アレの眠る孤塔

不来方しい

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第一章 出逢い

006 新しい仲間

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 カレンダーもない幽閉された空間の中、密かになぎは日付を付けていた。とはいっても閉じ込められた日は判らないので、アルネスに聞いたら「これからめっぽう寒くなる」と、曖昧だが大体の季節は予想できた。タンポポが咲かない時期─植物自体存在しない可能性─で、これから寒くなる。秋と結論付け、十月と予想した。
 それをアルネスに話したら口元に笑みを作り、何も言わなかった。
「今日は仕事じゃないのか?」
 普段は朝から白衣を身につけているが、ラフな服装だ。
「仕事はない」
「俺が此処に来てから初めてだな」
「出かける」
「何処に?」
「………………」
「いってらっしゃい。俺は午前中は動物部屋にいるよ」
「昼食には戻る」
 話したくないことは無理に聞かない。対アルネス用会話術だ。
 身支度を整えて出ていく彼を見送り、動物部屋に行くと空腹だと目で訴える動物たちに足下をうろうろされた。逃げていた鶏たちも今では近寄ってくるようになり、かといって適度な距離感を保つ。
 決められた量を量り、餌入れに入れると足下の鶏たちはすぐに離れていく。現金で欲望に忠実な生き物だ。
 普段は鳴くことは滅多にないのだが、この日はいつもと違っていた。
「どうした?」
 横になり、腹を見せる。撫でてほしいのかと思い近寄るが、やけにパンパンに膨れ上がっていた。
「そろそろお乳が出そうなのか。搾っていい?」
 羽を動かし、肯定しているようだ。毎日顔を合わせていると、なぜヤギに羽が生えているのかという疑問は持たなくなってきた。
 餌を食べさせている間、搾乳機をセットし搾る。繊細な白い液体が管を通り、銀色の缶に流れていく。
 たっぷりと溜まった缶は蓋をし、保管場所に置いておくだけだ。
 昼食の時間前にはアルネスは戻ってきて、小さな箱を抱えていた。
「おかえり。大丈夫か?」
 アルネスは濡れていた。金色の髪が額に掛かり、鬱陶しそうに耳に掛ける。
「もしかして雨降ってるのか?」
「私に触れるな!」
 手を伸ばしかけたとき、びくりと反応し手が揺れた。アルネスが大声を張り上げるのは、初めてだった。前髪の隙間からアルネスの左目が覗き、脅えているようにも見える。
「ご、ごめん……でもタオルで拭かないと。風邪引くから」
「……私は大丈夫だ」
 狼狽した手は引っ込めるしかない。横を素通りし、アルネスは荷物も置かずに赤いランプのついた部屋へ入っていった。
 持っていた箱が動いているように見えたが、聞けず終いだった。

