アレの眠る孤塔

不来方しい

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第二章 政府とアンドロイド

017 散歩道

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 空は鼠色に覆われ、太陽は顔を出さず、地上は砂埃が待っている。今日は、遠くまで視界が悪い。その分耳は冴えたのか、遠くで鳴く生き物の声はよく聞こえた。
「遠くまで見えるか?」
「埃か何か?濃霧みたい。全然見えないよ」
「時々、起こる。私から離れるなよ」
 心強い声に、大きく頷いた。
 もっと荒れ果てた世界を想像していたせいか、まだまだ世界はやれるんだと希望が持てた。
「何を笑っている」
「え? 笑ってた?」
「ああ、どうした」
「村だなあと思って」
「上流階級のアンドロイド様が住む場所は、もっと栄えている。戦争など、微塵も感じさせないほどに……」
 消え去りそうな語尾と共に、美しいアンドロイドは勢いよく後ろを振り返る。振り返りすぎて、長い髪が顔に当たった。
「………………」
「え?なに?」
「それは、なんだ」
 それを差す先を見て、俺は首を傾げる。
「だって離れるなって言うから」
「………………」
「嫌なら離すよ、ごめん」
 掴んだ白衣を離すと、アルネスは俺の腕を掴み、距離を縮めてくる。
「誰も、嫌とは、言っていない」
「なんだよその言い方。わかったよ掴んでるよ」
「掴めとも言っていない」
「どっちだよ」
 整備されたとは言えない道に、砂利を踏む音が聞こえ、ふたり同時に同方角を見る。
「アーサー先生かい?」
「……どうも」
「今日はひどい天気だねえ……そちらは?」
 杖を付き、腰を支える老婆は、砂埃の中から現れた。
「息子だ」
「あら、子供がいたのかい?」
「は? え? アルネス?」
「実は、な」
 冗談を言わないはずの男は、冗談を言った。思考がついていかず、腰に添えられた手もそのままに、俺はただぽかんと口を開けたまま状況を飲み込めないでいた。今日も良い天気だ、などと明後日の方向に気持ちを持っていくこともできない。残念ながらこの天気だ。
「随分大きな子供ねえ……」
「あ、あの……俺は、」
「お名前はあ?」
「えと、凪といいます」
「先生んとこで、何してるの?」
「えーと、えーと……」
「助手を。普段は表に出ず、薬を作ったりしている」
「それはまた頑張ってるのねえ……偉いわあ」
「はあ」
 口を挟む余裕などなく、流れに身を任せるしかない。
「先生、奥さんは?」
「子供を引き取った」
「まあ、それは……」
 老婆は懐からハンカチを取り出し、溢れようとする涙を吸い取る。何が何だかわからない。
「政府の連中にやられたのね」
「ええ」
「くそ食らえね。ほんとに」
「ええ、全く」
 可愛らしい老婆から『連中』や『くそ食らえ』などと単語が飛び、口の中が渇いていく。薬の副作用ではないことは確かだ。そんな副作用は存在しない。あれば、アルネスは言っている。
 口を挟む余裕すらなく、テンポの良い会話が流れ、老婆は白い視界の中へ消えていった。
「行くぞ」
「あ、ああ……」
 声をかけた張本人は動かない。なんだろう、と横顔を覗き込んだ。目が合い数秒ののち、先に目を逸らしたのはアルネスだ。
「あ」
 視界が最悪で心底良かったと、にやけそうになる口を押さえるよう努力はした。努力は実ると限らない。掴めと、そう言っているのか。
「言っておくが」
「はい、なんでしょうか」
「前にも伝えたが、私は私はお前よりも視力が良く、先が見えている」
「あ」
「行くぞ」
 けれど動こうともしない。急かす男の白衣を掴むと、ようやくエンジンがかかった。
 曲がり道もなく、しばらくはまっすぐに歩いていくだけだ。数メートル先には何があるのか、かかるエンジンはしっかりと教えてくれる。
「先ほどのお婆さんだけど」
「ああ」
「長い付き合いなのか?」
「それなりに」
「……アンドロイドだよな?」
「当然ながら」
「俺のこと、何も言わなかったな」
「……アンドロイドにも、嗅覚や視覚などの衰えはある」 
「アルネスが一番身近だから、感覚がずれてるんだって。もっといろんな人と接してみないと駄目ってことだな」
「人、か」
