夕凪に浮かぶ孤島の儀式

不来方しい

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第二章 非日常

014 九月(二)

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 あのとき、拓郎は何を言いたかったのだろう。
 砂をかけられてからは、学校でも分かりやすいほどに避けられている。俺も避けてもらった方が有り難いが、こうもあからさまだとちょっとイライラしてしまう。
 席替えをして、残念なことに隣になってしまったのだ。不公平なくじ引きだと訴えも虚しい結果となった。祭りも近く、夫婦だとからかわれ、腹立たしさと言ったら例えようがない。
 拓郎とは、喧嘩して仲直りをする間柄ではない。喧嘩をして溝が深まり、さらに喧嘩をして溝を埋めていくタイプ。塞がったようで少しつつけば簡単に穴が空いてしまう。つまり、相性が悪すぎる。
 逆に兄の幸春さんは、喧嘩してもすぐに仲直りをして、ヒビは塞がるし元よりも綺麗な道ができる。泥だらけの道路が丈夫なコンクリートになるイメージ。穴が空いた瞬間から、塞ぎたくてたまらなくなる。なので、喧嘩らしい喧嘩はほぼしたことがない。
「あ」
 拓郎は筆箱の中を漁り、しまったと呟く。目が合ってしまった。
「消しゴム」
「え……それはむり」
「あるだろ、そこに」
 机には使いかけの消しゴムが一つ。そういう問題じゃない。触れられたくないのだ。
 九月に入ってからの人生の岐路だ。なんとか打破しようと筆箱を漁ると、前まで使っていた残りの欠片がある。残骸を隣の机に置いた。
「なんだよこれ。ゴミじゃねーか」
「ゴミじゃなくて消しゴムです。あげるんだから感謝してよ」
 舌打ちしつつも拓郎は受け取り、八つ当たりをするようにノートに擦りつけている。この消しゴムだけは、渡すわけにはいかないのだ。子供じみたおまじないがかかっていて、ケースを開けられたらいろいろとばれてしまう。
 訝しむ拓郎を無視し、さっさと筆箱にしまったところで授業を終える放送が流れる。今日は幸春さんと帰る約束をしているのだ。1か月間、稽古を頑張ったご報告に、アイスクリームを買ってくれるらしい。
 三年の教室には行きづらいと話したら、幸春さんが迎えに来てくれると言った。けれどそれもなんだか恥ずかしいし拓郎には見られたくなかったので、間を取って今日は使われない生徒会室で待ち合わせすることになった。
 生徒会室からは声がする。幸春さんだと思って、ノックをして開けたら、電話中の生徒会長がいた。あからさまに嫌な顔をされてしまった。
「ご、ごめんなさい」
「入れ。ユキから言われてる」
 ユキ。彼らはアキとユキと呼ぶ仲だ。
 こっそり物音を立てずお邪魔すると、生徒会長は黙って資料を読み始めた。俺の存在なんてないようなもので、彼の世界には俺は必要ない。
「天気が良いですね」
 声をかけてみるが、やはり返事はない。端から期待はしてはいけない。
 余分にある椅子に座ろうにも気が引けて、俺は立ったまま窓枠に手をかけた。
 空は青い。もうすぐ秋がくる。今年の祭りは十月に行う予定だ。禊で行った行為を俺は一人でこなし、儀式に備えなければならない。観光客やマスコミがわんさか訪れるだろう。
「…………あるか?」
「え?」
 何か聞かれた気がして振り返ると、無愛想な彼は俺の鞄を見ている。
「消しゴムはあるか?」
「……………………」
 なぜ今日に限って忘れる人が続出なのだろう。
「ないです」
「嘘つけ」
「生徒会長のは……」
「あいにく、鞄は教室だ」
「置きっぱなしって、不用心なんですね」
「……資料を取りに来たら先にいたユキに、緊急で呼び出されたからお前が来るまでここにいろと言われたんだ」
「それは……失礼しました」
「消しゴム」
「っ……二重線で引いたらいいじゃないですか」
「余計なことを書くのは嫌いなんだよ」
 こういう性格の人がいるのも分かる。資料でもノートでも余計なものを書かず、分かりやすくまとめるのタイプの人。幸春さんも綺麗にまとめるが、ここまでじゃない。
「何か貸せない理由があるのか?」
「いろいろ……です」
「ならいい。ユキに借りる」
「俺がなんだって?」
 用事を終えた幸春さんが、教室の扉を開けた。
 緊迫した空気がどうにも嫌で、助けを求めるように彼の制服を掴む。
「消しゴムを取られそうになっただけ」
「なんだと? 誰が取ろうとした? 貸してほしいと言っただけだ」
 生徒会長の荒げた声に、びくりと身体が跳ねる。
「アキ、上級生が下級生にお願いしても、そう取られたりするものだよ。二年の差は大きいんだから」
 二年の差は大きい。そうだ。それで寂しい思いも何度もした。
「俺が貸すから」
 幸春さんは鞄を漁り、生徒会長に渡した。触れ合う指すら悔しくて、反対側の手を握った。幸春さんは「ん?」とこちらを向いて首を傾げるだけで、手はそのままだった。
 その様子をじっと見つめるのは、生徒会長である。
「俺はもういなくていいな。あと部外者を勝手に入れたりするな。待ち合わせにも使うな」
