夕凪に浮かぶ孤島の儀式

不来方しい

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第二章 非日常

013 九月

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──禊を行う間は、誰にも会ってはならない。
 教えなどとうに破られたまま、九月を迎えた。
 荷物は幸春さんが持ってくれ、家の前までくると、母が心配そうに見つめていた。
「こんな暑い中、待ってなくていいのに」
「幸春君がいてくれても心配なのは親心なのよ。一か月も顔すら見られなかったんだから。ありがとうね、幸春君。お茶していかない? ケーキ焼いたんだけど」
「ありがとうございます。いただきます」
「拓郎君も呼んできてくれる?」
「えーっ」
「なにその声は。あなたたち結婚するのよ?」
「せっかくいい気分で帰ってきたのに」
 幸春さんは頑張ったご褒美をくれると言った。俺は迷わずキスしたいと申し出て、ついでに帰りは手を繋いで帰りたいと伝えると、すぐに叶えてくれた。ちょっとでも恋人気分を味わいたかったのだ。
「湊は先に入ってて。拓郎連れてくるから」
「うん…………」
 不機嫌を隠そうともしない俺の態度に、幸春さんはなぜか機嫌がいい。
 玄関まで匂っていたが、リビングではさらに甘ったるい香りがする。アップルパイと、冷たいバニラアイスクリームだ。
「禊はどうだった?」
「普通に終わったよ。春兄がいたし、特に問題ない」
 できるだけ母の目を見ずに早口で言い、早く食べたいと促しながら話題の切り替えをはかる。
 問題があるかといえば、大ありだ。嵐が起こったり火山が噴火してもおかしくないほど、書物の内容からかけ離れた稽古を行ってしまっている。
 口吸いも口淫も、初めては稲荷様でなければならなかった。特に口淫は重箱に入っていた棒を使って行うものだった。幸春さんは大丈夫の一点張りで、あの場は流されてしまったが、本当はいけないことだと分かっている。けれど、ふたりで密事を作ったみたいで嬉しくもある。こうなった以上、災いが起こらないように祈るしかない。
 遅れて幸春さんと拓郎がやってきた。拓郎の素っ気ない挨拶にも母は動じずにこやかに受け、なぜか彼は俺の隣に座る。
「禊はうまくやったのか? 災いが降ってきたらお前のせいだかんな」
「挨拶もなしに第一声がそれ? 今災いが降ってきたんだけど」
「なんだよ」
「拓郎が隣に座った」
 拓郎は俺の椅子を蹴る。蹴り返してやりたかったが、幸春さんの手前もあり、おとなしくする道を選んだ。ちょっとはかしこくなったところを見せたい。
「相変わらず仲が良いのね。二人は飲み物は何が良い?」
「アイスコーヒー」
「あ、俺も同じものを」
「湊は?」
「おんなじやつで」
 幸春さんは俺の斜め前に座る。母の席を分かっているので、あえて避けて座った。
「不自由はしなかった?」
「特に何も。食べたいものとか、言えば持ってきてくれたし。人と会っちゃいけないって言われてたけど、春兄が一緒だったから。そっちは一か月なにしてたの?」
「いつも通りよ。最初は湊がいないのが分かっていても、多めに煮物を作っちゃったりしてね」
「俺は春兄から家族の話とか聞いてたから、そんな寂しくなかった」
「ありがとうね、幸春君」
「いえ、湊はがんばり屋さんでしたよ。ね?」
 幸春さんに微笑まれ、全身から煙や湯が吹き出しそうだ。あんないやらしい顔をしていたのに、切り替えが早い。餌をもらえないと分かったときのキツネ並みの早さだ。
「そういえばね、大きなカメラを持った人が来たのよ。拓郎君に追い返してもらったんだけど」
「また?」
「また?」
 復唱されてしまった。
「や、えーと……禊に入るまえに、一回会っててさ、そのときも拓郎に……」
 そうだった。あのときも、拓郎は助けてくれた。
 掴まれた手は意外と大きくて、驚いた記憶がある。拓郎も男性だったと、ほんの少しだけ意識した。
 そんな拓郎はというと、なんとしてもアップルパイにバニラアイスを乗せて食べようと奮闘している。
「儀式を行う息子の母として撮らせてほしいって言われて……」
「断ったよね? 絶対にダメだからね」
