薫る薔薇に盲目の愛を

不来方しい

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第一章 盲目の世界

04 溢れる想いは伝えられない

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 かずとに腰を抱かれ、蓮は無言のまま近くの公園へやってきた。
「目、どう? 見える?」
「いきなり見えなくなって……僕っ……先生……」
「落ち着いて。側にいるから大丈夫。しっかり息をして、吐いてごらん。薬は何か飲んでる?」
「今日、眼科に行って目薬を……。でもビタミン剤の目薬で、治すものじゃないです」
「鞄開けていい?」
「はい」
 かずとはファスナーを開け、処方せんの袋を取り出した。
「目薬差してあげる。上向いて」
 目の中に数滴の液体が流れてきて、蓮は目を瞑った。
 だがすぐに目を開ける。瞑っている間にかずとがいなくなったりしたらと思うと、目の前が真っ暗になる。
「飲み物買ってくるから待ってて」
 かずとはベンチから立ち上がった。蓮はとっさにかずとの服を掴む。
「ここにいるから」
 一度立ち上がったが、かずとは座り直す。服を掴む手を離せなかった。夢が夢でなくなった瞬間だが、いつ夢に戻ってしまうのか。それは彼がまた自分の前から消えたときだ。
 徐々に視界が広がっていき、街灯の明かりに集る虫も見えるようになった。
 かずとは何も言わなかった。ぼんやりとベンチに腰掛け、遠くを眺めている。
 心がここにないようで、蓮は不安に駆られる。
「目、どう?」
 かずとと目が合った。彼が話すと、暖かな風と時間が流れる。話し方や声質から、彼は人に好かれるタイプだ。先ほど一緒にいたマサは、あからさまな不機嫌な舌打ちをしたところを聞くと、彼もまたかずとに想いを寄せているのだろう。
「見えるようになりました」
「そっか。良かった」
「いろいろと……すみません」
「謝らなくていいよ。蓮君が無事で良かった」
 またもや視界がぼやけてくる。今度は病気とは関係なく、意図せず溢れる涙のせいだ。
 彼は名前を覚えていた。彼からすれば顔も見えていただろうが、不思議な感覚だ。同じ地球上にいても、見えている世界が違う。
「さっき鞄を開けたときに学生証が見えたんだけど、蓮君はこっちの大学に通ってるんだね」
「はい、そうです。先生のおかげで、母から離れて暮らすことができました」
「ああ……俺は何もしてないよ」
「そんなことないです。今は祖父母の家から通っています。編入した高校でも友達ができたし、楽しい想い出もできました」
「それはよかった」
 違う。言いたいことはこんなことではなかった。
 もっともっと伝えたいことがあるのに、意気地なしのせいか肝心の言葉が出てこない。
 かずとは腕時計に視線を送る。
 いても立ってもいられなくなった。
「先生、夏に文化祭があるんです」
「文化祭?」
「来てもらえませんか? 八月なんですけど……」
 どうしても次に会う約束を取りつけたかった。これでさよならはつらすぎた。
「いいね、文化祭。懐かしいなあ」
「先生……」
「ん?」
「かっこいい……」
「あははっ、顔見るの初めてか」
「そうです……初めてです」
「蓮君は愛らしい顔をしてるよ」
「ありがとうございます……」
 女顔と言われるのは好きではないが、かずとに言われるのは平気だった。
 刻々と時間が過ぎていき、ベンチに座っている間も影と外の色が同化していて、別れを意味してた。
 口から出るのは顔のことばかりで、気の利いたことを一言も言えず、もどかしくて焦りばかりが生まれる。
「送っていくよ」
 かずとは立ち上がった。蓮も小さく頷き、後ろをついていく。
「ごめん」
 何に対してなのか、かずとは消え入りそうな声で呟いた。
 聞いてはいけない気がして、蓮は聞こえないふりをした。
「おばあちゃんの家はどこ?」
「ここから四つほど離れているところです。もう遅いですし、送ってもらわなくて大丈夫です。先生も遅くなっちゃうし」
「そっか」
 かずとは弱々しく返事をする。
 どこか上の空で、心配でやはりもう少し一緒にいたい、とわがままばかり心に残る。
「じゃあ、またね」
「はい。おやすみなさい」
「おやすみ」
 行ってしまう。先生と別れてしまう。
 蓮は瞬きよりも早く、かずとの袖を掴んだ。
「……文化祭へ必ず行くよ」
 指の力が抜けていき、蓮はそっと腕を離した。
 彼が小さくなるまで見つめ続けた。
 別れはやはり寂しいが、「また」と言った言葉はお守りになり、心の奥にしまい込んだ。



