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第一章 学生時代
014 修羅場の連続
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修羅場といえば、僕は最近、怒涛の連続でくぐり抜けた。大学で出会った早見秋人という人物に利用され、謝罪を受けてももやもやが晴れていない。
食堂に来たら彼は友人に囲まれていた。回りの人は僕を見て色物を見るかのような目を向け、早見君は申し訳なさそうに俯く。
できるだけ離れたところに座り、カレーに手を伸ばした。あまり具材は入っていないが、よく煮込まれている安定した味のカレーだ。それとおまけのミニサラダ。
僕は彼よりも遅く来て、早く席を外した。もう顔を見なくて済む。そう思うのは、僕が脅えているからだ。何かから逃げている。それでも、今は顔を見たくない。
外に出ると強い日差しが僕を襲う。太陽は人間のためにあるわけじゃなくて、人間が太陽を必要としている。それでも今の僕には眩しすぎる。
家でテレビをつけていると、CMで流れてきたのは紅茶のフェスティバルなるものだった。
箸が止まっていると、
「彼方の店も出るのかい?」
「そういう話は聞いてないけど……出てもおかしくないんだよね」
それくらい絶品でいろんな人に飲んでもらいたい。なんせ世界一だ。他の人の作った紅茶はあまり知らないが、飲んでもアーサーさんの紅茶が一番だという謎の自信がある。あとお菓子も美味しい。毎回変わるセットのお菓子は、彼の手作りだ。たまに見たことのない不可解なお菓子も登場するけれど。
開催するのは八月中であり、ちょうど夏休み真っ最中である。めちゃくちゃ行きたい。
行くかどうか迷っても時間は止まってくれやしないし、ずるずると大学生活初の夏休みに突入した。チケットを買おうか悩んだ結果、早めに買って正解だった。前売り券は完売したようで、僕が購入する一週間後のことだった。
聡子に話したところ、なんとしても土産を買ってこいとの指令が下り、頭を悩ます。
真夏の太陽に照らされ、日陰を見つけながら会場へ向かう。
チケットを持っていても入るのに三十分近くかかり、やっと中へ入る頃には店も長蛇の列ができていた。
空いている店でアイスティーを購入し、飲みながら見て回っていく。美しく透き通ったアイスティーが好ましいとアーサーさんから習ったが、カップに入っているお茶は濁りきっていて、はっきりしない味だった。
「あ、すみません」
誰かにぶつかり、カップの水滴が僕と誰かの服にかかってしまった。
僕より背が高い人で、見上げるとしかめっ面の男性が立っている。
「おい」
過去にも似たようなことがあり、身体が固まって声も出せなくなってしまった。
男性が手を伸ばす直前、肩を縮こませて目を強く瞑った。こうすれば、痛さが多少軽減されると信じているからだ。例えプラセボ効果レベルの話であっても。
「手を出すのは日本の流儀ですか? 幻滅しますね」
痛みが襲ってこなくて閉じた目を開くと、ゆっくりと顔を上げた。
金髪に碧眼、長い睫毛が影を作り、微かに揺れている。普段の髪型とは違い、後ろに緩くまとめていた。
「この者は私の部下です。不手際があったようで、申し訳ございません。スーツ代であれば、私が弁償させて頂きます」
「ラ、ラナウェーラさん……いえいえ、自分もよそを見て歩いていましたから!」
何度も頭を下げて去る彼より、アーサー・ラナウェーラという人物が何者なのか強く興味を持つ。
前々から気になってはいたが、彼は何者なのか。
「アーサーさん、助かりました。ありがとうございます」
「こちらこそ助かりました」
「助かった?」
僕は特に何もしていない。が、彼の後ろを見て事情は把握した。
化粧や服に気合いが入っている女性たちを引き連れている。僕はどうするべきかというと、そんなの決まっている。
「アーサーさん、おすすめの紅茶やスイーツは知りませんか? 今日のイベントはCMで知ったんですが、下調べもよくせず来ちゃったんですよ」
「分かりました。では、一緒に参りましょうか。ご案内致します」
張った声はわざとらしいかなと思ったが、アーサーさんは空気を読んで合わせてくれた。
土産品、茶葉のグラム売り、カフェなど、幕張会場はフロアごとに分かれている。
並びもせず空いている店に入ったのは、おすすめというより女性たちから逃げたかったからだと察した。
アーサーさんはディンブラという紅茶をアイスで頼み、僕を見る。よく分からないので、同じものを注文した。そして小さなケーキも。
「そろそろ僕も茶葉について覚えた方がいいかもしれないです……お客さんに言われても、復唱できずにいつもつっかえてしまいますから」
「では少しだけディンブラについてお話ししましょうか。日本人が想像する味の紅茶です。よく言えばスタンダード、個性がないとも言い換えられます。ミルクでも蜂蜜でもストレートでもおすすめです。うちの店でも美味しいとよく仰ってもらえる茶葉ですよ」
「アイスティーはディンブラが多いですよね」
