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第一章 ふたりの出会い

01 リュカと優月

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 トンボを追いかけ回した日、ザリガニを釣って観察した日。どれもこれも愉しくて仕方なかった宝物。
 ある日、近所の女の子と遊んでいると、
『お前は将来、男と結婚するんだよ』
 そう言ったじいちゃんは、優しさの欠片もない般若のような顔をしていた。般若がなぜ怖いのかというと、般若の仮面を被って祭りで舞う大人を見たときの恐怖だ。トラウマを植えつけるのに充分だった。
 じいちゃんの言う『男と結婚』の意味が判らなかった。六歳だった俺には衝撃で、回りの大人もそれを聞いてうんうんと頷くばかりだ。そもそも男の人と女の人しか結婚はできない。それは知識で知っていたし、狭い常識の話をすると、うちは父と亡くなった母が両親だからだ。父と父、母と母じゃない。
 やがて自分の運命がそういうもので、一般的だと思うようになった。それが普通じゃないと気づいたのは、さらに年齢を重ねてからだ。
『お前、男と結婚するんだろ』
 中学のクラスメイトに言われた言葉は、クラス中を震撼させた。悪い意味の悲鳴が起こり、俺は何をしていなくても『気持ち悪い』と、言葉の刃は鞘へ収めることを知らない。やんちゃ坊主はからかいの的がほしかっただけなのかもしれないが、俺自身が普通じゃないと気づくのに充分だった。
 家が嫌いなわけじゃない。家族が嫌いなわけじゃない。わーとか、うーとか、言葉にならない叫び声を上げて、とにかく走り出したかった。家を出たかった。
 呪われた名を背負い、高校を卒業した俺は京都に足を踏み入れた。









「なんかすんごい人、いた!」
「すんごい人?」
「よくわかんないけど、とにかくヤバい。ヤバすぎ」
 名前も知らない女子生徒が興奮気味に「ヤバい」を繰り返している。幽霊だのこの世のものじゃないだの、聞こえてくる話は結局何を伝えたいのか判らなかった。
 有沢優月は弁当箱を片づけ、次のゼミへ向かう。廊下はいつもより騒がしく、食堂を出た後も「ヤバい」だの辞書にも載らないようなわめきが聞こえてきた。
「なんか、幽霊みたいな人いた!」
「はあ? 幽霊じゃなく?」
「この世の者とは思えない感じの人」
「意味わからん」
 灰色に覆われた空は二度、三度まばゆい光を放ち、心臓が縮こまるほどの音を反射させた。すぐに殴りかかるほどの雨が地面と窓を叩きつけた。
 幽霊の話をしていた生徒は悲鳴を上げ、廊下は走るなと貼られているポスターを全力で横切っていく。
 一瞬の光の中に、何かを見た。人なのだが、後ろ姿がこの世の者とは思えないほど……説明が難しかった。
 とり憑かれたように、優月は出入り口へ向かって歩き出す。
 八つ当たりのように地面を襲う雨を前に、男は立っていた。ただ、立っているだけなのだ。そこだけが雨も雷の音もはねのけているように見えた。
「よければ、使いますか?」
 優月は鞄から未使用のタオルと傘を出して彼に渡した。
 男はこちらを振り返った。
「うわ…………」
 綺麗だの美しいだの、そんな形容詞は陳腐なものに思える。それほど、いまだかつて見たこともない人間だった。
 しっとりと濡れたブロンドヘアーに、透き通る肌、目鼻立ちは際立ち、こちらを見つめる瞳は青とも緑ともとれるような色。雷の光が当たると、色が変わる摩訶不思議な目をしている。
 生徒が『ヤバい』と連呼していた意味も察する。おそらく彼のことだろう。
「えーと……、日本語、大丈夫ですか?」
「問題ございません」
 たった一言でも、かなり流暢な日本語だ。言葉の癖というのは相当話していないと抜けはしない。何の違和感もない。
「これ、使って下さい」
「……それはあなたのものです。借りられません」
「予備の傘があるんで」
 男は目を細めた。いかにも疑ってますよ、と言わんばかりだが、何をやっても様になる男だ。
「リュカさん!」
 遠くから教授の高岡走ってきた。ボサボサの髪と乱れた白衣、それに分厚い眼鏡。背の高く細身の彼は、ノッポさんと呼ばれて親しまれていた。彼は考古学科であり、優月も彼の元で世話になっている。
「……あれ、有沢。ちょうどいい、君も手伝ってくれ!」

 まったくわけが判らないまま高岡につかまり、なぜか二人の後をついていく羽目になった。
 二人の話す内容を察するに、高岡は集落の土地を掘ったときに見つかった骨董品の数々の鑑定を美丈夫の彼に依頼していたらしい。モデルか何かかと勘違いしそうになるが、彼は骨董商だということが判った。がぜん興味が沸いた。もちろん興味を持ったのは骨董品以上に骨董商の彼だ。
「骨董品を売ってるんですか?」
 横やりを入れると、リュカと呼ばれた彼は律儀にも話を止めてこちらを向いた。
「販売だけでなく、なんと鑑定士としての腕がプロなんだよ!」
 なぜか答えたのは高岡だ。
「あー、そうなんですか」
「リュカさん聞いて下さいよ! それでね、」
 考古学の話になると止まらなくなる高岡は、さらに話を横切って自分の話に持ち込んでいく。なんとなく、すみませんと謝罪したくなった。
「それで、俺に手伝いってなんですか?」
 めげずに優月は間に入る。
「ん? なんだっけ? とくに用はないけど」
「ええ…………」
「もう帰っても大丈夫だよ」
 今日のおやつは羊羹です、のノリで言うのはいつものことだ。
「もし講義がないのなら、よろしければご一緒しませんか」
 彼からしたら助け船と呼んでいいのか判らないが、少なくとも優月からしたら手を差し伸べてくれたのは事実だ。気になる状態で放置されるなど、地団駄を踏みたくなる。
「なら、ついて行こうかな」
「ええ……くるの?」
「最初に高岡教授が誘ったんじゃないですか」
「ああ、そういえばそうだね。うん、そうだった」
 地下にある一室は、扉を開けると土の香りが漂う。同じ土といえど、掘った地域によって匂いに違いがあると知ったのは、考古学の講義で学んだ。
「骨董商の人って、発掘したものも調べられるんですね」
「物によります。専門でないものもございますが、おおよその時代は判別できるかと」
 声は柔らかいが、頬が引き締まっている。仕事人としての顔というより、余分な緊張があるように見えた。
「さっきお見せしたので全部だと思ったんですが、新しく出てきたんです。じゃーん、これです」
 まだ泥や砂がついているが、片手に収まるくらいの丸みを帯びた腕輪だ。
 骨董商は白い手袋をはめ、ルーペを出すとじっくりと腕輪を眺めた。
「材質は貝でできています。オオツタノハ貝でできた腕輪ではないかと」
「わーお……ほんとに? 写真で見たことがあって、可能性はあるかなあと思ってましたけど」
「他の貝とも特徴が異なります。京都で見つかったのなら、さらに大変珍しいですね」
「ほとんどないんですか?」
「ええ。海沿いの地域から主に発掘されます。考古学は専門ではありませんが、なぜこちらで発見されたのか興味深いです」
 目を奪われるアンティークドールのような男は、ここで初めて笑みを見せた。
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