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第三章 母を追って

057 嵐の表面へ

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 メイドはダイヤモンドが光るネックレスを掲げて、
「彼方様の部屋にありました」
 緊張した面持ちで答えた。
 どよめくロビーの中、アーサーは腕を組み、何も言わずに彼女を見つめている。
 彼方はあ然とし、何が起こったのか分からない状況だった。
 他人ごとのようにネックレスを見ていた。
「部屋のどこに?」
 フィンリーは淡々と聞いた。
「ベッドの下です。私だけではなく、マルゴも一緒に発見しましたので、嘘ではないです」
 マルゴと呼ばれたメイドは大きく頷く。
「なるほどね」
 フィンリーは顎を撫でて唸った。
「やっぱりアジア人は信用できないじゃないの。屋敷に入れたのは失敗だったって私が言ったら、大人はこぞって人種差別はよくないって言ったわよね? でも私が正しかった」
 レイラは勝ち誇った声で彼方を睨んだ。
「違うなら違うって言いなさいよ」
「ぼ、僕は……」
「この状況で違うと言って、レイラは信用するのですか?」
 間に入ったのはアーサーだった。
「でも彼の部屋から出てきたじゃない」
「確かに彼の部屋から出てきたようです。それで、レイラの望みはなんでしょう」
「アジア人をもうこの屋敷に入れないで。それとアーサーお兄様は私の側にいて。この人と一緒にいたら、悪知恵をうえつけられる可能性だってあるわ。前に私が側にいてって言ったら、日本に行くって言って私の意見なんて聞いてくれなかった。とても寂しい思いをしたのよ」
「……分かりました。前者はのみましょう。後者は受け入れません。彼はこの辺の地域にうとい。ひとりでいさせるわけには参りません」
「だめ。それならメイドをつければいいじゃない」
「彼のフランス語は素晴らしいですが、癖のある言語はどこの国でも難しいです。会話もままならない中、ひとりで過ごせと?」
 呆然としたまま声を発せないでいる彼方をよそに、アーサーは断固として譲らなかった。子供相手でも、強気な態度を崩さない。
「OK、それなら僕が付き添うよ」
 フィンリーは両手を上げて参ったのポーズをした。
 兄弟で無言のにらみ合いが続く。
 長い数秒を終わらせたのは、弟だった。
「きっちり彼方君を見張っておくから、安心してよ」
 フィンリーは彼方の肩を抱き寄せた。
「ええ、お願いします。それと、むやみやたらにくっつかないように」
「はいはい、分かっているよ」
「それと、アーサーお兄様、スマートフォンも弄らないで。すぐに連絡しようとするでしょう? ここにいる間だけでもいいから、私のことだけを考えて、一緒にいて」
「ええ」
 アーサーの返事を聞くと、レイラは勝ち誇った顔でこちらを見た。
 アーサーは諦めた表情ではなかった。感情が見えない声で答えてはいるが、目の奥がまだ生きている。きっと考えがあるのだろう。
「じゃあ僕は、あちらの家に戻ります。フィンリーさん、ご迷惑をおかけします」
「じゃあ行こうか」
 それならばと、彼方も余計な口を挟まずに必要最低限を残して屋敷を出た。
 家に戻ってくるまで一言も喋らなかった。フィンリーも口を開こうとするが、タイミングが失ってしまって結局閉じるしかない。
「何か考えがある?」
 ドアを開けたとき、フィンリーが声をかける。
「今は何も。これからどうすべきか、最善の方法を考えます」
「それがいい。今日は美味しいものを食べて、ゆっくり休むんだ。君はご飯どうする? 冷蔵庫にたんまり材料がつまっているけれど、作る余力は残ってないでしょ?」
「いえ、作ります。身体を動かしていないと変な方向にいってしまいそうですから」
「なら僕はバゲットとワインを持って来ようかな」
「フィンリーさんもここで食べるんですか?」
