夕凪に浮かぶ孤島の儀式

不来方しい

文字の大きさ
上 下
4 / 19
第一章 日常

04 六月

しおりを挟む
「さあ、諸君! ついに六月となった! 我々は一年だろうが、勝たねばならない」
 黒板には大きな文字で、体育祭と書かれている。今時、新任教師でもあんな風にでかでかと書く人は見たことがない。
「勝ったところで何かもらえるわけじゃねえし」
 拓郎が呟くと、教壇にいる委員長は鋭い目を向ける。
「一生懸命やるという概念は、君にはないのか?」
「あるに決まってんだろ。人から与えられてやる気を出すのは苦手なんだよ。体育祭みたいにな」
 口を開こうとする委員長の前に、副委員長がすかさず間に入る。
「ほらあ、どうせやんなきゃいけないんだから、さっさと決めようよ」
 玉入れ、綱引き、千メートル走、百メートル走、部活対抗リレー、借り物競争、二人三脚。メインは千メートル走で、きっと一番盛り上がる競技。この中で一つは出ないといけない。絶望レベルの種目の中で、神が差し出したのは玉入れだ。これしかない。
 先着順なら絶対に一番だったのに、委員長は「人数が多いのでくじ引きにします」と残酷なことを言う。
 多分厳選なるくじの結果、俺は漏れた。面倒くさそうにしていた拓郎も同じ結果だった。第二候補の綱引きも残念な結果となった。
「借り物……」
「仁神君、出てみたら?」
「運動できないんだけど……」
 跳び箱ですら、クラスメイトがいる中で無様な姿を晒している。
「距離なんてたった五十メートルよ。いけるわ」
「俺の運動能力、舐めてるでしょ?」
「大丈夫。借り物は運なのよ」
 丸め込まれた俺は、結局借り物競争に出る羽目になった。残りは千メートル走と二人三脚だ。リレーは体育の成績順であっさりと決まり、二人三脚はリレー以上に人気がなく、これもくじ引きとなった。
 万が一、俺が選ばれたらどうしようと、リレーを走る直前の心臓を植えられた気分だ。あのまま激しく動き続けたら、俺は死んでしまうかもしれないと、どうでもいいことを考えていた小学生時代。結果、派手に転んで笑い者になった。泣くのをこらえて走りきり、手を差し伸べてくれたのは、言わずとも俺のヒーローだ。 
 順番が回ってきてくじを取ると、木の棒の先には赤い印。副委員長と顔を合わせ、いたたまれない気持ちになる。
「……………………」
「……………………」
「………………がんばれ」
「ごめん、うちのクラス勝てないよ」
 相手は誰だ。それが問題だ。
「佐狐君もじゃん」
「うそ、夫婦揃って?」
 佐狐の手元は、俺が引いたものと同じ棒を握っている。口を強く結び、いかにも機嫌が悪いです最悪ですと言いたげに俺を見下ろした。
 一部からは夫婦だとはやし立て、否定の言葉も出てこなかった。走馬灯のように嫌がらせの数々が浮かんでは消え、黒板の二人三脚の文字に頭を振った。
「じゃあ、二人三脚は仁神君と佐狐君で決まりね」
 夫婦だの結婚式には呼んでくれだの、好き勝手な発言は、心が外に捨てられたようだ。
 クラスのために練習はしないといけない。これ以上恥をかきたくない。幸春さんにも見られるだろうし、ちょっとは良いところを見せたい。けれど、どこで? 学校内となると今のようにからかいの目で見られるし、稲荷島は論外だ。誰かに変わってもらうこともできない。拓郎から逃げているようで、プライドが許さなかった。
「バージンロードを歩くと思えばいいじゃん」
「誰と歩くかは、俺が決めることだから」
 自分が思うよりも低めの声が出て、俺が一番驚いた。同じクラスに幸春さんがいないのが唯一の救いだった。
 フェリーを降りると、待ち構えていたのは数匹のキツネたちだ。稲荷島ではキツネがそこら中にいて、いつでもどこでも会うことができる。奈良公園では鹿、稲荷島ではキツネ。対抗意識を持つ住人もいるくらいで、観光客のお目当てでもある。