「ごめんごめん」
「じゃあな」
 扉の閉まり方が怒りのこもったもので、残された俺たちは呆然と見つめた。
「何か喧嘩したの?」
「してない……。多分、俺が生徒会室に入ったから怒ったんだと思う」
「それくらいで怒るような奴じゃないよ」
「じゃあ、俺が消しゴムを貸さなかったから?」
「それは可能性があるね」
 幸春さんの冗談で場は元通りになり、ふたりで船乗り場とは反対側のアイスクリーム屋へ向かった。
 手を繋ぎたいが、ここは孤島じゃない。男同士で手を繋げば、井戸端会議のネタにされるだけだ。
 手をさまよわせていると、幸春さんはそっと手を掴んできた。
「最近、繋ぎたがるね」
「なんで分かったの?」
「湊のことだから。ずっと子供の頃から一緒だったんだよ」
「そ、そうだね……でも、」
「ほら、いいよ」
 大丈夫だろうか。ケーキを食べに行ったときのように、大人数の中に紛れるわけではない。同じ高校の制服を着ている人もすれ違う。
 揺れに揺れた結果、俺は軽く手を握る道を選んだ。俺の天秤なんてたかが知れている。そもそも天秤自体、壊れているのかもしれない。唯一の抵抗は『軽く』添えることだ。
「クラスの男子が噂していてさ、ここのアイスが美味しいんだって」
「女子じゃなく男子なんだ」
「そうそう。うちのクラスには甘いもは食わんなんて、硬派を気取る男はいないからね。女子よりこういう情報は早いかも」
 おかしそうに幸春さんは笑う。つられて俺も笑った。
 中に入ると入り口を見る数名の生徒がいた。すぐに逸らされるはずの視線は腰の位置で留まる。気づいていると思うのに、幸春さんは手を離さない。
「頑張ったご褒美だよ。さあ、どれがいい?」
「んー……、あっちの食べていい?」
 コーンで食べるよりも値段の高いワッフルタイプのアイスクリームだ。一度は食べてみたかった。
「いいよ。俺も同じものにしようかな。チョコのアイス」
「俺、アップルパイ味がいい。シナモンが利いたやつ」
「好きだね」
 アップルパイ味には、リンゴの蜜煮も加わり、シナモンもたっぷり振りかけてある。幸春さんの頼んだチョコレート味には、ごてごてのチョコレートの固まりが練り込んである。
 奥の席に腰を下ろし、夢中で食べ始めた。孤島では売っていないアイスクリームの味だ。
「あー、美味しい。死ぬ直前に何食べたいか聞かれたら、これでもいいかも」
「死ぬ間際にアイス?」
「……やっぱり卵かけご飯にする」
「俺もだよ。やっぱり米が食べたい」
 一口ずつ味を交換して、最後にしっとりしたワッフルと一緒に食べた。ワッフルには砂糖の固まりが所々についていて、食感が面白い。
「今日、難しい宿題を出されたんだって?」
「難しい……? そんなのあったっけ?」
「あれ? 廊下で拓郎に会ったら、嘆いてたけど。今日は早めに帰るって愚痴零してたよ」
「ああ……多分、数学だと思う。俺もあまり得意じゃない。春兄に教えてもらいたいなあ」
「いいよ」
「……いいの?」
 幸春さんは微笑んでいる。俺の裏の顔で汚したくない爽やかさだ。隣に移動したくて勉強を教えてほしいと言っただけなのに。
 俺が立つより先に、幸春さんが隣に来てくれた。腰に回る手がぞわりとするし、心地よくもある。
 書き写したノートを見せると、解きやすいように方程式の見本を書いてくれた。
 見本を見ながら解いていると、幸春さんは俺の筆箱の中を見ている。
「あっちょっと待って!」
「ん?」
「けっ消しゴム……」
 筆箱の中には例の消しゴムがある。幸春さんは手に取り、俺に渡してきた。
「あああ……触っちゃった……」
「触ったらいけなかった?」
「おまじないかけてたの」
 幸春さんの目が細まる。
「へえ……そんなのもあるんだね。何を書いてたの?」
「消しゴムのおまじないって、聞いたことない?」
「ないよ。初めて聞いたなあ」
 なら、ちょっとだけ嘘を交えて話してもいいだろう。
「名前を書くの。その、仲良くなりたい人の名前。最後まで使ったら、願いが叶うんだ」
「それで、湊は誰の名前を書いているのかな?」
「……………………」
 こっそりと、消しゴムのカバーを取った。
 『幸春』の文字に、幸春さんは小さく笑って楽しげに呟いた。
「嬉しいなあ。そっか、俺と仲良くなりたいのか」
「でも本当は触られたりしちゃダメなんだよ」
「大丈夫。きっと叶うよ」
「そうかな……」
 彼が言うのだから、そうなんだろう。そんな気がしてきた。
「俺も湊の名前書こうかな」
「ほんとに? 嬉しい。そしたらもっと仲良くなれそう」
 膨らみ始めた話に、ちくりと心が痛んだ。
 本当は『仲良くなりたい人』じゃない。『好きな人』の名前を書いて最後まで使い切ると両想いになれるというおまじないだ。言えたらどんなに楽か。いずれは告白したいとも思うが、儀式前にそんなことを言ってしまったら、後戻りができなくなる。きっとふたりで愛の逃避行なんて夢の世界を味わいたくてたまらなくなるだろう。
 楽しいデートのはずが、少し切ない日となった。
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