 アルネスがどんな顔をして呟いたのか、分からなかった。細身の背中と、ストレートの金髪が視界の大半を占めていて、むき出しになった孤独を少しでも取り除こうと、白い布を皺が寄るほど握りしめる。
「さっきのお婆さんはどこら辺に住んでるんだ?」
「……さあ。着いたぞ」
 建物の前で止まる。勢いついたまま、アルネスの首に頭をぶつけた。びくともしない。
「凪?」
「シルヴィエ……」
 アルネスは壁に背中をつけたまま、腕を組んで動かない。存分に感動の再会をしろと、態度が示している。
 ならば、遠慮をする必要はない。
「シルヴィエ! 久しぶり!」
「あらあら、元気だねえ。外に出て大丈夫なのかい?」
「アルネスが薬を作ってくれたんだ」
「なんか、匂いが違うよ」
「フェロモン操作の薬も打ってもらった」
「部屋の中に空気清浄機があるからね。外よりはましだろう。ゆっくりしておいき」
「ありがとう」
「先生もこっちにお座り」
 家の中は視界が晴れた。目を擦り、何度も辺りを見回した。テーブルにあるテーブルクロスはお手製のものだろう。カップが三つ置かれ、中身を覗き込んだ。
「え?」
 アルネスもシルヴィエも顔を上げる。
 カップには、黒い液体が並々と注がれている。水以外の飲み物は初めてだ。俺の知る中では、コーヒーの色に近い。
「これって……」
「シュガービーツの根っこを乾燥させて、作ってみたのさ。飲んでみなさい」
 アルネスは淡々と口にし、液体を嚥下している。相変わらず判断に迷う顔だが、あの顔は「不味いわけがない」という表情だ。それと。
「……シュガービーツになんてことをしてくれたんだ?」
「お前は何を言っている」
「アルネスの心の内を代弁しようと思って」
「………………」
「シルヴィエ、美味しいよ。苦みの中にも甘みがあって、懐かしい味がする」
「過去に飲んでいたのかねえ」
「かもしれない。根っこは捨ててたから、今度から使ってみるよ。いいか? アルネス」
「好きにしろ」
 それはもう、笑いを必死に堪え、もうひと口飲んだ。シュガービーツ教のアルネスアーサーとしては、食べ物を大事に扱いたい気持ちと普段の慣れた摂取の仕方ではないので揺れ動いているのだろう。
「ところでさ、なんでシルヴィエの家に来たんだ?買い物じゃないのか?」
「上着を買いに。お願いしたい」
「はいよ。先生のサイズは変わってないね?」
「ああ」
 また全裸になれと言われるかと身構えるか、そのような心配は無用だった。服の上からだけで良く、俺は言われるがままにおとなしく採寸された。
「用件は以上だ。どのくらいでできる?」
「一週間くらいかねえ……」
「取りに伺う。ではまた」
 残った液体を飲み、俺はたくましい背中を追いかける。
「うわ……地上は相変わらずわたあめの中にいるみたいだなあ」
「わたあめ?いかなるものだ」
「ふわふわした、砂糖菓子だよ」
「………………」
「さすがに専用のマシーンがないと作れないなあ」
「あれば作れるのか。どんな形状だ」
「作る気かよ。仕組みもうまく説明できないって。材料はシュガービーツで作った砂糖を使えばいける。けどマシーンは難しい。フライパンでは作れないし」
 わたあめの話に花を咲かせていたときだ。遠くで、女性の叫び声が聞こえた気がした。耳に集中していなかった分、自信がないが、アルネスの背中に走る緊張感により、間違いではなかった。アルネスの手が、俺の背中に触れる。
「さっきのお婆さんの声に聞こえたんだけど」
「……ああ、だろうな」
 靄のかかった景色は少し晴れた。来たときよりも少しは視界が広がっている。
「な、なんだろ……」
「湖の方角だ」
「……落ちたとかじゃないよな?」
「この視界だ。何とも言えん。……おい」
 無意識に足を進めていた。アルネスは俺の腕を掴み、跡ができるほど力を込める。少し、痛い。
「喋ってる時間があるなら行くべきだ」
「私は散歩だと言ったはずだが」
「じゃあ散歩しよう。湖まで」
「道から外れている。散歩コースとは程遠い」
「ならデートコースに変えよう。それならいいだろ!」
 俺にだって譲れないことがある。なのに。
 アルネスはぽかんと口を開け、何を言われたのか分からないといった顔だ。理解していないのなら、追撃するしかない。
「デートってのは、道のり通りにするもんじゃないんだぞ。デートしたことないけどさ、本で読んだ」
