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第三章 親子
027 ドイル
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俺なりの成果を披露すると、決まってドイルさんは眉間に川を作った。これがちょっと感情が読めなくて、良いも悪いも言わないものだから無言の時間が流れていく。無駄な時間とは思わないけれど、アルネスとは違い、個性溢れる間の取り方だ。ほんの数秒でも、長い時間に感じられる。
「……まあ、悪くない」
「よしっ」
記憶力はお墨付きで、こういう頭に叩き込めばいい単純作業は、集中力さえ続けばずっと本を読んでいられる。小難しいことを言われるより楽だ。
地上にあるリビングで行われている勉強会だ。地下には入れるつもりはないらしく、専らここで先生と生徒の時間だ。
今日は模型の心臓を使っての授業だった。
「ドイルさんって、俺のことをどこまで聞いてるの?」
「捜している息子がいる、くらいだな」
あいつとは性に合わない、と悪態をつく。
「今回のことは、なぜ引き受けてくれたんですか?」
垂れ下がった瞼が上がり、ぎろりと俺を睨む。
「ひよっこはこれからの未来はどうなると思う?」
質問に質問で返されてしまった。
「うーん……まずは放射能だらけの世界をなんとかしないとなあ。今は魚もなかなか食べられなくなったし、出回ってるドラッグについても解明しないと」
「ドラッグは三区の奴らがしでかしたものだ。一区も二区も関係はない。三区にしか咲かない植物があり、恐らく彼らが作ったんだろう」
「詳しいんですね」
「情報はいやでも入ってくる」
「情報屋さんでもできそうですね。ついでなんですけど、それって政府は知ってるんですか?」
「皆が三区から買い取っているわけではない。政府の中でも、ごくわずかの人間だろう」
「ハクについて、詳しく知りません?」
眉間の川が深くなった。そう簡単には、ノリでは教えてくれないらしい。
「ダメ?」
「あやつのことを聞いて何になる」
「友達だから知りたいんです。アルネスが言うには、何か秘密を抱えていたとか何とか」
「ハクは異物だ。あやつは死人の臭いがする」
よく分からない表現だ。
「あやつと関わったものは、不幸や謎の死を迎えている。神隠しにでもあったように、死体すら上がらずに消え失せる」
「なんだそれ。俺は関わってますけど、死んでませんよ。アルネスも、タイラーも、シルヴィエも」
俺はここで一つの疑惑が頭に浮かんだ。不幸や謎の死。それは、アルネスたちと関わった人間やアンドロイドが、いろんな方法で消されていることを差しているのではないか。俺にも覚えのある話は、ここで言うべきことではないだろう。そして、アルネスにも消された彼らの居所を聞くべきじゃない。
知らない方が幸せな場合もあると、ドイルさんにも黙っていることにした。というか、俺も詳しく知らない。
「そしてアルネスアーサーは、お前をいずれ不幸にする」
「今度はアルネスですか」
「死にたくなければあやつから離れろ。すぐにでも」
「お断りします。アルネスの側にいて不幸になるなら、喜んで不幸になります」
「心臓移植も、どうせアーサーにするために覚えようとしているのだろう。酔狂人め」
ひよっこ、酔狂人ときて、次はなんと呼ばれるのだろう。ここにきてちょっとわくわくしてきた。
「なぜ、アルネスの側にいると不幸になるんですか? それって、昨日言ってた引き金を引くのにも躊躇しないってのに関係あります?」
「何百年も前の話だ。数で襲ってきた政府をひとりで片づけたことがある。身体が血に染まろうとも、骨が折れようとも、あいつひとりで、な」
懐かしい想い出を慈しむというより、苦い薬を吐き出したいといった顔だ。
「……それって、誰も助けようとはしなかったんですか」
怒り、悲しさ、どんな感情が一番近いかというと、激怒だ。そんなに怒りの沸点が低いわけじゃないけれど、一気に上昇していく。
ドイルさんの瞼がぴくりと動いた。
「アルネスひとりで戦わせて、他のアンドロイドたちは?」
