薫る薔薇に盲目の愛を

不来方しい

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第一章 盲目の世界

09 あなた以外好きになれない

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 泣いた分はジュースとフライドポテトで体力を回復し、休憩所を出た。
 豪雨は止み、雲間から微かな光が差している。
「お礼は必ずします」
「言ったな。今度パフェ奢ってもらうわ」
 小泉は蓮の頭をわしゃわしゃと撫で、別れを告げる。
 服を乾かしたので心配されることはないと思ったが、玄関先で祖母の口がへの字に曲がる。目が腫れているのはごまかしようがない。
「おばあちゃん、お腹空いた」
「夕食には早いから、おやつ用意しようかね」
「縁側で待ってていい?」
「あとで持って行くからね」
 庭にたくさんの紫色の紫陽花が咲いている。祖父が庭を作り、祖母が植えた花だ。
「どら焼きでいいかい? 求肥が入ってるよ」
「求肥好き。ありがとう」
 老舗の和菓子店のどら焼きだ。最近は和菓子があまり売れなくなって新しい味が生み出されているが、蓮は昔ながらのどら焼きが一番好きだった。
 黒あんがしっかりとつまり、蜂蜜入りの生地はしっとりとしている。
 てっきり祖母も一緒に食べるかと思いきや、お盆には一人分のどら焼きとお茶しかない。
 祖母は無言で孫の頭を撫で、向こうへ行ってしまった。
 気を使われているのだとわかり、しんみりとしながらどら焼きを口にした。
「……甘い」



 日曜日の午後、蓮は机から顔を上げてうんと背伸びをした。
 大学は高校と違って宿題は圧倒的に少なかった。その代わり、自ら机に向かわないとすぐに置いてけぼりになる。
 自室を出ると、縁側では祖母が庭を眺めていた。
 祖父は古くなった鹿威しを新しく作り直していたが、完成したようだ。昨日よりも音が割れていない。
「僕がお花に水あげてもいい?」
「ああ、お願いね」
 今は薔薇が咲き誇っていた。薔薇は年がら年中咲いているが、実際は暑くなる前の五月に見頃を迎える。
 薔薇は思い入れのあるとても好きな花だった。目が見えなくなり入院していたとき、かずとがいつも薔薇の花を部屋に持ってきてくれていた。本人にも確認したわけではないが、いつも薔薇の香りを漂わせていた。
 庭に出ると、塀の向こう側に人の気配を感じた。
 うろうろしていて、どこかへ行く気配もない。
 不審に思った蓮は恐る恐る外へ出て不審者を見ては、呆然としてしまった。
「かずと先生……」
「蓮君」
 不審者の正体はかずとだった。
 蓮を見てはほっとした表情するが、次第に曇っていく。
 かずとは蓮に向かって頭を下げた。
「先週は本当にごめん。どうしても外せない用事ができてしまったんだ」
 子供、と唇が形作るが声に出せなかった。現実逃避がしたいのと、彼は子供がいることを隠そうとしている。安易に触れてはならない。
「いろいろ大変だったんですね。お疲れ様です。僕のことは気にしなくて大丈夫です」
 泣きたいのはこちらなのに、かずとの目と鼻が赤く染まる。
「かずと先生、無理しないで下さい。わざわざ会いにきてくれただけで、嬉しいです。それじゃあ……僕おばあちゃんに頼まれた仕事があるので」
 これ以上いたら、依存して彼から離れられそうにない。見切りをつけたかった。どう足掻いても既婚者に太刀打ちできないのだから。
 中へ入ろうとすると、後ろから腕を掴まれる。
「蓮君、来週の日曜日は時間ある?」
「来週……特に用事は……」
「またここに来ていい? 会いたい」
──会いたい。
 どんなつもりで言っているのだろうか。かずとの目は本気だ。だからこそ、彼の気持ちも自分の気持ちも判らなくなる。
「会いたい」
 だめ押しとばかりに、かずとは続ける。
 蓮は塀に手をつき、身体を支える。かずとは慌てて蓮の身体を支えた。
「蓮君、大丈夫?」
「平気です……目がぼやけてしまって。病気じゃないんで、問題ないです。来週の日曜日、家で待ってます」
 涙声になり、もうばればれでも彼に泣き顔を見られたくなかった。これ以上、叶わぬ想いを募らせて惨めな気持ちになりたくなかった。
「ありがとう」
 何に対しての「ありがとう」か、判断するのが難しかった。
「蓮、どうしたんだい? お客さん?」
「うん……知り合い。おばあちゃん、来週の日曜日なんだけど、家に人呼んでもいいかな?」
「友達かい?」
 祖母は嬉しそうに言う。目尻の皺が何よりも優しさに満ちている。
「おばあちゃんとおじいちゃんは町内会で出かけてるから、おやつでも準備しておこうかねえ」
「おやつ?」
 祖父が顔を出した。甘いものに目がなく、おやつの話になると落ち着かない。
「友達というか、なんというか……お世話になってる人」
「うんうん。仲良くね」
「ありがとう」
 あまり触れないでいてくれる祖母に、もう一度「ありがとう」と感謝を述べた。

