夕凪に浮かぶ孤島の儀式

不来方しい

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第一章 日常

06 六月(三)

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 昼食を食べ終わり、残る種目は二人三脚だ。
 憂鬱なまま校舎を出ようとすると、ちょうど拓郎と鉢合わせした。
「借り物に何書いてたんだ?」
「言うわけないじゃん」
 興味があるのかただの好奇心か、拓郎はそれ以上聞いてこなかった。
 ふたりで隣を歩くことなんて、ほとんどない。また何かされるのではと、トラウマから足取りが重くなっていく。
 あんなに晴れていた空は、灰色の雲で覆われていた。雨が振っても傘がない。天気予報は晴れしか言っていなかったし、まさか太陽が隠れるとは思いもしなかった。
「ヤバいって! 雷鳴ってる!」
「うそ? 残りの種目はどうすんの?」
「中止じゃない? さすがにできないでしょ」
 生徒たちが騒ぎ出した先に、空は縦に光り、遅れて破壊音と女子特有の甲高い声が耳に届いた。
「これは中止かもな」
「うん」
 轟音の後は、乾いた地面が徐々に濡れていった。一気に強くなる雨は、横殴りに叩きつけて草花をしならせていく。
「お前たち、中に入れ」
 名前も知らない教師から言われ、俺たちは教室に戻った。半分以上がすでにいて、先を見越してすでに制服に着替えている生徒もいる。
「やっぱり中止っぽいよ」
「この雨じゃあねえ」
「夫婦で喝采浴びるチャンスだったのに、残念だったな」
 いじる男子生徒を睨むと、彼は狼狽えた。
 すぐに担任がやってきて、体育祭は中止だと正式に発表される。喜ぶ人も残念がる人も、話題は傘がないだの、いつ止むのかと雨の話題に変わっていく。早急に止んでくれないと困る。
 天気が荒れると、海も荒れる。フェリーも出せないし、こういうときは近場で宿泊することになる。明日は休みだからいいが、次の日が学校だと慌ただしく時間に追われてしまう。中学時代は先生も稲荷島の生徒には慣れっこだったようで、翌日はいったん家に戻ってゆっくりおいでと言ってくれた。義務教育が終わった今は、一限目も休み扱いになる。
 ホームルームの後も、生徒はなかなか廊下に出ようとしなかった。どうしようか玄関でうろうろしていると、後からやってきた拓郎の手には折りたたみ傘が握られている。
「入れねえぞ」
「何も言ってないじゃん」
 相変わらず憎まれ口を叩く。どうして穏やかに会話ができないんだろうか。
「入るくらいなら止むまで待つよ」
「……勝手にしろよ。知らねー」
 憎まれ口なのは俺も同じだ。拓郎が相手だと素直になれない。また何かされるのではと、身体が強ばる。
 拓郎は何か言いたそうに、けれど舌打ちだけを残し、さっさと校舎から出ていってしまった。小さくなる拓郎を見つめ、見えなくなると雨音が耳に残った。
 幸春さんは大丈夫だろうか。拓郎も傘を持っていれば、幸春さんも持っている可能性がある。
──大丈夫? 傘持っていかなかったでしょ?