「皆があやつのように強いわけではない。死が訪れるか否かは、まったく別の生き物だ。儂らと化け物を一緒にするな」
「……もしかして、自分が許せないんですか?」
「なんだと?」
タイラーお手製の椅子はぎしりと軋む。
俺は本棚にあった、心理学の本を思い出していた。人は嘘を吐くと、何かしら表情や仕草に異変が現れる。片眉を動かしたり、瞬きがやたら多くなっている。この人は、心が目に宿る人だ。
「戦うって、別に武器を持って戦えって言っているわけじゃないです。サポートだとか、戦い方はそれぞれあります。手当てしたり、ご飯作ったり」
「手当てはあやつに必要ないだろう」
「あいつなら大丈夫、どうせ死なない、ひとりでも平気だとか、そういう考えがアルネスを追い詰めるんです。けど、心は傷つくし、神経は通ってるから痛い思いはするし、あいつにはご飯が必要です。あんまり料理上手じゃないし!」
一度着火するとヒートアップし、誰かに水をかけて欲しいと思っても火は燃えさかる一方で、鎮火できるのは診察室で丁寧な治療を行う男しかいない。
「この世界の理に逆らえず、ドイルさんは諦めたから森に住んでいる。黙って死を迎えようとしている。でもここに来て俺に手術のやり方を教えてくれるのは、世の中を変えたい意思は残っているから」
「……それがひよっこの見解か」
分解された心臓に弁をつけていくが、何かおかしい。それ逆じゃないですか、と指摘すると、アルネスのお説教くらい深いものが眉間に現れ、ドイルさんは無言で直していく。
「人が死ぬのは怖い。それは当たり前の感覚だ。だがな、儂はその当たり前が無くなるのは人の死を見るより怖かった。外を歩けば死体が転がっていて、どこからか銃声が聞こえる。慣れていく自分が怖かったんだ。失われつつあった感情は凍ってしまい、溶けることすらなくなった」
「それと手術をしなくなったのには何か関係あるんですか?」
しばらく静寂が続く。俺とアルネスも口論をしていると、よく似た空気になるが、アルネスは辛抱強く待っていてくれる。だから、俺も我慢してみた。
「儂の家族もアーサーと同じように心臓を弄られた。あやつと異なるのは、失敗作だったことだ。唯一の救いは、儂が心臓移植のできる医師だったということ。不幸なのは、手術を失敗してしまったことだ。ど素人でも犯さないミスをやらかしてしまった」
「どんなものですか?」
ドイルさんは握り拳を作った。微かに震えている。
「輸血の血を間違ったんだ。思い込んでいた家族の血液型は違っていた。儂は調べもせず、A型にB型の血を入れてしまった」
A型にはB抗体があり、輸血をしてしまうと死に直結する。しつこいくらいに、血については何度もアルネスと勉強をした。
「全身悶えながら痛みに苦しむ姿を見ても、儂はなぜあのような反応になるのか分からないでいた。自分の過ちに気づいたのは、兄の心臓が止まった後だった。それから儂は医師を辞めて、人里離れた場所に家を建てた。儂は現実から逃れたかっただけだ」
世界の不条理と兄の死。それがドイルさんを遠ざけたのだろう。水だって無限に入れられる器はない。不の感情も、溢れてしまえば心を蝕む。
「アーサーといれば不幸になると言った話だがな、人の命を生かすも殺すもできる職業の者とはいるべきでないという意味だ」
「……ドイルさんって、優しいんですね」
「上手いことを言ったものだ。優しいと臆病は紙一重だ」
「なら優しいでいいじゃないですか。俺の心配までしてくれて。けどそれを俺に言ったところで、俺はますますアルネスの側にいようって思うだけですよ」
組み立てたはずの心臓は何かがおかしい。右心房にあるはずの上大静脈が、左の部屋に繋がれている。そのままにするのも間違えて覚えそうなので、元に戻した。気まずい。この人に教えてもらい、大丈夫なんだろうか。けれど間違いが分かるのは、少しずつ身についているからだと前向きに考える。
「わざわざアルネスがドイルさんに今回の件を頼んだのは、きっと乗り越えてほしいからだと思いますよ」
「フン。政府と繋がりがあるか、見張りたいだけだろう」