 時間は想いとは裏腹に待ってはくれず、日曜日がやってきた。
 期待してはいけないと思いつつ、部屋の掃除まで完璧だ。
 自室にはちゃぶ台も用意して、冷蔵庫には和菓子もある。
 チャイムが鳴った。蓮は足の小指をドアにぶつけながらも、廊下に出て玄関の鍵を開けた。
「………っ、…………うう」
「大丈夫?」
「平気、です。さっき、小指をぶつけて……」
「それは痛かったね」
 かずとは蓮の頭を撫でる。
 ますます好きになるから止めてと言いたいが、嬉しさが勝る。
「どうぞ上がって下さい」
「おうちの方は?」
「町内会で、祖母も祖父もいないです」
 かずとは困惑した顔をした。
 ただ爽やかなだけではなく、かずとはいろんな顔を見せる。
 好きな人の顔を見られるのは、目の不自由がないの特権だ。
「お邪魔します。これ、ご家族の方へ渡してもらえるかな?」
 かずとは紙袋を蓮へ渡した。
 ずっしりと重く、箱が三つほど入っていた。
「ありがとうございます。お茶を用意しますので、僕の部屋で待っていて下さい」
 かずとを部屋へ案内し、蓮はアイスコーヒーと練り切りを持って自室の扉を開けた。
「ずいぶん立派な家だね」
「ありがとうございます。きっと二人も喜びます。練り切りですが、好きですか?」
「上生菓子だね。好きだけど滅多に買って食べないから嬉しいよ。小さな紫陽花だ」
「外側は紫色の寒天で、中は白あんです」
「和菓子って本当に美しいよね。食べるのがもったいない。蓮君はよく食べるの?」
「僕もおじいちゃんも甘いものが好きなんで、おばあちゃんが買ってきてくれるんですよ。よく縁側でお茶してます」
「いいね。日常を楽しむって」
 お互いに当たり障りのない話をした。いざ話し終えると、無言の空気が流れ始める。
「ちゃんと話さなきゃって、ずっと思ってました」
 かずとは顔を上げる。
「先生……僕……」
 まっすぐに顔を上げなければならないのに、涙が止まらない。
 感情が一気に押し寄せると、どうにもならなかった。
 ちゃぶ台を挟んで反対側にいたかずとは席を立ち、蓮の隣に座る。
「どうして……いっつもそんなに優しくするの……」
 かずとに抱きしめられ、自然と手が背中に回る。求めていた暖かさで、慣れない優しさ。毎日味わえたら、どんなに幸せか。
「前に違う人を好きになってほしいって僕に言ったこと、覚えてますか?」
「覚えてるよ」
「……無理みたいです」
 気持ちを吐露すれば、余計なことまで次々と溢れてきた。
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