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第二章 非日常

06 嵐はまだ通過途中

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 ソファーにぐったりとした様子で座るクラークを見ていると、さっきの出来事は嘘でも夢でもなかったのだと絶望を突きつけられる。
「セシル、大丈夫?」
「うん……ちょっと横になりたい」
「おいで、ここに寝ていいよ」
 太股をたたくと、セシルはナオの太股に頭を乗せる。
 リチャードはそんな二人を横目で見ながら、手帳を開いた。
「残念なお話をしなければなりません」
 リチャードは間を置くが、誰も口を挟まなかった。事情を知らない彼らは、何事だと不安な様子だ。
 リチャードは回りの様子を伺いながら、言葉を続ける。
「イーサンが部屋で亡くなっていました」
「なんだって?」
「そんな……」
「どうして……」
 ハリーに続き、アビゲイルたちも次々と驚愕の声を上げる。リンダは口元を覆い、目を大きく開いた。
 そんな様子を、リチャードは一人一人舐め回すように観察していた。
「病気……まさか自殺か?」
「いいえ。彼が何か病を抱えていたのかは知りません。ただはっきりしているのは、背中を何者かによって刺されていたということ。ですね、クラークドクター?」
 突然名前を呼ばれたクラークは怯え、自信がなさそうに頷く。
「すまない……検死はほとんど分からなくての。リチャードの経験と、あとは自分の勘も頼ったところがある。死亡推定時刻は……午前四時から六時くらいだと思う」
「リチャードの経験?」
 アビゲイルはオウム返しをするが、リチャードはそれには触れず手帳をめくる。
「部屋で亡くなってたって……どういうことだよ。俺はイーサンと同室だけど、朝から見てねえぞ」
 ロイドは吠えた。仲間が死んだなんて、現実を受け入れられないでいる。それは彼だけじゃない。
「亡くなっていた部屋は、二〇六号室。背中の刺し傷が死因と予想しています」
「二〇六……誰の部屋? 空き部屋かしら?」
 アビゲイルの母であるハンナ・テイラーは他人事のように呟き、旦那のカールにもたれ掛かる。
「……ナオ・リリーの部屋だ」
 しんと静まった部屋は、外の嵐の音だけがはっきりとしている。
 名前を言われたナオは、痛みを発するほど背中を伸ばす。人の視線が怖くて、まっすぐに前を向けない。自然と足下のオリバーに目線を落とした。
 リチャードはナオを見ておらず、回りの様子を眺めていた。
 最初に口を開いたのはロイドで、ぎこちなく笑い、顎でナオを指す。
「決まったな」
「何が決まったんだ?」
 リチャードは質問をする。雰囲気に似つかわしくないほど、彼は冷静だった。
「犯人はそこの男女で間違いないだろ。だってそいつの部屋なんだぜ? にしてもバカだよなあ! 自ら犯人ですって言ってるようなものなんだぜ」
「なるほど」
 リチャードは顎に手を置き、興味深そうにロイドの話を聞く。
 ナオとしては、否定してほしくてショックを受けたが、犯人ではないと証明もできない。黙っておとなしくしているしかなかった。
「けど、部屋の主だからって犯人とは限らないわよ。私としては疑わしき人はどこかに閉じ込めてほしいところだけどね」
 アビゲイルの意見には、誰も反論は出なかった。庇ってくれそうなセシルは目を瞑り、体調が悪そうに胸で息をしている。
「つーか、お前はなんで偉そうなんだよ。さっきから上から目線でよ」
「上から目線に聞こえたのであれば、それは申し訳ない。だがこちらの指示に従ってもらうしかなくてね。先ほど通報したが、残念ながらこの嵐で土砂崩れが起こり、風も強くヘリを飛ばせる状況ではないと言われてしまった」
 リチャードは懐からもう一冊の黒い冊子を出し、皆に見えるように開いた。
 映画で何度も見たことのある手帳に、ナオは口を閉じ忘れ呆然と凝視するしかなかった。
「改めまして。連邦捜査局に所属してます、リチャード・クロフォードです」
「連邦捜査局……FBI?」
 二度目の驚きだ。だが今回は先ほどとは違い、反応は個々に異なるものだった。
 法学部を出たと聞いて、勝手に弁護士だと思い込んでいた。
 FBIは偏差値の高い大学で引き抜きを行っているらしいが、リチャードもその後にFBIの試験を受けたのかもしれない。
 ロイドは「何かのジョークか」と笑い、アビゲイルとリンダは急にそわそわし始める。クラークは知っていたようだが、妻のアリスは驚きはしたものの「これは頼もしいわ」と微笑み、信じきっている様子だった。
「まあ、なんてこと。本物なの?」
 ハンナは一驚し、じろじろとリチャードを眺める。
