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第二章 それぞれの人生へ
026 永
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朝食も昼食も食べておらず、虎臣はほとんど平らげた。
ついでに酒も注いでもらい、少しずつ喉を潤す。
慣れないせいか喉が焼けるような痛みがあるが、甘口で飲みやすい。
「できれば会いたくないって、どういう意味だったんだ?」
聞くのが怖かったが、酔っている今なら何を言われても明日には忘れたふりをしようと心に決める。
「俺の秘密を共有してほしい、って言ったら傲慢か?」
「別に思わないよ」
「今日、たまたま線香をあげようと思った。いきなりだったんだ。唐突にあげなければならないような衝動に駆られて。相手は俺の奥さんになるはずだった人だ」
「もしかして、車椅子の人? 大学生の頃の話だけど、松岡と会っただろう? 八重澤が東京に来て少し話したって彼から聞いたんだ」
「そっか。そういえばあったな……そんなことも。高校時代に無理やり九州へ連れていかれて、とにかく精神病院を通わされた」
「ひどい話だ……」
「ひどいのは俺だ。俺の身勝手な行いでお前も傷つけて、家族も巻き込んだ」
「俺は後悔も傷ついてもない。お前を求めていたから」
「そう言ってもらえると、救われるよ。父さんも本気の心配をしていたから、病気のふりをするしかなかったんだ。その後だけど、大学に入る前にお見合いをすることになった。父の知り合いの会社社長の長男と長女、次女の三人兄弟で、お見合いをしたのは長女だ。けど向こうは次女もどうかと言われて、結局長女次女と顔を合わせた」
あまり気持ちのいい話ではなかったが、それ以上に真実を知りたかった。
「父さんは次女との結婚は反対した。向こうは次女との結婚を望んでいた。双方の板挟み状態で、俺が選んだのは次女の静子だ。次女は生まれつき身体が弱く、医師からも長くは生きられないだろうと言われていたんだ。ひどい話だが、俺にとっては都合が良かった。静子と二人きりになったとき、全部打ち明けた。主にお前のことだけど。ずっと待たせている人がいて、その人は男性であること。一緒になっても、心から静子を好きにはなれないこと。当然嫌がられるとは思ったが、向こうの反応は見当違いなものだった」
酒が無くなり、彼の盃へ注ぐ。
「結婚したとしても、車椅子から立つのもやっとな自分は夫に介護をさせてしまうだけだ。一人の女として、それは生き恥でしかない、と泣きながら訴えた。俺自身、結婚しなければ世間体が悪くなり、家や父を立てることができない。一度結婚してしまえば、父からしつこく言われることもなくなるだろうと考えて、すべてを静子に話した上で結婚を申し込んだ。静子は俺の考えに思うところがあったのか、自分も父や家族を立てるために結婚をしたいと意思を見せた。そのとき、静子は医師からあと一年持つか持たないかくらいだと言われていたんだ。互いの利害の一致ってやつだ」
「線香をあげたって、静子さんだったんだな」
「ああ。静子とは結局、結婚はしなかった。俺は彼女を引き取り、介護をしながら絵を描く生活を送っていた。医師からは一年と言われていたのに、半年も持たなかったよ。途方に暮れる俺を見て、父さんも兄弟も結婚しろと口にしなくなった。静子に恋愛としての愛はなかったが、これでも情はあったんだ。同志の兄弟というか、盃を交わした仲というか」
「俺たちと松岡や柏尾みたいな?」
「そうだ。すごく近い。……これが俺の背負った罪だ。いろんなものが犠牲になった上で、今の生活が成り立っている」
「俺も話すよ。ずっとずっと過去の話だ」
枯れたはずの涙がまた押し寄せてきた。どこから溢れてくるのか摩訶不思議な身体であると、ぼんやりと考える。
「高校三年の夏、僕たちは震災にあった。ひどい災害だった。お前の別荘へ行く前、買い物から帰ってくる薫子やタエを迎えに行こうと家を出た。その直後に襲われたんだ」
