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第三章 母を追って

041 無言電話の正体

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 固定電話が鳴り響いた。
 立とうとする聡子を制し、アーサーは留守番へ切り替えるよう促す。
 機械音の後に続くものは、人の息に続き子供の甲高い声。が、すぐに切れた。
「最近多いのよ。まさかストーカー?」
「この家の番号をご存じの方は?」
「親戚は知ってると思う。ちなみにお客さんは知らない」
「ということは、顔や名前を知る人物である可能性は高いのですね」
「ねえ、さっきの質問だけど、叔母さんの話と関係あるの?」
 アーサーは目配せし、彼方は言いづらそうに口を開いた。
「昨日、バーに行ってきたんだけど、お母さんに似てる人に会ったんだ」
 時間が経てば経つほど、記憶は曖昧になっていく。本人とは言わず、似ていると濁した。
「目おっきい人よね。私にはけっこう優しかったから、急にいなくなったときは寂しかった。あとお酒が好きな人って記憶はある」
「聡子さんには優しかったのですね」
「僕とは対照的だなあ」
 他人事のようにのんびりと答える。
「あ、あと、女の子がほしかったって、私を見てたまに言ってた」
「女の子……」
 記憶の片隅にあったが、過去に言われた経験があった。
 妹がほしいのかとのんびり考えていたが、スカートを履かせていたことや髪を伸ばせていたのは、もしかしたら彼女は自分の子供に無理やり性別の象徴を当てはめようしていたのではないか。
「どうしてそこまで女の子にこだわってたんだろ……」
「ねえ、会うの?」
 うまく答えられなかった。
 電話の主を調べようとしているのは、会おうとしているからではないか。それとも、ただの好奇心か。
「どら焼きでも食べるかい?」
 祖母がお盆にどら焼きを乗せてやってきた。
 あんこたっぷりで、外に溢れている。
「……どら焼き」
「中に求肥が入ってんよ。彼方の大好物でねえ」
「せっかくだから、食べましょう」
「ぜひいただきます」
 アーサーの食べる姿を、聡子はじっと見つめていた。
「なんか意外。フォークとナイフを使って食べるのかと」
「どら焼きは手に持ってかぶりつくのが一番美味しいです。おばあさまの和菓子は世界一ですね」
「おやあ、ありがとうねえ」
 いつもと変わらないトーンで、祖母は微笑む。
「おばあさま、少々お伺いしたいことがあるのですが。彼方さんのお母さまと、ご連絡は取っていらっしゃいますか?」
「全然。今頃なにしてんだか。気まぐれで気性にむらのある子で、でも寂しがり屋だったんよ。いっつも後ろをついて歩いて、側から離れなくてねえ。せめて彼方には、連絡をしてほしいと思ってるわ」
 祖母はしみじみと話し、彼方の頭を撫でた。
 アーサーの手前、恥ずかしかったが、祖母に自慢の孫だと思われているようで、誇らしくもあった。
 残り一つとなったどら焼きを彼方は半分に割り、アーサーと聡子の皿に置いてやる。
「お母さんに会いたいかい?」
「いないものだと思って育ったからなあ。ただ、何を考えているのか知りたい。捨てた理由や、今は何しているのか」
 今度はアーサーに頭を撫でられた。とことん甘やかすつもりだ。
「それと、どうして女の子の格好をさせたのか」
 口に出してみると、しっくりきた。
 結局、一番知りたいことだった。人生を大きくねじ曲げた母の行為は謎のままだ。
 もし、あの無言電話が母だったとしたら。
 少しでも会いたいという気持ちが芽生えたのだろうか。
 ぼんやりと空の皿を眺めていると、四分の一ほどになったどら焼きが乗った。
 送り主を見ると、何事もなかったかのように対のどら焼きを食べている。
 彼方も幸せの固まりをしっかり脳裏に焼きつけてから、口に入れた。

 自室に戻り、録音しておいた無言電話をパソコンに取り入れ、背後から聞こえる音を分けてみる。
「電車の音が聞こえます」
「これ、池袋?」
「どうやら駅の中みたいですね」
 池袋で流れる、機械音の人の声だ。それと電車を知らせる音。終点池袋だと、うっすらと聞こえる。
「電車に乗る前にかけたのかもしれませんね。よほど気に入った店ならば別ですが、わざわざ池袋まできた理由は、仕事終わりでしょうか」
「仕事が終わってわざわざ別の場所で飲むなんて考えにくいですからね。家の近くか、仕事の近くか選択すると思います。また同じ店なら、会えるでしょうか」
「あちらがまた会いたいと願うなら、いる可能性はあります。注文の仕方を見るに、何度も来ていたとお見受けしました。もう一度、行ってみますか?」
「家族のごたごたに巻き込んでしまいますけど……」
「あなたがそれを言いますか。余計な心配は無用です。さっそく準備をしましょう」
 アーサーは怒ったように、そっぽを向いて言い放つ。
 子供に戻ったようで、アーサーはいろんな表情を見せた。
 彼方は笑い、
「ええ、一緒にお酒を飲みにいきましょう」
「二日酔いは大丈夫ですか?」
「平気です。そんなに飲んでないですし」

 昨日よりも遅い時間、再び同じ店にやってきた。
 バーテンダーは変わらずに出迎えてくれ、同じ席に腰を下ろす。
 ワインとカシス・オレンジの横に、一枚の紙切れが置かれた。
「そちらは、とある女性からのメッセージです」
 紙ははカシス・オレンジのグラスに挟まっている。彼方宛だ。
「渡してくれれば、分かるとおっしゃっていました」
 月森成美という名前と、携帯番号が記されている。
「成美さんとおっしゃるのですね」
「ええ、先を伸ばすところとか、母の字に似ています」
 アーサーはワイングラスを傾けた。
 携帯番号が書かれた紙を渡された場合、かけてはいけないという大学の貼り紙を思い出した。
 犯罪へ繋がる番号ではないが、人生を左右する番号であるのは間違いない。
「相手も勇気を一歩出してくれました。しかし、実際にかけるのはカナで、何倍も力を出し切らないといけません」
「かけます。きっと今を逃したら、二度とチャンスは来ない気がします」
 たった二杯のアルコールにも嫌な顔をせず、バーテンダーはまたどうぞと声をかけた。
 涼しい場所を求めて、デパートの屋上へやってきた。外よりは暑いが、風通しもよく自由に使える場所であるため、家よりはかけやすい。
「いつまでも、いつまでも待ちますよ」
 アーサーは買ったばかりのクレープを食べている。
 優しさとクリームを溢れさせているが、せめて食べ終わる前にかけようと、端末を取り出した。
 けれども湧き出た勇気は消えていき、結局は残りひと口となったときにようやく数字を入力した。
 十を過ぎたあたりで、コール音が消え、女性の声が聞こえてくる。
 ひどく緊張し、上擦った声だ。
「彼方です」 
『彼方?』
「はい」
 懐かしい母の声はちっとも変わらず、目の前が歪んで見えなくなった。
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