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第二章 非日常

012 優しさの固まりは残酷すぎる

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 ロイドの聴取が終わり、ひとまずお開きとなったのでナオたちは部屋に戻った。
 朗報があり、明日の午後には天気が晴れるらしい。嬉しいような寂しいような、ナオは複雑な気分だった。
 明日になれば、リチャードとお別れしなくてはならない。それはほぼ永遠の別れと言っても過言ではない。片方は大学生で、片方はFBI捜査官。接点がなく、親友のお兄さんという間接的な関係でしかない。
「どうかした?」
「いえ…………」 
「なんだか、会った数日前に戻ってしまったな」
「え」
 リチャードはナオの座るベッドの横に腰を下ろした。
「目が合ってもすぐに反らす。しかもセシルの後ろに隠れるときたもんだ。俺が怖い?」
「ま、まさか! そんなこと……」
「嫌われてるわけじゃないんだな。良かった」
「嫌いだなんて……その逆です。あなたに……ずっと憧れてて。いつも優しいから」
 勘違いしそうになる。
 そう言いかけて、ナオは口を閉じた。
「憧れてる? 俺に?」
「紳士的だし、初めて会ったときも僕にスモアを作ってくれました。それに……ゲイだって言った後も、あなたは変わらず優しくしてくれる」
「それは関係ないだろう。同性愛者だろうが異性愛者だろうが、君は君だ」
 泣きたいほど嬉しかった。ひとりなら、枕に顔を伏せて泣いているところだった。それどころか黙っていられなくて一晩中、動物園の熊のようにうろうろするかもしれない。
 外から大きな物音が聞こえた。強風の影響で、どこかの木が折れたのだろう。反射的にリチャードはナオの二の腕を掴み、胸に小さな身体を閉じ込める。
「大丈夫?」
「は、はい…………一瞬、銃声かと思いました」
「いきなり大きな音は驚くよな」
 リチャードは腕を離そうとしない。リチャードの手は暖かで、筋肉質で大きい。ナオは頭に血が上っていく。
「そういえば、小説読んだよ」
「あれは……読まないでほしかったです」
「どうして? とても素敵だった。主人公が体験した初恋って、もしかして君の体験談を入れてるのかな?」
 小さな笑いを漏らしながら、リチャードは腕に込める力をさらに入れた。
「いや……そ、そうですね……それは、なんというか……」
 苦し紛れの言い訳をしても、リチャードは逃がす気はないらしく、一向に力を緩める気配がない。
「あ、あの……緊張しちゃって……喉が渇きました」
「キッチンに行く?」
「そうですね……紅茶を飲んでから寝たいです」
「じゃあ一緒に行こう」
 リチャードは手を差し出してきたので、ナオはおもむろに重ねた。
 本当は、抱きしめる腕から逃れたかったのだ。なんのつもりで手を繋いだのか知りたいが聞く勇気もない。抱きしめられるよりはいいかと思い、彼が離すまでそのままにしておいた。
 キッチンはカップも皿も綺麗に片づいていて、ステラの性格そのままが表れている。彼女はとても綺麗好きだ。
 キッチンに来てもリチャードは手を離さないので、仕方なくナオ自ら手を解いた。
 冷凍庫の製氷室を開けると、ほとんど氷が残っていない。はみ出るくらいにグラスへ四つずつ入れた。
 リチャードは紅茶缶を持って固まっている。
「あの……僕が作りましょうか」
「すまない」
「ミルクを入れてもいいですか? 日本式で、ロイヤルミルクティーって言うんです。ミルクと水と紅茶を沸騰させて、たっぷり氷の入ったグラスに注ぐんです」
「チャイみたいなもの?」
「はい。チャイはスパイスを入れるので苦手という方も多いですけど、ロイヤルミルクティーは甘くて癖がないんです」
「君の作ったものならどちらでもいいかな」
「こ、光栄です……」
 ミルクを多めに入れると濃厚になるが、今日は水と半々にした。スプーン山盛り四杯の茶葉を入れ、沸騰したら鍋から零れる前に火を止める。
 茶漉しへ鍋を傾けるとミルクティーが流れ落ち、氷はすぐに溶け始めた。
「いいね、こういう音好き」
「僕も。夏って感じですね。冬はあったかいロイヤルミルクティーが最高なんですよ」
「また作ってくれる?」
 真剣な目を向けるものだから、ナオは反射的に頷いた。
 「また」があればいい。もし流れ星が落ちたなら、迷わず「また」がありますようにと願うのに。
 氷がカランと音を立てたとき、心にすとんと収まった。
 彼が好きだ。隠しきれないほどに膨れ上がっている。初恋は一度しかなくても、あのときの高鳴りを二度も味わっていた。
 どうしても触れたくなって、後ろ姿の彼の背中をつん、と触れてみた。
 リチャード手を後ろに回し、人差し指ごと包んだ。
「悪戯っ子だな」
 リチャードは笑い、ナオの手の甲にキスをする。
 またもや手を繋がれてしまい、飲み終わるまでずっとこのままだった。
 洗い物のときはさすがに手を離してくれたが、終わった途端にまた繋がれる。
 リチャードは何を思って手を繋ぐのか。ゲイだと明かしてたときの意外そうな顔は、何を意味していたか、考えても答えは出てこない。血の繋がりがある家族ですら分かち合えないというのに、数回しか会ったことのない彼は理解してくれるのか。
「ふー……まずは殺人事件だな」
「明日には迎えが来るみたいですが……名乗り出るでしょうか」
「出なければ問いただす。ギリギリまで言うかどうか、見極めないといけない。相手は銃を持っているし、内面には誰もが何を抱えているのか分からないんだ」
「そうですね。僕のように」
 ベッドの中でリチャードが顔を向けてきたが、目を合わせる勇気がない。
「君だけじゃないさ。俺もいろいろ抱えてる」
「お仕事大変ですしね」
 僕が癒してあげたい。そんな言葉を呑み込み、誘惑に負けて顔を向けると、リチャードはまだナオを見つめていた。
「彼氏に連絡しなくていいのか? 今日はほとんどスマホを弄ってないだろう」
「元々あまり弄らないんです。ゲームとかもやらないし」
「セシルとは大違いだ」
「課金大好きですからね、セシルは」
 リチャードは何か言いたそうに、一瞬だけ目を逸らす。
「あと、彼氏はいないです」
「ずっと?」
「ええ、ずっと。同じ性癖の人に出会う確率なんて、ほとんどないです」
「案外近くに潜んでいるかもしれないよ」
「そうでしょうか……」
「どういう人がタイプなの?」
「優しくて、……ヒーローみたいな人」
 それはあなたです、と言いたくても言えない。もどかしい。
「僕は……初恋をこじらせすぎているから」
 どうせ困らせてしまうだけだし、告白はできない。勘のいい彼なら気づくだろうが、優しさの固まりである彼は、深く突っ込んではこなかった。
「優しいって残酷ですよね。回りを振り回して、手放すときは簡単に手を離す。遠心力があるので、簡単に飛んでいってしまいます」
「優しさは遠心力か……確かにそうかもな。君もそういうところがあるよ」
「僕がですか?」
「気づかないものだよ。ちなみに俺は真逆だ。好きな子にしか優しくできない。必要なもの、そうでないものとはっきり別れている」
「あなたが……?  全然そうは見えませんが」
「そういうものだ。さて……もう寝よう。おやすみ」
「ひっ…………」
 リチャードはナオの頬にキスとウィンクを残し、目を閉じた。
 好きな子にしか優しくできない人は、爆弾投下が得意らしい。
 ナオはなかなか眠れず、結局寝たのは深夜を回った頃だった。
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