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第三章 現実

019 親友と夜と

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 カフェでまったりと過ごした後は、ぶらぶらと買い物を楽しむ。
 あの女性はもういない。白昼夢を見ていたようでも、リチャードもしっかり目撃しているのだから、僕が話したのは嘘じゃない。
 ブランドが横並びになる服屋の前だ。アビゲイルの家族が営む有名ブランドもある。外食業まで手が伸び、一時期は倒産の報道まで流れたが、今は好調だ。
「欲しい?」
「こういうブランドは、汚したらどうしようって思ってしまって気軽に着て歩けないです」
「分かるよ。動きやすいものが一番だからね」
 仕事柄もあり、リチャードは動きやすいものに重点を置いて選ぶ。それなのに着ているものが高級ブランドに見えてしまうのは、何か魔法をかけているのかもしれない。
「電話だ」
 セシルからだった。僕の大事な親友で、卒業旅行も彼と出かけた。その話をリチャードにしたら、にこにこ笑うだけで何も言わなかった。今度あなたとも行きたいと話したら、リチャードは驚いた顔をしてもっと笑ってくれた。
「どうしたの?」
『ナオ、助けて! 今日泊めて!』
「僕はいいけど……リチャードに聞いてみる」
「どうかした?」
「よく分からないんですけど、家に泊めてほしいつまて」
 リチャードが手を差し出したので、僕は端末を彼に渡した。
 リチャードは僕と話すときと、セシルと話すときとでは声色も口調も変わる。誰でも同じとはいかないが、それが歯がゆくもあるし新しい一面を知れて嬉しくもある。
「分かった。ああ、夕方に」
「どうしたんです?」
 端末を受け取りつつ、何があったのかと怖々聞く。
「昼寝したら怖い夢を見たんだと。一人じゃ眠れないから助けてって」
「セシル……成人を迎えてもそんなこと……」
「本当だな。君との甘い時間もお預けだ」
「それは、いつでも過ごせますから。それに、セシルは親友で僕にとっても大事な家族です」
「……俺の方が子供みたいだな、まったく」

 夕方に、セシルはケーキの箱を抱えてやってきた。
「今日夜から雨らしいよ。濡れなくて良かったあ。ラブラブなとこ邪魔するのは気が引けたけど、どうしても一人でいたくなかったんだって」
「元気そうじゃないか。本当に怖い夢でも見たのか?」
 怪訝な顔をしながら、リチャードは箱を受け取る。
「今思うとさ、あれが夢かどうかも疑わしい」
「寝ぼけてたの?」
「数年前の事件の話をするけど、リンダみたいな人を見たんだよね」
 お茶を入れる手が止まる。
 リンダ。懐かしいようで、タイムリーすぎる話題。
「実はさ……今日、リンダの母親と遭遇したんだよ」
「うそ? ほんとに? それこそ夢じゃないの?」
「リチャードが僕とその女性が話してるところを見てるんだ」
「えー!」
 セシルの顔から血の気が引いていく。けれどそれは僕もだ。
「ケーキ食べられる? 僕が食べてあげようか?」
「それは遠慮しておくよ。母親らしき人と何話したの?」
 セシルは生クリームがたっぷりと乗ったケーキを一つ手に取る。
 リチャードと目配せすると、お先にどうぞと彼は微笑む。
 甘そうな砂糖菓子の乗ったケーキを取った。残りのシンプルなカップケーキはリチャードのもの。
「リンダの心配と、真実が知りたいって言ってた。せめて家族には元気な姿を見せてほしいよ」
「俺が見たリンダって、結局なんだったの?」
「多分、夢」
「あ、言ったな!」
「夢だな」
「ディックまで!」
「はっきりリンダと分かる風貌だったのか?」
「まあね。ちょっと大人っぽくなってた気がするけど」
「……二年前のリンダの姿であれば、夢だと断定しても良かったが。あながち夢じゃないのかもしれないな」
「だろ? 大人っぽくってのがポイントね。夢なら最後に見た姿が現れるはずだし」
「でもさ、分かる風貌でうろうろなんてする?」
「……ナオたちもリンダの母親と会ってるし、これって偶然?」
 リチャードは何も言わなかった。元から疑ってかかっていたので、思うところがありそうだ。
 セシルと一緒に夕食を作って、囲んで食べた。せっかくセシルが来てくれたというのに、なんだか味気なかった。
「俺ってどこで寝たらいいの?」
「僕のベッドでしょ? 僕はリチャードの部屋に行くよ」
「何気にナオの部屋に入るの初めてじゃない?」
「そうかも。引っ越ししてから一回来てくれたけど、あのときはすぐ帰っちゃったもんね」
 大きなベッドと、それと執筆するための机と椅子。これはリチャードからのプレゼントだ。座り心地がよく、腰も痛くならないし気に入っている。アメリカサイズは大きく、僕が座ると子供みたいになる。
「あのさあ……」
「ん?」
「こういうの片づけてくれよ……」
「え? ……うわあ! 待って待って!」 
 遊んでいたおもちゃが散らばっていた。大人だって、おもちゃで遊ぶ。その証拠に、僕よりも年上のリチャードが好んでいる。
 そもそも、今日セシルが来たのは突然で、残骸をどうするか頭が回らなかった。親友が来るって、楽しみにしていただけなのに。
「どうしたの?」
 お風呂上がりのリチャードが部屋に入ってきた。
 僕らの様子とベッドに転がす複数のおもちゃで、彼はああうん、という顔で微笑んだ。分かる。微笑むしかない。
「セシル、お前は何も見ていない。いいね?」
「いやこれさ……」
「いいね?」
「はい」
「お前は俺の部屋で寝るように。俺はここで寝るから」
「……あのさあ、」
 かきむしる頭に何度もおまじないをかけた。「忘れますように」。
「兄貴の性趣味なんて知りたくなかったよ」
「奇遇だな。俺も知られたくなかったよ。さあ、俺の部屋に行くんだ」
「ああ、そうだね。おやすみ」
 ばたん、と閉じるドアが心にぐっさりと刺さる。まさかドアの閉まる音がナイフになるとは思わなかった。
「ごめんなさい」
「いや、俺も棚にしまっておかなかった。どうせまた使うと思って置きっぱなしにしていた。おいで」
 横になるリチャードは大きな腕を広げ、僕は飛び込んだ。優しく包み込んでくれる、暖かい胸。同じ石鹸の香りなのに、リチャードからは汗と混じって良い香りがする。
「ここって、俺の部屋に声聞こえるかな」
「もう!」
「ジョークだよ」
 目がジョークとは言い難かった。けれど知らないふりをしてジョークと受け止めておこう。今日はセシルがいる。
「リンダの件なんですけど……」
「俺もその話をしようと思った。君がリンダの母と会い、セシルがリンダに似た人に遭遇した。偶然とは考えにくいな」
「調べるんですか?」
「まあね。仕事柄、放っておける立場じゃない。個人的にも気になるし」
「僕も他人じゃないし、あなたについていきます」
「言うと思った。危険な目には合わせられない」
「じゃあ勝手に調べます」
「いつからそんなに聞き分けの悪い子になったんだい?」
 口にむぎゅっとかぶりついてきた。ついでに鼻もかじられる。
「ふふー」
「舐めるくらいはいいかな?」
 てっきり唇のことだと思ったのに、リチャードはあそこを太股で擦ってきた。
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