「あ、それはあるかも。何百って神経を張り巡らせている人だから。頭が良くて尊敬してるんですよね。かっこよくて知識も豊富で、大好き」
「心臓移植の知識より、言葉の語彙を増やした方がいいな」
隣の診察室から、ゴンという鈍い音が聞こえた。心配だが今日は来るなと言われているから、様子を見に行けないのが何とも歯痒い。
「さて、続きをやろう」
未だにひよっこ扱いされているけれど、やってきたときよりドイルさんは気持ち穏やかな顔をしているような気がする。心臓移植をしっかり身につける目的と、いずれはドイルさんに名前を呼んでもらう目的と二つに増えた。これがドイルさんなりの戦い方だろう。メスは持たなくても、腕を俺に伝授してくれる。オレは彼の闘志を、真っ正面から受け入れる。
数時間に及ぶ熱心な授業を終えて彼が戻る頃、診察を終えたアルネスがリビングに入ってきた。
「お疲れ。なにそれ?」
「患者からもらった」
密閉された透明な瓶の中には、虜になるほど魅力的な液体が入っている。
「ミルクだ……!」
「うちにいる山羊とは違う生き物から搾ったものだ」
何の生き物かは言わないが、好きに使えと有り難いお言葉は頂戴した。
「なんか外が騒がしくないか?」
「この時期はアンドロイドたちも気持ちが浮き立つ。明日は祭りのようなものだ」
「祭り? そんな風習があるのか」
「年越しだからな。政府もシェリフも見回りをする。毎年の如く、私は外へは出ない」
壁に貼られたカレンダーも、もう終わりを迎える。寂しい気もするが、きっと来年の分もアルネスが飾ってくれるだろう。
「アルネスは俺がいない間、何してたんだ?」
「特に何も。しいて言えば、読書だ」
「なあ、これで美味しいものを作っていい?」
「構わん」
元々、そのつもりで渡してきたのかもしれない。普段は薬として使うので、食卓に滅多に上がらない。
「……私の作る料理は、好きではないか?」
「え、なんだよ突然。好きに決まってるだろ。一生懸命作ってくれたんだから」
「…………そうか」
独特の間はいつものことであっても、アルネスの目は泳いでいる。
「アルネスの作る料理は……美味しいし、大好きだよ。いつも作ってくれて、ありがとう。仕事が忙しいんだし、無理しなくていいからな」
かく言う俺の目も一瞬泳いだ。
「……まあ、悪くない」
「よしっ」
記憶力はお墨付きで、こういう頭に叩き込めばいい単純作業は、集中力さえ続けばずっと本を読んでいられる。小難しいことを言われるより楽だ。
地上にあるリビングで行われている勉強会だ。地下には入れるつもりはないらしく、専らここで先生と生徒の時間だ。
今日は模型の心臓を使っての授業だった。
「ドイルさんって、俺のことをどこまで聞いてるの?」
「捜している息子がいる、くらいだな」
あいつとは性に合わない、と悪態をつく。
「今回のことは、なぜ引き受けてくれたんですか?」
垂れ下がった瞼が上がり、ぎろりと俺を睨む。
「ひよっこはこれからの未来はどうなると思う?」
質問に質問で返されてしまった。
「うーん……まずは放射能だらけの世界をなんとかしないとなあ。今は魚もなかなか食べられなくなったし、出回ってるドラッグについても解明しないと」
「ドラッグは三区の奴らがしでかしたものだ。一区も二区も関係はない。三区にしか咲かない植物があり、恐らく彼らが作ったんだろう」
「詳しいんですね」
「情報はいやでも入ってくる」
「情報屋さんでもできそうですね。ついでなんですけど、それって政府は知ってるんですか?」
「皆が三区から買い取っているわけではない。政府の中でも、ごくわずかの人間だろう」
「ハクについて、詳しく知りません?」
眉間の川が深くなった。そう簡単には、ノリでは教えてくれないらしい。
「ダメ?」
「あやつのことを聞いて何になる」
「友達だから知りたいんです。アルネスが言うには、何か秘密を抱えていたとか何とか」
「ハクは異物だ。あやつは死人の臭いがする」
よく分からない表現だ。
「あやつと関わったものは、不幸や謎の死を迎えている。神隠しにでもあったように、死体すら上がらずに消え失せる」
