あの夏をもう一度─大正時代の想ひ出と恋文─

不来方しい

文字の大きさ
上 下
22 / 34
第二章 それぞれの人生へ

022 継

しおりを挟む
 夏季休暇に入ると、肇は本田家で過ごすようになった。
 彼は秀道の仕事に興味があるらしく、招かれた客人とも積極的に対話をしていた。
「薬学部は親に言われるがままに入っただけさ。俺には養子の兄がいて、一応跡継ぎはいる」
「養子? 聞いてないぞ。僕には従兄弟が二人いたのか?」
「そういうこと。子供がなかなかできなくて、一人うちに入れたらしい。親戚に当たるから、全くの他人ってわけじゃない。仲は悪くない」
「へえ……そうなのか」
「今は父の製薬会社で働いている。だから俺はやりたいことを見つけるまで、父の言う通りに薬学部へ入ったんだ。虎臣は貿易業を継がないのか?」
「……できれば継ぎたくない。というか、継げない」
「はーん、なるほど」
「なんだよ」
「子供が作れないから?」
 あやうく拳が出そうになるが、ぐっとこらえた。
「そうだよ。悪かったな」
「お、認めたな。おじさんが許すなら、貿易会社で働いてみたいとは思ってるんだよな」
「製薬会社じゃなく? もしかして僕に同情しているのか?」
「同情で将来を決められるわけがないだろ。お前、だいぶ切羽詰まってるんだな。原因は男の恋人? 次の恋を探すために、一緒に遊郭でも行くか?」
「あいにく、そんな気分にはならない」
「なら遊郭じゃない別のところにでも出かけようか」
「こんな暑いのに?」
「アイスクリームでも食べに行こう」
「待ってくれ。薫子を残してはおけない」
 隣の部屋の扉を叩いても返事はなかった。
 ちょうど二階へ上がってきたタエは、
「お嬢様ならご友人とお出かけになられていますよ」
と言われ、段々と兄から離れていく妹を遠い存在に思えた。
「そんなに動揺するなって。妹さんだって大人になっていくんだ。ほら、行こう」
 繋がれた手を振りほどくことができなかった。力が入らず、引かれるままに外へ出た。
 他人は自分の所有物でもないし、人の心は簡単に離れていく。縋ってはならないのに、大きな手に情けをかけてほしくなる。
「あれ? 本田?」
 喫茶店に入ろうとすると、向こうから誰かが出てきた。見覚えのあるような気がして見つめてしまうと、向こうも同じ気持ちだったらしい。松岡だった。高校の同級生だった彼だ。
 虎臣はこっそりと繋がれた手を離した。
「久しぶりだな。元気だったか?」
「うん。夏季休暇だし、ちょうどこっちに戻ってきたんだ」
「そうか。仙台の大学に通っているんだったな。東北はどう?」
「出身地だし、涼しいし、最高だよ。ただ田舎だからやっぱりこっちの空気が恋しくなるときもある。就職はどうしようかなあ」
 相変わらずまったりとしている松岡だ。彼が側にいると和む。
「彼は? 友達?」
「同じ大学に通っている、従兄弟の肇だ」
「よろしく」
 肇と松岡は握手を交わす。
「夏季休暇の間は八重澤と一緒にいるんだと思った」
「八重澤?」
「こっちに来てるんだろ?」
 虎臣は松岡の肩を掴んだ。
「どういうことだ? あいつ、東京にいるのか?」
「一週間くらい前だったけど会ったよ。車椅子に女の人を乗せてた」
「……………………」
 わけがわからなかった。頭が追いつかない。
 箪笥の中に隠されていた手紙には、手紙を送ると書いていたのに結局彼は一通も寄越さなかった。それなのに、彼は東京へ来ていた。
「車椅子の女性はどんな人だった?」
「か弱そうな人だったなあ。咳込んでて、八重澤は心配そうにしてたよ。八重澤もなんだかやつれてて、あまり元気そうには見えなかった」
「何か言っていた?」
 怖かったが、勇気を出して聞いてみた。
「皆は元気かってさ。でも僕は東北にいるから、知らないって答えた。そのあとは会話が弾まなくなったというか……妙に落ち込んでて、すぐに別れたよ」
「そうか……教えてくれてありがとう」
 松岡とはとりとめのない話をして、別れた。久しぶりに会った彼は大人びていて、おどおどした昔の雰囲気がなくなっている。
 人は変わる。変わるのだ。外見も、心も。
「どうした?」
 肇に優しく背中を撫でられ、また涙が出てきた。
「人が変わるのって……怖いな」
 彼に手を繋がれ、喫茶店の中へ移動した。
 紅茶と珈琲、そしてアイスクリームが並ぶ。
「自分だけが取り残されて、ちっぽけに見える」
「それはさっきの八重澤って男が関係あるのか?」
 肯定ととらえられると判っていても、弱い自分も認めてしまいそうで、答えたくなかった。
「八重澤はどこにいるんだ?」
「本州」
「なんだ。それなら俺とばったり会ってるかもな」
「本州っていっても広いだろ」
「下の名前は?」
「幸一」
「ふうん」
 興味があるのかないのか、肇はアイスクリームを食べ終わると窓の外を見やる。
「どういう人だったんだ?」
「飄々としていて、誰にでも好かれて自然と人が集まるような男だった。僕にはないもので羨ましかった」
「八重澤……聞いたことがあるな」
「八重澤の父は金融会社の社長をしている」
「思い出した。俺、会ったことがあるかも」
「どこで?」
「何年も前だ。親に連れられるまま会食に出かけて、そこで会った男が八重澤と名乗ってた……気がする。ただ幸一らしき男はいなかったな。父さんに聞いてみるか?」
「いや、やめてくれ」
「なぜだ?」
「僕らは親同士に引き裂かれたんだ」
 湘南の別荘で過ごしていた高校三年の夏に起こったできごとを彼に話した。親の前で口づけを交わしたこと、そのあとすぐに彼は別れの挨拶すらさせてもらえずすぐに本州へ引っ越ししたこと。
「思っていた以上にひどい話だな……そりゃあ、これだけお前の気持ちがこじれるのも判るよ」
「こういう事情があるから、誰にも言わないでくれ。僕からの差し金だとばれて、僕の父さんに告げ口される可能性がある」
「難儀なものを抱えてるなあ」
「そうだと思う。でもあのとき口づけをしたことも、後悔していないんだ。馬鹿みたいな話だけど」
 絶望と恐怖に支配されながら、唯一の熱はどれだけ生きる糧となったか判らない。彼がいない人生は考えられないほど、希望を与えてくれた。
「これは僕の問題で、僕が解決しなくちゃいけない」
「でもな虎臣、友人の余計なお世話ってやつも、受け入れた方がいいぜ。お前は何でも一人でこなそうとする。それは無理があるんだ」
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

