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最終章 エピローグ
030 エピローグ
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窓越しに見える太陽は傾いていて、影はおおいに伸びている。
「宮野さん、おつかれー」
「お疲れ様です」
つくづく煩わしさのない職場だ。言い方を変えると、表面上の付き合いである。蓮にはこれが居心地がよかった。
白衣を脱いでスーツに身を包み、会社を後にした。
帰りの電車は、座れた経験がない。お金を貯めたら車を買う予定だ。持ち腐れている免許証は、いまだに日の目を見ることはない。
隣にいる女子高校生が、辺りを見回している。何か気になることがあるのかと思えば、彼女と目が合った。
挙動があきらかにおかしく、蓮は怪訝に思いながら背後の男に目をやった。
「何やってるんですか」
蓮は咄嗟に声を上げた。誰が見ても不審なほど女性に近づきすぎている。
回りいた気づいた男性たちは、不審者の手を掴んだ。正義のヒーローが大勢いる電車内だった。
蓮は不審者と女性をなるべく離して声をかける。
「次の駅で降りられますか?」
「は、はい……」
駅では警察がすでに待ちかまえていた。女性を預けてそのまま帰ろうとした矢先、女性に袖を引っ張られてしまった。
「君、家族? 友人?」
警察に声をかけられたので、
「乗り合わせただけです」
と手短に答えた。
「ちょっと話を伺いたいんだけど、いいかな」
「そんな話せるようなことは……」
「一応、回りの方からも聞きたいから」
「なら、家族に連絡取ってもいいですか」
返事を聞くより先に、蓮は恋人へ電話をかけた。
「薫さん?」
『蓮? どうしたの?』
「すみません、ちょっと事情があって遅れます。理由は帰ってから説明します」
『わかった。あせらなくていいから事故に気をつけてね』
女性の目は虚ろだった。あんなことがあったのだから、ショックを受けて当然だろう。
「大丈夫ですか?」
そこで初めて別の違和感に気づいた。
女性と目を合わせようにも、焦点が合わない。暗い世界を渡るつらさは誰よりも知っている。
「もしかして、目が見えていませんか?」
女性は身を縮こませ、小さく頷いた。
「病気で……時々見えなくなるんです」
「そうですか。お薬はありますか?」
「目薬を……」
女性は鞄の中へ手を入れて、手当たり次第に探している。
「処方のお薬じゃなく?」
取り出したのは、どこのドラッグストアでも売っているような有名な目薬だ。
「どうせ治らないし……諦めたんです」
「警察との一連のやりとりが終わったら、病気に詳しい医師を紹介しますか?」
「え?」
「僕、薬剤師なんです。こちらのお薬だと、かすみ目には効きますが、根本的な解決にはならないですよ」
女性の肩を支えながら、パトカーに乗せた。蓮は別のパトカーで聴取だ。
すべてが終わると、女性は待っていた。目の調子が戻ったのか、今度はしっかりと目が合う。
「さっき親に連絡をして、来てもらえることになりました」
「それはよかったです。あとこちらが病院です。はっきり原因が判らないものでも真摯に向き合ってくれますから」
メモ帳を切った紙に、薫の勤務する病院の地図と住所を書いた。実際に不明の目の病気でも治すと話題を呼び、北海道からもわざわざ通う患者がいるほどだ。
一台の車が止まり、女性の母親がこちらへ向かってくる。
急いで買ってきたのだろう、手土産と彼女の汗を見れば、充分に気持ちが伝わった。
夕食後のデザートとして、もらったお茶請けを食べながら薫の淹れたコーヒーを飲んだ。
「それで、俺の勤務する病院を紹介したんだ?」
「行くかどうかなんとも言えませんけど。病院なんて辟易してる顔してましたし」
コーヒー味のゼリーが挟まったクッキーだ。さくさくしていて、中のゼリーはほろ苦い。
「よく対応したね」
「薫さんの顔が浮かんで、ほっとけなかったんですよね。気持ちが判りますし」