「先ほどは悪かった」
 凪の用意した昼食に手をつける前、アルネスは謝罪した。せめていつもの食事にしようというアルネスの配慮だ。
「気にしてないよ。天気悪かったんだな」
「………………」
「いただきます」
 残った胸肉を細かく切り、野菜と炒めたもので、残りの半分は夕食用だ。アルネスのためにシュガービーツも用意し、昼食が始まる。
「……天候の悪い日は、仕事を控える」
「そうなの?」
 まさか答えてくれるとは思わず、凪は目を見開いた。
「昔からの風習が少し残っている」
「雨の日は休むって?へえ、変わった風習なんだな」
「私には影響はない。多忙であれば、関係なく仕事はこなす。今までもそうしてきた。休む店もある」
「……雨が身体に影響を及ぼすってこと?」
「………………」
「俺の国でもあったよ。雷が鳴ると、お臍を隠さないと取られるとか」
「なんだ、それは」
 興味深かったのか、フォークが止まる。
「俗信はいろいろあるけどさ、悪天候だと気温が下がるだろ?子供のお腹を冷やさないための脅し文句みたいなものって聞いたことがある」
「臓器が集まる場所だ。俗信でも科学的根拠はあるだろう」
「お、医者らしい意見だな」
「医者ついでに、午後はお前の血を少しもらいたい」
「いいよ。何かに使うのか?」
「定期検診。先に言うが、悪いから調べるわけではなく、ただの検診だ」
 午後は赤いランプのついた部屋の前にやってきた。見覚えのある部屋だ。
「この部屋って」
 扉が開く。やはり知っている。人が入れるほど大きなカプセルだ。凪が目覚めた部屋である。
「懐かしいな」
 椅子に腰を下ろし、アルネスは採血の準備を始めた。
 アルネスは腕を出させ、消毒をすると慣れた手つきで針を刺した。
「うえ……刺しますとか始めますとか何もないのかよ」
「そういう気遣いが欲しかったのか?『刺しています』」
「いつもこんな感じなのか?」
「まさか。患者には言うように心掛けている」
 採血管の中に溜まった血は、赤というより黒に近い。ついでに上半身を脱ぐように言われ、おとなしく従う。
「採血よりさ、それ苦手」
「それ?」
「聴診器。冷たくてひゃっ、ってなる」
「血を見るのは平気か?」
「実は結構平気っぽい。刺す瞬間も見られたし」
 アルネスの口元が上がる。
「血が平気なのは良い。触れるぞ」
 採血のときには声を掛けず、心音を聞くときは声を掛ける。逆ではないのかという言葉は飲み込み、冷たさに耐えた。
「……この世界で」
「うん」
「血を見て平気と言えるのは、とても心強い」
「なにそれ?」
「そうであってほしいと願っていた」
 胸元に来たとき思わず前屈みになるが、アルネスに睨まれ姿勢を正した。
「アルネスが読め読め渡してくる本の中にさ、カラーで結構エグい絵とか載ってるのあるじゃん? 毎日のように目を通してるし、見慣れたのもあるかな」
「だが実際に血を見るのは苦手という人間も多い。写真とは異なる」
「そりゃあそっか」
 アルネスは肩や腕に触れ、骨格を確かめる。
 問題ないのか、服を着ろとの許しを得た。
「そのカプセルの中だけど、変な音聞こえないか?」
 アルネスは注射器などを片し、カプセルの前まで行き「早く来い」と目で訴える。
「お前にもう一つ任せたいものがある」
「おっ仕事か? 歓迎するよ」
「鶏の数は?」
「えーと……今は六匹」
 捌いた鶏は胃と冷蔵庫の中だ。
 元々凪が入っていたカプセルは、アルネスにより手動で開いた。
 てっきり、鶏が出てくるものと思っていた。おとなしい生き物とはいえ初対面ではさすがに身構える。だが襲ってくる気配もない。
「………………?」
 顔を入れて中を見ると、端で小さな波が立っている。
「大人になるまで面倒見てくれ」
 アルネスはそれを持ち上げ、ドロドロの液体に塗れたヒヨコを水で洗い流した。抵抗しているのか、小さな嘴で指をつついている。
「可愛いなあ! ヒヨコって初めて見たよ」
「そうか。餌は鶏と同じものでいい。基本は小屋の中、たまに外に出してやってくれ」
「俺の知っているヒヨコじゃないけど、大事に育てる」
 ヒヨコというのは、黄色い生き物だと思っていた。目は二つだが羽はなぜか紫がかっていて発色がおかしい。
「大人になると、真ん中に目ができる」
「……そういう種類の鶏と思うことにするよ」
「賢くなったな、凪」
「聞いても答えてくれないだろ!」
 凪と名前を呼ばれるたび、くすぐったくて心がそわそわし出す。お前より、やはり凪がいい。