「どうしたの? おやつは今日ないよ?」
 まずは撫でろと、四本の足を上に向けた。お腹やあごを撫でると気持ち良さそうに体をひねる。犬と猫が合わさったような生き物だ。
「もう行くよ? 一緒に来る?」
 キツネは起き上がると、俺より先に行ってしまった。先に行っては待ち、どこかに案内しているようだった。
 鞄を家に預け、キツネについていく。一匹だったキツネは二匹に増え、もう一匹は足下に絡みついて歩きにくい。幸せな悩みだ。
 キツネの案内で着いたのは、島で一番大きな神社だ。古くて大きな建物が境内に並ぶが、手入れのおかげかそれほど古さは感じない。儀式はここで行われる。俺の姿にキツネたちは顔を上げるが、興味がなさそうにまた寝始めた。
「もっと奥に行くの?」
 境内を奥に進んでいくと、誰かの足音が聞こえた。歩いているというより、強く地面を蹴っている音。木の陰から覗くと、ジャージ姿の拓郎だった。何度も地面を蹴り、短距離を全力で走っている。
 しばらく呆然と眺めていると、拓郎はタオルを取って木の根元に座った。
「黙って見てんじゃねえよ」
「ここで練習してんの?」
「…………悪いかよ」
「悪いなんて言ってないじゃん。意外だって思っただけ。体育祭はあんなに嫌がってたのに」
「来い」
 こうしてまともに会話を交わしたのはいつぶりだろう。記憶がない。
 隣に座ると、拓郎は鞄から赤い紐を出し、俺の右足と拓郎の左足を結んだ。
「練習するの? ここで?」
「誰にも見られたくないんだろ」
「まあ……そうでしょ」
 見ているのはキツネだけだ。何が始まるんだと、寝ていた子たちも起き始める。
 拓郎の手が俺の肩に触れる。運動していたせいか体温が高い。大きくてごつごつしていて、まさに男の人の手だ。
「よーい、スタート」
「わっ、ちょっと」
 一歩を踏み出す直前、俺は派手に前に倒れた。拓郎は強い踏ん張りでどうにか転ばずに済んだが、交差する紐が痛い。
「本っ当にどうしようもねえな。立てよ、もう一回」
 二度三度とやってみて、分かったことがある。拓郎は俺に合わせない。なら、俺が合わせればいい。
「拓郎の出したいスピードに合わせるようにするから、歩幅は俺に合わせてよ。上背違うんだし」
 佐狐家の人はみんな背が高い。血筋としか思えない。
 二桁目の正直が生きるときがきた。スピードと歩幅が合致すれば、それなりの二人三脚が出来上がる。回した背中の肉を掴みすぎたせいか、隣からはとめどなく文句が連なるが、男の勲章だと思えばいいとつっぱねた。いつも俺ばかり言われっぱなしだから、たまにはいいだろう。
 夕日が沈む頃、神社を出ると、キツネたちもぞろぞろと後をついてくる。いくらべったりついて来ても、家の中までは入ろうとしないので、節度をわきまえている生き物だ。
「遅かったじゃない。拓郎君と一緒だったの?」
「…………まあ、たまたま」
「仲良くやんなさいね」
  げんなりしながら自室に戻り、空気の入れ替えをしようとカーテンを開けた。
「…………春兄」
「遅かったね」
「うん、体育祭の練習してた」
「わざわざ?」
「くじ引きで、出たくない競技に出ることになって」
 事情を説明すると、幸春さんは目がまん丸になり、おかしそうに笑う。
「拓郎と二人三脚かあ。あいつ合わせようとしないだろ?」
「しないしない。だから歩幅だけ合わせてって言った。そしたらなんとか形にはなれたよ」
「当日が楽しみだね」
「俺は楽しくないけど、春兄の走るとこはみたい。スマホで写真撮ってもいい?」
「楽しいかなあ、それ」
 彼はにかんでいる。嫌ではないと思いたい。
「俺もたくさん湊を撮ろう」
「えーっ、また転んでる写真?」
「あれはたまたま撮れただけだよ。シャッターチャンスで転ぶからね」
「活躍するから、もっとかっこいいところ撮ってほしい」
「分かった分かった」