──うん。
──フェリーも出ていないわよ。またそっちでお泊まりさせてもらいなさい。
──そうする。
 母のメールに、泊まりは確定だ。毎年こういう時期があるので母も慣れっこだ。
 走って宿泊施設まで行こうか悩んでいると、よく知る声が聞こえてくる。
「雨全然止まないな」
「天気予報は所詮予報でしかないってことだ」
 最初は幸春さん、後は生徒会長。二人は一緒に帰るのか、そうなのか。
 幸春さんは鞄から傘を出し、生徒会長もビニール傘を手にしている。やはり持っていた。声をかけたいのにうまく言葉が出てこなくて、靴箱の裏でうろうろしていると、横を通る男性教師から胡散臭い目で見られた。
 靴箱の横にある傘立てを、大きな音を立てて倒してしまった。二人が同時に後ろを向く。幸春さんは驚いて、すぐに駆け寄ってきた。
「大丈夫? ぶつけてない?」
「だ、大丈夫……」
「びっくりしたよ。もう帰ったのかと思った」
 俺のことを考えてくれていた発言だ。涙が出るほどうれしい。
「春兄は? もっと遅くなるかと思ってた。生徒会あるし」
「あまりに天気が悪いから、先生から帰れって言われたんだ」
「ああ……それで」
 生徒会長と目が合うと、男性教師以上に胡散臭い目で俺を見る。視線で人をやれそうな勢いだ。全身で不愉快だと言っている。拓郎然り、俺は人を不快にさせる達人なのか。生徒会長とはまともに会話したこともないのに。
「もしかして、傘持ってないの?」
「…………うん」
「なんでメールくれなかったの? たまたまここで会ったからいいけど、この雨だと夜中になっても降ってる可能性があるよ」
「ごめん」
「ほら、おいで」
 幸春さんのおいで、は魔法の言葉だ。安心して身を任せたくなる。
 広げた空よりも濃い青色に、お邪魔させてもらう。昔はふたりで入っても余裕があったのに、今は肩がぶつかる。幸春さんの肩が高い位置にあり、あの頃とは違うと思い知らされた。
 生徒会長と並んで歩き、幸春さんは今日の体育祭での話をしきりに話している。俺にも振ってくるが、緊張してあまり頭に入ってこない。今は会話より、相合い傘に気を取られている。
「今日はさすがにフェリー出てないよなあ」
「言い忘れてた。出てないってお母さんからメール来たよ」
「やっぱり? ならこっちで宿泊していこうか」
「家に帰れないのか?」
 口を閉ざしていた生徒会長は、不機嫌を声に表した。
「慣れてるよ。台風のときもフェリーは動いてないしね。稲荷島の子供は格安で泊めてくれる施設があるんだ。夕食と朝食つきで」
「へえ」
「じゃあアキ、俺たちはここで」
 生徒会長は幸春さんにだけ声をかけると、俺を見もせずに角を曲がった。
 足下がすでにびしょびしょだ。靴の中まで水浸しで、明日まで乾かないかもしれない。
「昔と違って、話さなくなったね」
「そうかな……」
「湊も大人になったなあ」
「ちょっと緊張してるだけだよ」
「なんで?」
 こんな雨なのに、幸春さんはご機嫌で楽しそうだ。鼻歌でも歌ってしまいそう。
「春兄と、一緒だし」
「ふふ、そう? 昔みたいに、雷怖いから抱っこしてって甘えてくれていいんだよ」
「そんな昔の話……確かにあったけどさっ。抱っこしてって言ったら抱っこしてくれるの?」
「……していいの?」
 答える前に、前方から強風が襲ってきた。なんてタイミングなんだ。
 幸春さんは少し前に傾け、見えてくる宿泊施設に早く行こうと促した。
 施設に入るなり、宿の女将さんはタオルを手に俺たちを出迎えた。
「あらあ、随分強くなってきたわねえ。拓郎君はもう来てるわ。別室がいいのよね?」
「はい……お願いします」
 別室がいいとは、同じ意味でも女将さんと俺たちとでは相違がある。
 俺は拓郎と一緒の部屋で寝ることはできない。儀式の相手とは、初夜で同室を過ごすことが初めてでなければならないのだ。小さかった頃は雑魚寝をしたりしたが、思春期に入る頃には禁じられている。女将さんは細かな儀式の内容について知らないはずだが、儀式を担う二人は一緒に夜を過ごせないと知っている。
「部屋は拓郎君がいなければふたりは一緒でも構わないのね」
「え、ええ?」
「はい、構いません」
「夕食は七時ね、はいこれ鍵」
 戸惑う俺をよそに、鍵を受け取った幸春さんはさっそく部屋の番号を確認している。
「俺たちは二階だよ。行こう」
「う……うん…………」
 流されて頷いてしまったが、別に佐狐家の人間と宿を共にしてはいけないという決まりはない。駄目なのは拓郎だけだ。
 扉は施錠できる部屋なのに、中は和式一色だ。ベッドはなく、二部屋のどちらも畳のシンプルな部屋だ。お茶一式もあるが、まずはシャワーを浴びたい。
「お先にどうぞ」
「年功序列じゃなくていいの?」