出戻り聖女はもう泣かない

たかせまこと
BL
西の森のとば口に住むジュタは、元聖女。 男だけど元聖女。 一人で静かに暮らしているジュタに、王宮からの使いが告げた。 「王が正室を迎えるので、言祝ぎをお願いしたい」 出戻りアンソロジー参加作品に加筆修正したものです。 ムーンライト・エブリスタにも掲載しています。 表紙絵:CK2さま

別れの夜に

大島Q太
BL
不義理な恋人を待つことに疲れた青年が、その恋人との別れを決意する。しかし、その別れは思わぬ方向へ。

僕のために、忘れていて

ことわ子
BL
男子高校生のリュージは事故に遭い、最近の記憶を無くしてしまった。しかし、無くしたのは最近の記憶で家族や友人のことは覚えており、別段困ることは無いと思っていた。ある一点、全く記憶にない人物、黒咲アキが自分の恋人だと訪ねてくるまでは────

合鍵

茉莉花 香乃
BL
高校から好きだった太一に告白されて恋人になった。鍵も渡されたけれど、僕は見てしまった。太一の部屋から出て行く女の人を…… 他サイトにも公開しています

貴族軍人と聖夜の再会~ただ君の幸せだけを~

倉くらの
BL
「こんな姿であの人に会えるわけがない…」 大陸を2つに分けた戦争は終結した。 終戦間際に重症を負った軍人のルーカスは心から慕う上官のスノービル少佐と離れ離れになり、帝都の片隅で路上生活を送ることになる。 一方、少佐は屋敷の者の策略によってルーカスが死んだと知らされて…。 互いを思う2人が戦勝パレードが開催された聖夜祭の日に再会を果たす。 純愛のお話です。 主人公は顔の右半分に火傷を負っていて、右手が無いという状態です。 全3話完結。

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

ガラス玉のように

イケのタコ
BL
クール美形×平凡 成績共に運動神経も平凡と、そつなくのびのびと暮らしていたスズ。そんな中突然、親の転勤が決まる。 親と一緒に外国に行くのか、それとも知人宅にで生活するのかを、どっちかを選択する事になったスズ。 とりあえず、お試しで一週間だけ知人宅にお邪魔する事になった。 圧倒されるような日本家屋に驚きつつ、なぜか知人宅には学校一番イケメンとらいわれる有名な三船がいた。 スズは三船とは会話をしたことがなく、気まずいながらも挨拶をする。しかし三船の方は傲慢な態度を取り印象は最悪。 ここで暮らして行けるのか。悩んでいると母の友人であり知人の、義宗に「三船は不器用だから長めに見てやって」と気長に判断してほしいと言われる。 三船に嫌われていては判断するもないと思うがとスズは思う。それでも優しい義宗が言った通りに気長がに気楽にしようと心がける。 しかし、スズが待ち受けているのは日常ではなく波乱。 三船との衝突。そして、この家の秘密と真実に立ち向かうことになるスズだった。

幸せになりたかった話

幡谷ナツキ
BL
 このまま幸せでいたかった。  このまま幸せになりたかった。  このまま幸せにしたかった。  けれど、まあ、それと全部置いておいて。 「苦労もいつかは笑い話になるかもね」  そんな未来を想像して、一歩踏み出そうじゃないか。

処理中です...