「なんだそれ。俺は関わってますけど、死んでませんよ。アルネスも、タイラーも、シルヴィエも」
俺はここで一つの疑惑が頭に浮かんだ。不幸や謎の死。それは、アルネスたちと関わった人間やアンドロイドが、いろんな方法で消されていることを差しているのではないか。俺にも覚えのある話は、ここで言うべきことではないだろう。そして、アルネスにも消された彼らの居所を聞くべきじゃない。
知らない方が幸せな場合もあると、ドイルさんにも黙っていることにした。というか、俺も詳しく知らない。
「そしてアルネスアーサーは、お前をいずれ不幸にする」
「今度はアルネスですか」
「死にたくなければあやつから離れろ。すぐにでも」
「お断りします。アルネスの側にいて不幸になるなら、喜んで不幸になります」
「心臓移植も、どうせアーサーにするために覚えようとしているのだろう。酔狂人め」
ひよっこ、酔狂人ときて、次はなんと呼ばれるのだろう。ここにきてちょっとわくわくしてきた。
「なぜ、アルネスの側にいると不幸になるんですか? それって、昨日言ってた引き金を引くのにも躊躇しないってのに関係あります?」
「何百年も前の話だ。数で襲ってきた政府をひとりで片づけたことがある。身体が血に染まろうとも、骨が折れようとも、あいつひとりで、な」
懐かしい想い出を慈しむというより、苦い薬を吐き出したいといった顔だ。
「……それって、誰も助けようとはしなかったんですか」
怒り、悲しさ、どんな感情が一番近いかというと、激怒だ。そんなに怒りの沸点が低いわけじゃないけれど、一気に上昇していく。
ドイルさんの瞼がぴくりと動いた。
「アルネスひとりで戦わせて、他のアンドロイドたちは?」
「皆があやつのように強いわけではない。死が訪れるか否かは、まったく別の生き物だ。儂らと化け物を一緒にするな」
「……もしかして、自分が許せないんですか?」
「なんだと?」
タイラーお手製の椅子はぎしりと軋む。
俺は本棚にあった、心理学の本を思い出していた。人は嘘を吐くと、何かしら表情や仕草に異変が現れる。片眉を動かしたり、瞬きがやたら多くなっている。この人は、心が目に宿る人だ。
「戦うって、別に武器を持って戦えって言っているわけじゃないです。サポートだとか、戦い方はそれぞれあります。手当てしたり、ご飯作ったり」
「手当てはあやつに必要ないだろう」
「あいつなら大丈夫、どうせ死なない、ひとりでも平気だとか、そういう考えがアルネスを追い詰めるんです。けど、心は傷つくし、神経は通ってるから痛い思いはするし、あいつにはご飯が必要です。あんまり料理上手じゃないし!」
一度着火するとヒートアップし、誰かに水をかけて欲しいと思っても火は燃えさかる一方で、鎮火できるのは診察室で丁寧な治療を行う男しかいない。
「この世界の理に逆らえず、ドイルさんは諦めたから森に住んでいる。黙って死を迎えようとしている。でもここに来て俺に手術のやり方を教えてくれるのは、世の中を変えたい意思は残っているから」
「……それがひよっこの見解か」
分解された心臓に弁をつけていくが、何かおかしい。それ逆じゃないですか、と指摘すると、アルネスのお説教くらい深いものが眉間に現れ、ドイルさんは無言で直していく。
「人が死ぬのは怖い。それは当たり前の感覚だ。だがな、儂はその当たり前が無くなるのは人の死を見るより怖かった。外を歩けば死体が転がっていて、どこからか銃声が聞こえる。慣れていく自分が怖かったんだ。失われつつあった感情は凍ってしまい、溶けることすらなくなった」
「それと手術をしなくなったのには何か関係あるんですか?」
しばらく静寂が続く。俺とアルネスも口論をしていると、よく似た空気になるが、アルネスは辛抱強く待っていてくれる。だから、俺も我慢してみた。
「儂の家族もアーサーと同じように心臓を弄られた。あやつと異なるのは、失敗作だったことだ。唯一の救いは、儂が心臓移植のできる医師だったということ。不幸なのは、手術を失敗してしまったことだ。ど素人でも犯さないミスをやらかしてしまった」
「どんなものですか?」