「そんなに年とってるように見えるんだ……確かに水あめもらえなかったけど」
「あはは、なら先にシャワー浴びるね」
 水あめの件はよほど気にしていたのか。おじさんとばったり遭遇したら、幸春さんの分ももらおう。
 浴衣を着て部屋に戻ると、幸春さんはお茶を飲んでいた。俺の姿を見るなり目を細め、
「去年の夏祭り以来?」
「かもね。そんなに着る機会ないし。どうかな?」
「うん……そそる」
「意味分かんないよ」
「あ、違う間違えた。可愛いって言いたかった。俺も浴びてくるね」
「ごゆっくりどうぞ」
 入れ違いに女将さんがやってきて、テーブルに夕食を並べていく。今日は鯵の煮付けがメインだ。生姜とよく煮込んでいるのかとても利いていて、さらに千切りにした生姜も乗っている。デザートに小さな饅頭が添えられていた。いつもデザートが楽しみだった。
「お待たせ。お風呂から出たら良い匂いがしてお腹が鳴ったよ」
「俺も。待ってるの大変だった」
 高身長の幸春さんが浴衣を着ると、引き締まった足首が見えている。身長が伸びた証だ。
「どう?」
 おかしそうに、幸春さんは腕を広げる。
「う、うん……かっこいい」
「湊も可愛いよ。抱きつきたいくらい」
「えー、俺ってぬいぐるみみたいな感じなの?」
「ぬいぐるみだったら毎日ベッドで一緒に寝るのに……冗談だよ」
 きっと俺、顔が真っ赤だ。どうかばれませんようにと願う。お風呂は俺が先に入ったので、ごまかしもできない。
「……冗談って言葉は、逃げの言葉だし言い訳だよ。拓郎もよく使ってた。俺に暴力振るって親に怒られたりすると、いつも言い訳してた。最後には冗談通じないって逆ギレして、最終的にはなぜか俺が仲良くしろって怒られたり……ごめん、今すべき話じゃない。止まらなくなった」
「謝るのは俺の方だ。ここまで湊を追いつめたのは俺の弟だし、俺も冗談で言ったわけじゃない。さあ、冷めないうちに食べようか」
 別に嫌な雰囲気だったわけじゃない。ただ思い出話として語ったら、幸春さんが謝る羽目になってしまった。
 冗談ではなかったら、さっきの冗談はなんと捉えるべきなのか。「ぬいぐるみみたいな感じ」が冗談なのか「一緒に寝る」のが冗談なのか。冗談で言ったわけではないのは、どちらなのか。
 変に考え込んでしまったせいで、デザートの饅頭もちっとも味が分からなかった。舌がぴりぴりしているので、かろうじて生姜の味だけははっきりしている。
 食べた後は幸春さんに勉強を見てもらい、午後十時を過ぎたあたりであくびをしたので、彼は寝ようと布団を一瞥した。
「春兄ってけっこう遅くまで起きてるよね」
「お隣同士だから分かるよね。今日は湊早めに寝たなあとか思ってるよ。湊、おいで」
 聞き間違えだと思い首を傾げるが、幸春さんは横になりながら布団を持ち上げた。
「え、え?」
「一緒に寝よう」
「な、なんで?」
「冗談じゃないって言っただろ? 本気だから。寝よう」
 答えはすぐに分かった。「一緒に寝る」が冗談ではなかった。頭の中が無秩序状態で、拓郎と二人三脚が決まったときみたいにカオス化している。
「ほら、早くして」
 いそいそと移動すると、幸春さんの匂いでいっぱいになった。
 緊張と幸春さんの暖かさで息苦しい。
「俺と同衾なんてしちゃっていいの?」
「問題はないよ。ふふ……高校生になって初めてだね」
「うん…………」
 少しまずい状況だ。
 もぞもぞ足を動かし、なるべく下半身が当たらない位置に移動した。窓側を向けば、彼のいる方向と反対になる。外はまだ雨が強く、窓を痛めつけていた。
「ひっ…………」
 小さな悲鳴を上げてしまった。
 臀部の割れ目に固い何かが当たる。足でも膝でもない、熱を持った固い何か。
「あっ…………」
 小さな声に、後ろから息を呑む声がした。
 手が胸元に回り、腹部を撫で、膨らみかかった下半身に触れるか触れないかのあやふやなタッチでなぞり、手が離れていく。軽く触れられただけでも期待を寄せた欲望は熱がこもり、気持ちとは裏腹に勃ち上がってしまう。
「今日さ、雨が降って良かったよ。もし……湊が二人三脚に出ていたらと思うと、気が気でなかった」
 どういう意味だろう。頭の中がふわふわする。同衾しながら言わなければならないことなのか。
 相変わらずお尻につく熱さは固いままで、腰を揺らしたものだから割れ目に食い込みそうになる。
「…………先に寝てて。トイレ行ってくる」
 一度ぐっと強く腰を押しつけられ、すぐに離れていく。
 遠くで水音が聞こえるが、幸春さんはなかなか帰ってこなかった。俺も眠気が襲ってきて、そのまま意識を手放した。
 うっすらと記憶があるが、なんだか良い夢を見た気がした。
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