今度は幸一が虎臣の盃へ注ぐ番だ。
「後ろを見たら、別荘が潰れていた。中には継母の紅緒がいた。彼女は僕に助けを求め、手を伸ばしてきた。僕は彼女に向かって『なぜ、幸一の手紙を盗んだ?』と言った」
幸一は表情を変えず、黙って聞いている。
「助けようと思えば助けられたかもしれない。僕は彼女の手を掴もうともしなかった。そしたら二度目の揺れが起こって、今度は本当に全壊した。紅緒の声はもう聞こえなくなった。僕は近くにいた知らないおじさんに助けられた。中には誰もいないと嘘をついて、父さんがいるお前の別荘へ向かった。……これが僕の罪だ。憎い人でも、家族を見殺しにしたんだ」
「一緒に背負っていこう。ふたりで」
「一緒?」
「もちろんだ。俺が北海道へ行こう。絵はどこでも描ける。俺の絵は海外で売れて、日本でもほしいという人が増えた。お前を養っていけると思う」
「僕だって貿易会社で働いている。貯えもあるし、八重澤と過ごしていけると思う」
「決まりだ。それに本田、俺がお前の立場でも、きっと同じことをしたと思う。罪だとは思わない。それだけ俺を愛してくれているんだもんな」
「自分でいうか? そういうこと……」
「違うのか? 俺は愛しているさ。世界中の誰よりも。ずっとお前を思ってきたんだ。一二歳の夏から、どれだけ抱きたかったか。好きで好きでたまらない」
「ぼ、僕だって……」
「離れていた十年分も取り戻そう」
酔っ払ったふたりは手を取り合い、深夜まで語り合った。
酔いと疲労もあってぐっすりと昼近くまで寝たが、冷静になると昨日の幸一の発言が気になりだした。
──俺が北海道へ行こう。
北海道での絵画展も合わせると、虎臣が北海道にいると知っていたのだ。
いつどこで誰から聞いたのか問いただしても、彼は笑いながら「愛があるからだな」とわけの判らないことを言ってのけ、結局答えなかった。
虎臣は二日間、滞在したあと北海道へ戻った。
絵を描く彼のために、部屋の片づけを始めなければならない。
やることはまだたくさんある。ふたりのこれからのために。
夏は再びやってくる──。
ついでに酒も注いでもらい、少しずつ喉を潤す。
慣れないせいか喉が焼けるような痛みがあるが、甘口で飲みやすい。
「できれば会いたくないって、どういう意味だったんだ?」
聞くのが怖かったが、酔っている今なら何を言われても明日には忘れたふりをしようと心に決める。
「俺の秘密を共有してほしい、って言ったら傲慢か?」
「別に思わないよ」
「今日、たまたま線香をあげようと思った。いきなりだったんだ。唐突にあげなければならないような衝動に駆られて。相手は俺の奥さんになるはずだった人だ」
「もしかして、車椅子の人? 大学生の頃の話だけど、松岡と会っただろう? 八重澤が東京に来て少し話したって彼から聞いたんだ」
「そっか。そういえばあったな……そんなことも。高校時代に無理やり九州へ連れていかれて、とにかく精神病院を通わされた」
「ひどい話だ……」
「ひどいのは俺だ。俺の身勝手な行いでお前も傷つけて、家族も巻き込んだ」
「俺は後悔も傷ついてもない。お前を求めていたから」
「そう言ってもらえると、救われるよ。父さんも本気の心配をしていたから、病気のふりをするしかなかったんだ。その後だけど、大学に入る前にお見合いをすることになった。父の知り合いの会社社長の長男と長女、次女の三人兄弟で、お見合いをしたのは長女だ。けど向こうは次女もどうかと言われて、結局長女次女と顔を合わせた」
あまり気持ちのいい話ではなかったが、それ以上に真実を知りたかった。
「父さんは次女との結婚は反対した。向こうは次女との結婚を望んでいた。双方の板挟み状態で、俺が選んだのは次女の静子だ。次女は生まれつき身体が弱く、医師からも長くは生きられないだろうと言われていたんだ。ひどい話だが、俺にとっては都合が良かった。静子と二人きりになったとき、全部打ち明けた。主にお前のことだけど。ずっと待たせている人がいて、その人は男性であること。一緒になっても、心から静子を好きにはなれないこと。当然嫌がられるとは思ったが、向こうの反応は見当違いなものだった」