「断ったわよ。アイスが溶けるから早く食べちゃいなさい」
 幸春さんはすでに食べ終わり、アイスコーヒーを飲んでいる。俺も残りのアップルパイを口に入れた。
 母は残りのアップルパイを包んで、家族で食べてと幸春さんに渡した。目の肥えた人選はさすがだ。拓郎に渡したら全部食べられてしまうに違いない。
「念のため、幸春君たちも気をつけてね。知らない土地に連れていかれでもしたら……」
「はい、気をつけます。マスコミのふりをして、人攫いの可能性もありますからね。アップルパイもありがとうございます」
 拓郎は何か言いたげに俺を見下ろし、腕を掴んだ。
「ちょっとこい」
 離して、という前に、幸春さんが間に入ってくれた。
「話すだけだ。別に何もしねえよ」
「……春兄、話してくるよ」
 幸春さんは俺と拓郎を交互に見つめ、肩から手を退けた。
 アップルパイの甘い香りに包まれながら、俺は拓郎と一緒に海辺へやってきた。幸春さんとも何度も来た想い出の場所だ。拓郎とも来て、海に投げられたり沈められたりもした。思い出したくないものも詰まっている。
 海辺で立ち止まった拓郎は振り返り、座れと顎で指図する。一人分の距離を置いて、横に座った。
「何か用?」
「なきゃ呼んじゃいけねえのかよ」
「……眠いし、お昼寝したい」
「なあ」
 遠くから見ていたキツネがやってきた。俺と拓郎との間に座り、一緒に海を眺めてくれる。二人だと居心地が悪いので、助けられた。
「禊って、何やったんだ?」
「春兄から聞いてるんじゃないの?」
「あいつは教えてくれなかった。書物もどこかに隠しやがったんだ」
 それば見せられるわけがない。血管が浮き出た男性性器が生々しく載っている絵もある。こと細かに書かれた内容は、目を伏せたくなるものばかりだった。
 稽古の最中、書物を目の前に置かれ、読ませられたあの体験は一生忘れないし、ひりひりする後部の穴がずくんと疼いてしまう。
「儀式の説明だよ。衣装の着方とか、そんな感じの」
 嘘は吐いていない。実際に幸春さんに着せてもらった。ただ大事な内容を隠しているだけだ。
「なんで拓郎が気にしてんの?」
「将来結婚するんだぞ? 未来の旦那に嘘つくのかよ」
「結婚は儀式ってだけでしょ。実際にするわけじゃないんだから……痛いっ」
 苛立ちをそのままに、拓郎は砂を掴むと俺にふっかけた。隣にいたキツネにもかかり、小さく鳴く。
「ちょっと! なんでいつも暴力的なんだよ! キツネは何の罪もない!」
「ああ、ないね。お前にはあるけどな」
「もういい! ここに来た俺がバカだった」
 目を開けると風も当たり、痛みが出る。涙が頬を流れ、しぱしぱさせていると、いくらかは開けるようにはなってきた。
 可哀想なのはキツネだ。入った砂を取ろうと手で目を擦ろうとしている。
 まだ大人になりきれていないキツネを抱き上げると、すぐに家に戻った。あばられることもなく、黙っておとなしくしているが、やはり違和感はあるらしく、時折腕を動かそうともがく。
「ごめんね。すぐに洗ってあげるからね」
 庭に連れていき、立水栓から出る冷たい水で目を洗ってやると、ついでに身体も洗えと横になってしまった。
「可愛いなあ」
 手で擦りながら洗ってやると、冷たくて気持ちいいのか、されるがままになっている。
 家の前に一匹のキツネがやってきた。今洗っているキツネよりも大きく、中に入ってこようとしない。
「おいで。ついでに洗ってあげる」
 呼んでも身ぶりで招き入れようとしても、キツネはこちらを一心に見つめるだけだ。
 子キツネは気づいて立ち上がり、大きなキツネの元に行ってしまった。二頭は小さく鳴いて、森の方へと歩いていった。
「多分、お母さんかな」
 キツネは子育てをしっかりする生き物だ。大きくなった子キツネに対してもまだ子離れせず、片時も離れようとしない親キツネもいるくらい、絆がしっかりある。人間だと疎ましい存在に見られがちだが、キツネは可愛いで済まされてしまう、罪深き生き物。
 ついでに自分の目も洗って砂を落とし、家の中でシャワーを浴びた。布団に入る頃には瞼が重く、気絶するように眠りについた。
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