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第一章 学生時代

016 占いの秘密

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016 占いの秘密
 出会って一年も経たない間に、僕らは互いに呪いにかかっているという話をした。数十年の知り合いには話せないのに、わずか数か月で話せる人もいる。不思議なものだ。秘密を共有すると、少しだけ親密になった感覚に陥る。そうでありたい。僕は、彼と仲良くなりたい。
 大学二年に上がり、僕は新しくフランス語を専攻した。理由は、アーサーさんの店での出来事である。
 試作品だと休憩時間に出してくれたケーキは、タルト生地にたっぷりのクリームとふんわりとしたメレンゲが乗っている。
 いまだかつてこんなに美味しいケーキは食べたことがないと自信を持って言える。謙遜でもなく世界一だ。
『タルト・オ・シトロン』
 発音が良すぎて聞き返すと、アーサーさんはゆっくりと言う。
『フランスのレモンタルトです。少し酸っぱいですかね?』
『甘酸っぱくてタルトもさくさくしてます。すっごく美味しいです。上のメレンゲも甘いですね』
『ホワイトチョコレートを混ぜてみました。フランスではポピュラーなスイーツなんです。日本で言うと、おはぎのようなものですね』
 まさかレモンタルトがきっかけでフランス語を専攻することになろうとは、夢にも思わなかった。それほど衝撃的だった。
 もちろんきっかけにすぎないが、音も綺麗で文化や歴史にも興味を持った。なんてかっこいい言い訳を並べても、やはりレモンタルトの圧はすごい。
 フランス語を専攻したと彼に告げると、驚愕しすぎてえ、と声が漏れた。すぐに紳士の顔に戻るが、僕がフランス語を学ぶのがそんなに驚くことなのか。
「英語を難なく話せるあなたなら難しくないでしょう。書くより話す、そして聞く。これが一番の近道です」
「身近に話せる人がいないんですよね……ラジオとか無料動画サイトで耳を慣らそうかなって思ってます」
 アーサーさんの口から、英語でも日本語でもない言語がすらすら出る。まさかこれは。
「え、え?」
「ふふ」
「まさか……フランス語も話せるんですか?」
「諸事情により、話せます」
 含みのある言い方だ。
「言語って、好きな人と会話すると覚えが早いっていいますよね。たまにでいいんで、僕と会話してもらえませんか?」
「……本気ですか?」
「ご迷惑でない範囲でお願いしたいです」
 困惑しているのか、黙ったままだ。
「あんまり、お金は払えないですけど」
「お金のことは……ああ、もう」
 アーサーさんは大きく息を吐く。
「引き受けます。稼いだお金はしっかり貯金して下さい。いいですね?」
 少々早口で念を押された。何度も頷くと、よろしい、と咳払いをする。
 客人の入店と共に僕らの話は一度終了し、次から次へと波が起こるとにかく忙しい一日だった。
 アーサーさんは次々と当てていき、女性の心をがっちり掴む。占いにはトリックがあると言っていたが、僕にはさっぱりだ。
 ちらちら彼を見ていると、
「よろしければ、ご一緒に夕食などいかがですか?」
「ぜひ喜んで」
 アーサーさんは僕の心を読む。今のは分かりやすかった。フランス語のことやら占いのトリックやら、心にたまる話題は山積みだ。
「おばあさまにご連絡を」
「あ、はい」
 そして祖母をも気にしてくれる。とても大切な人で、気にかけてもらえると僕は笑顔がだだ漏れになる。
「聡子がくるみたいなので、夕食は無駄にならずに済みそうです」
「聡子?」
「僕のいとこなんです。母方の……えーと……」
 言いかけて、うまく言葉が出てこない。
 僕にとって、母の話はタブーだ。ある意味髪の話よりも話題にしづらい。
「いとこなんですね。仲良しなんですか?」
 うまいこと空気を読んで道を作ってくれた。
「仲は良いかと思います。大学四年で年も近いんです。アーサーさんは、ご兄弟とかいるんですか?」
 あ、なんだろう。この感じ。
 うっすら笑みを浮かべる菩薩のような、無を表した表情。
 アーサーさんの身体からオーラが見える。なんだか黒くて禍々しい。全力で聞くな、と訴えかえている。
 僕は母の話はタブー、アーサーさんは兄弟の話はタブー。人生いろいろで、それぞれいろんな形の虎の尾を持っていて、何がきっかけで踏むか分からない。ただ、兄弟がいるということは承知した。
 ふたりで焼き肉屋に行き、高い店に尻込みしていると「二年生になったお祝い」だと理由付けられた。うまいこと理由が転がっていただけだ。
 タッチパネルで適当に注文し、ちゃっかりアイスクリームを頼んだ瞬間は見過ごせない。
「今日もばんばん当たってましたね」
「不思議ですか?」
「だって初めて会った人ですよ? 名前も分からないし相手のことも事前に調べようがないし」
