上 下
27 / 68
第二章 アーサーを追って

027 初恋の人

しおりを挟む
「大丈夫なんでしょうか? 僕たちのこと何にも分からないのに勝手に上げて……」
 耳元で話すと、アーサーは顔を近づける。
「あなたのおばあさまも、私の素姓が分からないのに家へ上げて下さいましたよ」
「家に来たんですか?」
「飲み友達ですから」
 後ろ姿までそっくりな女性は、彼方たちをリビングへ案内した。
 春野雪音がいた。ソファーに座り、コーヒーカップを手に、とおくを見つめている。
 彼女はふたりに気づくと、固まってしまった。
「どうして月森君が?」
「こんにちは。春野さん」
 アーサーは優雅に頭を下げ、名を告げる。
「そちらが例の方なのね」
「例の?」
「ふふ……秘密です。まさか家まで来てくれるなんて思わなかった」
「お友達が来てくれるなんて、今まで一度もなかったもの。嬉しいわ。お茶持ってくるから、どうぞソファーへおかけになって」
「ありがとうございます」
 春野とは、お互いの秘密を分かち合った仲だ。大切な人がいると打ち明け、すぐに相手はアーサーだと気づいた。彼女も大切な人がいて、その人は遠くにいると言っていた。
「春野さん、まさか入院が必要だなんて知らなかった。後悔しかなくて、いてもたってもいられなくて」
「それで来てくれたの? そんな大げさなものじゃないよ。ちょっと再発しただけで」
「また学校来られるよね?」
「うん……だといいな」
 春野は困ったように笑う。不安しか生まない微笑だった。
「アーサーさんもありがとうございます。月森君から、よく話は聞いています」
「こちらこそ、突然お邪魔致しまして、申し訳ございません」
「とても嬉しいです。紅茶を入れるのがとてもお上手だとか。それと占い師さんなんでしょう?」
「はい。占星術はご存じですか?」
「もちろんです。どうしよう、本物の占い師さんに会っちゃった」
「私は星の巡りとタロットカードや手相を用いた、独学で身につけた方法で行います。興味がおありでしたら、簡単に占いましょうか」
「いいんですか?」
「簡易の道具しか持ってきておりませんので、本格的にはできませんが」
 鞄から、折りたたみ式のホロスコープとタロットカードを出した。
 春野は興味津々のようで、身を乗り出して眺めている。
「こちらに、お名前と生年月日、生まれた時間をお書き下さい」
 春野は一寸の迷いもなく、すべて書ききった。
 年齢は彼方の二つ上だった。
「生まれた時間をご存じなのですね」
「私が小さい頃から言い続けていたからなの」
 春野の母がハーブティーとバターの香ばしい匂いを漂わせて、クッキーを持ってきた。
「良かったら召し上がれ。私が焼いたのよ」
「ありがとうございます。……春野さん、もしかしてあなたは姉妹がいらっしゃいますか?」
「……どうして、」
 春野は驚愕し、タンブラー型のグラスを取り損ねた。
 隣で彼女の母も同じ顔で固まっている。
「一つ聞いてもいいかしら?」
「はい。何なりと」
「どうして兄弟ではなくて、姉妹と限定したの? 兄弟といえば姉妹も入るイメージがあるけど、姉妹は性別を限定してしまう」
「左様ですね」
「それはどうして? 娘が話したのかしら? さっき初めましてって言ってたから初対面だと思ったんだけど」
「春野さんとは初対面です。そうですね……その質問はとても難しい。目に見えないものを相手におりますから」
「まさか、占いで姉妹がいるって分かったの?」
 アーサーは答えず、ただ微笑むだけだ。
「信じられない」
「誰しもがそのような反応を致しますね」
「正確には、長女がいたんです。流産してしまったの。子供のためにおもちゃやら何やらたくさん買って待ちわびてからの流産……絶望したわ。この子がこの世に生きて生まれてくれて、本当に幸せよ」
 アーサーはタロットカードを一枚めくる。戦車のカードだ。
「今が慌ただしいときです。しばらくは家を出たりと、ゆっくりする時間がないかもしれません。ですが、」
 もう一枚めくる。今度は悪魔のカードだった。
 春野たちに緊張が走る。
「こちらは逆位置になりますね」
「逆位置?」
「正位置と比べると、意味が異なります。正位置の場合は、視野が狭くなっていて、回りの声が聞こえていない状態を表します。しかしカードは逆に出ました。これは、現状を乗り越えられると意味します」
「本当に?」
 さらに一枚カードを表に向けた。
「そしてもう一枚は、太陽の逆位置です。これは、あなたの人生に日が差していないことを指します。不安に思う必要はありません。太陽はあなたを待ってはくれませんが、必ず顔を出します。春野さんはそれに気づいていない。愚痴を零したっていい。落ち込むこと悪ではないのです。あなたを心配する人がいるという事実を、どうか受け止めて下さい」
 春野は彼方を見て、肩が震えた。上を向いたまつ毛が揺れ、大粒の涙を吸い込む。吸い取れなくなった滴は頬を濡らし、首元へ流れていく。
「本当はね……、文化祭にも参加したかった……。でも病気が再発して、どうしようもなくなった。普通に生きたかった……」
「普通の概念は人によって異なるので何とも言えません。しかし生きたかった、は聞き捨てなりませんね。あなたは生きていらっしゃいますし、諦めてもいない。だからこそ入院し、病気を治すことを望んでいる」
「本当に日本語達者ですね……すごい」
 春野は目を丸くする。
「ええ、頑張りました」
「それだけお上手だと、心を保つのが難しくありませんでしたか?」
「初恋の方が日本人なのです。どうしてももう一度会いたくて、日本へ参りました」
「まさかそれで覚えたんですか?」
「はい」
「すごい。日本人よりお上手です」
「ありがとうございます」
「それで、その方には会えたの?」
 恋愛の話はテンションを上げるようで、春野の母親も身を乗り出した。
「……ええ、会えました」
 驚いたのは彼方だ。そんなこと、一言も聞いていなかった。
 驚愕する彼方の頭を撫で、アーサーは微笑む。
「難しいもので、名乗り出るのは勇気が必要です。まだそのときではないような気もしますし、ご迷惑だったらどうしようかと、気持ちが揺さぶられるのです」
「自分を好きだと言ってくれる人が現れたら、嬉しいものよ」
「幸甚の至りです」
 撫でられた頭が心臓と繋がったようで、汗もどっと溢れてくる。
 アーサーはもう話題には触れず、最後の追い込みだと占いの結果を述べる。
 太陽の逆位置はまったくと言っていいほど良い意味はない。夢も希望もなく、不幸の底だと伝えるのも占い師。アーサーのように、太陽はいつか顔を出すとひねった言い方をできるのも占い師。
 依然、アーサーが話していた。タロットカードの結果は、占い師の技量による、と。
 彼の優しさは自分をすり減らして人に与えているのではないか、というほど、心が震える。
 初恋の人と出会えて、これから彼はどのような選択をするのか。

