夕凪に浮かぶ孤島の儀式

不来方しい

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第二章 非日常

015 十月

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 十月を迎えると、旅館は空きが一つも出ないほど埋まり、すれ違う人は見知らぬ人ばかりだ。母に言われたからではないが、知らない人には要注意しなければならない。特に大きなカメラを持った人には、細心の注意を払う。カメラを向けられそうになれば、足早にその場を去った。
 十月は天候が荒れることが多いが、今日は快晴だ。稲荷様の怒りに触れていないと島人たちは大喜びだが、単純に天気の良い日に当たっただけだと、口が裂けても言えない。けれど、できればこのままで進んでほしい。儀式の稽古はすでに失敗しているのだから。
 朝早くから、儀式の社に移動している。外は慌ただしく足音が聞こえっぱなしだった。
「神子様、準備はよろしいですか?」
「はい」
 真っ白な花嫁衣装は、汚れのない心と身体を表現したもので、今の俺にはまったく対照的な色。心が汚れてしまっているので白は似合わないと漏らしたら、幸春さんは「俺は暗黒だとすれば、湊は初雪だよ」と慰めの言葉をくれた。幸春さんは俺にとって春みたいに新しい風をくれる人なのに。
「儀式が終えしだい、すぐに禊を行い、あなた方は床の間に入って頂きます」
 宮司は淡々と告げ、不備がないか上から下まで確かめた。
 物扱いにあまり良い気分はしない。
「本当に、お稽古は滞りなく終えたのですね?」
 確認を取るような言い方だが、俺には責めているようにしか聞こえなかった。俺の被害妄想だけではなく、実際にそうなのかもしれない。
「そう……ですね……はい」
「神子様、失敗は絶対に許されません。万が一、島に災いがもたらされたら、すべてあなた方のせいだと噂されるのです」
「……………………」
 愚痴はすべて受け入れるしかない。実際、すでに失敗へ足を踏み出しているのだから。
 長い長い廊下だった。花嫁衣装の重さもあり、歩く歩幅は小さくなる。隣に歩くのは幸春さんではなく、心許さない宮司だ。前までは神社で会うたびに天気やキツネの話など、仲良く話せていたのに。儀式の日が近づくたびに、心の距離は伸びに伸びている。ぴりぴりしているも失敗は許されないからなので、仕方ないところもある。
 廊下を進んでいくと、二手に別れる。左にはすでに旦那様となる人が待機している。彼も真っ白な汚れのない色で身を包んでいた。
「さあ、花嫁様は右へ」
「あの……」
「なんでしょう?」
「幸春さんは……」
「また彼ですか……あなたは結婚するのでしょう? 他の男性を気にしている場合ですか」
 四六時中、彼を見ていないとおかしくなる病にかかっているし、治すつもりもない。きっと永遠にこのままだと思う。例え彼が結婚して、俺から離れていこうとしても。
「さあ、お行きなさい」
 『絶対に失敗してはいけない緊張感』があれば、心臓がはちきれて倒れただろう。緊張感はあるにせよ、大型の爆弾というより水風船レベルのものだった。対して痛手じゃない。俺にとってはこの後の儀式が重要で、逃げたくて逃げたくてたまらなくなっていた。日が経つごとにこんな気持ちが膨らむばかりで、幸春さんを見るたびに加速していった。
 引き戸が引かれると、まずは稲荷様が呼ばれる。歓声が上がるが「お静かにお願いします」の声に、ざわめきが一瞬で消える。その代わり、カメラのシャッター音が凄まじいほど鳴り響く。
 扉が開いた。またもや歓声が上がるが、先ほどより控えめだ。綺麗、美しいと、普段は絶対に言われない称賛の声が降り注いだ。
 神官の前まで行き、一礼する。横から宮司がやってきて、持っている米や野菜、山で採れた果物などを台へ置いていく。稲荷様への貢ぎ物を表していた。
 作物で満たされたところで、神官は巻物を広げ、お経のように読んでいく。適度な緊張のせいか、頭に全く入ってこない。俺ですらこうなのだから、拓郎は絶対に聞いていない。
 漆器の器を渡され、中に白濁した液体が注がれる。甘酒だ。さらりとしていて飲みやすかった。アルコールは入っていないのに、緊張で固まった身体に熱がこもる。
 もう一度、今度は違う巻物を神官は読む。さっきとは違い、小難しい内容ではなくて、愛を誓うかどうかだ。
「はい、誓います」
 拓郎は答えた。いつものぶっきらぼうな言い方で、けれど声の調子が良くない。
「はい……誓います」
 彼と同様に俺も答える。あくまで儀式だ、本物ではないと奮い立たせながら。
 最後に神官へ再び頭を深く下げ、これで儀式は一つ終了となる。回りからは暖かな拍手とフラッシュが起こった。元々俯き加減でいたためか、顔が見たいと声が上がる。
 ゆっくりと階段を下りると、人が波のように避けていく。この後は二人で島を回り、海辺を歩き、神社へ戻ってくる。その足で最後の儀式を行う社に入るのだ。
 ライスシャワーが頭上から降り、ぱらぱらと花嫁衣装に当たる。地面を引きずる衣装は宮司が持ち、俺たちは一歩一歩足を進めていく。
「ほら」
「え、なに?」
「腕」
 掴めということか。差し出された腕に手を回すと、悲鳴に似た声が辺りから聞こえた。
