占星術師アーサーと彼方のカフェ

不来方しい

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第三章 母を追って

047 会いたい人

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 除夜の鐘が鳴る。
 終わりと始まりの合図は、いつだってわくわくするものだ。
 だが今年は違う。大学四年生になり、いよいよ卒業が間近となる。
 卒業後の進路はどうするのか、社会人としてやっていけるのか。
 いろんな不安がR-18入り混じる中、とても有り難い言葉をもらった。
『卒業したらさ、うちで働きなよ。ヨガ教室もタダで受けさせてあげるし、君ほど働き者なら、逃がすのはもったいない』
 梶浦夢香の問いに、彼方は断ろうとした。間違いなく首を横に振ったのだ。
『はい。お願いします』
 なのに、口から出る言葉はまったく違うものだった。
 喜ぶ梶浦を見て何も言えなくなってしまい、もう数週間過ぎてしまっている。
 どうしたんだ自分と繰り返しても、梶浦に会いたくてたまらなくなる。もっと会いたい人は別にいるはずだ。なのに。
「名前……なんだっけ」
 写真立てに入れたポストカードには、三人の男性が写っている。
 覚えていた名前が曖昧になり、意思とは別に消えていく。
 イギリスで出会った人も、大好きなアップルパイも忘れていないのに、大事な人に灰色のもやがかかっているのだ。
 無理に思い出そうとすると、頭痛が起こり、明日考えようと眠りにつく。するとさらにもやが濃くなってしまう。
 今日はヨガ教室だ。元旦からあるなんて休みたくてたまらない。
 だが気持ちとは裏腹に、身体が勝手に動き、準備を進めていく。
「ちょっと、今日もヨガあるの? 休んだら?」
 聡子が荷物に手をかけるが、彼方は手をはたき落とした。
 驚く聡子の手の甲は、じんわりと赤く跡が残る。
「彼方? どうしたの? こんな暴力する人じゃないでしょ」
「ごめん。分からない。苦しくて仕方ない。ヨガ教室に行くと、落ち着くんだ。部屋にいると、どうしても息苦しくて」
「熱はないよね? 体調は?」
「問題ないよ」
 おでこに当たる手をまたふるい落としたくなり、必死で耐えた。
「ねえ、聡子。僕らって家族だよね?」
「そりゃあそうでしょ。なんで?」
 すぐに肯定してくれた彼女に、安堵感と拒絶が襲う。
「なんでもない。おかしい」
「うん。アンタおかしいよ。自覚あったんだ。最近おばあちゃんともろくに話してないでしょ? 寂しがってるよ」
「おばあちゃんと話してると、怒鳴りたくなる。抑えるために部屋にこもってるんだ」
「反抗期?」
「かもしれない。今までお父さんもお母さんもいなかったから」
 反抗期であればいい。あってほしい。
 聡子の手は冷たくて気持ちよかった。夢から覚めるようで、現実に引き戻してくれる。
 するとそっちは夢だともう一人の自分が追いかけてきて、心の奥に引き留める。
 おぼつかない足取りでヨガ教室へ向かうと、梶浦は誰かを占っていた。
「梶浦さん」
「あ、おはよう彼方君。みんな来てるよ」
「僕、変じゃないですか?」
「変? どこが? いつも通り元気よ」
「そうですよね。元気ですよね」
 無理やり作った笑顔は違和感があるが、どうしようもなかった。
 去年より人が倍以上になったヨガ教室は、徐々に大きな部屋へ移動した。
 起きたまま夢へと誘う甘い香りに包まれ、ヨガ教室が始まる。
──ここは自分の居場所だ。そうじゃない。家に帰りたい。家族は梶浦。
 頭がかち割れそうになる。わけが分からないのだ。
 回りの人たちは、朦朧とした目で淡々とこなしている。
 ふと、懐かしい金髪が目に入った。
 喉まで出かかった声がつっかえ、太股を何度も叩く。
 もう少しだったのに。悔しくて悔しくて梶浦の笑顔が邪魔をする。