「君に付き添うって言っただろう? それに料理も食べてみたかったしね。君の手料理の画像を撮ってアーティーに送るのさ」
 フィンリーは悪戯な笑みを浮かべた。小学生の頃、ドアの隙間に黒板消しを挟んだ同級生と同じ顔をしていた。
 フィンリーは来た道を戻っていく。
 その間に彼方はキッチンに立った。魚をさばいて切り身にし、根野菜と煮込んで塩とコンソメで味をつける。それとシンプルなサラダ。
「君、短時間でこれを作ったの?」
「ただ煮込んだだけですよ」
「僕が作ったら日が暮れてしまうよ」
 遅かったのは、バゲットの焼き上がりを待っていたに違いない。
 袋から顔を出すが、まだ湯気が出ていた。
 シンプルに味つけをした料理は好評で、残りは明日米を入れて煮込もうと提案する。
「君に任せるよ。僕はキッチンに嫌われているからね。それとこれを」
 ワインを飲みながら、フィンリーは手紙を渡してきた。
 フィンリーは中身には興味がないようで、遠くから聞こえる鳥のさえずりに耳を傾けている。
──カナへ。
 お願いがあります。
 今日、屋敷へ来てからの細かな時間と部屋の出入りを書いて、フィンリーへ渡してほしいのです。
 思い出せることはすべて書いて下さい。アーサーより。
 引き裂かれるような痛みが走り、彼方は胸を強く掴んだ。
 アーサーは最初から犯人捜しへ向いている。屋敷に残るという最後にはすべてレイラの要求をのんだのも、このためだろう。
「僕にも仕事を頼んだのだから仕方ない子だよ」
「フィンリーさんへはなんて言ってたんですか?」
「アーティーが部屋でレイラを見ている間、他のメイドたちへの聞き込み。今の状況だと難しいけどね。スタッフォード家は今、すべてレイラの動向に気持ちが向いている。子供でも彼女は本当に頭の良い子だ。今の現状をはっきり理解して、人間関係が誰が敵で味方かを知っている」
「会って数日ですが、賢い子たとは思っていました」
「財産は彼女がほぼもらうことになる。彼女の身に何かあるならまだしも、なぜ君へ魔の手が向いたのか、そこが分からないんだよね。アーティーも泳がせようと、無関係の君を巻き込まないためにここへ行かせようと仕向けたんだ。スタッフォード家の相続問題に巻き込んですまないけど、協力してほしい」
「もちろんです。早くアーサーさんに会いたいし。ナタリーさんをお茶に誘おうって約束したんです」
「ワァオ。それは愉快。あのナタリーとお茶ねえ……。僕からもちょっと話を持ちかけてみるよ。怖がりなアーティーはきっとママンとお茶したいって言えないだろうし」
「ナタリーさんって、皆さんと距離を置いている感じですよね」
「スタッフォード家といろいろあったからね。たいしたものじゃないことでも、積み重なれば大きな枷になる」
 部屋に戻り、さっそくペンを持って今日一日あったことを思い出した。
──アーサーさんへ。
 思い出すために、部屋にあったものから書いていきます。
 ギター、チェス、たくさんの本、大きなテレビ、ブルーレイが十種類以上。
 そのうちの一つを選び、僕は映画を観ていました。二時間ほどの長さです。その間は誰も入ってきていません。
 大事なことですが、部屋の隅々までチェックしたわけではなく、ベッドの下も見ていません。ホテルなどへ泊まっても、わざわざベッドの下を見る習慣があるわけではないので、いつあったのかはっきり分かりません。
 映画が終わった頃、廊下を走る音が聞こえて僕はドアを開けました。メイドの方のお名前は分かりませんが、「困ったことが起こった」と困惑した顔をしていました。
 彼女と一緒にロビーへ下りてきました。部屋に自分の荷物を置いていたわけではないので、鍵はかけていないです。
 あなたに会えなくて、寂しいです。彼方より。

 思い出せることはすべて記した。
 最後の「寂しい」が一番緊張し、文字が震えていた。
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