「こいつも育って年老いたら、いずれは肉になる運命かあ……」
「名前は付けるなよ。絶対」
「ああ、判ってる」
「名前を付けると、……執着や過保護、愛着が沸く」
 何か間があったが、気にしないで頷いた。アルネスアーサーという男は、時折間を開けて話す男だ。初めはあった違和感も、今ではその話し方こそがアルネスアーサーであると認識でき、心地良くも感じている。
「血液検査の結果っていつ出る?」
「すぐ調べる」
 ヒヨコを手の中で暖めながら待つと、彼は「異常なし」と淡々と答えた。採血管を機械にセットする直前、脅えるように潤んだ目は、今は何処かへ消え失せた。
 ヒヨコを小屋に離すとすぐに出たがり、仕方がなく出してやると、ヤギ小屋目掛けて走っていく。ヤギは耳を動かし目が覚め、ちんまりとした生き物を穴が開くほど見つめている。やがて羽を動かした。歓迎の合図だ。
「お前、自分がヤギだと思い込んでるんじゃ……」
 羽の生えたヤギと紫がかったヒヨコは、得体の知れない生物のようだが、彼女たちの間には人間の稚拙な定理など無意味でしかない。人間という生き物は見目で人を見下したり敬愛したりと、数字化できないもので上と下を作りたがる。なんて滑稽な生き物なのだろうか。二頭の通じ合う糸に、種族など関係ない。
「お前たちから学んだよ。ありがとうな」
「何を学んだんだ?」
 音もなく近寄る男に気づかず、しゃがんだまま前屈みに倒れそうになった。
「……ありがとう」
 膝が壊れる寸前、左の二の腕を掴まれたおかげで、掠めただけで大事には至らなかった。想像の痛みにより膝が震えただけだ。
「ヒヨコたちから生き様を」
「結構な話だ」
 掴まれたままの二の腕に圧迫感がある。血が通らないほどの締め付けに凪は首を傾げた。いつまで立っても離そうとしない。
「アルネス?」
「生活は慣れてきたか?」
 唐突な質問だ。
「どうした? 急に」
「……何でもない。今日はヤギのミルク」
「お、やった。けどいいのか? ハクが言うにはアルネスは普段ミルクを飲まないって言ってたけど」
「………………」
「全部薬に使うとかって」
「………………」
「痛い痛い」
 二の腕が締まり、凪は悲鳴を上げる。
 腕が解放されると熱が広がり、徐々に血が河原のように流れていく。
「薬って誰が作ってんの?」
 流れをすべて変えるのもわざとらしすぎる気がしたので、関連のある話にさり気なく変えた。
「私だ」
「医者やりながら薬も作るのか……ちゃんと寝てる?」
「問題ない。自動で作る」
「血液検査みたいな感じか。採血管をセットすると機械が動いてくれるみたいな」
 アルネスはミルク缶を持つと部屋を出ていった。一度振り返り、早く来いと目で訴える。
 その日のご飯は少し豪華なものとなった。
 夕食後、凪はキッチンに立った。残った胸肉で料理を作るためだ。
 調味料は塩とスパイス。それだけあれば何とかなる。胸肉を透けて見えるほどに薄切りにし、塩とスパイスを振りかける。少し味は濃くなるように、多めに満遍なくかけた。
 重ならないようにザルに並べ、照明の下に置く。どの程度の日数で乾くかは何とも言えないが、放置しておけば一品出来上がる。
「これ、知ってる?」
 読書中のアルネスは、尻目に凪の後ろ姿を見ていた。振り返った凪から目を逸らし、次のページを開く。
「干し肉だろう」
「正解。これなら数週間は持つと思う。生だと数日しか持たないからな」
「……そういう知識は覚えているのか」
「いろいろ考えたんだけどさ、抜け落ちてるのって家族や友達、今まで何処で生きていたかってことなんだよな。好きなものや料理の仕方っていうのは覚えてるよ。そういや、外に野生の生き物っていないのか?いれば貴重なタンパク質になると思うんだけど」
「……いるにはいる」
「この辺?」
「森に行けば」
「森から離れてるってことか」
「我々と野生の生き物は、棲み分けが重要だ」
「人間が襲われたりするもんな。北海道でヒグマが人を襲うってニュースはよくやってたよ」
「……人間」
 そう呟いたアルネスは、本を棚にしまうと何処かへ行ってしまった。
「あいつ、北海道は知ってるのかな」
 ヒグマのような巨大な生物を仕留められれば、しばらくは肉生活が続くだろう。美味しい料理が食卓に上がると、気分も変わる。
 まずは干し肉が美味く出来ますようにと願いを込めた。
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