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第一章 学生時代

010 初めてのアイスティー作り

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 紅茶の茶葉は一つ一つ味が違うし、水色も違う。僕には何が何だか分からないが、先ほど出したアイスティーは、アッサムという茶葉らしい。
 ホットで出すよりも、アイスは少ない水で濃いめに作る。楽しむようにと書かれたメッセージは、作り方の順番よりもいささか大きく書かれていた。日本語の伝え方やメッセージ性は、日本人よりも英国紳士がよく理解していた。
 蒸らしている最中、タンブラーと呼ばれる細長いグラスに、溢れるほどの氷を入れる。もったいないので茶葉をスプーンで潰しながら漉し、氷いっぱいのグラスに注いだ。
 氷がみるみるうちに溶けていき、アイスティーの出来上がりだ。二杯分のアイスティーは、片方は飲んでいいということだろうか。
 カーテンの向こう側からすすり泣く声がする。女性の泣く声は苦手だ。女性の涙に弱い、とまるで一種の口説き文句のようにも聞こえるが、あいにく僕は口説き方もデートの誘い方もまったく分からない。本当に、苦手なのだ。
「すごく、すっごく好きなんです。どうしようもなくて、知り合いを作って仲良くしようとしたら、ここの占いカフェの話を聞いたんです」
「左様でしたか。共通の友人を作るというのは、知り合いも増えますし、大学生活を豊かにしてくれるでしょう。友人というものは財産ですから。ですが、もし誰かを利用しようという下心があるなら、誰も幸せにはなれません。もちろんあなたも」
 これは。ああ、と納得した。
 いつだって僕は利用される立場の人間。昔からも、これからも変わらないだろう。友達とはなんなのか、僕にはよく分からない。彼女はただの顔見知りで、ショックを受ける理由もない。
 頭の中がぐるぐるして、よからぬ方向へ考えてしまう。これではダメだ。何か良いことを考えないと。そうだ。せっかくだから紅茶を飲もう。
「…………ごほっ」
 小さな咳が漏れた。苦い。渋い。砂糖が入っていないとかそういうことではなく、単純に美味しくない。心なしか水色が濁っているように見える。
 彼女は、早見秋人が好きなのだ。スポーツが得意で誰にでも優しい彼なら、誰だって憧れを持つ。彼女もまた藁を掴むしかない人で、見えない先の人生を知りたがっている。
「相性の問題でいくと、悪くはありません。ですが、彼の性格を見るに表の顔は人脈が広い。裏の顔は、悪く言えば計算高い。あなたの気持ちを利用するだけされて捨てられる可能性もある」
「えっ……彼はそんな人じゃありません。どうしてそんなこと……」
「好いている相手をそのように言われたのなら、いい気分はしませんね。ですが、私が言えることは、彼と恋愛をしたいのなら充分に気をつけてほしいということです。それだけ、彼は損得勘定にとても敏感な方ですから」
 アーサーさんが言うには、早見秋人という人物は計算高く損得勘定を心の中で行う人。誰しもある部分だろうが、それを助言してしまうほどそういう心が強い持ち主なのだろうか。
「彼の回りには人が集まり、笑顔が耐えない。不思議と人が集まりみんなの憧れのもと。違いますか?」
「違い……ません」
「星の巡り合わせは偶然か、理由があってのものか。永遠のテーマでもありますが、あなたと彼が出会えたのは、偶然です。まとめますと、相性は悪くないが、運命の相手ではない。町人AやBといった、あなたの人生を支える方とはほど遠いでしょう。彼はああみえて、とても警戒心が強い。まず彼の懐に入るのが難儀です」
「でも、懐に入ってしまえばうまくいくんですよね」
 アーサーさんは何も言わない。カーテンで仕切られているので彼の姿は見えないが、おそらく微笑んでいるのだろう。
 彼が答えないのは、つまりそういうことだ。無言の笑顔。やめておけ。
「ありがとうございました。聞きたいことは聞けました」
「最後に。これは占い師というより大人の私からご忠告ですが、人を悪い意味で利用する方は、必ず返ってきます。どうか、身近にいらっしゃる方を大切になさって下さい」
 女性は笑う。分かっていても、聞き入れたくないという笑いに聞こえた。恋愛しか見えなくなるような経験は僕にはない。いずれそんな経験ができるのだろうか。そういう大恋愛をしてみたいし、怖くもある。恋愛だけではなく、性別や年齢も何も関係ない、唯一無二の存在ができたなら。
 カーテンの開く音がして、僕は反射的にしゃがんだ。
 会計を終えてドアベルが鳴るが、立つタイミングを完全に失ってしまった。
 テーブルに置いた砂時計がかたかた揺れる。見上げると、アーサーさんは小刻みに肩を震わせている。
「すみません」
「何か謝ることが? アイスティーありがとうございます。頂きますね」
「あの、失敗してしまったみたいで、苦いんです。アーサーさんが作ってくれるものとは全然同じ味じゃなくて」
「ええ、色を見れば分かります。最初からうまくなどできませんよ」
 僕の作ったアイスティーを一口飲むと、何も言わずにグラスを置いた。
 自信のなかったテストが返ってくるときと心境が似ている。
「苦みが出ています。茶葉を漉すとき、押し潰したりしましたか?」
「どうして……?」
「ふふ……」
 不敵な笑いだ。後ろに目でもあるのか。
「それが苦みの正体です。味が薄いのは、茶葉の量が少なかったようですね」
「茶葉を無駄にしてしまいました……」
「これを無駄というのは間違った日本語の使い方のような気がしますが」
 日本語の指導まで。有り難いやら情けないやら。
 さっきの女性と僕の関係は、彼は何も言わないでいてくれた。年齢的が近い点からも隠れたことにも何かしら感づいているだろうが、そっとしてくれた優しさは暗闇で小さく灯る明かりで、居心地がいい。
 例え小さな火でも、誰かに伝えていけたら。

 小さな明かりは消えてしまう前に、誰かに灯せるときがきた。
 食堂でカレーを食べていると、パアンという小気味よい音が響く。両手をすりすりし、まるで僕が大仏様にでもなったかのよう。拝まれるほど、偉くもなんともない。
「頼む! 危機なんだ!」
「う、うん……よく分かんないけど……」
「そうか引き受けてくれるのかありがとう!」
「そんなこと言ってない」
「飲み会に参加してくれ……」
 なんだそんなことか、とは言い難い。少なくとも僕にとっては。
「飲み会? むりむり」
「ただの人数合わせだから。黙って座っているだけでいい」
「その黙って座る行為に、僕の苦手が詰まってんの。それにお酒を飲める年齢じゃないし」
「飲み会という名の酒抜き飲み会だ。ただ女子と一緒に飯食うだけ」
 早見秋人は引き下がらない。これでもかとたたみかけてくる。
「決行は金曜の夜だ。社会勉強だと思ってさ、頼むよ」
「おばあちゃんに聞いてみないと……」
「いまどきばあちゃん? なんだそれ」
 早見君は笑う。確信した。僕は彼とは住む世界がまるで違う。磁石のように、近づいても反発しあう関係。こればかりは何を優先しているのか、何に価値観を見出しているかと違いだ。何が正しいとか不正解だとかという問題ではない。
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