 下で母がご飯だと呼んでいる。名残惜しくて離れられないでいると「うちもご飯だよ」と、幸春さんが先に手を振ってくれた。僕も振り返し、カーテンを閉めた。
 テーブルに並ぶハンバーグは、豆腐と鯖のハンバーグらしい。今日も父の帰りは遅い。母と二人で手を合わせ、さっそくハンバーグを割った。
「体育祭は何に出るの?」
「なんで知ってるの?」
「知らないはずがないでしょう? こんな小さな村だとすぐに噂は広まるんだから」
 当然と言えば当然だけれど、あまり触れてほしくない話題だ。
「二人三脚と……借り物」
「二人三脚は誰と?」
「………………拓郎」
「まあ、それで練習してきたのね。二人でやるって言ったの?」
「それは絶対にない。たまたまだよ」
「ふふ……そうなのね」
 母は楽しそうだ。母が笑うと嬉しいが、話題が話題なだけになんとも複雑。
「お願いがあるんだけど、魚釣ってきてくれないかしら」
「魚? 明日の分?」
「そうなの。卵も切らしてしまって、明日の朝に食べるおかずがないのよ」
「いいよ。食べたら行ってくるよ」
 明日は和食に決定だ。
 都会だと、夜に子供だけで外を歩くと変質者が出るらしい。村でも暗くなったら出て歩くなと教えられるが、村の誰かは常にうろうろしているので、安心感はある。
 夕食の後は一度部屋に戻って上着を羽織った。顔が見たいな、なんて乙女チックなことを思い、カーテンをめくってみた。
「………………びっくりした」
「やあ、奇遇。ご飯は食べた?」
「うん、魚のハンバーグだった」
「いいね。うちも魚だよ」
 偶然であっても、こういう偶然は何度あってもいい。
 幸春さんは窓に肩肘をつき、ジュースを飲んでいた。
「どこかに行くの?」
「母さんに魚釣ってこいって言われた」
「俺もついていっていい?」
「え」
「明日は学校休みだし」
 神様、ありがとう。きっと日頃の行いが良いおかげだ。品行方正で真面目に生きてきて本当に良かった。
 玄関で待っていると、なぜか幸春さんもバケツと釣り竿を持って出てきた。
「湊の付き合いで行ってくるって伝えたら、俺もなぜか頼まれたよ。飲みながら釣りしようか」
「やった」
 バケツの中には、炭酸飲料のペットボトルが入っている。
「それ、ふたつあるけど拓郎の分だったりする?」
「する。ストロベリーキャンディーを湊から奪い取ったから、お返し」
「わー、うれしいっ」
 キャンディーがソーダ水になって戻ってきた。ひと仕事を終えて手に入れてくれたジュースだ。きっと普段よりも美味しく感じるはず。
「ふたりっきりになるの、五月のゴールデンウィークぶりだね」
 いつもよりも低く、囁くような声は、緊張感を高めるのに充分だった。
「うん……そうだね。春兄が忙しいから、なかなかこういう機会ないよ」
「遊んでいるだけじゃ駄目な年齢になってきたってことだね。勉強もあるし、学校での生活もあるし」
 そっと繋がれる手は、どんな意味が込められているのだろう。
 友愛、家族、信頼、恋。四つ目の、最後だといい。こういうときに限ってキツネは近寄ってこないし、村人にも会わない。汗ばむ手に震えが起こり、何気ない幸せがずっと続いてほしいと願った。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

年越しチン玉蕎麦!!

ミクリ21
BL
チン玉……もちろん、ナニのことです。

だんだんおかしくなった姉の話

暗黒神ゼブラ
ホラー
弟が死んだことでおかしくなった姉の話

催眠アプリ(???)

あずき
BL
俺の性癖を詰め込んだバカみたいな小説です() 暖かい目で見てね☆(((殴殴殴

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

スライムパンツとスライムスーツで、イチャイチャしよう!

ミクリ21
BL
とある変態の話。

処理中です...