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第一章 学生時代

011 友情の欠片

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 大学に入ってから、今までの人生とはかけ離れたものが次々とやってくる。
 早見秋人から誘われた飲み会は、予想していた通り合コンと呼ばれるもので。
「早見、今日はありがとな!」
「俺に任せとけ!」
 誘ったのは僕だけじゃないらしく、余計に肩身が狭かった。何も彼の特別になりたいわけじゃない。僕だけを誘ってほしかったわけじゃない。なのに、心に生まれたこの感情はなんだろう。
「この前はごめんね。飯塚まなみっていいます」
「月森彼方です」
 アーサーさんの店にやってきた女性だ。彼女は店に来たとも言わなかったので、知っていても僕は黙っておいた。そもそも彼女のプライベートだ。僕から話を持ちかけては店と信頼にも関わってしまう。
 真実を知ってしまった今では、彼女の視線の意味が分かってしまって心が痛い。飯塚さんは、早見君ばかり見ている。なんとか席を近くにしたいが、彼は奥でどんちゃん騒ぎ中だ。
 左腕には、天然石のブレスレットがある。じっと見ていると、彼女はそれに気づいて、
「占いって、当たると思う?」
 突如振られた話題だが、心臓が痛い。彼女はアーサーさんに占ってもらった話を客観的に知りたがっている。
「お金をもらっているんだし、適当に言ってるわけではないんじゃないかな。何かしら仕組みがあって結果を出すんだと思う」
 世の中には占い師を名乗った詐欺師もいるが、僕はアーサーさんが当たるところしか見ていない。
「あのね、実はこの間……」
 彼女が口を開きかけるも、すぐに閉ざした。
 遠くから早見君がやってきたからだ。
「よお、飲んでる?」
「お酒は飲めないよ」
「冗談だって」
 彼は僕の隣に座った。せめて反対側に座ってくれたら、少しは飯塚さんの役に立てたのに。
 神の啓示というわけじゃないが、ぴんとしたものが背中に降ってきた。
「僕、ちょっとトイレ行ってくる」
 席を抜ければ、少なくとも二人で話すチャンスが巡ってくるだろう。仲を取り持つ会話センスはなくても、こういうやり方だってある。
 トイレの個室にこもり、ポケットに入れっぱなしだった端末を出した。メールが届いていて、アーサーさんからだった。
 内容は今週の仕事について。出られると連絡を返すと、すぐに返事が来た。
──何かありましたか?
 優しさの根源は、間違いなく彼だ。優しさのアダムですと名乗っても不思議と信じてしまう。僕は、それだけ弱っている。
──どうして分かったんですか?
──文字にも話し方にもそれそれ癖があります。特徴がありますから。
──人のために何かするって、難しいですね。
──まずは、自身を幸せにすることを考えましょう。
 ごもっともだ。なのに、今の僕には難しい。
 優しい彼のことだ。一生懸命僕のためにあれこれ言葉を尽くしてくれるだろう。
 見るのが怖くて、端末をしまった。情けなくて弱すぎる。呪いの解き方も分からない。
 個室を出て騒ぎのする部屋へ戻ると、飯塚さんではない誰かが早見君に話しかけていた。
「さっきの人?」
「そうそう。あいつマジで髪長いだろ?」
「でも変人ってわけじゃないのね。で、賭の結果は?」
「そのことなんだけどさ……」
 僕は心が無になった。こういう場面に直面すると、耳の奥がおかしくなったように外の音が聞こえない。
 先に女性が気づき、やばいという顔をした。
 早見君が後ろを振り返る直前、僕は彼を見ていなかった。鞄から財布を出し、お金をテーブルに置いて店を後にした。
 店員のありがとうございました、が虚しい。有り難がるほど食べてもいないし、僕はただの鬱陶しい客だ。
 店を出ると涼しい風が吹いていて、春が過ぎたというのに目を瞑ると桜の香りがする気がした。期待と不安を背負った大学生活は、見えない道ばかりで闇化している。
「彼方さん?」
 気のせいだと思い黙ったままだったが、二度も名前を呼ばれて顔を上げた。
 車に乗ったアーサーさんがいる。何かの巡り合わせか、都内でばったり会うとは。
 もし海外で出会って離れ離れになったとしても、ばったりどこかで出会えたりして。
「用事がお家に帰るだけなら、お隣へどうぞ」
「く、車……」
「はい、車です」
「アーサーさん……運転できたんですね」
「不法行為は犯していないですよ。免許はちゃんと取得しています。ご心配なく」
「そういう意味じゃなく、海外から来たばかりだと、分かりづらくないですか? 右側通行左側通行ってありますから」
「イギリスは、日本と同じ左側通行ですよ」
 さあどうぞ、と二度もすすめられ、おずおずと隣へ乗り込んだ。
 日本の有名メーカーで、乗り心地もいい。車に乗ったのは久しぶりだ。
 きっちりと速度も守りつつ、安全運転で車を走らせた。
「飲み会は、居心地の良い空間でしたか?」
「どうして飲み会って……」
「お酒の香りがします。彼方さん自身は摂取していないでしょうが、残り香がしますね。晴れないお顔から、良からぬことが起こったと想定します」
「想定は、現実です」
「話せば楽になれることもあるかと」
 と言いつつ、かかっていた洋楽を止めた。
 英語は話せても、歌となると何を言っているのか分からない。僕の英語力なんてそんなものだ。世の中の役にも立てなくて……と今の僕は後ろ向きすぎた。これは危ない傾向だ。だからこそ、優しさを振りまく彼を頼りたくなった。
 ぽつりぽつりと漏れる言葉は不満と不安ばかりで、けれどアーサーさんは合間に頷きを入れつつ僕が止まるまでずっと耳を傾けてくれた。
「賭けの対象、ですか」
「ゲームの景品とか、そんなレベルじゃないですよね。お金か何か賭けてたんだと思います。少なくとも、僕にはそう聞こえました。僕の何を対象にしたのかは分かりませんが。よくある身内ネタの盛り上がりでしょうが、少しでも仲良くなれたと思っていたのは僕の勘違いでした」
「あなたを誘ったのは仲良くなりたかった、という思いも少なからずあったように見えます。いろいろと経験のある私から言わせてもらいますと、お互いにあるわだかまりや誤解を解くべきかと。一生そのままですから」
「でも、今さら何を解けば……」
「彼自身も無理やり賭けをさせられていたや、逆に悪乗りに乗った一番のメンバー。後者ならばばっさり切り捨てられるでしょう。あなたの人生には必要ありません。ですが、前者だった場合、彼と距離を置くにしても話を聞いてみてはいいのではありませんか?」
 どう転んでも、賭けにしていたのはろくでもないことだ。それはどちらに傾いても変わらないだろう。断言できる。
「あの、ここで大丈夫です」
 気づいたら、もう吉祥寺駅だ。少し頭を冷ましながら帰りたかった。
 彼は僕の気持ちごと受け止めてくれ、車を止めた。
 後部座席に手を伸ばし、ビニール袋を取る。
「差し上げます」
 渡されたのはあんぱんだ。黒ごまが乗った、想像できるよくあるあんぱん。ずっしりと重い。
 優しさしかくれなかった彼は颯爽と車を走らせる。なぜ新宿のど真ん中にいたのかとか、聞きそびれてしまった。
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