「……僕なら、どんな形でもずっと側にいたいのに」
 春野邸を出て、前を歩くアーサーの背中に独り言を漏らすと、彼の歩くスピードがゆっくりになった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】王太子妃の初恋

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
カテリーナは王太子妃。しかし、政略のための結婚でアレクサンドル王太子からは嫌われている。 王太子が側妃を娶ったため、カテリーナはお役御免とばかりに王宮の外れにある森の中の宮殿に追いやられてしまう。 しかし、カテリーナはちょうど良かったと思っていた。婚約者時代からの激務で目が悪くなっていて、これ以上は公務も社交も難しいと考えていたからだ。 そんなカテリーナが湖畔で一人の男に出会い、恋をするまでとその後。 ★ざまぁはありません。 全話予約投稿済。 携帯投稿のため誤字脱字多くて申し訳ありません。 報告ありがとうございます。

【完結】婚約者の義妹と恋に落ちたので婚約破棄した処、「妃教育の修了」を条件に結婚が許されたが結果が芳しくない。何故だ?同じ高位貴族だろう?

つくも茄子
恋愛
国王唯一の王子エドワード。 彼は婚約者の公爵令嬢であるキャサリンを公の場所で婚約破棄を宣言した。 次の婚約者は恋人であるアリス。 アリスはキャサリンの義妹。 愛するアリスと結婚するには「妃教育を修了させること」だった。 同じ高位貴族。 少し頑張ればアリスは直ぐに妃教育を終了させると踏んでいたが散々な結果で終わる。 八番目の教育係も辞めていく。 王妃腹でないエドワードは立太子が遠のく事に困ってしまう。 だが、エドワードは知らなかった事がある。 彼が事実を知るのは何時になるのか……それは誰も知らない。 他サイトにも公開中。

夫を愛することはやめました。

杉本凪咲
恋愛
私はただ夫に好かれたかった。毎日多くの時間をかけて丹念に化粧を施し、豊富な教養も身につけた。しかし夫は私を愛することはなく、別の女性へと愛を向けた。夫と彼女の不倫現場を目撃した時、私は強いショックを受けて、自分が隣国の王女であった時の記憶が蘇る。それを知った夫は手のひらを返したように愛を囁くが、もう既に彼への愛は尽きていた。

【完結】陰陽師は神様のお気に入り

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
キャラ文芸
 平安の夜を騒がせる幽霊騒ぎ。陰陽師である真桜は、騒ぎの元凶を見極めようと夜の見回りに出る。式神を連れての夜歩きの果て、彼の目の前に現れたのは―――美人過ぎる神様だった。  非常識で自分勝手な神様と繰り広げる騒動が、次第に都を巻き込んでいく。 ※注意:キスシーン(触れる程度)あります。 【同時掲載】アルファポリス、カクヨム、エブリスタ、小説家になろう ※「エブリスタ10/11新作セレクション」掲載作品

大正ロマン恋物語 ~将校様とサトリな私のお試し婚~

菱沼あゆ
キャラ文芸
華族の三条家の跡取り息子、三条行正と見合い結婚することになった咲子。 だが、軍人の行正は、整いすぎた美形な上に、あまりしゃべらない。 蝋人形みたいだ……と見合いの席で怯える咲子だったが。 実は、咲子には、人の心を読めるチカラがあって――。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

選ばれたのは美人の親友

杉本凪咲
恋愛
侯爵令息ルドガーの妻となったエルは、良き妻になろうと奮闘していた。しかし突然にルドガーはエルに離婚を宣言し、あろうことかエルの親友であるレベッカと関係を持った。悔しさと怒りで泣き叫ぶエルだが、最後には離婚を決意して縁を切る。程なくして、そんな彼女に新しい縁談が舞い込んできたが、縁を切ったはずのレベッカが現れる。

【完結】辺境伯令嬢は新聞で婚約破棄を知った

五色ひわ
恋愛
 辺境伯令嬢としてのんびり領地で暮らしてきたアメリアは、カフェで見せられた新聞で自身の婚約破棄を知った。真実を確かめるため、アメリアは3年ぶりに王都へと旅立った。 ※本編34話、番外編『皇太子殿下の苦悩』31+1話、おまけ4話

処理中です...