「ああいや、それもだけど。電車でよく対応したと思って」
「それは……僕もびっくりしました。でも回りの人たちも見て見ぬふりじゃなかったのは日本で良かったって思えました」
もう一つのクッキーは、紅茶味だ。うちでは紅茶は滅多に飲まないが、癖もなく食べやすい味だ。
お茶の後は、薫は伸びに伸びた小松菜を収穫している。水耕栽培も慣れたもので、土いらずな分、回りも汚れず良い面も多い。だが庭の菜園は土の匂いがあるからこそ収穫の喜びを感じられるのだ。
「これ……どうしよう」
「小松菜は簡単だから、いっぱい植えちゃうんですよね。おひたしは飽きました」
「やっぱり? 俺も。炒め物もしたし、煮物も作った。いっそクッキーとか作れないかな?」
「ほうれん草のお菓子があるくらいだし、小松菜もいけるんじゃないかと思います。お菓子を作るなら、パウンドケーキはそんなに難しくないですよ。牛乳パックがあれば作れます」
「それは美味しそうだ。明日作ろうか」
身体の節々に痛みはあるものの、十時まで寝れば頭はすっきりしていた。
昨日の残骸は綺麗に片づけられていて、ゴミ箱だけが重く受け止めている。いつもありがとう、と心の中でお礼を伝えた。
朝食は用意されていて、蓮は少し遅い朝食を取った。キッチンには見覚えのある弁当箱が置いてある。薫へ届けるついでに、買い物をしてこようと家を出た。
病院のロビーでは、薫が女性ふたりと何か談笑をしている。
先に薫がこちらに気づき、手に持つ弁当を見て苦笑いを浮かべている。表情の変化が百面相で笑ってしまった。
「ごめんごめん。わざわざ届けにきてくれたの?」
「買い物もしようと思って」
「そっか。忘れたことすら気づかなかった」
「あっ」
女性ふたりと目が合うと、ほぼ同時に声を上げた。
「この間の……ありがとうございました」
「こちらこそ、お菓子ありがとうございました」
「先生がすごく丁寧に診て下さって、心療内科も紹介して頂いたんですよ」
「それはよかったです。なかなか難しいことかもしれませんが、少しでも良くなるよう願っています」
「宮野さん、おつかれー」
「お疲れ様です」
つくづく煩わしさのない職場だ。言い方を変えると、表面上の付き合いである。蓮にはこれが居心地がよかった。
白衣を脱いでスーツに身を包み、会社を後にした。
帰りの電車は、座れた経験がない。お金を貯めたら車を買う予定だ。持ち腐れている免許証は、いまだに日の目を見ることはない。
隣にいる女子高校生が、辺りを見回している。何か気になることがあるのかと思えば、彼女と目が合った。
挙動があきらかにおかしく、蓮は怪訝に思いながら背後の男に目をやった。
「何やってるんですか」
蓮は咄嗟に声を上げた。誰が見ても不審なほど女性に近づきすぎている。
回りいた気づいた男性たちは、不審者の手を掴んだ。正義のヒーローが大勢いる電車内だった。
蓮は不審者と女性をなるべく離して声をかける。
「次の駅で降りられますか?」
「は、はい……」
駅では警察がすでに待ちかまえていた。女性を預けてそのまま帰ろうとした矢先、女性に袖を引っ張られてしまった。
「君、家族? 友人?」
警察に声をかけられたので、
「乗り合わせただけです」
と手短に答えた。
「ちょっと話を伺いたいんだけど、いいかな」
「そんな話せるようなことは……」
「一応、回りの方からも聞きたいから」
「なら、家族に連絡取ってもいいですか」
返事を聞くより先に、蓮は恋人へ電話をかけた。
「薫さん?」
『蓮? どうしたの?』
「すみません、ちょっと事情があって遅れます。理由は帰ってから説明します」
『わかった。あせらなくていいから事故に気をつけてね』
女性の目は虚ろだった。あんなことがあったのだから、ショックを受けて当然だろう。
「大丈夫ですか?」
そこで初めて別の違和感に気づいた。
女性と目を合わせようにも、焦点が合わない。暗い世界を渡るつらさは誰よりも知っている。
