
 宮司はうなだれたまま、力なく声を出す。
「頼む……この件は誰にも言わないでほしい。二度とこんなことはしない。約束する」
「未成年同士に性行為を二度とさせないと約束できますか? 当然、撮影もです。性行為をしなければ災いが起こるなど、ありえない。馬鹿馬鹿しい」
「必ず約束する。だから…………」
「分かりました。一つでも破った場合、今までの映像は警察に突き出します。いいですね?」
「…………ああ」
 唯一の救いは、湊がこの事実を知らないことだ。一生知らなくていい。生涯かけて、秘密を貫き通すつもりだ。
 儀式の社を後にすると、キツネの鳴き声がした。太い幹の陰から顔を覗かせるのは、湊と子キツネ。黙って抱かれている子キツネは、湊と同じ顔をしている。
「兄弟みたい」
「え、キツネと? そんなに似てる?」
 首を傾げる仕草もそっくりだ。殺伐とした俺の心が浄化されていく。
「その子はどうしたの?」
「うん……ずっとついてくるんだ。お母さんキツネがいるのに、俺を親だと思ってるのかな」
「遊ぶ相手がほしいのかもしれないよ。ああ、お母さんが来た」
 境内でこちらを見ていた母親キツネは、湊の服の裾に鼻を擦りつける。
 子キツネを離すと、二頭は森の奥へと消えていく。明日にはまたやってくるだろう。
「あんまり遅くにうろうろしてたらダメだよ。家まで送っていく」
「ちょっとだけ、一緒にいたい」
「もう十時過ぎてるよ」
「だって、あれから春兄と一緒にいられなかったじゃん」
「お互いに忙しかったもんな。遠回りして帰ろうか」
「うん」
 湊は何度か俺を気にする素振りを見せ、手を繋いだ。
 人気のない道をしばらく歩いていると、湊は立ち止まる。言いたいことがあるのだろう。知らないふりをして、耳を傾けることにした。
「どうしたの?」
「あのさ……俺と春兄って……」
「うん?」
「ど、どんな、関係、なのかな……」
 残念ながら、暗くて湊の表情がよく見えない。耳を触ってみると、可愛らしい悲鳴が上がる。体温が上昇中の俺の天使。
 儀式から一か月経とうとするが、学校のテストやら生徒会の引き継ぎやらでちゃんと話もできなかった。ずっと気にしていたのだろう。
「キ、キスはするし、儀式でだけど……もしたし」
「恋人じゃないの?」
「そう思っていていいの?」
「俺はそのつもりだったけど。不安にさせてしまったね」
「……ちょっとだけ不安だった」
「ふふ……可愛いなあ」
 マッサージするように手を揉んでみると、湊も同じく揉んでくる。
「話したことなかったけどさ、ルームシェアしたいってほんと?」
 湊は遠慮がちに問う。
「ルームシェアというか、同棲?」
「ど、同棲…………」
「そう、同棲」
「なんだか、素敵な響きだね。生クリーム、くらい魅力的な言葉だよ」
「またケーキの食べ放題に行こうか」
「うん」
 もっと食べたかっただの、次はマロンのケーキも食べるだのどんどん話が脱線していく。俺の天使は、可愛くて困る。
「もっと一緒にいたいのに、春兄は島から出るし……俺は卒業まで二年あるしさ……」
「俺だって寂しいよ」
「わがままを言いたいわけじゃなくて、……寂しい」
「ははっ……結局は寂しいんだね」
 堂々巡りだ。口に出さずにはいられないのだろう。
「前も話したけど、長い休みには帰ってくるから。余裕があったら湊もおいでよ」
「うん…………」
 どうしたら笑顔にできるだろうか。そればかり考える。
 キツネ一匹すらいない路頭で、湊の肩を掴んだ。
 期待しているのか、顔を上げ、視線が定まらない。
 そっと唇に触れると、湊は啄むように何度も求める。
「寂しさはどうやっても消えないと思う。今はスマホもあるし、毎日連絡取れるよ」
「んー、春兄」
「はは……甘えたいのか」
「うん」
 べたべたしたくて仕方がないのか、湊は頭を擦り付ける。
「さっき神社で何してたの?」
「湊や拓郎も頑張ったけど、裏で準備してくれていたのは神官さんたちだろ? 改めてうちの弟たちがお世話になりましたってお礼を言いに行ってたんだ」
「ふうん」
「浮気してないよ?」
「そんな心配してないって。それよりさ、生徒会長と仲良いじゃん」
 湊の焼き餅をぶつける対象は、神官たちより元生徒会長のアキらしい。
「アキは片想いしてる相手がいるよ。大学生の先輩で、前の生徒会長だった人。綺麗な女性だよ」
「うそ……」
「湊に対して何かしたの?」
「…………特に」
 嘘を吐くのが下手な子だ。
「稲荷島では、男性同士の恋愛が風習としても当たり前に残っていて、珍しいって言ってた。じろじろ見ていたのも、多分そのせいだよ」
「そっか……春兄のことが好きで、まとわりつく俺が嫌がられてるのかと思った」
「そんなんじゃないって。他の心配事は?」
 こうなったら、とことん吐き出させよう。
 せっかくふたりきりの時間を楽しんでいたのに、邪魔をするのはよぼよぼのキツネ。おじいさんだ。俺より湊の足下で寝始めた。抱きついた湊はさっさと俺を解放し、キツネに夢中になってしまった。俺にはライバルが多すぎる。
「いつから俺の気持ちに気づいてたの?」
「確信を持ったのは運動会のときかな。結婚したいほど好きな人っていう紙を見て、すぐに俺のところに来ただろ?」
「あー! あれやっぱり仕組まれてたんだ!」
「そもそも紙を置いたのは俺だし、万が一、拓郎を連れていってもしたらショックで息絶えていたよ。流れで告白しようかなとも考えていたけどね」
「言ってくれたらよかったのに……」
 可愛いことを言いつつ、キツネから目を離さない。キツネは得意げにふん、と息を漏らす。可愛いが、憎い。
「さあ、そろそろ帰ろう。お母さんも心配してるよ」
 名残惜しそうに立ち上がる湊に反応してか、キツネも立ち上がる。
 家までついてくるつもりか。
 キツネは俺を見上げては小さく鳴き、目を細めた。
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