ドイルさんは握り拳を作った。微かに震えている。
「輸血の血を間違ったんだ。思い込んでいた家族の血液型は違っていた。儂は調べもせず、A型にB型の血を入れてしまった」
A型にはB抗体があり、輸血をしてしまうと死に直結する。しつこいくらいに、血については何度もアルネスと勉強をした。
「全身悶えながら痛みに苦しむ姿を見ても、儂はなぜあのような反応になるのか分からないでいた。自分の過ちに気づいたのは、兄の心臓が止まった後だった。それから儂は医師を辞めて、人里離れた場所に家を建てた。儂は現実から逃れたかっただけだ」
世界の不条理と兄の死。それがドイルさんを遠ざけたのだろう。水だって無限に入れられる器はない。不の感情も、溢れてしまえば心を蝕む。
「アーサーといれば不幸になると言った話だがな、人の命を生かすも殺すもできる職業の者とはいるべきでないという意味だ」
「……ドイルさんって、優しいんですね」
「上手いことを言ったものだ。優しいと臆病は紙一重だ」
「なら優しいでいいじゃないですか。俺の心配までしてくれて。けどそれを俺に言ったところで、俺はますますアルネスの側にいようって思うだけですよ」
組み立てたはずの心臓は何かがおかしい。右心房にあるはずの上大静脈が、左の部屋に繋がれている。そのままにするのも間違えて覚えそうなので、元に戻した。気まずい。この人に教えてもらい、大丈夫なんだろうか。けれど間違いが分かるのは、少しずつ身についているからだと前向きに考える。
「わざわざアルネスがドイルさんに今回の件を頼んだのは、きっと乗り越えてほしいからだと思いますよ」
「フン。政府と繋がりがあるか、見張りたいだけだろう」
「あ、それはあるかも。何百って神経を張り巡らせている人だから。頭が良くて尊敬してるんですよね。かっこよくて知識も豊富で、大好き」
「心臓移植の知識より、言葉の語彙を増やした方がいいな」
隣の診察室から、ゴンという鈍い音が聞こえた。心配だが今日は来るなと言われているから、様子を見に行けないのが何とも歯痒い。
「さて、続きをやろう」
未だにひよっこ扱いされているけれど、やってきたときよりドイルさんは気持ち穏やかな顔をしているような気がする。心臓移植をしっかり身につける目的と、いずれはドイルさんに名前を呼んでもらう目的と二つに増えた。これがドイルさんなりの戦い方だろう。メスは持たなくても、腕を俺に伝授してくれる。オレは彼の闘志を、真っ正面から受け入れる。
数時間に及ぶ熱心な授業を終えて彼が戻る頃、診察を終えたアルネスがリビングに入ってきた。
「お疲れ。なにそれ?」
「患者からもらった」
密閉された透明な瓶の中には、虜になるほど魅力的な液体が入っている。
「ミルクだ……!」
「うちにいる山羊とは違う生き物から搾ったものだ」
何の生き物かは言わないが、好きに使えと有り難いお言葉は頂戴した。
「なんか外が騒がしくないか?」
「この時期はアンドロイドたちも気持ちが浮き立つ。明日は祭りのようなものだ」
「祭り? そんな風習があるのか」
「年越しだからな。政府もシェリフも見回りをする。毎年の如く、私は外へは出ない」
壁に貼られたカレンダーも、もう終わりを迎える。寂しい気もするが、きっと来年の分もアルネスが飾ってくれるだろう。
「アルネスは俺がいない間、何してたんだ?」
「特に何も。しいて言えば、読書だ」
「なあ、これで美味しいものを作っていい?」
「構わん」
元々、そのつもりで渡してきたのかもしれない。普段は薬として使うので、食卓に滅多に上がらない。
「……私の作る料理は、好きではないか?」
「え、なんだよ突然。好きに決まってるだろ。一生懸命作ってくれたんだから」
「…………そうか」
独特の間はいつものことであっても、アルネスの目は泳いでいる。
「アルネスの作る料理は……美味しいし、大好きだよ。いつも作ってくれて、ありがとう。仕事が忙しいんだし、無理しなくていいからな」
かく言う俺の目も一瞬泳いだ。
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