「ホットリーディング」
 聞き返そうとしたら、店員が皿を持ってカーテンを開けた。
 並べられる皿の数は、アーサーさんからのお祝いだ。
「こちらはシャトーブリアンでございます」
 にこやかにありがとうございます、と受け取るが、何語なのか聞き返したい。分かったふりをするに限る。
「美味しい部位です。難しく考えることはありません。いただきましょうか」
 アーサーさんは焼き方にはこだわりはないらしく、食事の仕方という意味でもとても食べやすい。この人となら、きっと鍋も美味しく食べられる。
「それで、さっきのホット……」
「ホットリーディングですね。相手のことを徹底的に調べ上げて、分かったように読む、という意味です」
「占いの専門用語ですか」
「いいえ、違います。心理学です」
「心理学?」
 占い師から心理学の話が出るとは。
「そうですね……あなたももう私の元で一年以上も働いてくれています。そろそろ占いのトリックについて、お教えしましょうか」
 アーサーさんは面白おかしく微笑む。
「占いは、魚、野菜、肉というように、数種類に分類されます。一つは卜術ぼくじゅつ。主に道具を用いて占いをするものです。タロットカードや筮竹ぜいちくなどがあります。偶然性から、これから起こる未来を占うものです。もう一つは、相術そうじゅつ。手相や風水がこれに当たります。物の形状などで占うものです。最後に、命術めいじゅつ。生年月日や名前などで占います。絶対に変えられないものから未来を見ます。私の占いは主にこれに当たりますね。占星術や姓名判断などです」
「そんなに細かく分けられてるんですか」
「どの占いが当たりますか、と聞かれれば、私は立場上『占星術です』と答えるでしょう。ですがどの占いであっても、同じようなトリックを用いています」
「それがさっき話していたホットリーディングですか」
「ホットリーディングはほんの一部にすぎません。テレビなどに出ている占い師は、主に有名人を占いますから、徹底的に調べることができます。ですがたいていそうはいきません。逆の言葉で、コールドリーディングと呼ばれるものがあります」
「ホットとコールド」
「そうです。相手を調べもしないのに、分かったように話す技術です。さらに、私は日本語の多彩な表現方法を利用します。『あなたは恋に悩んだりしてないですよね?』どう感じますか?」
「悩んでないですって答えますが、二通りの意味に取れますよね」
「その通り。もし悩んでいたら『どうして分かったんだろう』と思えるし、悩んでいなくてもスルーできます。もう一つは話題です。恋を例え話にしましたが、学校や友人関係、仕事で悩みを持たない人間はいません。特に人間関係は」
「前に、仕事の悩みも人間関係の悩みに繋がるって話してましたよね」
「ええ。『人間関係の悩みではありませんよね?』と聞くと、それだけで泣きそうになる方もいらっしゃいます。あくまで単純なやり方です。占ってもらいにきたのに、端から疑ってかかる人もいます。占いを真っ向から否定するために、わざわざ数万払おうとする人も。そういう方々には、ほとんど通じないやり方です」
「そういう場合はどうするんですか?」
「まずは言葉少なめに占い始めます。事実を伝えつつ、相手の性格をやんわり伝えます。あくまでほんの少しずつです。人を信じない、疑う人は、人間関係もこじれやすい。ストックスピールという技も用いります。誰しも当てはまるようなことを告げて、特別だと思い込ませるのです。『あなたは悩みを抱えていますね』。簡単な方法で引っかかる人は珍しいですが、『なぜ分かったんだろう』という人はすぐのめり込みます。また、人は他者とは違う、自分は特別だと思い込んでいる人は非常に多い。『あなたの悩みは占いでは限界があるほどとても深く、底が見えない』と占いにも限界があると負の感情を伝えると、大いに喜ぶ人がいます。他者よりも自分が上だ、けれどそれを知らしめる方法がない。だからこそ、せめて身に降りかかった不幸で優位性を表したいのです。それでしか相手を黙らせる方法がないのでしょう。劣等感の固まりを認めてあげると、嬉しそうに笑うのです」
「奥が深すぎて……僕には難しい……」
「あなたは占い師の素質がありますよ」
「それも、ストックスピールというやつですか?」
 アーサーさんは頭を振る。
「今のは心理学でも何でもなく、本心です。人の弱さを知っている人や気遣い屋は、心の動きに敏感です。相手を探ろうとする感覚が普段から身についていて、鍛えれば眉や手の動かし方で感情の動きは手に取るように分かります」
 新しい皿を持ってきた店員に遮られ、話は一時ストップした。
 頭がこんがらがってきたので、羽休めにはちょうどよかった。
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