あの夏をもう一度─大正時代の想ひ出と恋文─

不来方しい

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第二章 それぞれの人生へ

022 継

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 夏季休暇に入ると、肇は本田家で過ごすようになった。
 彼は秀道の仕事に興味があるらしく、招かれた客人とも積極的に対話をしていた。
「薬学部は親に言われるがままに入っただけさ。俺には養子の兄がいて、一応跡継ぎはいる」
「養子? 聞いてないぞ。僕には従兄弟が二人いたのか?」
「そういうこと。子供がなかなかできなくて、一人うちに入れたらしい。親戚に当たるから、全くの他人ってわけじゃない。仲は悪くない」
「へえ……そうなのか」
「今は父の製薬会社で働いている。だから俺はやりたいことを見つけるまで、父の言う通りに薬学部へ入ったんだ。虎臣は貿易業を継がないのか?」
「……できれば継ぎたくない。というか、継げない」
「はーん、なるほど」
「なんだよ」
「子供が作れないから?」
 あやうく拳が出そうになるが、ぐっとこらえた。
「そうだよ。悪かったな」
「お、認めたな。おじさんが許すなら、貿易会社で働いてみたいとは思ってるんだよな」
「製薬会社じゃなく? もしかして僕に同情しているのか?」
「同情で将来を決められるわけがないだろ。お前、だいぶ切羽詰まってるんだな。原因は男の恋人? 次の恋を探すために、一緒に遊郭でも行くか?」
「あいにく、そんな気分にはならない」
「なら遊郭じゃない別のところにでも出かけようか」
「こんな暑いのに?」
「アイスクリームでも食べに行こう」
「待ってくれ。薫子を残してはおけない」
 隣の部屋の扉を叩いても返事はなかった。
 ちょうど二階へ上がってきたタエは、
「お嬢様ならご友人とお出かけになられていますよ」
と言われ、段々と兄から離れていく妹を遠い存在に思えた。
「そんなに動揺するなって。妹さんだって大人になっていくんだ。ほら、行こう」
 繋がれた手を振りほどくことができなかった。力が入らず、引かれるままに外へ出た。
 他人は自分の所有物でもないし、人の心は簡単に離れていく。縋ってはならないのに、大きな手に情けをかけてほしくなる。
「あれ? 本田?」
 喫茶店に入ろうとすると、向こうから誰かが出てきた。見覚えのあるような気がして見つめてしまうと、向こうも同じ気持ちだったらしい。松岡だった。高校の同級生だった彼だ。
 虎臣はこっそりと繋がれた手を離した。
「久しぶりだな。元気だったか?」
「うん。夏季休暇だし、ちょうどこっちに戻ってきたんだ」
「そうか。仙台の大学に通っているんだったな。東北はどう?」
「出身地だし、涼しいし、最高だよ。ただ田舎だからやっぱりこっちの空気が恋しくなるときもある。就職はどうしようかなあ」
 相変わらずまったりとしている松岡だ。彼が側にいると和む。
「彼は? 友達?」
「同じ大学に通っている、従兄弟の肇だ」
「よろしく」
 肇と松岡は握手を交わす。
「夏季休暇の間は八重澤と一緒にいるんだと思った」
「八重澤?」
「こっちに来てるんだろ?」
 虎臣は松岡の肩を掴んだ。
「どういうことだ? あいつ、東京にいるのか?」
「一週間くらい前だったけど会ったよ。車椅子に女の人を乗せてた」
「……………………」
 わけがわからなかった。頭が追いつかない。
 箪笥の中に隠されていた手紙には、手紙を送ると書いていたのに結局彼は一通も寄越さなかった。それなのに、彼は東京へ来ていた。
「車椅子の女性はどんな人だった?」
「か弱そうな人だったなあ。咳込んでて、八重澤は心配そうにしてたよ。八重澤もなんだかやつれてて、あまり元気そうには見えなかった」
「何か言っていた?」
 怖かったが、勇気を出して聞いてみた。
「皆は元気かってさ。でも僕は東北にいるから、知らないって答えた。そのあとは会話が弾まなくなったというか……妙に落ち込んでて、すぐに別れたよ」
「そうか……教えてくれてありがとう」
 松岡とはとりとめのない話をして、別れた。久しぶりに会った彼は大人びていて、おどおどした昔の雰囲気がなくなっている。
 人は変わる。変わるのだ。外見も、心も。
「どうした?」
 肇に優しく背中を撫でられ、また涙が出てきた。
「人が変わるのって……怖いな」
 彼に手を繋がれ、喫茶店の中へ移動した。
 紅茶と珈琲、そしてアイスクリームが並ぶ。
「自分だけが取り残されて、ちっぽけに見える」
「それはさっきの八重澤って男が関係あるのか?」
 肯定ととらえられると判っていても、弱い自分も認めてしまいそうで、答えたくなかった。
「八重澤はどこにいるんだ?」
「本州」
「なんだ。それなら俺とばったり会ってるかもな」
「本州っていっても広いだろ」
「下の名前は?」
「幸一」
「ふうん」
 興味があるのかないのか、肇はアイスクリームを食べ終わると窓の外を見やる。
「どういう人だったんだ?」
「飄々としていて、誰にでも好かれて自然と人が集まるような男だった。僕にはないもので羨ましかった」
「八重澤……聞いたことがあるな」
「八重澤の父は金融会社の社長をしている」
「思い出した。俺、会ったことがあるかも」
「どこで?」
「何年も前だ。親に連れられるまま会食に出かけて、そこで会った男が八重澤と名乗ってた……気がする。ただ幸一らしき男はいなかったな。父さんに聞いてみるか?」
「いや、やめてくれ」
「なぜだ?」
「僕らは親同士に引き裂かれたんだ」
 湘南の別荘で過ごしていた高校三年の夏に起こったできごとを彼に話した。親の前で口づけを交わしたこと、そのあとすぐに彼は別れの挨拶すらさせてもらえずすぐに本州へ引っ越ししたこと。
「思っていた以上にひどい話だな……そりゃあ、これだけお前の気持ちがこじれるのも判るよ」
「こういう事情があるから、誰にも言わないでくれ。僕からの差し金だとばれて、僕の父さんに告げ口される可能性がある」
「難儀なものを抱えてるなあ」
「そうだと思う。でもあのとき口づけをしたことも、後悔していないんだ。馬鹿みたいな話だけど」
 絶望と恐怖に支配されながら、唯一の熱はどれだけ生きる糧となったか判らない。彼がいない人生は考えられないほど、希望を与えてくれた。
「これは僕の問題で、僕が解決しなくちゃいけない」
「でもな虎臣、友人の余計なお世話ってやつも、受け入れた方がいいぜ。お前は何でも一人でこなそうとする。それは無理があるんだ」
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