淫宮の秘め事と薬師シキ

不来方しい

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第一章 貴族と山の村娘

015 過去の責任

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 朗報とも言えるが、何のためにそのような薬を生み出したのかと、織は頭を抱えた。薬は毒にもなりうる存在だ。獣人化する薬など、誰も幸せになれない産物なのではないか。
 医師の後をついていき、医務室へ入った。医師は本棚の前に立つと、力いっぱい横に引いた。
「よくある秘密の階段……というわけではないです。日が当たらないようにしなければならない薬もありますので、こちらで保管しております」
「獣人になる薬もこちらに?」
「あるかどうか判りませんが、昔ながら何に使うか予想がつかない薬もまとめてあります。さあ、行きましょう」
 薄暗い階段を降りていくと、大広間へ出た。棚が密集しているせいか、それほど広くは感じなかった。
「こちらです。用途が判らないものは、鍵をかけて棚にしまっています」
 鍵は医師が持っていて、寂れた音と共に解錠された。
 ガラスの引き出しを開けると、薬の他に何冊か冊子が横たわっている。
「拝見してもよろしいですか」
「もちろんですとも」
 ぱらぱらとめくってみると、中にはとても恐ろしいことが書かれていた。
 煌苑殿の秘密というべきか、おそらく医師も誰も知らない。今の時代ではありえないような事柄──。
「中身はなんです?」
 医師は横から覗き込み、息を押し殺した。
 動物実験などではない。人間を使った人体実験だ。異国の犯罪を含めた人間を奴隷として身体を解剖し、未知の薬を飲ませる──そんな体験が記されていた。
「ああ……なんてことだ……。こんなことが……本当に……」
「残念ながら物語ではないようです。先代の医師たちが行ってきたのでしょうね。誰かの命か、自主的に行ったのかは読み取れませんが。昔の言葉を翻訳する必要があります」
「さっそくですが、瑛郭たちにもご報告致します」
「では、こちらは詳しく書物を解読してみます」



 誰も知らない、恐ろしい真実──。
 禧桜も瑛も柏も、医師たちも。皆無言のまま誰ひとり口を開こうとしなかった。
 数週間もの間、織は不明瞭な言葉を解読するために図書館へ入り浸った。
「これが……この国のすべてなのか」
「百年も前に行われていた出来事です」
「お前たちは何も聞かされていなかったのか?」
「憚りながら、先代から何も聞かされてはおりませぬ。禧桜陛下の稀有な体質も、因果関係があると踏んでおります」
「人体実験……か」
 禧桜も唸るしかないだろう。残された末裔の人間に残ったのは責任だけであり、記憶はない。
「もうすぐ満月なのだな……また儂は記憶を失うのか。いや、そんなことよりも女人を傷つけるような真似はしたくはない」
「恐れながら陛下。睡眠薬を服用し、眠って頂く方法がございます。念のため、性欲を低下させる薬も一緒にです」
「今はそうするしかあるまいな。世話をかける」
「とんでもないことでございます」
「それと……皇后についてですが、満月の日に何かしら動きがあるはずです。手荒な真似をしても、止めるつもりでおります故。どうかお許し下さい」
 禧桜と医師のやりとりを愕然としながら聞いていた。
 何か言わなくてはと思うも、渇いた喉に声が通らなかった。
「織、大丈夫か?」
 気づいた瑛がこちらへ近寄ってくる。
 瑛は織の額に手を起き、低い声で唸った。
「熱がある」
「私は平気です」
「平気なものか。……禧桜陛下、私は織を部屋へ送ります」
「ああ、そうしてくれ」
「それと医師も何人かついてきてくれ」
 発熱のせいか、身体をまっすぐに保っていられない。
 壁に手をつこうとすると、瑛に抱き寄せられてしまった。
「ちょっと……瑛……、陛下の御前です」
「体調が悪いお前を放っていろと? できるはずがないだろう」
 部屋へ送るというのは、てっきり住む家へ送るという意味だと捉えていた。瑛は反対方向へ向かい出す。
「俺の部屋だ。織を独りにしてはおけん」
 逆らう気力すらなかったので、おとなしくついていった。
 部屋は骨折をしたときに住んだままだ。
「変えていなかったのですね」
「いつかお前がここに来てくれるのではないかと思ってな」
 医師に聞こえないよう、瑛は耳元で囁く。吐息が温く感じるのは、自分の身体が熱いせいだ。
「瑛…………」
「お話しは終わりましたかな。薬を飲んでもらいます。織郭が作った薬ですから、すぐに効くでしょう。ずっと働きづめでしたから、疲労が溜まったのでしょうね。しばらくは安静ですぞ」
「ありがとうございます」
 医師たちが出ていくのを確認すると、瑛は側にある椅子を引っ張ってきて座る。
「大事なときにすみません」
「皇后は俺たちに任せておけ。よくここまで動いてくれたな。俺たちも知らなかった国の秘密を暴いてくれて、陛下も感謝していらっしゃった」
「お力になれて良かったです」
「何か食べたいものはあるか? 遠慮せずに言うといい」
「食べたいもの……ですか。あまり食欲が……」
「頬も少し痩せて見える。そうだ、甘いものなら腹に入るだろう?」
「ええ……多分」
 言うなり瑛は部屋を出ていってしまった。
 数十分で戻ってきたとき、不機嫌そうな顔と水菓子を持っていた。どうしたのかと尋ねると、
「町へ買いに出ようとしたら、衛兵たちに止められたのだ」
「立場上、それは当然ですよ……」
「代わりに水菓子を持ってきた」
 数種類の果物が皿に盛られ、織は受け取った。
 甘くて瑞々しいが、ほどよい酸味もある。あっという間に平らげてしまった。
「とても美味しいです。思えば、食事もあまり取っていませんでした」
「口に入れられるようなら明日も水菓子を持ってこよう」
 瑛はまたもや椅子に座った。
「いつまでここにいるおつもりですか?」
「お前が寝るまでだ。安心していい。仕事はちゃんとする」
「子供ではないのですから……」
「俺が側にいたいんだ」
 瑛を見ていると、昔と変わらずなんて素敵な人だろうと思う。
 嫌みのないまっすぐな心を伝えてくれる。
 本当はいてほしいのだ。こちらの素直な気持ちを伝えようと、彼の手を握った。
「側にいて下さい」
「もちろんだとも。望むならずっと一緒にいよう」
 はにかんだ瑛の顔は泣きそうにも見えて、なんだか目の奥に痛みが走った。



 目尻にたまった涙を拭ってやり、名残惜しくも瑛は部屋を後にした。
 年月が経つにつれ、織はたいそう美しく育っている。昔から人形のように愛らしい顔立ちをしていたが、凛々しくもどこか儚げで品の良さを隠しきれていない。
 彼が町に降りると、男士も女人も釘付けになる。あまり面白くなかったが、誇らしくもあった。
「瑛殿下、皇后のお姿が消えました」
「すぐに向かう」
 まだ満月の日ではないが、一刻を争う状況だ。
 煌苑殿の門ではすでに柏が待機していて、衛兵と何か話をしている。
「殿下、大きな獣は山へ向かったようです」
「山? まさか織の家の方角か?」
「左様です」
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