「ええ。手帳は偽物……なんて言われなくてほっとしています。正銘できるのは、父のハリーと弟のセシルくらいしかいませんが」
「息子は間違いなくFBIアカデミーで学び、捜査官になっている。あまり警察官だとは言うべきでないんでね。皆さんに息子の職業を聞かれたが答えられなかった。閉ざされた空間の中、このようなことが起こってしまって、私としてはリチャードに指揮を取ってもらいたいんだが……」
「俺はディックがいい。信頼してるし」
 小声でセシルは呟いた。
「皆さんはどうですか?」
 凛とした声は、外の嵐にも負けていなかった。
 各々が顔を見回し、問題ないと口にする。
「本物の警察官がいるとは、不幸中の幸いだな。ちなみにだが、犯人は外部の人間という可能性はないのか?」
 カールの一言で、またもや静寂に包まれる。
 ここにいる全員が口にせずにいた言葉だ。殺人事件であれば、中より外の人間であってほしいと、皆がすがる思いだった。
「もちろん、どちらも視野に入れています」
 曖昧すぎる回答に、カールはいまいち納得していない様子だ。
 言葉少なめに濁し、相手に引き出させるテクニックはアカデミーでも習うとミステリー小説で読んだことがある。
「というわけで、これから個々にお話を伺います。私がいいと言うまで、こちらで待機していて下さい。いろいろご不満もあるでしょうし、ストレスが溜まるのも承知の上です。皆さんの協力により、どれだけ時間を要するかかかっています」
「ちょっと待てよ」
 ロイドは立ち上がり、自分よりも背の高いリチャードを睨みつける。警察官と聞いて、さらに反抗的な態度になった。
「そいつが犯人だって言う俺の意見はどうなんだ?」
 またもや名指しされ、ナオは泣きたくなる気持ちを懸命にこらえた。リチャードの前でなんて、泣きたくなかった。
「逆に聞くが、彼が犯人だという証拠は?」
「そいつの部屋で死んでたってのは不充分か? 充分だろ」
「動機は?」
「こいつ、イーサンと揉め事起こしてたぜ」
「勝手に揉め事起こしてたのはアンタらだろ……ナオは関係ねーよ」
 具合が悪そうなまま、セシルは声を絞り出した。
「……それも一人一人これから聞きます」
 リチャードと目が合った。彼はナオを犯人だと思っているのか。彼の表情からは得られる情報はない。
「最初にナオから。次は体調の悪いセシルを優先させて下さい」
「ああ、構わない」
「皆さん、緊張なさらないで……と言っても無理でしょうが。何も難しいことは聞きません。どうか、ありのままをお話し下さい。それでもし……殺めてしまった者がこの中にいたとしたら、」
 リチャードはもう一度、周囲に目を配った。
「こっそりと名乗り出て下さい。何かの事故であれ罪は償わないといけませんが、必ず力になると誓います。余計な罪まで背負わそうとはしません。ナオ、三階の談話室へ」
「は、はい」
「へ、疑わしき人物から最初か。犯人は決まったようなものだな」
「ああ、それとナオには同席して録音をしてもらいます」
「はあ? なんでそいつなんだよ」
「全員アリバイがないのは同じ立場だし、誰かがリチャードを見張ってないといけないだろ……FBIと言っても人殺さないとは限らないんだから。それにこの中じゃ、ナオが一番向いてるし……やばい吐きそう」
「セシルっ」
 近くにあったゴミ箱を渡すと、大丈夫だとセシルはソファーに突っ伏した。
「そういうことだ。それに、ロイドの立場からしたら随分とナオを犯人に仕立てたい様子だから、俺が側で見張っている方が都合がいいんじゃないのか?」
 ロイドは短く舌打ちをすると、足を豪快に開いて貧乏揺すりをした。不都合はないらしい。
 目配せをするリチャードの後を追い、初めて三階に足を踏み入れた。
「うわあ……」
「素敵な部屋だろう」
「はい。シャーロック・ホームズの部屋みたいです」
「イギリスへ行ったことが?」
「行きたいんですけど、海外へはあまり行ったことがなくて」
 こういう場面なのに、話を合わせてくれるリチャードに胸が熱くなる。
「セシルから聞いたんだが、物書きをしながら大学で人間行動学を学んでるんだって?」
「一応……そうです。第一志望は小説家で、探偵ものとか書きたくて今の学部を選んだんです。でも勉強していくうちに、楽しくなってきて」
「夢は一つに絞らずに、いろいろ持っていた方がいい。君の好きそうな探偵なんてのも面白そうだ」
「あ、実は夢の一つだったりします」
「ならば叶えるために、早めに事件解決に向かわないとな。前に座って」
 いよいよだ。警察官から聴取なんて初めての経験で、ナオは胸に手を置き何度か深く息を吐く。
 リチャードは小型の録音機材を出し、テーブルに置いた。
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