「良くも悪くも癖がありませんから。日本のペットボトルの紅茶でも、かなり使用されていますね」
お茶を入れてくれる彼もプロだ。水色に濁りがないし、まずはストレートで一口飲む。砂糖入りで甘みが強い。これだとミルクは必要ない。
「さっき、どうしたんです? なんであんなに囲まれてたんですか?」
「あなたは『かなた』と言う名前ではありませんか、と片っ端から聞いて回ったところ、あのような状況に」
「……それはアーサーさんが悪いです」
彼は腑に落ちない顔をしているが、誰もが振り返るハンサムに声をかけられたらナンパだと思われるだろう。
「そしたら『かなた』さんがいっぱいに」
「『かなた』でなくても、なんとしてもお近付きになりたかったんでしょうね」
「これからは声のかけ方は考えるようにします」
「あまり効率の良いやり方とは思えませんよ。星の巡り合わせで、いつか会えるような気がします」
「ふふ……ありがとうございます」
イチゴの乗った小さなケーキはちょっとパサパサだが、一緒に食べる相手が相手なだけに美味しく感じた。料理やお茶は誰と食べるか、が重要案件だ。
「ところで、アーサーさんはなぜここに?」
「紅茶の入れ方教室なるものに出てほしいと依頼がありまして」
「もう終わったんですか?」
「はい。有り難いことに、たくさんの方に来て頂きました」
「アーサーさんってそんなにすごい人なんです? いやすごいのは分かってるんですけど」
「イギリスにもれっきとした資格がありますからね。ティーマイスターが有名かと思いますが、ハーブティー専門の資格、ロイヤルミルクティー専門のものもありますよ」
「もしかして、ありとあらゆる資格を全部持ってたり……?」
恐ろしくも、アーサーさんは爽やかな笑顔で頷く。なんて人だ。
「僕は、こんなすごい人の元で働いていたんですね……」
「趣味が高じて取ったものもあります。3日程度勉強すれば取れる簡単なものも含めてですから」
『ミスター・ラナウェーラ』
日本人の発音ではなく、正真正銘の英語を母国語とする人の発音だ。
アーサーさんと同時に後ろを振り向くと、褐色の肌をした男性が立っていた。
鼻の下に蓄えた髭とぽっこりと出たお腹が特徴的で、彼はアーサーさんを見るなり頬を引きつらせた。
彼は僕を一瞥すると、どこかの国の言葉で話す。しかも早い。
アーサーさんは何度か相づちを打ち、同じ早さで対応する。
こうなってしまえば僕は役に立ちそうもない。耳を傾けつつも、一歩後ろへ下がった。
「彼方さん、すみませんが、この者と二人で話があります」
「分かりました」
僕はすんなりと引き下がり、席を立った。
どこの国かも分からない男性は、僕が食べ終わるタイミングで話しかけてきた。
空の皿が残っている。
食堂に来たら彼は友人に囲まれていた。回りの人は僕を見て色物を見るかのような目を向け、早見君は申し訳なさそうに俯く。
できるだけ離れたところに座り、カレーに手を伸ばした。あまり具材は入っていないが、よく煮込まれている安定した味のカレーだ。それとおまけのミニサラダ。
僕は彼よりも遅く来て、早く席を外した。もう顔を見なくて済む。そう思うのは、僕が脅えているからだ。何かから逃げている。それでも、今は顔を見たくない。
外に出ると強い日差しが僕を襲う。太陽は人間のためにあるわけじゃなくて、人間が太陽を必要としている。それでも今の僕には眩しすぎる。
家でテレビをつけていると、CMで流れてきたのは紅茶のフェスティバルなるものだった。
箸が止まっていると、
「彼方の店も出るのかい?」
「そういう話は聞いてないけど……出てもおかしくないんだよね」
それくらい絶品でいろんな人に飲んでもらいたい。なんせ世界一だ。他の人の作った紅茶はあまり知らないが、飲んでもアーサーさんの紅茶が一番だという謎の自信がある。あとお菓子も美味しい。毎回変わるセットのお菓子は、彼の手作りだ。たまに見たことのない不可解なお菓子も登場するけれど。
開催するのは八月中であり、ちょうど夏休み真っ最中である。めちゃくちゃ行きたい。
行くかどうか迷っても時間は止まってくれやしないし、ずるずると大学生活初の夏休みに突入した。チケットを買おうか悩んだ結果、早めに買って正解だった。前売り券は完売したようで、僕が購入する一週間後のことだった。
聡子に話したところ、なんとしても土産を買ってこいとの指令が下り、頭を悩ます。
真夏の太陽に照らされ、日陰を見つけながら会場へ向かう。
チケットを持っていても入るのに三十分近くかかり、やっと中へ入る頃には店も長蛇の列ができていた。
空いている店でアイスティーを購入し、飲みながら見て回っていく。美しく透き通ったアイスティーが好ましいとアーサーさんから習ったが、カップに入っているお茶は濁りきっていて、はっきりしない味だった。
「あ、すみません」
誰かにぶつかり、カップの水滴が僕と誰かの服にかかってしまった。
僕より背が高い人で、見上げるとしかめっ面の男性が立っている。
「おい」
過去にも似たようなことがあり、身体が固まって声も出せなくなってしまった。
