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第一章 ふたりの出会い

027 来年も一緒に

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 着替えて居間へ行くと、鼻腔をくすぐる匂いがカオスなことになっていた。
 テーブルには三人分の朝食だ。焦げたパンがなんとも言えない寂寥感を漂わせている。サラダにヨーグルトもある。
「サラダは葉物を千切りました。ヨーグルトは昨日買ったものです」
「ヨーグルトが一番美味しそうに見えるね!」
 遠慮のないオリバーだ。
「住んでまだ二十四時間も経っていないのに、よくこんな致命的な弱点をさらそうと思えたね」
「最初が肝心です。私は包丁が使えない。優月、これが私の腕前です」
「大丈夫ですよ。俺がやりますから。さっきから聞きたかったんですけど、なんでオリバーさんがここにいるんですか?」
「愛する弟に呼びつけられたんだ。君の引っ越しの手伝いを頼むと」
 リュカは席につき、焦げたパンにバターを塗っている。
「ちょうどアジアにいたから、すぐに飛んできたのさ」
「それでわざわざ……ありがとうございます」
「本日、私は仕事がありますので、引っ越しの作業はオリバーをこき使って下さい」
 優月もパンに蜂蜜を垂らしつつ、疑問に思っていたことを口にした。
「オリバーさんって、時間の融通きくんですか?」
「まあまあだね」
「まあまあ」
「そう、まあまあ」
 腑に落ちないが、リュカが何も言わないところを見るに本当なのだろう。
 朝食の片づけをした後はリュカは仕事へ行き、優月はオリバーとともに親戚の京野家へ向かった。
 あらためて大きな敷地を見ると、身の丈に合っていない屋敷だ。住んでいい場所ではなかった。厄介者が舞い込んできて、ここに住む者はさぞかし生理的嫌悪感が生まれるだろう。
 オリバーはあらかじめ数台のトラックを準備していた。だが一台で充分に間に合った。
「新生活はどう? どきどき?」
「まだ実感が沸かなくて。リュカさんのご迷惑にならないようにします」
「迷惑かどうかはさておいて、モニカをどうするか私は頭を悩ませているよ」
 モニカはリュカのフィアンセだ。本人曰く形だけらしいが、フィアンセであることには変わりない。
「どんな方なんですか?」
「女王様気質だね。僕らの母親もそうだけど、またちょっと違うタイプ。モニカは子供のわがままを兼ね備えた女王って感じかな。とにかく自分が一番でないと気がすまない。乳母も手を焼いているよ。今日来たのは弟に呼ばれたのもあるが、目的はモニカの話をするためだ。彼女は極めて幼稚で、自分の思い通りにならないと犯罪すれすれなことをやってのける」
「気をつけろってことですね」
「そのとおり。状況によって私はモニカの味方につかなければならないだろう。ルークは……どうだろうね。今まで逃げ回っていて圧倒的に立場が悪い。決着をつけねばならないが、頑固でこちらの言うことを聞かない一面がある」
 優月に対してそのような素振りは見せないが、兄弟だからこそ見せる一面なのだろう。
「オリバーさんは、俺とリュカさんが結婚したことを怒ってないんですか?」
「お祝いしているように見えるかい?」
 サングラスから透けて見える瞳ははっきりしないが、笑っているようには見えない。
「祝福はしていないと思います。でもこうしてモニカさんのことまで忠告してくれて、俺としてはすっごく嬉しいし感謝もしてます。リュカさんはあまりご家族の話をしたがらないので」
「君に事情を説明して、ナイトになってもらおうとしているだけさ。言わば盾。王子を守ってほしくてね」
「全力で守るつもりでいます」
「それを聞いて安心したよ。弟のことをよろしく頼む」
「……仲が良いんですね。正直、羨ましいです」
「そうだとも! 仲が良いのさ!」
 豪快に笑うオリバーに、優月も頬が緩んだ。
 一方的な想いではなく、リュカもオリバーを想っている。
 近しくならないよう気持ちをあえて遠ざけているが、兄弟ならではの信頼があるからだ。
 荷物を部屋の中へ運んでもらうと、オリバーは仕事があるとさっさと帰ってしまった。最後に「冬までにパスポートを取りなさい」と言い残した。
 パスポートの前に、まずは部屋の片づけだ。
 一日かけて荷解きをし、日が傾いた頃に夕食の準備を進めた。
──蕎麦が食べたい。
 タイミングを見計らったかのようにメッセージが届き、冷蔵庫にある野菜でかき揚げを作り、蕎麦を茹でることにした。
 ちょうど茹で終わる頃にリュカは帰ってきて、ふたりで食事を済ませた。
「引っ越しに蕎麦を食べるなど面白い文化がありますね」
「それで蕎麦をリクエストしたんですか?」
「私個人的にも食べたかったのです。それと野菜への水やりもありがとうございます。必要な分はご自由に収穫して頂いて構いません」
「抜いて良かったんですね。リュカさん、昨日はばたばたしていて言いそびれてしまったんですが、あらためてよろしくお願いします。親戚が俺を煙たがっているとは……思ってましたが、自分が思っていた以上に嫌われていたみたいです。まだ気持ちの整理がつかないですけど、拾ってくれる神もいるんだなあと」
「事情は私から優月のお父様へご連絡致しました」
「ええ? 連絡先も交換してたんですか?」
「もちろんです。あなたに何かあったら誰がご家族へ連絡するのです?」
「おっしゃる通りです……」
「判ればよろしい。話は変わりますが、隣の部屋は行きましたか?」
 ぴったりと引き戸で閉じられている部屋は、居間と繋がっている。
「入ってないです。今日はずっと荷物の整理してましたから。開けてもいいんですか?」
「どうぞ。私の夢がつまっています」
「夢に足を踏み入れさせて頂きまーす」
 ゆっくり扉を引くと、隙間から懐かしい香りが漂ってきた。
 囲炉裏の間だ。玄関から一番近い部屋で、障子を開けたら外の家庭菜園も見える作りだ。
「古民家を選んだ理由はいくつかありますが、そのうちの一つが囲炉裏の間です。イギリスにいたとき、日本の伝統的な家を調べていましたが、一瞬で目を奪われました。師匠にこれはなんだと聞いたら、囲炉裏だと教えて頂いたのです。残念な話、最近の家にはほとんど残ってはいないと聞きました」
「運命的な出会いだったんですね」
「有沢家にもあるのでしょう?」
「どうして判ったんですか?」
 優月は驚いて振り返ると、リュカはしたり顔だ。
「囲炉裏独特の香りがしましたから」
「使ったりしてるんですか?」
「それが一度しか使っていないのです。火を起こすのも大変ですし、ガスが便利すぎて囲炉裏のある家がなくなっていく理由も判りました」
 古さはあまり感じられない。リュカがよくメンテナンスを行っているからだろう。
「優月は実家で囲炉裏を使っていましたか?」
「実はないんですよね。父が掃除をしてるのは見ましたが、料理が面倒だからって宝の持ち腐れ状態でした。夏だと厳しいかもしれないですが、秋や冬にでも使ってみます?」
「ぜひ。時代劇で、魚を串に刺して焼いているのを見ました。何の魚だったのでしょう」
「アユやヤマメじゃないですかね。春に出回る魚で、どっちも美味しい魚ですよ」
「では来年一緒に食べましょう」
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