 蓮は大学に入学して、天文サークルへ入部した。
 入院中にもぼんやりと興味を持っていた程度だったが、真っ黒な夜空を眺める世界は、目の見えなかった蓮にとって夢あふれる世界だった。
 活動の内容は、天体について語り合ったり、研究したり、夜に天体望遠鏡を持って出かけたりするが、夜の出歩きは参加していない。万が一見えなくなったりしたら、事故に繋がる恐れがある。
 メンバーの小泉がいた。一つ上の先輩で、長めのネイルで器用にキーボードを打ち、ブログに写真を上げている。
「れんれん、お菓子食べる?」
「れんれん……」
「遠慮すんなって。ほら」
 テーブルを滑ってきたのは、パフが入っているチョコレート菓子。
「イチゴが良かった?」
「いえ……ありがとうございます。これ、この前行ってきた写真ですか?」
「そう。ちょっと見てよこれ。月にウサギがいるって言うけど、ほんとにいるんだって証明されたから」
 どや顔で端末を差し出され、蓮は覗いた。
「おお……これはすごい。耳もちゃんとあるし、ウサギが駆けているように見えますね」
「でしょ? 海すごい。ウサギが住んでた」
 地形のことを海と言うが、水があるわけではない。
「国によってワニだったり女性だったりするのよね。月に行ってみたいわ」
「宇宙旅行は民間でもあるみたいですけどね」
「何億かかんのよ。……アンタ、目大丈夫?」
「おかしいですか? 見えてますよ」
 目の病気を患っていたとサークル内には話してある。突然参加できなくなることもあるためだ。
「目元真っ赤だし腫れてない? 泣いた?」
「昨日、ちょっとだけ」
「どうしたのよ」
「好きだった人に偶然再会して、おかしくなってました」
「恋の悩み? もう好きじゃないの?」
「……………………」
 小泉は蓮の隣に座る。鞄からもう一つチョコレートを出し、蓮へ渡した。
「連絡先は交換した?」
「してないです。聞くのが怖かった。でも文化祭は来てほしいって伝えたら、必ず行くって言ってくれました」
「それなら良かったじゃん。何やるかいろいろ決めないとね」
 一つ年上の小泉は、蓮の頭をわしゃわしゃと撫で回す。
「れんれんって弟みたいなんだよね。可愛がってやりたくなる」
「兄弟いないので、嬉しいやら複雑やらです」
「そこは嬉しいって言いなさい」
 もう一人、天文サークルの部長である鳴瀬が入ってくる。蓮と同じ一年の西森も続いた。
 他にも数人いるが、幽霊部員だ。
 自由気ままでマイペースだが、頼れる先輩だ。
「うっす。今日は文化祭の出し物決めるぞ」
「去年は何やったんですか?」
「撮ってきた写真を展示したり。わりと評判良かったんだよね」
「そうそう。天の川の写真とか売ったりして、完売したんだよね」
「俺、カフェやりたいです」
 西森はパソコンから顔を上げた。
「それは第一候補だったんだけど、どう?」
「僕もカフェやってみたいです。宇宙や天体にちなんだものを作ってみたいんです」
「可愛い彼女候補にあげるの?」
 小泉はにんまりと笑う。
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