 動きづらい格好だからだろう。けれど拓郎の優しさは、何か裏があると疑惑がわんさか沸いてくる。優しさを踏みにじる行為はしたくないので、軽く腕に触れるだけに留めた。それでも黄色い声が沸く。何がいいのか分からない。
 村を歩き、海辺を進む。どこも幸春さんと想い出のつまった場所だ。大きなカメラで待ち構えている人たちがいて、無意識なのか拓郎は足が早くなる。こういうときはお互いに波長が合った。
 長い長い道のりを歩き、ようやく神社に戻ってきた。これからが本番だ。何時かは分からないが日はすでに沈んでいる。
「お疲れ様でした。夕食をご用意しておりますので、こちらへ」
 最後の儀式の間に行くと、座卓にはたくさんの料理が並べられていた。真っ赤で大きな魚が目を引き、高級料亭の食事のようだ。
「食事を終えましたら、二人はそれぞれ禊に入って頂きます。湯浴みの準備を致しますので、お二人はごゆっくりお食事を召し上がって下さい」
「あの、これ脱いでもいいですか?」
「ええ、構いません」
 拓郎は勢いよく脱ぎ始めた。男同士だし別になんてことはないが、もう少し衣装を傷つけないよう配慮はないのか。
 宮司に手伝ってもらい、ようやく重い枷を外した気分だ。下には襦袢を着込んでいたので、そのまま席につく。いち早く着替え終えた拓郎はもう甘酒を口にしてた。
「すっげー腹減った。砂浜にいたカニすら焼いて食いたくてたまんなかったぜ」
「猫背気味に歩いてたから背中も肩も痛い」
 まずは食事だ。人間、疲れてくると甘いものを欲するというが、目の前の魚や煮物を素通りして紅白饅頭を手に取った。
 小さめの饅頭を二つ平らげた後、ようやく食事に取りかかった。
「さっきから炭水化物しか食ってねーじゃねえか」
「いいの! 疲れたし、体力回復だよ」
「これからもっと疲れるしな」
「……………………」
 時限爆弾を起き、自ら爆発させていくスタイル。
 こういう雰囲気になると分かっていて、なぜいちいち口にするのか。
「あの、さ…………」
「なんだよ」
「ほんとにするの?」
 拓郎は串に刺さった魚の塩焼きを頭からかぶりつき、口を動かしている。豪快な食べ方だ。
「するだろ」
「ふりだけってことは……」
「あれだけ儀式の稽古も真面目してたのに、今さらしないって? なんで」
「俺だって最初は観光客のためとか島の人たちのためとか、絶対に成功させるって思ってたよ。でもさ、こんなのっておかしくない? 儀式ってただの性行為じゃん。親も知らないんだよ?」
「知ってたら大騒ぎだろ」
「普通、好きな人とするものでしょ」
「ならしたって問題ないわけだな」
「……………………え?」
 綺麗に木の棒だけが残り、拓郎は皿に戻した。
「気づいてないのお前だけだ」
「どっ……え……なんで……?」
「兄貴もとっくに気づいてる。お前はあいつのこと優しくて面倒見の良いお兄さんレベルにしか思ってないだろうがな、中身はどす黒いヤバい奴だぞ。仮面被ってるだけだ」
「……………………」
「俺よりあいつの方が俺に喧嘩をふっかけてきやがるんだ。まあ……俺も喧嘩っ早いのは事実だけどよ」
 拓郎のさまよう手はおにぎりを掴み、大きな一口で半分も口に入れる。
 話はぶっ飛びすぎているが、少なくとも拓郎が俺を好きだと。そう聞こえた。
「……いつから、好きなの? 」
「ガキの頃から」
「知らないよ。拓郎いつも俺には意地悪するし、なんで今さら……」
「言おう言おうと思ってたのに、お前が兄貴ばっかになつくからじゃねーか!」
「なんだよ、それ! だいたい昔から意地悪ばっかりだったじゃん! 海に突き落としたり、前に俺が転んでも笑ってるだけだったし。いつも立たせてくれるのは春兄だよ」
「あいつは俺から甘い汁を吸って生きてるだけだ。俺は欲望に忠実なんだよ」
「けど、表面上でも優しい人と優しくない人なら優しい人を好きになるよ。拓郎は論外すぎる」
 じろりと鋭い目で見てくるので、座卓の下で身構えるが、何も言い返してこなかった。
「俺じゃ……ダメか」
「無理だよ……春兄が優しすぎるもん。しかも夕方に見る海くらいにきらきらしてるし」
「なんだよそりゃ」
「そういう人って、俺の知る限りでは春兄だけなの。春兄は自分で暗黒だとか言ってるけど、春兄も春兄で表面上しか見えてないんだよ。本当は心の底に綺麗なものがあるのに。そういうところが好きなんだ」
 思えば、拓郎と腹を割って話すのはこれが初めてかもしれない。いつもきれて怒り出すのも拓郎で、彼は少し大人になった。だからと言って恋愛感情は微塵もないけれど、年齢的な意味で大人になったら、お酒を飲み交わす間柄にはなれるかもしれない。
 拓郎もそんな空気を感じているのか、黙って甘酒に口をつけている。残り少ない最後の甘酒をお猪口に注いでも、彼は奪おうとしないし文句も言わなかった。ぶっかけられるくらい、覚悟していたのに。
 頃合いを見計らってやってきた宮司は、ほとんど残っていない食事を満足そうに見つめ、
「そろそろ湯浴みの時間です」
 ときが来た。いつまでもこうしてはいられない。
 甘酒のおかげて落ち着いていた心臓が、再び音を打ち鳴らす。
「…………行くか」
「…………うん」
 どうにかするしかない。どうにかならなくても、うまくごまかすしかない。
 座卓に手をついて立ち上がると、アルコールは入っていないのにふらついて上手く立てなかった。
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