「……理解し難い」
「うん、俺もだけど。原っぱとかで、弁当広げて食べるらしい」
「……お前は、」
「おう」
「……いい。了解」
 時折、俺はアルネスに了解、と返事をする。それが今はアルネスが口にしている。不思議な気分だ。
 それはもう深く息を吐き、アルネスは顔を上げて、じっとこちらを見た。今の景色よりも、アルネスの目の方がよほど見応えがある。
「ならばコースを変えよう。条件がある。何かあったら躊躇せずに拳銃を取れ」
「……もし、守れなかったら?」
「三日間、肉抜きだ。買ってこない」
「ボス、承知した」
 相変わらず、優しすぎるくらいに優しい男だ。街宣車に乗り、この人は優しい人だとスピーカーを通して言いまくってやりたい。恥ずかしさで耳を満たしてやりたい。
 邪魔にならない程度に白衣の端を掴み、アルネスの後についていった。視界が広がったと言ってもまだ足下を気をつけながら歩く程度しかできない。
「道から外れる」
「オーケー」
 何かの生き物がいた。蝶に似て、広げた羽は目の模様が広がっている。この寒さの中、生きているとは思えない。凍蝶を避けて歩くと、アルネスは怪訝に顔を向けてきた。
「何でもない。虫がいたから」
「苦手か?」
「ちょっと模様に驚いただけ」
「絶対に触れようとするなよ」
「毒があったり?」
「……生き物の前に、この世界が汚染されている」
「そうだったな」
「苦しくはないか?」
「平気。ピンピンしてるし、視界の方がヤバい感じ」
「……もうすぐだ」
 前回外に出たときは、地上に繋がる階段を上っている最中から息苦しさはあった。日頃の運動不足のせいだと思っていたが、あの苦しさは多少ながらも毒のせいだったと断言できる。
 アルネスが立ち止まると、俺は首辺りにまたもや頭をぶつけた。
「何か、いる」
「え?さっきのお婆さんじゃなくて?」
 アルネスは俺の前に手を制し、慣れた手つきで銃を取る。戸惑いはない。俺も取ろうと腰に回すが、上手く取れない。上着が噛まれ、引っかかっている。優雅な手つきとは言い難く、情けなさでいっぱいになる。とてつもなく格好悪い。大見栄張ってアルネスを守ると言ったわりには、何もできないのだ。
「必要ない。消えた」
「何かいたのか?」
「……小型の肉食獣だ」
「そ、そんなのがここら辺もうろうろしてるのか……」
「いや……」
 アルネスはどこか遠くを見ては、目を細めた。遠くの見えない世界でも、絵になる男だ。
 唸り声は獣ではなく、れっきとした人の声だ。人ではなくとも、アンドロイドと人の違いはそれほどないと思っている。
 足の歩幅を縮めて、唸り声のする方へ少しずつ足を進めた。石でもない、岩でもなく、大きくて柔らかなものに爪先が当たり、俺は前のめりに転びそうになる。
「お婆さん……?」
 冷たい布地に触れ、何度か揺すってみる。ピクリとも反応せず、触れた通りに衣服が指の形を作った。
「お婆さん!」
 強めに呼んでも、何度も身体を揺すろうとも、老婆は何の反応も見せない。靄に覆われた灰色の世界が、真っ黒な世界になった気がした。
「勝手にいなくなるな」
 少し慌てた様子で、遅れてアルネスがやってくる。
「だって、声がしたから」
「だってじゃない。私の側を離れるなと言ったはずだ」
「……ごめん」
「問答無用。四日間、肉抜きだ」
 計十二食分、滴る肉汁が味わえない。頭を拳銃で殴られた気分だ。
 アルネスはしゃがみ、懐からライトを取り出すと、瞼を開いて照らす。脈を取り、首元に手を当てる。長袖を捲り、一瞬だけアルネスの目力が強くなった。無駄な動きが一つもない。
 上半身には異常は見当たらないが、問題なのは下半身だ。足が真っ赤に染まり、
「凪、手伝ってくれ」
「生きてる?大丈夫なのか?」
「……かろうじて。時間との勝負だ」
「家に運ぶのか?」
「診察室へ」
 家、ではない。地下ではなく、地上の診察室だ。そうと分かれば、俺は老婆を抱き上げ、アルネスに案内を頼んだ。道を分かるのはアルネスしかいない。非常に情けない話だが、戻り方は家主にしか分からないのだ。方向感覚すら失われている。
 うう、と老婆は呻吟しんぎんし、完全に力が抜け切った。アルネスの言う、時間との勝負はすでに始まっていた。
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