「もしかして、目が見えていませんか?」
女性は身を縮こませ、小さく頷いた。
「病気で……時々見えなくなるんです」
「そうですか。お薬はありますか?」
「目薬を……」
女性は鞄の中へ手を入れて、手当たり次第に探している。
「処方のお薬じゃなく?」
取り出したのは、どこのドラッグストアでも売っているような有名な目薬だ。
「どうせ治らないし……諦めたんです」
「警察との一連のやりとりが終わったら、病気に詳しい医師を紹介しますか?」
「え?」
「僕、薬剤師なんです。こちらのお薬だと、かすみ目には効きますが、根本的な解決にはならないですよ」
女性の肩を支えながら、パトカーに乗せた。蓮は別のパトカーで聴取だ。
すべてが終わると、女性は待っていた。目の調子が戻ったのか、今度はしっかりと目が合う。
「さっき親に連絡をして、来てもらえることになりました」
「それはよかったです。あとこちらが病院です。はっきり原因が判らないものでも真摯に向き合ってくれますから」
メモ帳を切った紙に、薫の勤務する病院の地図と住所を書いた。実際に不明の目の病気でも治すと話題を呼び、北海道からもわざわざ通う患者がいるほどだ。
一台の車が止まり、女性の母親がこちらへ向かってくる。
急いで買ってきたのだろう、手土産と彼女の汗を見れば、充分に気持ちが伝わった。
夕食後のデザートとして、もらったお茶請けを食べながら薫の淹れたコーヒーを飲んだ。
「それで、俺の勤務する病院を紹介したんだ?」
「行くかどうかなんとも言えませんけど。病院なんて辟易してる顔してましたし」
コーヒー味のゼリーが挟まったクッキーだ。さくさくしていて、中のゼリーはほろ苦い。
「よく対応したね」
「薫さんの顔が浮かんで、ほっとけなかったんですよね。気持ちが判りますし」
「ああいや、それもだけど。電車でよく対応したと思って」
「それは……僕もびっくりしました。でも回りの人たちも見て見ぬふりじゃなかったのは日本で良かったって思えました」
もう一つのクッキーは、紅茶味だ。うちでは紅茶は滅多に飲まないが、癖もなく食べやすい味だ。
お茶の後は、薫は伸びに伸びた小松菜を収穫している。水耕栽培も慣れたもので、土いらずな分、回りも汚れず良い面も多い。だが庭の菜園は土の匂いがあるからこそ収穫の喜びを感じられるのだ。
「これ……どうしよう」
「小松菜は簡単だから、いっぱい植えちゃうんですよね。おひたしは飽きました」
「やっぱり? 俺も。炒め物もしたし、煮物も作った。いっそクッキーとか作れないかな?」
「ほうれん草のお菓子があるくらいだし、小松菜もいけるんじゃないかと思います。お菓子を作るなら、パウンドケーキはそんなに難しくないですよ。牛乳パックがあれば作れます」
「それは美味しそうだ。明日作ろうか」
身体の節々に痛みはあるものの、十時まで寝れば頭はすっきりしていた。
昨日の残骸は綺麗に片づけられていて、ゴミ箱だけが重く受け止めている。いつもありがとう、と心の中でお礼を伝えた。
朝食は用意されていて、蓮は少し遅い朝食を取った。キッチンには見覚えのある弁当箱が置いてある。薫へ届けるついでに、買い物をしてこようと家を出た。
病院のロビーでは、薫が女性ふたりと何か談笑をしている。
先に薫がこちらに気づき、手に持つ弁当を見て苦笑いを浮かべている。表情の変化が百面相で笑ってしまった。
「ごめんごめん。わざわざ届けにきてくれたの?」
「買い物もしようと思って」
「そっか。忘れたことすら気づかなかった」
「あっ」
女性ふたりと目が合うと、ほぼ同時に声を上げた。
「この間の……ありがとうございました」
「こちらこそ、お菓子ありがとうございました」
「先生がすごく丁寧に診て下さって、心療内科も紹介して頂いたんですよ」
「それはよかったです。なかなか難しいことかもしれませんが、少しでも良くなるよう願っています」
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