酒が無くなり、彼の盃へ注ぐ。
「結婚したとしても、車椅子から立つのもやっとな自分は夫に介護をさせてしまうだけだ。一人の女として、それは生き恥でしかない、と泣きながら訴えた。俺自身、結婚しなければ世間体が悪くなり、家や父を立てることができない。一度結婚してしまえば、父からしつこく言われることもなくなるだろうと考えて、すべてを静子に話した上で結婚を申し込んだ。静子は俺の考えに思うところがあったのか、自分も父や家族を立てるために結婚をしたいと意思を見せた。そのとき、静子は医師からあと一年持つか持たないかくらいだと言われていたんだ。互いの利害の一致ってやつだ」
「線香をあげたって、静子さんだったんだな」
「ああ。静子とは結局、結婚はしなかった。俺は彼女を引き取り、介護をしながら絵を描く生活を送っていた。医師からは一年と言われていたのに、半年も持たなかったよ。途方に暮れる俺を見て、父さんも兄弟も結婚しろと口にしなくなった。静子に恋愛としての愛はなかったが、これでも情はあったんだ。同志の兄弟というか、盃を交わした仲というか」
「俺たちと松岡や柏尾みたいな?」
「そうだ。すごく近い。……これが俺の背負った罪だ。いろんなものが犠牲になった上で、今の生活が成り立っている」
「俺も話すよ。ずっとずっと過去の話だ」
枯れたはずの涙がまた押し寄せてきた。どこから溢れてくるのか摩訶不思議な身体であると、ぼんやりと考える。
「高校三年の夏、僕たちは震災にあった。ひどい災害だった。お前の別荘へ行く前、買い物から帰ってくる薫子やタエを迎えに行こうと家を出た。その直後に襲われたんだ」
今度は幸一が虎臣の盃へ注ぐ番だ。
「後ろを見たら、別荘が潰れていた。中には継母の紅緒がいた。彼女は僕に助けを求め、手を伸ばしてきた。僕は彼女に向かって『なぜ、幸一の手紙を盗んだ?』と言った」
幸一は表情を変えず、黙って聞いている。
「助けようと思えば助けられたかもしれない。僕は彼女の手を掴もうともしなかった。そしたら二度目の揺れが起こって、今度は本当に全壊した。紅緒の声はもう聞こえなくなった。僕は近くにいた知らないおじさんに助けられた。中には誰もいないと嘘をついて、父さんがいるお前の別荘へ向かった。……これが僕の罪だ。憎い人でも、家族を見殺しにしたんだ」
「一緒に背負っていこう。ふたりで」
「一緒?」
「もちろんだ。俺が北海道へ行こう。絵はどこでも描ける。俺の絵は海外で売れて、日本でもほしいという人が増えた。お前を養っていけると思う」
「僕だって貿易会社で働いている。貯えもあるし、八重澤と過ごしていけると思う」
「決まりだ。それに本田、俺がお前の立場でも、きっと同じことをしたと思う。罪だとは思わない。それだけ俺を愛してくれているんだもんな」
「自分でいうか? そういうこと……」
「違うのか? 俺は愛しているさ。世界中の誰よりも。ずっとお前を思ってきたんだ。一二歳の夏から、どれだけ抱きたかったか。好きで好きでたまらない」
「ぼ、僕だって……」
「離れていた十年分も取り戻そう」
酔っ払ったふたりは手を取り合い、深夜まで語り合った。
酔いと疲労もあってぐっすりと昼近くまで寝たが、冷静になると昨日の幸一の発言が気になりだした。
──俺が北海道へ行こう。
北海道での絵画展も合わせると、虎臣が北海道にいると知っていたのだ。
いつどこで誰から聞いたのか問いただしても、彼は笑いながら「愛があるからだな」とわけの判らないことを言ってのけ、結局答えなかった。
虎臣は二日間、滞在したあと北海道へ戻った。
絵を描く彼のために、部屋の片づけを始めなければならない。
やることはまだたくさんある。ふたりのこれからのために。
夏は再びやってくる──。
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