男性が手を伸ばす直前、肩を縮こませて目を強く瞑った。こうすれば、痛さが多少軽減されると信じているからだ。例えプラセボ効果レベルの話であっても。
「手を出すのは日本の流儀ですか? 幻滅しますね」
痛みが襲ってこなくて閉じた目を開くと、ゆっくりと顔を上げた。
金髪に碧眼、長い睫毛が影を作り、微かに揺れている。普段の髪型とは違い、後ろに緩くまとめていた。
「この者は私の部下です。不手際があったようで、申し訳ございません。スーツ代であれば、私が弁償させて頂きます」
「ラ、ラナウェーラさん……いえいえ、自分もよそを見て歩いていましたから!」
何度も頭を下げて去る彼より、アーサー・ラナウェーラという人物が何者なのか強く興味を持つ。
前々から気になってはいたが、彼は何者なのか。
「アーサーさん、助かりました。ありがとうございます」
「こちらこそ助かりました」
「助かった?」
僕は特に何もしていない。が、彼の後ろを見て事情は把握した。
化粧や服に気合いが入っている女性たちを引き連れている。僕はどうするべきかというと、そんなの決まっている。
「アーサーさん、おすすめの紅茶やスイーツは知りませんか? 今日のイベントはCMで知ったんですが、下調べもよくせず来ちゃったんですよ」
「分かりました。では、一緒に参りましょうか。ご案内致します」
張った声はわざとらしいかなと思ったが、アーサーさんは空気を読んで合わせてくれた。
土産品、茶葉のグラム売り、カフェなど、幕張会場はフロアごとに分かれている。
並びもせず空いている店に入ったのは、おすすめというより女性たちから逃げたかったからだと察した。
アーサーさんはディンブラという紅茶をアイスで頼み、僕を見る。よく分からないので、同じものを注文した。そして小さなケーキも。
「そろそろ僕も茶葉について覚えた方がいいかもしれないです……お客さんに言われても、復唱できずにいつもつっかえてしまいますから」
「では少しだけディンブラについてお話ししましょうか。日本人が想像する味の紅茶です。よく言えばスタンダード、個性がないとも言い換えられます。ミルクでも蜂蜜でもストレートでもおすすめです。うちの店でも美味しいとよく仰ってもらえる茶葉ですよ」
「アイスティーはディンブラが多いですよね」
「良くも悪くも癖がありませんから。日本のペットボトルの紅茶でも、かなり使用されていますね」
お茶を入れてくれる彼もプロだ。水色に濁りがないし、まずはストレートで一口飲む。砂糖入りで甘みが強い。これだとミルクは必要ない。
「さっき、どうしたんです? なんであんなに囲まれてたんですか?」
「あなたは『かなた』と言う名前ではありませんか、と片っ端から聞いて回ったところ、あのような状況に」
「……それはアーサーさんが悪いです」
彼は腑に落ちない顔をしているが、誰もが振り返るハンサムに声をかけられたらナンパだと思われるだろう。
「そしたら『かなた』さんがいっぱいに」
「『かなた』でなくても、なんとしてもお近付きになりたかったんでしょうね」
「これからは声のかけ方は考えるようにします」
「あまり効率の良いやり方とは思えませんよ。星の巡り合わせで、いつか会えるような気がします」
「ふふ……ありがとうございます」
イチゴの乗った小さなケーキはちょっとパサパサだが、一緒に食べる相手が相手なだけに美味しく感じた。料理やお茶は誰と食べるか、が重要案件だ。
「ところで、アーサーさんはなぜここに?」
「紅茶の入れ方教室なるものに出てほしいと依頼がありまして」
「もう終わったんですか?」
「はい。有り難いことに、たくさんの方に来て頂きました」
「アーサーさんってそんなにすごい人なんです? いやすごいのは分かってるんですけど」
「イギリスにもれっきとした資格がありますからね。ティーマイスターが有名かと思いますが、ハーブティー専門の資格、ロイヤルミルクティー専門のものもありますよ」
「もしかして、ありとあらゆる資格を全部持ってたり……?」
恐ろしくも、アーサーさんは爽やかな笑顔で頷く。なんて人だ。
「僕は、こんなすごい人の元で働いていたんですね……」
「趣味が高じて取ったものもあります。3日程度勉強すれば取れる簡単なものも含めてですから」
『ミスター・ラナウェーラ』
日本人の発音ではなく、正真正銘の英語を母国語とする人の発音だ。
アーサーさんと同時に後ろを振り向くと、褐色の肌をした男性が立っていた。
鼻の下に蓄えた髭とぽっこりと出たお腹が特徴的で、彼はアーサーさんを見るなり頬を引きつらせた。
彼は僕を一瞥すると、どこかの国の言葉で話す。しかも早い。
アーサーさんは何度か相づちを打ち、同じ早さで対応する。
こうなってしまえば僕は役に立ちそうもない。耳を傾けつつも、一歩後ろへ下がった。
「彼方さん、すみませんが、この者と二人で話があります」
「分かりました」
僕はすんなりと引き下がり、席を立った。
どこの国かも分からない男性は、僕が食べ終わるタイミングで話しかけてきた。
空の皿が残っている。
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