『痛めつけたらいけないよ』
 斜め前の金髪の男性が、唇に人差し指を当てウィンクした。
 口から飛び出そうになった名前を慌てて塞ぐ。
 集中できなかった。
 いるはずのない彼は日本の地を踏んでいて、しかもまた出会った。
 九十分という長い時間を終えても、彼方は呆然として動けないでいた。
「彼方君、この後一緒に……」
「ゴメンナサイ。ダメダメ」
 片言で間に入ったのは、フィンリー・スタッフォード。
 懐かしさで目が滲む中、梶浦は見たこともない鬼のような顔で向かい合う。
「知り合いなの?」
「ナンパヨー。カワイイコー」
 頭を撫でられる。手の力は遠慮のない、兄弟のような強さがあった。
「イコイコ」
「ええと……梶浦さんすみません。また今度」
「ええ。気をつけてね」
 一瞬だけ見えた梶浦の憤怒の形相は、灰色のもやが一瞬だけはけた気がした。
 二の腕を掴まれたまま彼とエレベーターを降りると、彼方は口を開こうとする。
 だがフィンリーは首を横に振るだけで、話そうとしなかった。
 建物が見えなくなるまで進むと、黒い車が駐まっている。
 後部座席に座ると、細長い機材をかざされた。
 首元にかざすとちかちかと光り、黒スーツの男は襟足に手を伸ばす。
 フィンリーは男と顔を合わせて頷く。男は車から出ていった。
「さて、いろいろ聞きたいことがあるんだけどね」
「フィンリーさん、会いたかった」
「もちろんだとも。感動の再会をしたいところだが、僕よりも会いたかった人がいるだろう?」
「会いたかった人……?」
 いたはずだ。なのに、名前がつっかえて出てこない。
 そんな様子の彼方をフィンリーはじっと見つめ、
「まあいいさ。彼に状況を判断してもらおう。適任者は僕じゃない。お土産もたっぷり買ってあるからね。楽しみだねえ」
 車が走り出し、次々と景色が変わっていく。
 着いた場所はホテルだった。
 足早に中へ入るフィンリーへついていき、一番高い階で降りる。
「日本はサービスに行き届いてるね。ホテルに泊まっただけでも、来てよかったと思えるよ。さあ入って」
 ドアノブのランプが緑に光り、ドアが開く。
 広い部屋だった。VIPが宿泊するような部屋で、大きな絵画が目に入る。
 ソファーに誰か座っている。フィンリーと同じ髪色で、長く伸ばした髪を一本にまとめている。
 男は立ち上がりこちらを見て、眉をハの字にして泣きそうに顔を歪ませた。
「カナ」
 そう呼ぶ人物は多くはない。過去に呼んだ人はひとりだけ。
 激しい頭痛に襲われ、ソファーのアームレストに手をついた。
 知っているはずなのに、何かが邪魔をする。
「私の名前を言えますか?」
 優しく、穏やかな声だ。大好きな顔と声と髪。全部が好きだと訴えているのに、もやがいっそう強くなる。
「あなたは梶浦さんという女性の元で、アルバイトをしていますね」
「はい」
「いつからですか?」
「去年からです」
「辞めようとは思いますか?」
「無理です……辞められない。辞めたいのに無理です」
「なぜですか?」
「そういう運命だからです」
「彼方君、わけが分からないよ」
 フィンリーは息を吐き、彼方の身体を支えて座らせる。
「占いに毒されすぎじゃない? 運命ってちょっと笑っちゃう」
「おかしいのは僕も分かっているんです。でも離れられない」
「占いはこうあるべきではありません。やはり彼女は占い師というのは建前で、本来は別の顔を持っているようです。カナ、もう一度聞きます。私の名前を言えますか?」
「……………………」
「嘘でしょ……彼方君、君の大好きな彼だよ?」
 フィンリーの顔は絶望的に歪む。
 もうひとりの男性は、片膝をつき、王子様のように彼方の手を取る。
「アーサー・スタッフォードです」
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