あの夏をもう一度─大正時代の想ひ出と恋文─

不来方しい

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第二章 それぞれの人生へ

021 肇

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 肇もしゃがんで、虎臣の肩を優しく叩く。
 それが不愉快でたまらなかったが、腕を退かすよりも平常心を保つことが自負心を傷つけないで済む。
「これは……僕の問題だ。お前に泣かされたわけじゃない」
「ああ、そうだ」
 肇も頷く。心をつつくようなことをして、少しは反省しているらしい。
「別に愛する人とまぐわうのは悪いことじゃない」
「勘違いするな。そういう仲じゃない」
「一方的に好きだったのか?」
「…………………」
「なんだ、両想いか。でも互いに手を出さないなんて、俺なら我慢できない」
「よせ、やめろ」
 顎に手をかけられ、顔を上げられた。
 徐々に近づいてくる肇の唇に、おもいっきり彼の額に拳を立てた。
「っ………いってえ……っ!」
「お前が変なことをするからだろ」
「だからってでこを殴るか? 初めて見たぞそんな男。担任にもそんな殴られ方はされた覚えがない」
「お前と僕は初対面だ。なぜこんなことをできるんだ?」
「初対面でもねんごろの仲でも綺麗なものにはしたくなるだろ?」
「綺麗とか……やめろよっ……」
「本当は俺の親父だけがここに来る予定だったんだ。でもお前の存在を聞いて、興味が沸いた。実際に会ってみたら驚いたよ」
 綺麗と言われるのはあいつだけで充分だった。あいつの代わりが現れたみたいで、心底反吐が出そうだった。
「僕は誰でもいいわけじゃない。男が好きというわけでもない」
「生真面目だねえ。こんな遊びくらい、誰でもやるって」
「誰でもは言いすぎだ。僕はしない」
 廊下から肇を呼ぶ声がした。人が変わったように彼は自分の父と楽しそうに話している。
「虎臣は俺と同じ大学だから、学校でも会って昼食を一緒に食べようと約束したんだ」
 そんな話はまったく聞いていなかった。
 驚く虎臣とは対照的に、肇はどこ吹く風だ。
「じゃあまたな、虎臣」
「……………………ああ」
 肇の父親がいる以上、無碍に扱うこともできなかった。
 それに彼は従兄弟だ。震災で家族の尊さを学んだ虎臣は、腹が立っても嫌いにはなれない。



 大学の学食で昼を過ごしていると、空いているのにもかかわらず横に誰かが座った。
「よう」
 胸をかきむしりたく衝動で、どうにかなりそうだった。あいつも前ではなく、必ず横に座った。距離が近いだの、綺麗な横顔を見たいだの、いつも屈託のない笑みを零していた。
「何の用件だ」
「用がなきゃ座っちゃいけねえのかよ」
 肇は弁当だ。美味しそうに口の中に煮物を放り込んだ。
「虎臣は弁当じゃないんだな」
「弁当の日もある」
「誰が作るんだ? おじさん?」
「僕の父さんは料理ができない。うちで働いているタエが作ってくれるんだ。そっちは?」
「あの優しそうな人か。この前は紅茶をごちそうになったよ。使用人がいるってどれだけ金持ちなんだ。うちは母さんが作る」
「世の母親は料理をするものなんだな」
「さあ? 家庭によるだろう。おばさんはしなかったのか?」
 過去に寄り添う話し方は、紅緒が亡くなったことを知っているのだろう。
「フォークとナイフすらテーブルに置いたりしない人だった」
「ま、それも家庭によりけりってことだな」
 母の料理を恋しく思うことはなかった。タエの料理は天下一品で、寄宿舎生活の三年間は彼女の料理を恋しく思ったものだ。
「それはそうと、今日は買い物に付き合ってよ」
「嫌だ」
「少しは考えるふりくらいしてくれよ……。喫茶店で何か奢ってやるから」
「なんで僕なんだ。ほかに友達はいないのか」
「お前がいいんだよ。綺麗な人を連れて歩きたいだろってのは半分冗談で、お前と仲良くなりたいんだ。それじゃあ駄目か?」
 捨てられた子犬の目で覗き込んでくる。
 わざとだとは判っていたが、断れなかった。
 授業を終えて、二人で銀座へやってきた。高校時代に友人たちと来てからは一度も足を踏み入れてはいない。懐かしくもあり、新しい店に時代の流れも感じた。
「俺たちが高校生だった頃、震災が起こっただろ? あれ以来不景気になったり中がぼろぼろになって、取り壊した店もあるんだぜ」
「確かに知らない店が増えている。銀座にはよく来るのか?」
「まあまあかな。じゃあ、喫茶店に行こう」
「買い物は?」
 そこで初めてはめられた、と理解した。
「嘘ついたのか」
「お前と仲良くなりたいって言ったろ。大丈夫、ちゃんと奢るから」
 彼の後ろをついていく。身長が高く、肩幅もある。何かスポーツをしているのかもしれない。
「あ」
 デパートの壁に貼ってあるポスターに目が止まった。一つ上の階で、絵画展を行っているらしい。
「絵に興味があるのか?」
「別に……描いたりはしないけど、たまに見る程度」
「なら今から行こう」
「いや、いいよ。喫茶店に行こう」
「おかしいな……急に絵が観たくなった」
 神妙な面持ちで言うので、吹き出してしまった。
「笑うとさらに綺麗なんだなあ。はー、お前みたいな人、俺の回りにいなかったぜ」
「いい加減やめろ。ほら、行くんだろう」
 一歩、また一歩と絵画展へ近づくたび、心に潜めていた想いが一気に溢れ始め、蓋を閉めることなどできなかった。
 絵画の下には名前入りの木札が貼られていて、一つ一つ確認していく。
「好きな画家でもいるのか?」
「別にいない」
「そのわりには真剣だな」
 ふと思った。小説家も名前とは別に筆名が用いられることがある。もし本名以外を使われていたら、虎臣には判りようがない。人それぞれ絵には癖があり、彼の描く絵には線や塗りに個性出る。見分けるしかなかった。
「もういい。行こう」
 絵画展をしているからといって必ずしも彼の作品があるとは限らない。むしろないと思った方がいい。無駄に心を傷つけずに済む。
 喫茶店で、肇は珈琲を頼んだ。虎臣も珈琲と言いかけて、紅茶にした。想い出をなぞるだけではなく、上書きされそうな気持ちになる。顔か強ばり、うまく紅茶が飲めない。
「俺といて、楽しくない?」
「え?」
「眉間に皺が寄ってるし、全然笑わない」
「ごめん。考えごとをしていた。お前に失礼だよな」
「そう思うなら、また出かけよう」
「僕といて楽しいか? あまり喋る方じゃないし、どちらかというと受け身な性格なんだ」
「だろうな。俺がよく喋るから、ちょうどいい」
 居心地が悪く感じてしまうのは、九州にいるであろう彼を思い、罪悪感が芽生えるからだ。
 肇はただの友人で、それに従兄弟だ。一緒にいても、おかしくはないはずなのに。
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